ヨコハマ中華街&新山手

[ Chinatown BBS Log / No.571〜No.584 ]


白い霧・紅い霧

Handle : 荒王   Date : 2001/04/20(Fri) 02:25
Style : カタナ◎●マヤカシ チャクラ   Aj/Jender : 三十代後半/男
Post : 中華陰陽最高議会の使徒



 朱に舞い。朱が舞う。
 幽玄の如きそれは、人の業のありし姿か。
 鬼の業のありし姿か。

 闘神。 修羅。 羅刹。

 どれでも構わない。そのどれでも良い。
 二人の闘う姿は正にそれであった。
 肉体的な膂力や。技術などといったものを越えた。魂を削り輝かせるような闘い。
 その雌雄を決するのは。技でも力でも無く。
 ただ、その魂に抱え込んだ”業”のみ。
 だが、いつしかそれが奇妙な同時性と共鳴を産み始めていた。
 いや、それすらも奴等の計算のうちなのだろうか。
 拮抗している二人の力。そのバランスに奇妙な変化を見え始めた。
 その体格、嗜好から、二人の技には似通った点が見られた。
 だが、その人生が違うように、それまでは似てはいるが違う技を放っていた。
 それに変化が起こり、徐々にではあるが、同じ技を同時に放ち始めたのだ。
 それはまるで合わせ鏡のように、互いにまったく同じタイミングで同じ技を繰り出している。
 そして、その変化の主たる要因は阿修羅丸にあったのだ。
 阿修羅丸はは、荒王の闘術、剣技、身のこなしにいたるまで、まったく同じ技をふるっていた。
「むう・・・」
 さしもの荒王も表情を曇らせた。
 全ての動きが止まり、たった一つの声に全ての音が掻き消される。
 スサオウは一度阿修羅丸と切り結び、自らの目前で長剣を横に薙いだ。
 微かに眉を顰める。
 阿修羅丸の連撃を受けて流した荒王の血と、阿修羅丸がスサオウの打撃を受けて流した血が印を結ぶ。
 結界を成す。
 同時に阿修羅丸が片膝をつき、スサオウは顎をギチリと噛み鳴らして急速な脱力感に耐えようとする。
 そしてそれと同時に、彼は大地を揺るがす唸りをあげた。
「全てを厭わず・・・我をも、楔とするつもりか! 議会にまで影を許し____________あまつさえ、どう贖うと言うのか!!!」
 刃のぶつかり合う音の絶えた静かな空間にその力強い言霊が響き渡る。
「いや、それも浅慮よな。贖うか。そう、あらゆるものには代償が必要よ」
 ゆっくりと膝をつき立ち上がる。
 その間も体中から何かが抜け落ちていく。
 闘志。気力。魂。嘆き。怒り。悲しみ。喜び。恐怖。
 心を構成する五情が流れ出す。
 黒・白・朱・青・黄。
 五行を構成する色をその身にまとう。
「ふむ、これでよい。これでな。まだ、終わりには速い。まだ、始めるは速い。足りぬモノが在る故な」
 ゆっくりと視線を戻せば阿修羅丸が力を取り戻し立ち上がる。
 閃瞬。
 白刃が閃き、阿修羅丸の腕が宙を舞う。
 阿修羅丸がその腕をとりもどすよりも早く、荒王の顎がそれをつかみとり。咬み千切る。
 熱き血の濃密な味わいが喉を焼く。
 その出来事に差があったとすれば。
 荒王の方がこのような出来事には慣れているからだ。その差。そしてそれが致命的な差であった。この瞬間に置いては。
 腕一本分。
 その程度の差ではあるが。
 喉の奥から唸るような獣のような音が響く。
 それが阿修羅丸の呼気の音だと思った瞬間。
 荒王の腕も持って行かれる。
 腕一本分。
 お返しだとばかりに。
 阿修羅丸の瞳により深くより強い餓えが浮かぶ。
 満たされていく餓えとは正反対に。どれだけ自分が飢えていたか、それを知らされている。そんな輝きが宿っている。
「さて、黄泉路へのともとしては悪くは無い。だが、もうしばしだ。もうしばしな。主の本性見せて貰う」
 白い霧が赤い霧によって覆い隠されていく。
 荒王の姿も阿修羅丸の姿も。
 それは人の姿ではなく。まさしく。修羅道の鬼達の如く。倒れることを知らず。ただ飽くことなく闘い続けるその様に見える。
 そしてそれこそが。この陣図に求められる力の源泉の一つであり。
 そして、それこそが。彼がこの地に表れ賭にでた証左でもある。
(要素が足りぬ。我一人ではやはり力が足りぬ)
 確実にお互いの命の火を削りつつ立ち。諦めることも飽きることも知らず。闘う。
 美しき舞。
 命削る。死の舞。
 だが、その剣の一振り。拳の一打ごとにも。その命が削られていくのだ。
(”裏側”に潜り込む準備はできているのだがな・・・)
 
**

 紅の中華服に身を包んだ少女が一人。ぽつんとそこに立っていた。
 周りから立ちこめる異様な気配に対して。その少女だけがぽつんと浮かび上がっていた。
 不自然な程に自然な佇まいで。
「お待ちしておりました。那辺さん。皇さん。煌さん。」
 ふわりと。儚げで優しそうな笑みを浮かべてここに集まってきた者達を見つめている。

 ”那辺”
  どこともしれない。どこかもしれない。その意味のままにふらりとここに表れた。
  そして、今回の重要な鍵を握る。
  過去と現在を繋ぐための鍵は彼女にこそ握られている。
  言うならばノルンの三姉妹。過去を司る長女。

 煌 久遠。
  とある計画の副産物。それがどのような計画であるのかはきっと知る者は生きて地上には居ないだろう。だが、彼女のその能力に関して知っているものならば。かなりの数に上るはずだ。
 北米も議会も、この霧の一件を見つめ続け。そして力を持っている組織ならば気付いているだろう。彼女の存在に。その可能性に。
 その手に握られる可能性という名の糸を。
 その魂が握る意図を。
 彼女こそはノルンの三姉妹。未来を司る末の妹。

 皇 樹
  メディアの寵児。
  現在をもっとも良く知る者。
  未来と過去の架け橋にして。
  その両手を縛られた哀れな娘。
  彼女の持つメディアという名の剣こそが、未来に対する架け橋。
  彼女の持つ情報という楯こそが。過去と現在を繋ぐ架け橋。
  彼女こそはノルンの三姉妹。現在を司る中の娘。

「あんた、一体どこから表れたのさ?」
 あらゆる事象を無視して表れたかのようにたたずむ少女に、那辺が疑問の声を投げかける。
「この街は私たちが築いた街ですもの。抜け道はいくらでもありますわ」
 ふわりと微笑む姿は愛らしくさえある。
 だが、その瞳には人生に疲れた古老のような光が宿っている。
 中華の民を影から支援し、時には支配し、操ってきた。彼女たちにこの”中華街”で分からない事など無いのではないだろうか。
 少女はすっと。趙の目の前に歩を進め深々と頭を下げる。
「先日は失礼致しました。趙老師」
 ふっと頭を上げると那辺に向かって歩を進める。緊張と警戒の色を光らせる那辺の瞳をものともせず、少女は歩み寄ってきた。
「あなた方に渡して欲しいと。頼まれごとをしましたの。あの方は私の為に無理をしていただいておりますから。否やはありませんでしたわ」
「頼まれたっていったいどなたにです?」
 トーキーのサガかとっさに質問が口をついて出る。あっと口を手で覆ったが一度ついて出た言葉は消える事はない。女は度胸とばかりにメモをとりださんばかりの勢いで真剣に少女を見つめる。
「”荒王”という方をご存じでしょうか?」
 一瞬の沈黙の気配。
 それを少女は肯定と受け取った。
 膨らんだ袖の中から。ノート程度の大きさの封筒と、IANUSのスロットに入り込むようなデータカードが一枚。
「これは私たちが所有しており。そして、あなた方必要とするであろう。データの欠片。どう使われるかもあなた方次第です」
 カードを煌に。
 封筒を那辺に。それぞれ手渡す。
 那辺にそれを手渡したとき。少女の手が那辺に偶然触れた。触れたそこから。少女の魂そのものが流れとなって那辺の中に流れ込んでくる。
 ホワイトリンクスの影響による拡大化された感覚の副作用だ。
”貴方がどのような運命を選び取るのか。それを知っていれば賭けなどと言わなくてもすむのでしょうけど”
 ホワイトリンクスの満ちた空間にあってさえ、隔離され確立された確固たる意志と存在がそこに在ることを物語っている。
 そして、その思いが語る物語は。この霧に関わる。強くも優しき”鬼”の物語。そして、それが施した術と。その術を為すのに足りない要素。
 それらを伝えると。指先をゆっくりと離れた。指先が離れると。暖かい雰囲気を醸し出した何かも離れていく。
「残り時間もあまりありませんし。聴きたいことがいくつもあるかと思いまして。まかりこしました。私に応えられる事は少ないのですけれども」
 真剣で真摯な表情。だが、どこか哀しげな表情をして少女。
 紅 鈴華は那辺たちの前にたたずんだ。

