
| 第一部 挽歌は奔流の如く | 【伝説】【前編】【後編】 |
| 第二部 さらば、麗しき波濤よ | 【幕間】【前編】【後編】 |
| 第四章 夜の片隅で |
ヤーデシュタットの大通りは夜になると各所に明かりが灯るが、それでも昼間とはだいぶ様相が異なる。金を持った男たちは酒場へ繰り出し、夜の女たちは今宵の客を物色し始め、善良な領民たちは家へ帰る。
そんな盛り場を、気にした様子もなくぶらぶらと歩いていく大柄なオクタール人の男がいた。勝手にぶつかってくる酔っ払い達も、男の体の盛り上がった筋肉と走る傷痕に気付くと何事か呟いて去ってゆく。
ハーランドである。あいにく持ち合わせが少なかった彼はどこで金を使えるわけでもなく、結局宿に帰ろうとするところだった。
「そこの御仁、この婆が占ってしんぜよう」
暗い道の脇から声がした。ハーランドが振り向くと、長衣で顔まで隠した何やらいかにも怪しげな風貌の老婆が佇んでいた。客引きや危うげな物売りではなく、腕輪やら指輪やらの発てる音を聞くと
ハーランドは腰の袋の中をまさぐった。増えてくれるわけでもなく、中にはフローリン銀貨がただ一枚あるだけだった。寂しい限りである。
「なぁ婆さん。後払いでもいいかい」
「――そなた、誰か人探しでこの町に来たようじゃな」
ハーランドの返事を無視して老婆は言った。鎧をつけないまま胸を刺されたような衝撃を感じ、銀髪の
「‥‥そなたの探し人はもう死んどりますぞ。再び逢おうなどと思うても無駄。いつまでもこの地にいると、悔やむことに‥‥」
ハーランドは占いの類いを人間だった頃も戦槌に魂を移した後もあまり信じていなかったが、この老婆はその胸の内を正確に言い当てたのである。
「‥‥フン。話し半分に聞いとくぜ」
動揺を隠し、ハーランドは銀貨を袋の中に戻した。
「お代は次に会う時でいいよな」
老婆の前にこれ以上いるのが嫌になり、ハーランドは踵を返すとさっさと歩き出した。

と、街角の角灯の下で彼を待っていた者がいる。物静かで清楚な雰囲気が、夜の町とひどく場違いに見えた。額の
「探しましたわ、ハーランド」
「クレリアか‥‥オレは宿にいるっていったろ」
常に目を閉じた詩人は小首を傾げ、ハーランドの後ろに見えない視線をやった。
「あの占い師と、話をしたのですか?」
「いんや。勝手に占ってもらっただけだよ」
気だるげに答え、頭をかく。だがクレリアの光のない瞳が、忘れ難い思い出の女を探してやってきた男の顔をしっかりと見据えた。
「でも、貴方からも、水の匂いがします‥‥」
はっとしたハーランドは動きを止めた。その場で振り返るが、老婆の姿は影も形もなかった。何者だったのだろうか。占いの内容に気を取られ、老婆の外見や匂いなど何も覚えていなかった。
しばし呆然として無人の暗い路地を眺めていると、クレリアが軽く手に触れ、帰りを促した。ハーランドはちらりと暗闇を振り返りながら、彼女に続くのだった。

