見てきました。
内容については表題のとおりですが、もう少し詳しく言うと、場面は主にベルリンの地下要塞内でのヒトラーを始めとする上層部の様子と、地上での一般市民たちの戦時の悲劇の様子についての二つに分けられ、その対比の中で話は進みます。
ここで描かれるヒトラーは多分に人間的です。女性や子供に対しての好々爺然とした一面もあれば、頑固に降伏を認めず、側近の裏切りに癇癪を起こし、絶望の末に自殺する。戦争末期の破滅的な流れにおいては悲劇の様相すら持ちえます。同時に周囲の人々についても、行われた行為はともかく、その心理は理解できるものだと感じました。
無論そういった点だけでなく、冷徹に一般市民を切り捨てようとする点なども描かれ、それによって起こる市民たちの惨劇については地上シーンで描写されます。ただ、アウシュビッツなどのユダヤ人の虐殺などについては触れはしても描写としてはありません。
こういった内容なので、捉え方によってはヒトラーを持ち上げているように見える映画として、批判を受けるのも至極当然ともいえます。
そうなっている原因として、一つにはヒトラーを身近に知る人たちの証言を元に話が構成されているからでしょう。少なくとも当時の彼らにとってヒトラーは人間らしい英雄であり、そう接する者にたいしてヒトラーも寛大だったはずです。
しかし重要な点として、彼らが接したヒトラーは同時に人間としてのヒトラーでもあり、世紀の大悪人、狂気の独裁者・アドルフ=ヒトラーも、僕らと同じただの人間だったという事です。
上にも書いたとおり、ある意味ヒトラーを最悪の悪人たらしめているユダヤ人虐殺については描写されてはいませんが、逆にその事が地下要塞に閉じこもるヒトラーたちにとって、外の事は本当に感知外であり、彼らの世界には登場しない出来事であるから、平気で行えたとも納得できたりもします。ヒトラーは最期要塞を出る事なく自殺するのですが、その意味で彼は最後まで外の世界の悲劇を知る事なく、自分だけの世界に閉じこもった人間だったわけです。
だからといってヒトラーが許される存在ではないのですが、その事に目を背けて、ヒトラーをただの狂人扱いで済ませていてはいけないわけです。ヒトラーの所業は人間の所業なのです。
こういう内容をドイツの人が映画にした、というのは大きな意義があるのでしょう。
ちなみにこういった点については、むしろ日本人の方が理解があるような気がします。それはヒトラーが戦後悪魔になったのと対照的に、日本では戦後天皇が人間になったからではないかと思うのですが、どうでしょうね。まぁ、代わりに戦争を狂気状態として責任を擦り付けているだけかもしれませんが。この映画は戦争の末期の司令部の混乱を表す映画としても秀逸だと思うので、そこを考えてみるのもいいかもしれません。ただ、後に生き残る事になる人たちについての部分が、なんとなく美談っぽいのは、時間の経過と共に罪の意識から逃れるためか、美化されて記憶されているからかもしれませんね。
とまぁ、いろいろ語ってはいるわけですが、これは映画としての魅力なのかどうかはわかりません。当然ながら重い映画であり、迫真の演技は痛々しくもあり、訴えてくるものもあるので、見る価値はあると思います。
投稿者 soncho : 2005年08月27日 23:42 | トラックバック