 [ No.571 ]


告げられた死の刻限

Handle : “那辺”   Date : 2001/04/25(Wed) 02:31
Style : Ayakashi●,Fate◎,Mayakashi   Aj/Jender : 25?/female
Post : B.H.K Hunter/Freelanz


 科学技術だけでなく、人類が長い歴史の中で培ってきた秘術──術や法、科学技術の恩恵にして、双方向感覚共有と疑似経験をもたらす電脳空間。
 その人類が持ち得る技術の粋を集めて設計された“ホワイトリンクス”は、まさに時代の変遷がもたらした芸術品といえよう。
 そのマンマシンインターフェイスのビルドが開始された人体は、その人体そのものが尤も適した環境──最適な状態へと再構成され、普遍無意識領域の共有と、マシン適合者の選別と個体そのものが持つ、才覚の飛躍的な向上と可能性の因子の覚醒を選別した個体に形成する。
 個体に強制的な進化をもたらすのだ。
 其れは、望むか望まざるをあたわず、身をもってマシン適合者にその事実を認識させていた。


▼YOKOHAMA LU$T 中華街 "NEO"関帝廟
「私からの質問は特に無い、だがこれで、陣に干渉しうる鍵があらかた揃ったわけだ。あらゆる確度から形成されたホワイトリンクスに対し、あらゆる確度から干渉しうる、似て否なる物が……黄泉の主からの神託の通りに」
 触れた霊覚と受け取った書類を懐にいれ、突如現れた議会の故老に対し、予言者──那辺はそう告げた。
 しかし次の瞬間、激しく身震いをすると那辺は、自らの身を両腕で抱えこみ、膝をつく。
 あからさまにおかしい那辺の様子に、今まで様子をみていた皇は慌てて駆け寄り、煌は自らの不調をかえりみず、近よる。
 苦笑いに似た、弱々しい笑みを浮かべて那辺は煌を制止するが、歩みをとめた皇に対し、煌は心配の余り蒼白に顔を染め、歩みを止めない。
 発作的に赤く染まった目で立ち上がりかける那辺。
「はい、お姫さん。おねーさんの言うことは聞くもんだよ」
 煌の肩をつかみ、その“間”を絶妙に外したのは、小さな色眼鏡をした茶色の髪の男。 場に不相応なほどの軽快な口調でいい、草薙は那辺と久遠を見やる。
 大きく肩で息をした那辺は、礼の変わりに草薙に向かって軽く手を挙げ、そして、告げた。死の宣告に等しく、衝撃的な言葉を。
「もうアタシは限界なのさ、荒行で血を断って久しい。酷く渇いてる上に、人の姿を保てなくなって来てる」
 寒々とした、身の凍えそうな気配に皇は赤いオペラクロークの襟をあわせた。
 気がつくと口の中が渇ききっている。
 関帝廟に入ってからのこの凍えるような雰囲気は、この場が纏っているものだと思っていた。事実、感じられる範囲内ではそうであり、感が慣れてしまったのか気がつかなかったが、この気配は、この魂の凍えるようなそら恐ろしさは……。
「……那辺さん、それって……」
 口元をおさえた皇の連想と、肩を草薙に捕まれたままかすれた声で呟いた煌のコトバに、那辺は肯定の頷きを──返した。
「でも、それでも。アタシはこの街が大好きなんだ、護りたいんだ。テメエの限界?企業や組織の暗闘?そんなモノはクソ食らえよ!だからなんだ、それがどうしたよ!」
 血の吐くような呟きからだんだんと声が大きくなり、ついには叫んだ那辺は周囲の心配をよそに無理矢理立ち上がる。
「手はある、まだ手はあるんだ。術陣が発動するその一点にかけて、その中心で、霊的、科学的、いや全てのアプローチを、因果を繋げることが出来れば……なんとかなる」
 暴走しかかっている自らを支えるように、頭を振って呟いた那辺は、ふと、透き通るような精気の無い顔で煌を見た。
 不安そうに、震える小鳥のような彼女に近寄り、おずおずと衝動を抑えて手を煌の顔によせる。
「恐い、かい?……だろうね」
 冷たい感触が、細い煌の顔の線に反って流れた。顔から首筋、首筋にあるNAS症候群の膚板(ダーム)に伝わる細かい振動を帯びたソレは、背負われていた時より、繋いでいた手の感触より、ずっとずっと、冷たい。
 死の腕(かいな)に似た、生けとし生きるモノを拒否するような、そんな昏い感触。
──でも過去視を通じて結んだ血の縁がなくても、伝わるこの魂の慟哭に心奪われて。
 煌は、恐怖を忘れて見返すことしか出来なかった。弥勒越しの薄く赤い瞳を。
「……逃げちゃいけないわけじゃない……だが」
 その苦しそうな中紡がれた那辺の言の葉は、遠い遠い忘れ去られたキオクを煌に喚起させる。
 草薙の手の上から、置かれた那辺の手袋ごしの指が食い込む。その痛みよりも、なによりも辛そうな那辺の様子が煌には、見ている一同には辛かった。
「だけど……思い出して欲しい、貴女が、貴女たちが何処から来て、何処に還りたいのかを。"the pair of Symbol to Immortal Navigator"……いや、小さな電脳の姫君」
 ずっと、ずっと。口にすることをはばかっていた推測すら、無意識に口から出てしまうほどに自らの抑制が効いていない。那辺は震える体と意志を最後の力で押さえつけ、キリーを見やった。
「私には──アタシには策がある。自己組織化臨界点に達した状況の打破は、いつでも地に住まうモノが行うが道理さ。だがソイツを果たすには、もう一押し欲しい──キリー。もう一つだけ、径を渡しておくよ」
 そう言を継ぐと、懐から取り出した三鈷杵をなれた仕草で構え、人化に用いていた全ての力を注ぎ込んで、ソレに術をかける。口から紡がれたのは、呪言という名の対象への束縛。