| 第五章 公子の災難 |
ところ変わり日も変わり、まだ太陽も中天に高い《伯爵亭》。この時分から酒を飲んでいる者はたいてい飲んだくれや酒で忘れたいことがあると相場が決まっている。何やら独り言を呟きつつしんみりと杯を傾けている老人もその一人だった。
「‥‥ったく、初めての船出がこんなことになるたぁな‥‥。神さんがいるなら、なんて酷い仕打ちをしたもんだ‥‥」
「ご老人。話を聞かせてくれませんか」
河の
「ほう‥‥。おまえさん、この町の人じゃないね」
「わ、分かりますか?」
公子アリアンは目を丸くして心から驚いた。とはいえ気品ある貴族の子弟のようにも異国の朴訥な王子のようにも見える雰囲気をどこか漂わす彼は、誰がどう見ても場違いであり、老人にもっと酒が回っていてもやはり同じことを言っただろう。
「ふふん。老いたとはいえワシの目は鈍っちゃおらんよ。綺麗な顔だが、おまえさんの目は真摯な情熱に溢れとるな。ワシが初めて船に乗った時も、おまえさんぐらいの年じゃった‥‥」
老人は語り出した。そして船乗りとして波乱の人生を歩んだ老人には息子がいた。皆にその死を惜しまれたニコラウスと同じぐらいの息子だった。そして、その初めての航海で、魔女ブルティーゲヴェーレの魔力に囚われた息子は還らぬ人となってしまったのだという。
「ワシが船を作ってやったんじゃが‥‥無駄になってしまったな‥‥」
「そうですか‥‥」
しんみりとした雰囲気の中、アリアンは老人の話を真面目に聞いていた。その手がふと、右手にはまった腕輪に触れた。その中に光る珍重な
その時、アリアンに後ろから不意打ちを仕掛けてきた人物がいる。水中においては比類なき強さを誇るザルム一族も陸においては弱いのか、あるいは鈍感なだけなのか、とにかく不意打ちは完璧に決まった。刺客は老人の目をも醒ます程の美しい女、そしてその武器は豊満な胸であった。
「あら、アリアンちゃんじゃない!」
「これも、あの魔女の所業‥‥ど、どわぁあぁぁぁぁぁ」 |
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「アンタも変わってないわねぇ。ちゃんと食べてるの?」 |
と、一部始終を見守っていた老人もぽんと手を叩くと女を見上げた。
「おお、あんときの踊り子じゃねいかい! ワシももう十年若けりゃ、おまえさんみたいなイイ女は放ってはおかないんじゃがのう‥‥」
老人は前にマリアがこの町に来た時に相手をした客だったのである。彼女は恥らうような笑みを浮かべると、老人の膝に手を置いた。
「やだ、今でも全然イケてるわよ」
“いい男としか寝ない”とはマリアがいつもうそぶいている台詞だが、その基準は商売仲間やらから見てもまるででたらめだともっぱらの噂だった。とはいえ、一生懸命に何かに打ち込んでいたり危うい境界線上を走っている男は、マリアから見ていい男の基準に入るのである。
「‥‥マリアさんがここにいるということは、あの魔女のことで?」
アリアンが声を小さくして問う。
「そんなトコね。どうせアンタが地上にまた来たのも、そのせいでしょ」
マリアが答える。前に地上世界にやってきた折、早くも行き倒れとなってしまったアリアンを救ったのはこの美女なのである。口移しで水を与えたマリアは、ついでに若者の唇も御馳走様になっていったのだが、気を失っていた碧瑠璃の公子はそんなことは何も覚えていない。

と、騒ぎを見て話を聞きつけていたのか、さらに卓に現れた人物がいた。
「ご老人。話を聞くと船乗りのようだが、船を貸してくれないか」
甲冑は着ていないが衣装は
オズワルド卿である。会釈されてアリアンが頷き、騎士様の姿を見た途端にマリアがしどけなく組んでいた脚を揃え、胸元を直して居住まいを正した。
「おお、あの魔女を退治してくださるのかい!?」
「民草を守れない騎士など、何の価値もありません。なれば私の為すべきことはこれ以上の犠牲が出る前に、魔女を討ち取ること」
老人は顔を輝かすと話に聞き入っている。
「‥‥ねぇ坊や、あの騎士サン、知り合い? アタシにも紹介しなさいよ」
「そ、そんなに強くつつかなくてもいいじゃないですか」
マリアとアリアンがじゃれあっている横で、話は何時の間にか進んでいた。
「こいつはありがてぇ。早速準備に取りかからなきゃな‥‥」
「約束しましょう。この、十字架に誓って」
深い思い入れのある胸の
「そうと決まりゃあ話は早い。早速船を見てくるわ。‥‥ワシも、自分の手で戦うことができたらな‥‥」
束の間、歳を悔やむ老人の肩をぽんと叩くと、マリアは付け加えた。
「手を出せないのは恥じゃないのよ」
アリアンも微笑んで頷き、二人は船の準備のために出てゆく老人を見送るのだった。

