寝屋川の事件を受けて、大阪で規制の動きが出たわけですけど、この件については神奈川でもすでに出てたり、愛知などでも暴力表現というわけではなくても前から動きがありました。
まぁ、正直、僕らはいい年のおっさんですから購入の上ではまるっきり関係ないわけですが、規制がかかる、という事の意味はもう少し落ち着いて考えてもいいのではないかと思います。
まずゲーム脳だなんだというようなゲーム自体が悪い、というような考えを持つ気はないんですが、かといってまるで影響がないとまではいえないわけで。影響がない、といえないのなら、事前防止策の意味で、ある程度の規制はあっても致し方ない、とは思います。ただ、それはあくまで作り手への自覚を促すブレーキとして機能すべきで、ゲームを根絶するためのものであってはならない。その意味では一部地域で年齢制限をされるという方が効果があると思います。他地域で買ってきたり、通信販売など抜け道があるにせよ、年齢制限を受けたというレッテルを貼られるわけですから。
規制が考えられているという事自体は、こうやって社会への影響が問題になるほど、ゲームというものが大きくなった、その代償であり、乗り越えるべき壁の一つだという事でもあります。だから行政からの規制とは別に、なるべくなら自主的な規制を望みたいのが本音です。
じゃあ作り手にとって何があるべき規範なのか。
それは作り手のメッセージです。何を伝えたいのか、それを伝えるのに最良の方法は何か。それを模索する事が一番の規範だと思います。ゲームと犯罪の因果関係はまだ認められない、とかそういう口上は研究を進める上での慎重な姿勢としてはあるべきですが、作り手の側が使ってはいけない。それはただの逃げであって、生み出したものに対して責任を持ち、胸を張って規制と戦うべきでしょう。
そういった意味で、規制については行政と作り手で常に議論し、むしろ流動的であっていいと思います。新しいものが常に出てくる業界でもありますしね。
余談ですが、ゲームがリアルすぎて現実と仮想を混同するようになった、というような発言があります。ゲームがリアルになっている、というのは映像が綺麗になったとかそういった事だけではなく、それによって表現されるゲーム内世界が社会をよりリアルに反映するものになっている事も含まれているでしょう。特にオンラインゲームなどはネット越しに実際に他者の存在する半分は本当に現実的な社会であるわけですし。
そういった中で、ゲームはゲーム、といくら言っても、様々な意味で影響を受ける事は間違いありません。しかしそれはむしろ胸を張るべき事ではないでしょうか。小説や漫画などと同等に現実では起こりえない事などを通して、改めて感じられる真実や思い、つまり架空のリアルとでもいうべきモノがあるわけで、創作物だからこそ意味のあるモノがあります。実体験以上に自身の体験としてこういう事を伝えられる、というのはゲームという創作物の持つ最大の利点でしょう。その利点は諸刃の剣ではありますが、その事を踏まえた上で、良き作品を作ってくれる事を願いたいです。
さて、上記の話は作り手や行政の話ですが、諸刃の剣というのはゲームで遊ぶ側にとっても同じ事です。どんなに意図して作っても、受け手が正しく受け取るとは限らない、逆をいえば万人が同じ事を受け取る事はあり得ないわけで、ゲームというものに対して慎重な態度を取る事は必要ではないかと思います。
作り手の信念のような事を言っておいてなんですが、生み出されたゲームは受け取る側にとっては、ただの道具であり、煮るのも焼くのも使い手次第です。
道具という事は、道具を生み出したものに悪意があるならばともかく、何かをしでかしたときには、道具そのものの罪ではなく、それは最終的には使い手の罪です。同時に、使い手の罪であるべきように、使い手は道具を扱えるべき者でなければいけない。そういう意味では、規制というよりは資格があるべきなのかもしれません。
とはいえ資格の方が決める事はむしろ難しいでしょうから置いておくとして、そのゲームが如何なるものであるか、それを冷静に考える視点というのは必要でしょう。子どもにゲームを与えるのならば、親御さんにその責任を持ってもらいたいところです。
責任を持てないから渡さない、というかもしれませんが、今のような状況でゲームをしない子どもというのは、自転車に乗れないとかいうのと同じような感じなのではないでしょうか。そのためにも親御さんにもぜひゲームを知ってもらいたいところです。その上で利点も含めて判断するようにしてもらえれば、一番いいのではないかと思います。子どもにとっての「規制」はまずは親御さんであるべきかと。
参考
各都道府県でゲーム規制を検討、CEROがゲーム業界を駄目にしている
子どもとテレビゲーム:/上 うちの子は「ゲーム脳」ですか?
子どもとテレビゲーム:/下 親子の対話が必要
理想論な話に終始しちゃってますな。作り手だって、ちゃんと自主規制しているところはしてるんでしょうけどね。
ちなみにCEROのは規制と思ってません。
あと地域の規制はレッテルよりも逆に評判になるって気もしますな。
この種の議論は何故影響を受けるのか、という前提の部分に触れないんですね。
ゲームはむしろ結果(犯罪)の方に距離が近くて、それより前に長い助走部分がある筈です。
以前、ピカチュウのリアルピカ攻撃で子供が失神した事件のときに
親御さんからTV局にクレームがあったらしいんですが、
ある作家さんはだったらテレビの電源切れば? と言い放ちました。
確かにね<前提に触れない
で、その前提の話はちょうど伏見さんが書いてくれたので、そっちを読んでみてくれ(笑)
http://fushimi.cocolog-nifty.com/weblog/2005/03/post_7.html
Posted by: そんちょ : 2005年03月10日 22:32向こうはガチっぽいのでこっちでコメント(笑)
大上段に言えばこれからもひどいことは起こるしその理由も意味も解らないでしょう。
この前の大阪の(笑)小学校の事件も理由は無いかと。
ゲームが原因というのはハッピーな結論じゃありませんか。