『我ガ名、我ガ盟友、我ガ存在ニ賭ケテ命ズ。我ト我ガ友ノ召ニ応ジ、疾ク現レヨ。“ズィルバァ・ヴァイス・ヘクセ”エヴァンジェリン・フォン・シュティーペル』

 その詞を継ぐと、白金に染められた短い那辺の髪がぞわりと黒く染まり、顔に長く降り。血色のない肌は、さらに青白く精気すら纏わず、口元に生やしたイミテーションの牙は鋭く、長い牙に生え替わる。
 弥勒の奥に隠れた眼はソレを隠すこと能わず、赤く爛々とした存在を示す。
──纏う気が変わった。そら恐ろしく、人間を凍りつかせずにはいられない根源の恐怖へと。
 黒いザンバラな長髪の主に変わった那辺は、吐息を漏らす。深く、ただ深く。
「……コレを持っているとイイ。アタシがアンタ達から今離れても……アンタが願ったその刻に疾く、現れるだろう。アタシが見た径とアンタの力で、貴方が望むべく場に……通用してれば、だけどな」
“もしも、私が倒れても。今の段階で尽くせる手は尽くしたから”
 キリーの返答を待たず強引に三鈷杵を彼に押しつけ、ゆっくりと、そして緩慢に関帝廟の奥を見据えた。
「荒王だけでは少々霊的な因が足りないな、アタシもいこう。ホワイトリンクスは、LU$Tに張られた布陣は、おそらく霊的、科学的、電脳的アプローチを全て繋げなければ、どうにもならないだろうしな……その代役はアタシがやろう。ソレに、ここにいては──アンタらをアタシは喰い殺す」
 さらりと言い放ち、凍り付いた気配の中、きびすを返そうとした那辺に、誰かが物体を投げた。反射的に那辺は受け取る。
「おねーさん、一寸待った。プレゼント受け取ってくれない?」
 手を開けば、小さな天使の羽根のついたイヤリング。那辺は思わず苦笑。
「ほら、俺とおそろい。駄目?」
 耳に付けたイヤリングをみせ、語尾に音符でもつきそうな草薙の台詞に、那辺は更に苦笑し、気を取り直してぐしゃぐしゃと自分の頭をかく。
「この事件が片づくまで、アタシと休戦というのを呑むならね、坊や」
「了解、りょーかい。おやすい御用。おねーさんとだったらいくらでも」
 この男との口約束ほど信用できないモノはないのではないかと、ふと那辺は思いつつも何故か自然な仕草で耳にイヤリングをつけた──ごく、自然に、まるで謀られたように。
「……ここで、一度アンタらと別れるよ。耳を済ませてみればイイ、行かなければ行けない場が解る。仕掛ける瞬間も、耳を澄ませてみてくれ。のるか、反るかは別にしてな」
 深い吐息と共に、那辺はこの場にいる、そしてこの場を見ている全てにそう告げた。
 そして、止める間もなくきびすを返す。
「ここは、起点の一つに過ぎない。本当に八卦炉の中核を成しているのはここじゃない。アタシらマヤカシが噂に聞く──場だろうね。だが、ここを疾く識る事こそ、肝要なのさ」
“ああ__________私、もう行かなきゃ”
 そのコトバは、果たして一同に届いたのか。
 皇に渡したモノと同様のマスターディスクをキリーに投げ渡し、かさかさと渇いた響きを──限界の証を含む詞を残して、那辺は廟の奥へと消えた。
 祥極堂に現れた刻と同様に、ふらりと。
「じゃあ──夢の終わりにまた逢おう」

 皇は那辺を抱きしめてやりたかった。
 だが出来なかった。動けなかった。
 どうして?どうしてそんなに傷ついてまで走ろうとするの?
 どうして?どうしてそんなに苦しいの?
 そう煌は問いたかった。
(──この人には、欠けたモノがあるから──)
 煌に聞こえたのは、生誕を祝う賛美歌にも、悪魔の囁きにも聴こえるノイズ混じりのAの詞(コタエ)。
(──この人に下された神託は、貴女達の死。避けられた死の刻限から紡がれる不確定の要素。刮目せよと残酷に告げる守護神の声──)
 "Zaphkiel" のアイコンが煌を抱きしめる。これは、幻影?これは残酷なる真実?
(──出会えた似て否なる半身と一つになれなければ、自らの獣に喰われて奈落に堕ちる。与えられた聖なる杯を受け止めなければ──)
 ダカラと、響きが煌自身の声と、那辺の声とに重なる。だからソレを見せたくなかったのだと。
(──ソレが、それこそが、予言への介入という禁を犯した予言者への罰。正そうとする死の刻限──)
 久遠が、ただ哀しそうに手を伸ばした。皇は那辺の消えた向こうから眼が離せなかった。サンドラは八神に寄り添い、八神は深く思案する。
──俺はあんたにただ、死んで欲しくないんだ。
 そう呟いた、先程まで軽快な口調で話していた男の呟きは、誰かの耳に届いたのであろうか。果たして。
 議会の古老は、眼を伏せる。
 久遠の肩に、一羽の黒い鳥が──那辺が去り際に放った一眼の鳥が、ただ、止まった。
──刮目せよ 我が朋友 刻限はきたれり 約定を果たすときぞ!
 其は、神託か。運命か。選択の刻は生きている誰にでも降りかかる物で、あるが故に。

http://page.freett.com/DeepBlueOcean/ [ No.572 ]


the Holy Grail

Handle : “那辺”   Date : 2001/04/25(Wed) 02:34
Style : Ayakashi●,Fate◎,Mayakashi   Aj/Jender : 25?/female
Post : B.H.K Hunter/Freelanz


 アヤカシ、それも吸血鬼と形象される夜の一族は、先天的な赤血球の欠乏と同時に主に人体の精神エネルギーを糧として生息する。故に仮説として夜の一族は、人間の精神への強力な支配力を発揮するのではあるまいか。
 那辺という個体の中で最適化されていった因子は、また彼女が自らの施術を高める要素として断った血液と精神エネルギーの欠乏とあい合わさり、長い刻の中で細分化されていった血脈の根幹因子の覚醒へと、彼女を誘う。

▼YOKOHAMA LU$T 中華街 "NEO"関帝廟 回廊の狭間

 声なき声の叫びに、今宵の宿を求めていた機会仕掛けの赤い眼達──鳩が無数、飛び立った。
 苦しい。
 地獄の劫火に焼かれたとて、此程の苦しみを背負うのだろうか。
 ペインキルも、赤血球を合成した麻薬の処方も、保持していた輸血用血液を、乱暴に牙で破り抜いて、貪った血もこの渇きを癒すには、何の効果もなかった。
 純白のコートを血液の斑に染めて、荒王の元に向かおうとする途中、那辺は飢えに暴れ狂う。
 必死の思いで止めていた意志も、既に使い果たし何の効力もない。壁を叩き、手を血に染め、狂い、舞踏を踊り、倒れ、血を吐き戻し、床に爪を立てる。

 長い刻を生きてきた銀の魔女の過去を、彼女が現在にある根幹を垣間見た過去視。
 祥極堂に向かう途中に感じた強い吐き気と耳鳴り、幻覚。
 煌 久遠の神経細胞を繋ぐように覗いた、過去視とソレに残像の如く現れた銀の髪の男。
 人化に回していた余力と意志力全てをぶつけた、名を使った高位の術者への束縛。
 その全てが、一つとして常人の格を超えた所行であるが故に、那辺は荒行を用い、自らの限界を意図的に、解った上で超えた。必要であったからだ。
 その代償が、彼女の中の獣が、今那辺を狂ったように苛んでいる。