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ボス「ジツはここでマリアお姉様はコロナの特技《縁故》を使っているのだ。王の末裔や貴族が使うさまが思い浮かぶが、夜の盛り場でこそ輝く美女が使ってもおかしくなかろう(笑)」 |
| 第六章 天の使いは来たり |
ヤーデシュタットの
「逗留の期限が参ったのです。この一件の行く末を見届けることができぬまま、この地を去ることになるかもしれません」
司祭ドロテアの
「わたくしもかつてはこの町の出でした‥‥。魔女の災いを残したまま、この地を見捨てるようで無念です」
「泣かないで。そんな、心配しないでください」
目が見えないにも関わらず、その様子を察したクレリアは言った。
「彼らの力ならば、きっと魔女を打ち倒すことができます。わたしもそれを助けましょう」
「神はなんと頼もしい助けをもたらしてくれたのでしょう‥‥救世母様の加護のありますように」
司祭ドロテアは
司祭に別れを告げ、クレリアは
「司祭様はおられるでしょうか。神の裁きを‥‥受けなければなりません」
「あ、はい、ドロテア様は礼拝堂に。告解室も空いております」
そんなやりとりを聞いていたクレリアは呟き、教会を出ていった。
「神は裁くものではなく、救うもの。とはいえ、告白が必要になるときもあるでしょう」

| 第七章 星の集う時 |
ヤーデシュタットの港。老人が貸してくれた船の準備が整い、いよいよ出発の時が近付いた。桟橋には町の人々が集まり、
「最大限の努力はします。願わくばアーの加護を」 |
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「未練があるわけじゃ、ないんだがな‥‥」
綱を解いて準備を終え、ふと水面に手を入れると、手ですくって口付けする。誰にも見られていないつもりだったが、見るとクレリアに見られていた。いや、盲目の
「貴方は、河の香りを漂わせていますね」
「なんだよ」
「まるで、伝説のザルムのよう‥‥」
「知るか!」
ハーランドはそっぽを向くともやい綱を解いた。剛力にものを言わせて重い綱を一気に陸に投げ上げ、棹で桟橋を押す。
船はいよいよ港を離れ、

岸を離れて間もなく、三人は船中央部の下の方から物音を聞きつけた。狭い船倉があるところである。
「ほら少年! 狭いんだから早く出なさいよ」
「あ、は、はい」
「もう、そんなにアタシに抱きつきたいの?」
扉が開き、何やら口論しているようにもじゃれあっているようにも見える二人組が出てきた。背の高めな麗しい美女が一人と、それより少し背の低い美しい若者だった。町の人々の人目につくのを避けたのか他の理由か、船倉にいたのはマリアとアリアンであった。
「マリア、来てくれると思っていました」
光のない瞳を向け、
「ま、ツレの夫が沈められたとあっちゃ、アタシも黙っちゃいられないからね」
マリアは行く手の川下に目を凝らした。
「そちらは‥‥」 クレリアは美女の連れに見えない瞳を向け、またしても訳知り顔で微笑んだ。
「もう一人、河の香りを漂わせる者が来たようですね」
大命を帯びて地上にやって来た
「‥‥リア。マリアッ!」
と、岸を走りながら、船に手を振って叫んでいる女がいる。その様子に気付くとマリアが舷側にとりつき、手を振った。マグダレーナであった。
「死んじゃだめよっ! あなたは必ず帰ってきて‥‥幸せになってね!」
内なる感情をほとばしらせたその声には悲痛な響きさえ混じっており、まるでこれがマリアとの今生の別れであるかのようだった。だが悲しいかな、船と岸の間は距離が離れており、若き
「スープあっためといてね!」
マリアは精一杯の声で応え、船はいよいよ大河キルヘンの流れに乗っていくのだった。

