自分が裕福で恵まれた人生を送れていることが、ときに恨めしいことがある。
経済的な話ではない。いや、それも含めての話ではあるが。
苦楽の大小を比較することに意味はないかもしれない。けれど、経験が人を作るのは事実で、差を感じる事がある。
もちろん引き換えに、苦い思いをしているからこそで、自分はそういう道は通らずに済んだから、あるいは自ら避けてきたからこそ、今がある。そんな苦労をしても、乗り越えられるとは限らないのだ。
それでも、ときに思う。そういう人々に触れるたびに、壁を感じる。自分だけがのけ者にされているような気持ち。恵まれているからこそ感じる劣等感。
贅沢な話なのだろう、きっと。むしろ浅はかな考えだ。それでも空虚な思いが胸を掠める。
けれども、それは決して艱難辛苦の道に踏み込む勇気にはつながらない。
中途半端に宙ぶらりんなまま、円満な人生がただ過ぎていく。
いつになれば、平凡な人生を受け入れられるのだろう。
いつになれば、それが決して平凡な人生ではないことに気づけるのだろう。
いや、そんなことではないのだ。
ただただ、そんな人々の人生に自分が加わることができない、そう言われているようでひどく寂しい。きっと、ただ、それだけのことなのだ。
あー、苦労によっていろいろな経験を得た人を見ての発言だと思うんだけど……
苦労すれば”有効な”経験が得れるって訳じゃないから、苦労そのものは別に羨むことじゃないと思うけどね。
苦労を無駄にする人が大多数だし、苦労をマイナス方向にしか経験できない人もいるし。
そういう意味ではそんちょは比較的真っ当な人間と思うし、君の言う「裕福で恵まれた人生」からそれを得られたのだから、それを得られた環境をむしろ誇ってもいいと思うんだけどなぁ。
それとも自分で手に入れた経験じゃないと価値が無いですかね?(苦笑)
それこそ、持てるものの理論だと思うデスヨ。
あ、そうそう。比較的という注釈が付いてるのは、ゲーマーだったりなんだりって部分(笑)
人のこと言える立場では決して無いんだが、ま、一応ね(苦笑)
>わたるちゃん
そろそろあまり人も見ていないかと、独り言のようなことを書き始めたけど、レスがつくと恥ずかしいな(笑)
マジメに答えておくと、オチで言ってるように、本当は苦労が欲しいのでも経験が欲しいのでもないんですよ。もっとシンプルな答えが本当はある。
それで、ときにそういうものは 「比較的真っ当な人間」では手に入らないことがあって、あるいはそう思える、そういわれてるように感じるって話。
ないものねだりに近い話で、つまるところ愚痴ってことです。