 微風に運ばれし濃密な血と屍(かばね)の香りに、那辺は動きを止め、顔を上げる。
 獣の衝動に突き動かされ、立ち上がり──自ら、強く頭を床に打ち付けた。狂ったように渇いた笑いを上げたまま、身を起こし壁に寄りかかる。
 なぜ、此程までに代償を要求されるのかと、誰かに問いたかった。
 ただ、“私は自らの愛した街を、人間を護りたいだけなのに”と。
「私は、人間に生まれ変わりたかったんだ。だから……生まれた」
 誰に告げるでもなく、ぽつりと漏れる呟きは、那辺が信ずる輪廻の輪を巡った故の呟きか、飢餓の狂乱が見せる狂気か。
「だが企業の利用されたアタシらは、その凶弾に倒れた。アタシは死にたくなかった、心の底から死にたくなかった──気がついたら、バディの死体から血をすすってるアタシがいたよ」
 思い出した今ですら、自らのモノと思えぬ血塗られた過去。思えないのではなく、そう思いたくなかったからだ。
「アタシがアヤカシであるコトを受け入れきれない、ヒトでありたいと思えば、思うほどに狂っていく、破綻していくのが解る。だから、それは諦めらられる、受け入れられる」 其は、ぽつりぽつりと紡がれる自己への呪言。
「でも……もうアタシは、私は、普通の血じゃ、イノチじゃ満足できない、カラダが受け付けない!自分ともっとも近いモノを受け入れなきゃ、狂い堕ちる。解ってるんだ、頭じゃ!!」
 其は、悲痛な叫び。其は、弱くはかなげな本心。両手を掲げる如く上げながら、緩慢な動作で廟を見渡し、それにしても、この廟はコレほど広かったのかと、遊離した正気で思う。
「……その為に、愛しい男を貪り喰えというのか!」
「その為に、人であるということを辞め、善も悪も全て受け入れよというのか!」
 那辺の自ら用意した策は、霊的、科学的、電脳的要因から形成されている八卦炉及びホワイトリンクスに対し、神が降りうる場そのものに、形成された高次集団無意識に滑り込み、夜の一族の特性をもって、地獄と時の均衡を司る盟友、閻魔そのものを一度だけ、ただ一度だけ降ろすことによって、事象を納めようと画策する因全てを繋ぎ、仏法にある因と果の事物そのものを形成させようというのだ。無論、自らの生命を犠牲として。
 ただ、その策に対し彼女が想定していたよりも早く、そして速やかに彼女自身に限界が来てしまったことと、現状の那辺自身の霊格の不足、ビルドを完全に終了させ、彼女が秘めている始祖の因子を覚醒させるだけの引き金が自身の中にないという、構造的欠陥を抱えていた。
 このままでは、不適合を起こし因子が暴走という形で覚醒。霊的な奈落落ち(フォールダウン)を起こす。
 現象学が形容する本質的直感において、那辺は必要な引き金を解っていた。
 二つの波長が非常に似かより、そして否なるものを完全に同期、共鳴させた場合、一方の波長に一方の波長の力が取り込まれ、二乗以上の相乗効果をもたらす。
 以前桃花源で出会った極に『二人が一人に視えた』と告げられなくとも。認識化において、その事実と方法論は誰よりも深く、そして痛く解っているのだ。
──ただ、その事実と方法論に、自分自身が耐えられない。だから、誰にも告げられなかった。だから、現状に置いて打てる全ての手を打った。
 最悪、狂った自分を殺してもらうために。
「答えよ我が盟友!答えよ我が師よ!答えよ“焔の魔女”よ!!これが__________これが定めだとでもいうのか!ヒトの命を糧にしてきた私の……」
 廟内に響くは立ち上がんばかりの絶叫。悲痛な一人のニンゲンの叫び。耳に飾った天使の羽根が、しゃらんと韻を立てる。
 うなだれ、渇いた笑いをのどから漏らす女は、力無く呟き続ける。
「自己組織化臨界点という言葉がある。一定の数の要因(ファクター)が集まったとき、まさに魔法のようにシステム化する現象。今が、まさにそれなんだ。そして要素は抽出され、必要なモノがそろった、そうだろう、マフィオーソ」
「……だから、だから私の処に来てはいけない、来るなよ、ジョニー。私は──アタシはアンタを犠牲にする……」
──ただココロは打算と事実を超えて荒れ狂い、ただ逢いたいと切に願う。
  愛しい、いとしい貴方に。其は、呪縛の如く。
 其処までいって、ふと彼女の正気はやっと近くに潜むヒトの気配に気がついた。
「誰だ」
 鋭く、その気配に告ぐ。無くした弥勒で隠れぬ赤い瞳で睨み。
「今の私は気が短い、隠れてないで出てこいよ。そういうヤツは嫌われるんだぜ?」
 自らにどうしても譲れない、護りたい一線がある以上は、目に見えている結果をだしたくなかった那辺は、そう鋭く継いだ。


 この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。
 新約聖書 ルカによる福音書 第22章 20節

http://page.freett.com/DeepBlueOcean/ [ No.573 ]


EDEN -エデン- (2)

Handle : シーン   Date : 2001/04/30(Mon) 03:42



▽ 同時刻:漢帝廟


 衛星から滝の様に降りてくるデータの奔流に、その身を打たせるままにする。
 煌は那辺の姿が視界から消えると、静かに頭を振ってから素早く腕に装着しているラチェットに手を触れ、皇から以前に知らさせていたレッドの一角を利用してウェブに繋がる幾つもの端末をリンクさせ始めた。
 接続するや否や、怒涛の様に迫るデータ群を意に介さずに彼女は振り分け、“処理”を推し進める。
 だが、煌のそのウェブでの挙動は誰も目にする事が出来なかった。それはただ単純に彼女の行っている行動がWaWを通してのものだから視覚に捉えられないという訳ではなく、彼女のそのラチェットを操作する動きやWaWを通して膨大なツール群を御するその処理を感じ取る事すらが、常人の域を越えた領域だからだった。
「何をするつもりなの?」
 同じく那辺を悲壮な表情で姿が見えなくなるまで見つめていた皇が、那辺が煌を背から下ろした後に直ぐ側へ来た趙瑞葉の二人がWaWのコードを引き伸ばして彼女に囁きかけてくる。
 煌は静かに微笑むと、皇と趙のWaWのコネクタを自らの腕に差し込んだ。
[...AlteonIVを起動するの]
[...え?]
[...アルテオンIVよ、皇さん。私の高度負荷分散ツールなの]煌はにっこりと笑った。[...私ね、N◎VAに着いてから直ぐにWarmを走らせたの。幾つも。それこそ星の数ほどにね]
 大きく深呼吸をしながら彼女は両手を仰ぎ祈るように広げた。
[...私の友達がこっちで亡くなったって知ってから、不自然な系譜に私の何かが震えたわ。メレディーさんにコンタクトも取れないとわかってから、その不安はもっと助長された訳だけれど。でもね、それって裏を返せば私にとってはいいスタートだったかもしれないわ。だって少なくとも私が自分の足元を見ながらも、つぶさに自らを振り返る瞬間をくれたわけだから]
 煌は流れるような操作をラチェットに走らせた後、WaWの端子を指で叩いて微笑んだ。
 趙は言葉が出なかった。
 そもそも彼女を________煌に賭けようと王美玲に進言し、強く推したのは自分だ。だがあの日、あの時に驚異的な電脳への干渉力を秘めながらも、どことなく儚げでいて少女の様な面影を残していた様相はもう既になく、目の前の少女は途方もない成長を・・・変化を経て変わろうとしていた。
 これが“軌道製”の試験体なのかとWaWの接続レベルを浅く言語野に止めさせ、趙は両目を閉じて自らの内で呟いた。
 そんな趙の内なる言葉は、無論皇にも煌にも届かない。
 彼女は矢次に言葉とデータの奔流を趙へと差し向けた。その流れに触れる度に趙の大きく心は揺れ動く。
 煌は____________彼女は全てを相手にするつもりだ。彼女の作り上げようとしている仮組みの構造物は、自分の想像を大きく超えようとしている。

 黒人がG.C.I.、トライアンフ、LIMNET-P、ジュノーの各企業CODECのキーコードを織り交ぜた“データキー”を用いて、北米CDCに保管されているウィルスプログラムを原株とした変種を作り出す。それをデジタルリンクで結ばれたあらゆる網路に・・・北米FCM規格の各種アップリンクと皇の持つレッドを軸として、ホワイトリンクスが絶対的な密度を持って形成しているナノレベルで形成される________空気の様に纏まった“場-フィールド-”へと干渉する。
 煌は心の中で僅かに苦笑した。
 桃花源で会ったあの日の夜、クリス・ハーデルは自分にこう言った。
「俺達が立ちたくても立てなかった舞台だ。・・・チケットも用意する。無論、誰も座れない特等席も用意する」
 彼が用意すると言ったのは、オーディエンスとしての席ではない。それは、直接舞台に立って曲目を謳い上げるプレイヤーの席を示していたのだ。
 煌はニューラルウェアのアプリケーション層に次々と投げかけられてくる“子供達”の囁き声にじっと耳を澄ませた。

 子供達は呟く。
 自分達は父なる存在を迎える為に歌を謳い上げる。一人では微細なその声も、無数に集まり、指揮者が纏め上げるプレイヤーが寄り集まりオーケストラと成れば、それは最後には壮大なオペラとなる。
 アストラル界と原形界の狭間に浮かぶ電脳界を依り代とし、我等が父は等しくその存在を目の前に現すだろう。
 人が神と呼び、悪魔と呼び、聖霊とも呼ぶことのある姿を持たなかったその存在が、漸くその存在を示すのだ。