| 第八章 早瀬の姫よ何処 |
遠き山々と白竜の棲むトリエル湖を源とし、枝分かれしたり交わったりしながら西の大海に流れ込む
不気味な
銀髪に水滴をまとわりつかせながら、帆先で行く手に厳しい目をやっていたハーランドははっとした。その声は、忘れようとしても忘れられない、あの女の声によく似ていたのだ。
若き日の旋律は 既に止んでしまった
命の春はいつのまにか 去ってしまった
罪深きこの身など 今さら惜しむまい
生き長らえたとて 愛しき声は二度と聞けぬ‥‥
人間のノッティング語に似たその言葉は、
「シオナ‥‥生きていたのか‥‥‥‥」
ほっとしたようなさらに不安になったような、複雑な想いを抱きながらハーランドは呟いた。
複雑な気分になっていた者はもう一人いた。
「ヴォーゲン王、ぼくはどうすればいいのでしょうか‥‥?」
舷側でだらりと落とした手を水の中にやり、暗い水面に目をやっていたアリアンである。河の生き物全てを統べるザルム一族の一員として、与えられた王命は
母なる大河キルヘンは常に河の王者の一族を守護し、時として幻視によって民を導く。波間に目をやった悩める公子は、その中に
ほの暗い洞窟の中、規則的に音を発てる波打ち際に死体が流れついた。人間の女の死体であった。
そこへ近付いてきた者がいる。深い水底のような青の混じる黒い髪を長く伸ばした、それはそれは美しい河の乙女であった。
流れついたのが死体が女であることを認め、乙女は悲しそうに首を振るとその長い髪に触れた。亡骸を奥へと引き摺っていく。そして、何処からか人間のもう一体の亡骸を持ってくる。少し大きなそれは、男の亡骸‥‥
アリアンが我に帰ると、船は岩礁のそばの洞窟近くに上陸するところであった。

一行はハーランドを先頭に、洞窟に入った。湿った洞窟には遠くからせせらぎの音が聞こえ、どこから入ってくるのかキルヘン河の水が足元を流れていく。その水は汚されておらず塩気もなく、河の王国の民には河の力の助けを約束するものだった。
しばらく進むと天井が高くなり、大きな広間に出る。一面に並べられていたのは二人で組に並べられた亡骸だった。老いも若きも、船乗りも商人も、遺体は様々であったが、おかしなことに男女で一組に並べられている。そして遺体は互いの髪の毛で結ばれてひとつになっている。
おぞましくも闇の力を匂わせる光景であった。一行の体に刻まれた使徒のしるしが嘆きの声を上げる。
そしてよく見てみれば、女の亡骸の方がいたみが激しい。男の遺体は水の世界に沈んだ全ての亡骸を集めているように見えるのに――女の方は子供や老人の小さな遺体が見当たらなかった。
ずっと奥の方には水面への出口が見えている。そこから吹いてくる風に潮の香りが混じっていることを考えると、繋がった先はキルヘン河ではなくどうやら河口の先の
亡骸の間を回ったオスヴァルトたちは変わり果てたニコラウスを見つけた。結婚指輪と身につけていた品から分かったのだ。
ゆらり。一行の背後で空気が動いた。
『私の領土に迷い込むなんて‥‥なんて愚かな方たち』
その声は美しく、言霊の力を操るクレリアの歌声にも劣らぬものだった。
『ちょうど、まだ男の亡骸が足りなかったのよ』
腰まで長く伸びた髪は水底の深い
だがその姿は、傭兵ハーランドの記憶の中にある早瀬の姫シオナと幾分異なっていた。髪が乱れ、返り血に濡れたように、ところどころが真紅に汚れている。そして、濁った色の水の塊のようなものが、
即座にオスヴァルトが左手で剣を抜き、
『この、腐れた水がある限り、誰も私に触れることすら出来ないの』
互いの体に宿る聖痕が共振を始めた。今や自分自身となった力ある戦槌を構え、ハーランドがその元へ詰め寄る。
闇の鎖に捕われた殺戮者特有の異形の
「シオナ。シオナなのか?!」
『彼女はもう死んだわ』
『ずっと昔に私が殺したの』
その手にあった壊れた竪琴が鳴り、古きザルムの歌を奏でた。濁った水の流れが濁流となり、一行に襲い掛かった。