 ____________父なる神が降りる?
 煌はLU$Tのグリッドに浮かぶ幾つもの企業層の構造物にセキュアなアップリンクを繋ぎ、予め時限プログラムとしてクリス・ハーデルから渡されていたFCMのキーコードを用いて、限定的にその処理能力を開放する各企業のメインフレームを幾重にも織り上げていた。
 その超極細の単位故に空気となって層を織り成し、様々な形でアストラル界にも原形界にも電脳界にも繋がるナノマシン達が囁く言葉は、想像を絶する単位のパケット・・・いや、そんな単位では計れない接続を以って流れるに違いない。煌はその超高速且つ、圧倒的な数のナノマシン達からのリクエストを受け流す為に、これまでに実現させることすら考えられなかった大規模な都市単位での計算力を織り上げることで対向しようと考えていた。
 自分がウェブで黒人と交わした意識交換を信じる限り、如何様にかして彼はナノマシンを通してゲルニカが手繰る傀儡の糸へと干渉し、位相を限りなく合せて対消滅・・・中和しようとする筈だ。恐らくそれは電脳的手段だけでなく、原形界の手段として空気の層を織り成すナノマシンへと“音”で対向するつもりに違いない。だからこそ、YUKIとYAYOIにネットコンサートを通して謳わせるのだろう。
 何処までそれが実現可能なのかどうかはわからない。
 だからあの日、あの時、煌はウェブの薄い緑色のグリッドの上に浮かぶ黒人のアイコンと向きあった時、その存在に“死”のノイズを嗅ぎとったのだろう。彼は、その誤差を自らの存在で埋め合わせようとするつもりに違いない。
 自分が今は巧く言葉に出来ない、様々な思い出や存在に思いを馳せている“守らなければならない”という感情を、彼は自身がしっかりと掴んで見失うことのない意思として向き合えているのだろう。
 最初、自分は何をどうすればよいのかが全く分からなかった。
 友人の死に打ちのめされ、その強烈な一時の感情が紡ぎだす声に縋り、このLU$Tに溢れ様としている悪夢を振り払えないかと考えた。だが、その思いはただ只管に空転を続け、予めそれを察していたかのようにゲルニカや姿も見えない者達の数限りない思惑に絡め取られつづけた。
 自らの出生すらもあやふやな記憶にしかない自らの存在を絶対的に信じて“動く”ことなど、これまでの自分には決して出来なかったやり方だ。
 だが__________________________

 煌は面を静かに上げる。
 皇と趙は言葉を見失い、その双眸をただ・・・静かに見つめた。
 少女の面影はその顔に既になく、はっとするような静かな一人の“ヒト”の意思が浮かんでいた。
 皇がとっさに思わず煌の左手を両手で掴む。
「煌さん、何をするつもりなんです?!」
 顔色を変えてWaWではなく、声をあげる皇に視線を向けて煌は静かに微笑んだ。
「もうすぐクリスさん達が目的地に到着するわ。それに同期して黒人さん達がネットコンサートを通してナノマシンが構成する霧へと位相を合せた干渉で中和させて・・・中空地帯を作り上げるの。それがスタートよ」
 言葉を一度区切って煌が首元のWaWの端子を叩く。
「ゲルニカって言う人が私達の行動を全て把握していたのは、ナノマシン達が構成する霧のネットワークを利用して私達に構築されつつあるホワイトリンクスの端子・・・識っている人ならデヴィアインプラントと呼ぶインターフェイスを通して意識や互換に触れる全ての情報を読み取っていたからなの。
 でも、ネットコンサートが巧くいけば、少なくともそのラインが潰れて不通になるはずよ」
「___________成る程ね、だから王姐は私に・・・」
「言葉にもせず、情報にもせず、貴女に歌を渡した訳ね」
 趙の呟きに皇が振り向いて声で返す。
「じゃあ、このデータカードに入っている情報は一体何だ?」
 キリーが訝しげに、那辺が投げて渡したディスクを手にして見つめる。皇も同様に手元を見た。
 それから数秒後に、はっとしたように趙は紅 鈴華を振り返る。紅は僅かに口元を緩めてその表情に応えた。
「アンタ、こうなる事を予想していたね?」
 草薙が腰に片手をやって目を細め、紅を見つめて呟いた。
「歴史は形こそ違えど、悠久の彼方の頃から繰り返される事が多いものです・・・草薙潮様」
 紅がその姿に似合わない老いを感じさせる光をその両目に満たして、その場にいる全員を見つめ返す。
「煌さん、もう貴女はお気づきなのでしょう? ・・・趙老師と皇さんに繋がられている__________貴女なら」
 煌が紅の視線に応えるように向き合う。
「えぇ、軌道から落とされる前に自分に刻まれた記録・・・_____________記憶の欠片を信じるのなら」
 そしてゆっくりと左手を挙げる。
「議会は術で・・・対抗なされるおつもりですね? 私が電脳を以って抗するように。ディスクはいわばその為の触媒ですね。紅様、スサオウさんに何処まで委ねられるおつもりなのですか?」
 紅が静かに無言で微笑み返す。
 煌が更に言葉を紡ぐ前に、リョウヤの声が響いた。
「_____________溢れ始めたぞ」
 その凛とした声に、全員が彼を振り向く。
 リョウヤは目を細めて漢帝廟を一度見つめると、在らぬ方向の空を見つめた。サンドラがその背に隠れるように怯えている。
「・・・貴方もご覧になれるのですね」
 紅が哀しげな表情を垣間見せる。
「流れは決して遡しまには還らないと信じたいのですが、そう在るべきだと信じる者達がいるのも事実です」
「・・・とうとう反転し始めたな」
 草薙があぁと面倒臭げに溜息をつきながら両手を頭の後ろにやる。その表情はこの緊張した場に場違いな程似合わない、まるで子供のような呟きだった。
「反転を促したのは彼方方でしょう?」
 紅が冷たく目を細めて草薙を見つめる。だが、草薙はそれに首を傾げて応えた。
「ラドゥのおっさんはともかく、俺はどうかなぁ。エヴァの姉さんだって態々そんな事をしなくても楽な方法を知っているはずだしね。大体俺等は・・・まぁ、今となっては隠す必要もないだろうが、“降ろす”事を始まりにしたいだけだ」
 数秒の間、無言で音のない時が流れる。
 だが、草薙の声色にも似た明るい声が、吝かにその沈黙を破った。
「そうだろうね、何もこんなにも酷い規模で“贄”を立てる必要もないと信じたいね」
 その言葉に趙が思わず面を上げた。
「風土さん!」
「紅様。元々、我々が知る八卦炉は因縁以外のあらゆる負の要素を分解して還す式です。ですが、LU$Tに張り巡らされている術陣の・・・この漢帝廟の最後の起動式は印が逆向きです。それを治めるべく遣わされたスサオウ殿の術に重ねられた阿修羅丸の陣に御気付きか?」
 声は聞こえど、姿を現さない風土の声に紅が素早くその視線を漢帝廟の門へと向け、注視する。
「・・・まさか」
「えぇ、そのまさかです。紅様、議会_________中華最高陰陽議会に取引を行った者がおります」
 その言葉が終わらぬうちに紅が刹那、辺りにいる皆を凍りつかせるような表情をその双眸に浮かべる。
「スサオウ殿の高位な封術を反転し、阿修羅丸を依り代とする事で負を奉じて起動します」
「となると、大きな問題が残りますね」
「・・・スサオウ殿とそれを鏡映しにする阿修羅丸の二つの存在が対消滅し、最後の軌道式が空位になります。
 最悪、八卦炉が総反転し、負を放出する要素が生まれる事になります。それも_________」
「それも、“贄”を通して術が集める負の要素の深さに比例して“降ろす”事になりますね」
 矢次に交わされる姿の見えない風土と紅の会話に皇が我慢できずに声を上げた。
「“降ろす”? 一体何のことですか?!」
「邪神です」
 皇の問いかけに、紅が静かに答える。そしてゆっくりと草薙を振り返った
「この方がアラストールとお呼びになる存在です」
「邪神とは酷い言われようだなぁ」草薙は手を振って苦笑した。「せめてメシアなんてどうだい? 皆最初から遣り直せるんだと、須らく思い出させてあげるのさ」
 紅が僅かに口元を歪めて溜息をつく。
「____________今は時間がありません。草薙様、貴方との問答は後にさせていただきます」
 姿の見えぬ声に振り向くように彼女は宙を見上げた。
「・・・そのお声は、来方様ですね? もし貴方の慧眼に合せ、この術を高位の術者が括り直したものだと仮定します。ですが、八卦炉には負を神として降ろしても自我がありません。それを阿修羅丸という者が兼ねると言うのですか? それならば私はそれは在り得ないと申し上げなければなりません。私達が遣わせたスサオウは議会きっての術者です。その上を行く者はおりません。阿修羅丸とやらと対消滅になることは在ろうとも、決して膝をつくことなどは在ろう事も無い筈」
 しかし、返って来た声はその問いかけすらも見越していたようだった。
「はい、彼等が縦しんば対消滅したとしても空位になるはずです・・・他の霊殻が無ければ」
 返された言葉に、紅が大きく両目を見開いた。
「納まるべき自我を持つ霊殻が無ければ、無論反転した八卦炉は自然消滅することでしょう。議会の総力をもってすれば可能な事です。ですが、もしその霊殻となる存在がいるとしたら? 霊挌が高く、眼と耳と口を持ち、意識の操作になれたものがいたとしたら?」
 紅が目を閉じて、僅かに面を伏せた。
「________________龍となります。全てを喰らう、魔竜となるでしょう」
 降りるべき神を奉じるのはいつも人の深層にある心さと、側で草薙が小さく呟く。
「___________如何なされるおつもりですか?」
 紅の問いかけに数秒の沈黙が降りる。
「私がやるやらないはこの際申さない事に致します、紅様」落ち着き払った風土の声が響く。「そうならぬように防ぐには、“贄”となる存在を八卦炉から切り離すか、代わりの依り代となる霊殻を取り除くことです」
「_____________彼女を封滅されるおつもりですか」
 沈みきった趙の声が弱々しく響く。煌は暫し目を伏せ、皇ははっと気付いて声を荒げた。
「な、那辺さんに何かするおつもりですか!!!?」
 泣きそうな表情で煌が呟く。
「皇さん、もう遅すぎるのかもしれない。・・・この人達が言っている“贄”ってホワイトリンクスに汚染された全ての人達を指しているのだと思う。その贄の存在を切り離すっていうのは、つまり殺すか存在を無くすかしてしまうって事でしょ?」
 煌が宙を仰いだ。
「風土さん、那辺さんがアストラル界の依り代となるのなら、メレディーさんは電脳界の依り代になってしまうの? ・・・最後に残っている原形界の依り代は一体誰なの?」
 煌の悲壮に満ちた涙声が漢帝廟に響く。だが、風土の声は彼女に返らなかった。
「・・・通常の封術で事態を捉えなおすのなら、龍が生まれて起動し、これまで決してLU$Tに溢れる事の無かった邪念や負の想念を吸収して集めてしまう前に封滅する事が__________対消滅に繋がるような因縁を渡す事が必要なはずだ」
 それまでじっと黙っていたキリーが、目を細めて自らの過去の記憶に埋もれた封術の知識から言葉を紡ぐ。
「八卦炉をさらに包む・・・LU$Tを超える規模の封術で“焼き尽くす”ということですか?」
 眉を顰めて紅がキリーへ振り返る。
「世界を揺らした神災を超えてしまいますよ?!」
「揺らさぬ為には」風土の声が再度響く。「限りなく極小に“降ろす”しかありませんね」
 その声にキリーが思い出したように面を上げる。
「そうか・・・負の極大は正の極小。正の極大は負の極小だということだな?」
 キリーが両目を閉じて必死に考えをまとめようと集中し、ギリリと無意識に銀色の右腕の拳を握って鳴らす。
「そうだな、空位となるところに納まる霊殻へと組み入る為には、俺ならまず___________________」


-------------------


 榊が和泉の身体を抱き寄せ、その耳元に叫ぶように声を上げた。そうしなければ、スサオウと阿修羅丸のぶつかり合いに全ての音がかき消されつつあるからだった。
「和泉、彼女達を可能な限りこの部屋へと来させないようにしなければなりません。 彼女、ゲルニカはLU$Tに古くから布設された術陣を逆手にとって利用するつもりです。それも、最悪な事にこの場を治めるべきスサオウの高位霊格の位相に相反する鏡写しの阿修羅丸を奉じて楔とし、術そのものの規模と格を驚異的なまでに引き上げようとしています」
「ですが所長、術陣そのものは議会と本国からの使者が・・・それにN◎VA軍が然るべき手段で押さえ込んでいるはずでは_____________」
 榊が首を横に振る。
「我々の尺度を元にしてはいけない。和泉、ゲルニカが・・・彼女が成そうとしている思惑は、我々の想像以上に用意周到だ。彼女は、本来であれば負の阿修羅丸を押さえ込むスサオウが上になる事で治められるはずだった術式を、二人を対消滅させる事で空位を作り出そうとしている。その空位を埋める存在が___________」
「まさか、所長に以前に伺った彼女達なのですか?!!」
 榊が両目を刹那閉じて肯定する。
「術陣を、より完成した高位の“陣”として作り変える為に、まず彼女は那辺の“銘”に組み入って韻を・・・印を成すつもりです!」
 言い終わるかどうかという瞬間、辺りに阿修羅丸とスサオウが再び切り結び始めた超絶の力のぶつかり合いが生み出す剣撃で、耳が聾される程の鈍い金属音で満たされた。
 和泉が頭を振って鞘から剣を抜き放ち、スサオウと阿修羅丸の均衡を打ち崩して脅威をなくすかどうかへの選択に揺れる。
「所長、那辺の銘とは言っても_____________」
「本名ですよ、和泉」
 榊が両目を顰めて、和泉の左腕を掴む。
「術者として必ず伏せる本名を伝い、術で彼女の自我を自己対消滅させるさせるつもりなんですよ、彼女は____________ゲルニカは!!!
 彼女の本名から印に組み入って術へと・・・八卦炉へと彼女を引き込むつもりです。
 より誰よりも、盤に乗るプレイヤーの中で業の深い位置にいる彼女を利用するつもりなんです」
「ですが、彼女の本名を知る存在が何処に」
 じっと榊が和泉の両目を見つめる。
 ホワイトリンクスで驚異的なまでに発達した榊の念波が、擬似的なテレパシーとなって和泉の表層意識へと響く。
「___________所長?! ・・・彼ですか? 彼が知っているのですか?!!!」
 和泉が二人に襲い掛かってきた魔獣の生き残りを袈裟斬りにし、榊へと振り向いた。

「そうです、彼が識ってしまっています。
 ヴァチカンからの使者、ジョニー・クラレンス_________________彼は、那辺の本名を______________」

 三度、榊の言葉が阿修羅丸の咆哮で掻き消される。
 だが、それは始まりだった。
 アストラル界、原形界、電脳界。三つの界層でそれぞれの運命の歯車が回り始めている。
 しかしその事実を知るには、あまりにも遅すぎる幕間だった。

http://www.dice-jp.com/plus/china03/ [ No.574 ]


YOU GIVE LOVE A BAD NAME

Handle : “指し手”榊 真成   Date : 2001/05/04(Fri) 02:27
Style : KARISMA,FATE◎,KURO-MAKU●   Aj/Jender : 30/Male
Post : 榊探偵事務所


「彼女達を可能な限りこの部屋へと来させないようにしなければなりません」

そういうと、榊は瞳を閉じた。

(・・・今の私なら、この“言葉”を伝えられるはず。そして、彼女達なら受け止められるはず・・・)

再び、意識の両手を音へと伸ばし、自らも音を紡ぎ始める。つかんだ真実を伝えるために。囁くように、歌うように、・・・祈るように。

全てを紡ぎ終え、物質の世界へと戻った榊を、爆音が迎えた。未だ戦いは続いているのだ。時間がない、そう痛切に思う。

(・・・全ては遅すぎたのだろうか?)

この瞬間まで、紅い魔女を捕まえられなかった自らの失策を悔やむ。・・・いや、未だ、彼女を捕らえたわけではないのだ。

「行きましょう、和泉。ここはもう私達のいるべき場所ではない」
「彼女達の元へいかれるのですか?」
「・・・いえ。追いますよ、彼女を。ゲルニカ蘭堂を」

荒王と阿修羅丸、相打つ二人に背を向け、歩み去ろうとする榊。この状況で、自らの身の安全を無視しているかのごとき行動に、和泉が慌てて彼の背後につく。
榊は思う。人は自らの能力を超えた結果は出せないのだと。彼等二人が榊を害そうと思えば、いかなる手段を用いたところで彼の命など風の前に塵に等しい。ならば・・・。
自分は己の出来ることに全ての力を傾けるだけだ。決着はつけねばならないだろう。本当の終わりのくる前に。悔いを残さぬように。時には昔の情熱を、地べたを這いつくばって生きていた頃の思いを、思い出すのも悪くないのだから。

超然と歩み去る榊に、和泉が躊躇いがちに声をかけた。

「所長・・・所長・・・もしかして、彼女のことを・・・?」

歩みが止まる。ゆっくりと振り返る。その面に、優しげな笑みが浮かんだ。

「ゲルニカ蘭堂、彼女は私にとって・・・」

その言葉を途中で覆い隠すように、廟に風が巻いた。

http://www.din.or.jp/~kiyarom/nova/index.html [ No.575 ]