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ボス「かくて洞窟の中で竪琴を奏でるのは、姫を殺したと告げる赤き魔女であったのだ‥‥。さて、魔女ブルティーゲヴェレのことを少し述べておくのだ」 |
| 第九章 血の如く赤く |
濁流が
「ツレの仇だ、ここで取らせてもらうよ!」
後ろから声が飛ぶ。それは汚れなき姫の清らかな声援ではなく、夜の酒場の美しい
「殺したって、どういうことだッ!」
足元の水を長靴で撥ね上げ、ハーランドが突進した。常人なら両手が必要な強く重い魔法の
魔女がいにしえの言葉を呟き、淀んだ水が盾の形を取ってそれを防いだ。見守るマリアの足首のしるし、彼女が尊い身分の出であることを示す暁の子コロナの聖痕が輝き、それを遮ろうとした。魔女の血に塗れた黝い髪に隠された希望の御子アングルスの聖痕が力を発し、さらに妨げる。

一時とはいえ愛した男を前に迷いが生じたのか、それを振り切るように
「答えろって言ってるだろッ!」
再び剛力にものを言わせ、なんとか水壁の魔獣を撃ち破ろうとハーランドが震天の槌で攻勢に転ずる。オスヴァルトは唯一神アーへの祈りの言葉を唱え始めた。

一方、濁流の衝撃で転倒していたアリアンは頭を振って発ちあがると河の力を願い始めた。主の呼びかけに答え、右手首の腕輪の中から一瞬で槍が飛び出す。珍重な
ザルム族に伝わる魔法の槍、その名は

ブルティーゲヴェーレの
だが足元の水面にしか映らぬハーランドの真理の支配者の娘レクスの
「シオナに会わせろッ!」
汚れてはいても早瀬の姫と同じ美しい髪がはらりと舞い、
『‥‥かの騎士に使徒オービスの加護をお与えください』
それより一瞬早く、
戦列に加わり、水の魔獣と戦っていたアリアンは握っていた槍を放し、命を下した。
「
水中においては河の民ザルムは比類なき強さを誇り、乾いた地上においても母なる河の流れのある限りはその強さを発する。まだ歳若い公子も、公子に付き従う魔法の
水の満ちた足元から自在に吹き上がる水柱の幻影を、オスヴァルトの左の健脚に宿る風の
魔女を取り囲んでいた汚れた水の壁はいっせいに地に落ちた。洞窟の石の上を薄く流れるキルヘンの澄んだ水の中に混じり、淀んだ海水はどこかへ消えていってしまった。
『王命を担った者がふたたび呪いを解くなんて、相応しいことかもしれないわね‥‥』

「本当にお前が殺したんだなッッ!」
水の魔獣を失った魔女の元に、ハーランドが雄叫びと共に詰め寄る。洞窟に薄く満ちた水を長靴が蹴り、水面に映り乱れるだけだったハーランドの影が光った。影の中にのみ存在する彼の焔の剣の娘アルドールのしるしが力を発したのだ。唸る
その乱れた髪に隠された破壊の右手デクストラの聖痕が輝き、魔器の槌を持つハーランドの偽りの体がひととき霞んだ。だがそれもすぐに消え、大柄な銀髪の傭兵の姿がもとに戻る。
愛した女と同じ顔の
「ならば赤き魔女よ。王命によって滅びよ!」
アリアンが腕輪を嵌めた右手を振り、魔女を指差すと河の力を解放する。地面を流れるキルヘンの流れが魔女を取り囲む正円に浮かび上がり、六本の水の槍が周囲から飛び出し、同時に魔女を貫いた。
その甘い歌声で数多くの船乗りを惑わし、多くの船を沈めてきた
キルヘンの清い流れより生まれたもう六本の槍が公子アリアンの体を貫いた。そして水の満ちた洞窟じゅうの地面から、次々と槍が突き出した。
「河の力をそんなことに使っちゃ‥‥駄目だ‥‥」
倒れながら、アリアンは手を伸ばした。濡れた髪の下の首筋に隠された彼の正体を示すしるしが最後の力を発し、数十の槍は途中で飛沫へと砕け、飛び散っていった。