紅蓮

Handle : シーン   Date : 2001/05/20(Sun) 22:21


関帝廟近辺:BAR オルフェウス

やわらかなピアノの調べが空間を満たしていた。
バー オルフェウス。
客の入りは7分といったところだろうか。
「あの男は信用できると思うか?」
カウンターに片肘をつき、シンジは隣にすわる女性に語りかけた。
カラリ、と目の前のグラスの氷が乾いた音をたてた。
「信用できるさ、シンジ。」
女が答える。
美しい女だった。
照明を押さえた店内でほのかな燐光を放つ見事な銀髪。
肉感的ではないものの、厚手の黒いコートの上からでさえ解る見事なプロポーション。
そして、もし創造主というものが存在したのなら、己が最高傑作であると太鼓判を押したであろう、その美貌。
非人間的なまでの美を兼ね備えた女だった。
それは一種最高の美術品がもつ美しさに似ていた。
だが、人の心に感動を与えるそれらとは違い、彼女が与えるもの・・・それは恐怖。
魂さえ凍てつかせる絶対の恐怖だった。
それゆえ、人は彼女、エヴァンジェリン・フォン・シュティーベルをこう呼ぶのだ。
“銀の魔女”と。
「シンジ、人というものは何らかの欲望によって動いているものだ。そういう意味では、あの男はとても自分の欲に忠実な男だ。」
「たとえそれが単なる好奇心であったとしても、な。」
エヴァは楽しげとさえとれる口調でそう言った。
「キタカタ・カザトか・・不思議な男ダナ。」
シンジはその名を懐かしむかのように口にし、グラスの琥珀色の液体を一口含んだ。
「ん?どうした、エヴァ。」
視線をそらし、店内のカメラをジッと見つめるエヴァにシンジが声をかける。
「いや・・何でもないさ。」
そう言って彼女は視線をシンジに戻した。
「クレアめ。・・・どうも電脳の住人という輩は私は好きになれないな・・」
呟く。
彼女のイメージ通りの硬質なソプラノがピアノの調べにのり、シンジの耳を優しく愛撫した。熱い液体が喉を通り過ぎる心地よさを感じながら、彼はふと彼女の歌を聞いてみたいと思った。
「イイ声ダナ。・・・一度アンタの歌を聞いてみたい。」
口に出してしまってから、シンジは自らの言葉に微かな驚きを憶えた。
なぜ、こんな事を言ってしまったのだろうか?
「いつになく、感傷的になっているなシンジ。ホワイトリンクスの影響か?」
意外な事にその声音に冷たさはない。
「それに・・魔女の歌は人を惑わす、と言うぞ。」
むしろ柔らかな響きさえおびて、エヴァは言った。
「もう惑わされているのかもな・・・」
シンジは苦笑し、グラスの中身を一気に干した。
「シンジ・・・」
エヴァの声が不意にとぎれる。
見ると、彼女は再び視線を店内の監視カメラに向けていた。
スウッとその瞳が細められる。
シンジにはそれだけで辺りの温度が下がった気がした。
「どうした?」
囁くようにシンジが問う。
「つくづく・・電脳の住人というのは覗き見が好きなのだな。」
まるで見えない何かに語りかけるように、エヴァは言った。
「クレアか?」
「いや・・この感じは、千眼。編纂室の薄汚いピーピング・トムめ。」
彼女は鋭くそう言い放った。
そして、それに答えるように店内に流れていたピアノの音色がピタリと止み、かわりに電子合成された若い男の声が響いた。
「ビンゴー!さすがは銀の魔女。なかなか鋭い・・」
客がざわめく。
「良い雰囲気のところ非常に申し訳ないんだけど・・・アンタ方お二人に俺達の計画をさんざん邪魔してくれたお礼を是非したくてね。」
千眼が言う。
「エヴァ・・・気づいているか?」
シンジが辺りに気を配りながらそっと囁いた。
「気づいているとも、シンジ。」
エヴァが答える。
ざわめく客達の中から、あきらかな殺意をもった数十人の者達がこちらに向かって来た。
「今夜はいやにガラの悪い客が多いんだな。」
「まったくだ。無粋な連中だな。」
シンジが腰を上げる。
「歓迎はいたみいるが、千眼殿。あまり長居をするつもりはない。・・・先ほど、私を呼ぶ者がいたようなのでな。」
エヴァがまるで食事でもすませるかのような気軽さでそう言った。
「呼ぶ者?誰ダ。」
シンジが問う。
「運命に抗う者達・・・紅蓮の炎に身を焦がしながらもなお、その道を進もうとする者達だ。」
エヴァの瞳が一瞬悲しげな色を宿した。
「お二人さん。急いでいるのは解るんだが、そいつらは普通のエージェントとはひと味違うぜ?そう上手く行くかな?」
千眼が楽しげに言う。
「問題はない。」
エヴァとシンジが同時にそう答えた。
シンジは窮地にあるというのに口元がほころぶのを感じた。
やはり、俺達にはこういう場がよく似合う。お互いの思いを語り合うのは、全てが終わった後でいい・・・そう、全てが終わった後に・・・
シンジは胸の内でそう呟き、迫り来る敵を睨み付けた。
「店内にはまだ普通の客達もいるんだぜ?そいつらを巻きこむのかい?」
千眼がさらに問う。
「何も、問題はない。」
一語一語区切るようにゆっくりとエヴァは答えた。
見る間に、彼女の笑みは見る者を恐怖させる氷の微笑へと変わっていった。

・・・・・・・・

アストラル界

「ゲルニカ・蘭堂、彼女を追いますよ。」
榊のその言葉をゲルニカは確かに聞いていた。
LU$T 中に広まった霧は高位の術者である彼女の耳となり目となり、いながらにしてゲルニカはLU$T 中の出来事を感じる事が出来たのだ。
しかし、その五感にときおりノイズが走る。
彼女をしてさえ、この術の行使には種としての限界を超えたものが必要とされていた。
そして、クリスや黒人達によるネットコンサートの影響も徐々に出始めていたのだった。
「榊・・・」
脳を直接刺激されるような激しい痛みをこらえながら、ゲルニカはそっとその名を呟いた。
まるで恋人の名を口にするような甘やかな響き。
黒い髪、そして意志の強さを秘めた黒瞳。
それは彼女の心をとらえて離さぬある男を連想させる。
「不思議な男・・・これほど危険な目にあってもなお、私の後を追おうとしている。」
「それにあの目。あの瞳の輝きは狂気にとらわれた者達のそれとは違う。私が狂わせ、墜とした者達とは、明らかに違う。」
ゲルニカは心の目を再び榊に向けた。
「あなたとならきっと退屈せずにすむのでしょうね。どこか遠く、静かなところで暮らすのも悪くはないかもしれない・・・でも、ダメ。」
「私は始めてしまった。大きな賭けを。全世界を敵にまわし、闘いを始めてしまったのよ。」
「それに・・・きっとあなたは私を許さないわ・・・」
ゲルニカは、痛みに耐えるようにそっと瞳を伏せた。
そして、再び、強い意志を込めて、今度は榊ではなく、その傍らに立ち、必死に剣を振るう一人の女性、和泉に視線を向けた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

同時刻 関帝廟内

「所長・・・所長・・・もしかして、彼女のことを・・・?」
超然と歩み去る榊に、和泉が躊躇いがちに声をかけた。
“愛シテイルノデスカ?”
その問いの続きを彼女は口にする事が出来なかった。
それを口にしてしまえば、全てが終わってしまう、そんな気がした。
ズキン
胸の奥が小さく、鋭く痛んだ。
それは、彼女が今まではっきりと自覚する事を避けていた感情だったのかもしれない。
今まで自分がいた場所、そこに誰か別の女性が立つ。
自分より力があり、そして彼が愛する・・・女性。
“そう、彼はあなたの元を去っていくわ。”
あるはずのない答えが、不意に彼女の脳に直接響いた。
“誰?”
和泉は心の中でその声に問いかけた。
“私はあなた、あなたが封じ込めていた本当の感情よ。”
クスクスと含み笑いを漏らし、その声は答える。
“ち・・違う!そんな事は・・・”
“いいえ、自分に嘘はつけないわよ、和泉。・・・可哀想な娘。”
彼女の問いかけを遮りその声は続けた。
グラリとあたりの景色がゆがみ、荒王と阿修羅丸の二人の剣撃の響きもあらゆる音もどこか遠くの出来事のように消えていった。
心臓の鼓動が耳もとで聞こえる。
体が熱い。
“でも心配はいらないわ、彼を永遠にあなたのものにする方法を、私が教えてあげる。”
“本当?”
和泉の表情が和らぐ。彼女にはもはやその声しか聞こえていなかった。
“本当よ、ほら、あなたの持っている剣があるでしょう?”
“剣?”
和泉はゆっくりと手にした剣に視線を移した。
“そう、それで彼を刺すのよ。そうすれば誰も彼を手にいれる事はできなくなるわ。ずっと・・あなたのものになるのよ。”
“剣で・・所長を・・・刺す?”
“そう・・・刺すのよ。”
遠く、その声に誘われるようにゆっくりと和泉は剣の切っ先をあげた。
熱にうかされ、朦朧とした顔を榊に向ける。
「所長・・・」
弱々しい彼女の声に、榊が訝しげに顔を向けた。
「どうしたのですか?」
稲妻の速度で、彼女の剣が閃いた。