飛び散った飛沫のそれぞれが波紋を広げながら水面に落ちると、辺りは静かになった。ちろちろという音が遠くから聞こえ、ほの暗い洞窟に清涼な空気が流れていく。
キルヘンの流れが、倒れた魔女の体を清めるように撫でていった。
と、その様子に変化が生じた。ところどころが血にまみれ、真紅に濡れていたその乱れた髪が洗われていったのである。清い流れの中に広がり、元の輝きを取り戻したその髪は黝い黒。殺戮者ではなく、それはそれは美しい早瀬姫のものであった。
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「シオナ‥‥まさか、お前なのか?!」 |
「オレは傭兵だ。お前に触れられるほど綺麗な手じゃないぜ」
ハーランドは、先程まで魔女に全力で戦槌を振るっていたその手から
『わたしは王の怒りに触れ、この岩礁で河の乙女に身を転じてから、闇に捕われてしまった‥‥。貴方の姿は、変わっていないのね』
「オレは人間じゃなくなっちまったよ。こんなウソつきは嫌いだろ」
ハーランドはその手をしっかりと握った。ひんやりとした白い乙女の手はあの時と同じだった。
『嘘なんて、ついてないわ‥‥。もう一度会えて‥‥本当に、嬉しかった‥‥』
「‥‥済まなかった」
水底の美しい
頭を垂れるハーランド、胸の

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こうさくいん「薄々みんな感づいていたとはいえ‥‥魔女の正体はシオナ姫だったのでしゅね‥‥(>_<)」 |
| 終章一 挽歌は奔流の如く |
それは今より五十年の昔まで遡ることだった。
まだ歳若かった河の民の王“河霧彦”ヴォーゲンの妾妃であった
盗賊征伐の折りだったという、崖から落ちた人の
だがその相愛はヴォーケン王の知るところとなり、不貞の身を恥じよと王は怒りと共に呪いを掛けた。シオナ姫は腐れた水の呪いによって美しい
そして、真実を知った令嬢アウグスタは怒りに我を忘れて二人が共に過ごす洞窟を探し、復讐のために毒を撒く。だがシオナ姫は死なず、死体となって水に浮かび上がったのはディートリヒのみであった。絶望したアウグスタは崖から身を投げて果てた。
ラインフェルデン伯爵家が断絶し、呪われたシオナが孤独に歳月を過ごし、呪いもやや弱まった折りに助けた人間の男に数日の愛を感じつつも別れた頃。
彼女はキルヘンの流れに時折混じるさまざまな陸の世界のものに、人間の女の亡骸が妙に多いことに気がついた。魚の姿に変じて後を追えば、何らかの大いなる力により亡骸が辿りつくのはすべて、海底深くに忘れ去られたいにしえの
河の王者ザルムは深い河底に隠された多くの秘密、青い海の底に隠されたさらなる秘密に通じている。王家一族の出であるシオナ姫は古来の伝承を調べ直し、陸に住む何者かがウェルテクスを眠らす
一族を追放された身では頼る相手もなく、既に罪で汚れた身である彼女は妖艶な
死んだ人間の男たちは集め、上流から漂ってくるたびに洞窟に留めておいた女の亡骸と共に。互いを結び合わせて海へ放し、贄の神聖さを汚して
いつしか、キルヘン河口に棲む
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『お願いよ、ハーランド。あの魔神が蘇ったら‥‥』 |

| 終章二 予期せぬ別れ |
形見の品をそれぞれ持ち返り、一行は岩礁の洞窟を後にするとヤーデシュタットの町へ戻った。
町の人々に歓声と共に迎えられていると、間を割って駆けつけて来た人がいる。
「大変よ、マグダレーナが!」 職人通りの近所の人だった。
「船が出ている間に‥‥崖から身を投げたの‥‥」
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マリアは我が耳を疑った。 |
親愛なるマリア マグダレーナ
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羊皮紙の手紙の上に、大粒の涙が何粒も落ちた。

| 終章三 探求者の誓い |
ヤーデシュタットの町は歓喜に包まれ、クレリアはその中を
「あ、クレリア様! ご無事だったのですね‥‥」
門をくぐると侍祭の娘たちが駆け寄ってくる。
「はい。アルカナの力はこの地に集い、彼らの力が見事魔女を滅ぼしてくれましたから」
「ドロテア様も、せめて今の町の様子を見てから出立なさればよかったのに‥‥」
訝るクレリアは訳を尋ねた。
「そうです。クレリア様、聞いてください。ドロテア様が、急に姿を消されてしまったのです」
逗留期間が切れたと言い残し、ほとんど別れも告げずに
「そうですね‥‥。魔女の恐怖にさらされたこの町を、一番憂いていたのは彼女ですものね。分かりました。私がドロテア司祭に会い、どうか戻ってきてくれるように伝えましょう」
侍祭の娘たちは頭を下げ、クレリアは微笑むと温かく教会を照らす陽光を見上げた。教会の塔の先には質素ながらも |
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| 終章四 火急の知らせ |
オスヴァルト・シュイヴァンはヤーデシュタットの
亡骸も埋められていないニコラウス・オイゲンの
あの洞窟のいたんだ亡骸を持ち帰ることはできなかったが、河の王国の皇子が操る河の力により洞窟には水が溢れ、全てが清められて死体は河底へと沈んだ。これで犠牲者たちも浮かばれるだろう。
洞窟から持ち返って来たニコラウスの髪の一房を
「騎士様も無事に帰ってきてよかったのう‥‥息子も、ニコラウスも、みんな天で喜んでおるじゃろう」
犠牲者たちに改めて祈りを捧げに来た者は多かった。船を用意してくれた老人が墓に手を合わせる。
「そうだと、よいのですが」
「これで少しは親父らしいことができたわい‥‥有り難いことだ」
「(‥‥目の前に見えているものが真実とは‥‥正義とは、限らないか)」 |
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人々を苦しめていた
若き副団長が考え込んでいると、盛大な音を響かせて一頭の馬がやってきた。馬上の
「どぅ、どう!
そのただならぬ様子にオスヴァルトが進み出ると、
「カルデンブルク
司教マテウス。神学と、そして彼が生涯を掛けて研究している
その司教がいかなる火急の用件で

| 終章五 河魚たちの安泰 |
時刻は少し戻る。
その中で一人、公子アリアンは舷側に腰掛けると、いかなる方法にてか河の生き物たちを呼んだ。河の王者ザルム一族の公子の呼びかけに、しばらくすると大きいものも小さいものも、様々な魚たちが水面に集まってくる。魚たちは水の上に小さな顔を出し、何事かと王弟の子のことばを待った。
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『今日は群れに帰り、皆にこう伝えるがよい。魔女は滅ぼされ、もう河は安泰だと』 |
ふたたび魚たちは一斉に騒ぎ出すと議論を始めた。ややあって群れがふたつに分かれると、その間から一匹が、王の一族の願いに応える光栄に緊張しながらも船のそばに姿を現す。
『では河の宮殿まで赴き、伝言を頼む。“王命は果たされました”と』
『心得ました!』
恭順の礼をとると、魚はいざ大命を果たさんとくるりと身を翻した。キルヘンの流れの中を力強く進んでいく。散った群れの中の何匹かが、励ますように一緒に泳いでいった。
そして、ほどなくしてザルム一族に仕える大任は果たされることとなった。聖痕者たちが町に帰還し、人々が歓喜に沸いている頃。アリアンが川岸で待っていると、
『行く途中で、王の使いと鉢合わせたのです』
水面に顔を出した魚は興奮したように言った。
『賢き王は既に気配を察し、魔女が滅んだことをご存知でした。非常にお喜びだということです』
『そうか。ありがとう』
アリアンはねぎらいの言葉をかけた。群れの仲間たちが水面に現れ、公子に応える大任が果たされたことを喜び、河の安泰を改めて祝った。通りかかったヤーデシュタットの住人がもしも見たならば、魚たちの気が狂って溺れているのかそれとも突然地上に並々ならぬ興味を持ったのか、奇妙な光景に見えたかもしれないが、彼らにとってはしごく重要な記念すべき集まりだったのである。
ふと潮風を感じ、アリアンは河口を見やった。キルヘンの大河は海に通じているが、ここは真水の領域だ。強靭なザルム族は塩水の中を泳ぐこともできるが、ふだんは海に出ることはない。
碧瑠璃の公子はなぜか胸騒ぎを感じ、広がっているであろう彼方の大海原に目を凝らすのであった。

Fortsetzung folgt.
そして、物語はなおも続く。
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備えよ。
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dice-jp.com > Iwasi Studio > Report > Klagelied ist Flutgleich / Seite 1
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