「そう・・あの時、暗示をかけたのはあなただけではないわ、榊。」
「あなたにかけた暗示をわざと解きやすくしたのも、全てはこの時のため・・・ごめんなさいね、そして・・・・さようなら、榊。」
緋色の魔女の声がLU$T の霧の中で、小さくそう呟いた。

 [ No.576 ]


タフでイカれた、クルードな切り札

Handle : ”デッドコピー”黒人   Date : 2001/05/21(Mon) 00:42
Style : ニューロ=ニューロ◎、ハイランダー●   Aj/Jender : Aj/Jender : 20代前半/♂
Post : リムネット・ヨコハマ所属電脳情報技師査察官


so damm easy to cave in, 屈服ほど簡単なことはない
man kills everything       人類は全てを破壊するのだから         
                      MANIC STREET PREACHERS [FASTER]



予想に反して、宇宙【‐ソラ‐】への旅は何の支障もなかった。
全てにおいて、オールグリーン。まったくもって、拍子抜けといった具合だ。
最も困難な相手と踏んでいたユグドラシルにいるゲートキーパーも(例え見かけだけにせよ)発令
ともなると、おとなしいモンだった。
「北米の利益を考えると同時に、我々はオーストラリアの利益も考える」
これが、連中の見解だった。つまり、素直に発令に従うことにしたのは北米の今の行動方針に
疑問を抱いているからだという。
「親が子を糺す義務があるように、子も親を糺す義務がある」
俺が笑顔を崩さぬゲートキーパーにただそれだけ述べると彼はただ、頷き返した。
「”北米の利益を考える”……ステイツはもう少しこの言葉の意味を真剣に考えたほうがいい。
これは、北米政府の決定に素直に従うと言うことと同意儀の言葉ではない。
政府が間違った道を歩もうとするなら、我々は当然のようにそれを止めようと動くだろう」
何の躊躇もなく、言ってのける。
彼らが何に納得がいかないのかは特に聞かなかったが、北米の動きに納得がいかないものが
あるのは事実のようだ。
簡潔に礼を述べて、俺はウエへと上がる。
遥か彼方が漆黒の闇になっているのが特徴的なウェブ構造体。
宇宙【‐ソラ‐】だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「イマジノスとレイストームのアイコンは目に付きすぎるのが難点だな」
あえて声に足していったのは、機体に乗っている人間が自分の存在に気が付いていないよう
だったからだ。
「……いつから居たんだ?」
「合流時刻25秒前からだ。お前達に解かりやすく言うなら、お前達が今回の問題をまとめている
ところからだな。会話に夢中なのも良いが、アドミラルマークぐらい意識しておいてくれ」
絶対上位を示すアドミラルマークがバイザーの右下のところに示されている。誰が上位なのかと
言えば、当然、俺なわけだ。
「安心しろ。今はまだ”仮”ってヤツだ。正式なものじゃない」
「持って回ったやり口だな、【デッドコピー】」
不機嫌そうに、ようやく搭乗者監視カメラに目を向ける。その表情に答えるように俺はカメラを
少し左右に振ってやる。
「人の真似をしただけなんだがな……イントロンで話すか?」
「イヤ、こっちはいつでも操縦に戻れるほうがいいからな。このままで頼む」
「了解」
グレンがその間にもなにか呟いていたが、特に気にも止めずに聞き流す。いかにも教え込まれた
通りにやっているのが見て取れるクリスの機体のチェック作業を見ながら、俺は勝手にしゃべり出す。
「どうにも、計画に手落ちがありすぎる」
「は?」
訝しげな顔をしたグレンに向けて、俺はもう一度繰り返す。
「奴らの計画に落ち度があるといっているんだ」
「おいおい、待てよ。現にここまでの混乱を招いているじゃないか。それに落ち度があるって?」
「その混乱がまずいのさ」
クリスはなにかを言おうとしたが、じっと考え込み始める。グレンはそのことに気が付いたのか、
俺に目だけで先を促す。
「ここまでの事態に持ってこないのが、一番ベターだったはすだ。”ナノマシンに汚染されたLU$Tを
作る”。今回のことで汚染をそれを”決定的な”ものにする。それで十分だったバスだ。だが、事態
はここまで進んだ。もしかしたら欲張りなだけかもしれないが、それにしては手の込んだ策が多すぎる。
ここまで不思議だったが、もうこれは確信だ。この霧を作り出している奴らは”ホワイトリンクス”を
コントロールする術を持っていない。こう考えると、今までの自体にも説明がつく」
「なるほど、行けるところまで持っていこうという算段か。術陣も一度場が形成されれば、後に役立
つことも多い」
「なんだよ、全然、イケてるじゃないか。どこが手落ちなんだ?」
クリスの意見を聞いてから、グレンが俺に突っかかってくる。
【この二人、良いコンビね】
クローソーが俺の傍らで笑っている。確かに、面白いくらい良いコンビだ。まあ、議論がはかどるの
は良いことには違いない。
「問題は、ここからだ。事態は戒厳令が出される規模になった。で、奴らのやっていることはテロ。
本国がメレディを永久指名手配にするという知らせは俺も聞いた。ステイツは切り札を切るつもり
だ。なんせ、テロだ。手を惜しんでいる暇は無い。そのことは、説明不要だよな?
そして、俺は手落ちだと言っているのは、奴らがこの”切り札”に対して何も手回しをしていな
いことだ。イヤ……もしかしたら、”切り札”を使わせたいのかもしれないがな。
だが、このカードを切られたら、奴らには勝算が無い。少なくとも、今回のケースでは」
「……なんだよ、その切り札って?」
重苦しい静寂が俺達を包み込む。だが、時間がないのだ。すぐにクリスが口を開く。
「デミフレア・ナパーム」
「または、核でもいい」
要は、ナノマシンが活動を止めればいいのだ。それで、事態は解決する。
対バイオハザード及び対ナノマシン用焼却兵器の「デミフレア・ナパーム」でも、核兵器によってでも
その電磁波によってナノマシンは機能を停止する。
「正気か?! LU$Tの人間を皆殺しにするつもりかっ!!!!」
グレンはそう叫ぶが、事態が一向に好転しないのであれば、ステイツはやるだろう。
そして、当然のように言うのだ。
「テロの犯人どもがこのような兵器までも持っていようとは……」、と。
もしくは、乗っ取る技術と言いかえるかもしれないが、おとぼけを決め込むには違いない。
「規模は小さくて十分だ。それを”ホワイトリンクス”の中心部に撃ちこめばいい。このレイ・ストームの
デミフレア・ナパームでも良いし、旧第7艦隊にある腐る一方の小型戦術核でもいい。また、文化財
を気にするなら、規模はでかくなるがLIMNET-Pのアーコロジー”焼却廃棄用”のデミフレアを使え
ばいい。外からだから、効き目は薄いかもしれんが」
「自爆をする?! 皆承知の上なのか?!」
「もちろんだ。でなければ、何のためにD級以下の勤務者が退避するんだ? アーコロジーの中の方が
安全なのに? 今居るのはC級以上。つまり、全員、遺書を定期的に書かされている人間達だ。
発令が出た以上、皆覚悟はしているさ。ただ、自爆の機能については発令所に出入りできる人間しか
知らないがな」
「そんなバカな?!」
グレンが口から泡を飛ばしながら、ジタバタと身動きをしている。どうにか、俺のアイコンを視界に
収めたいのであろう。今にもコクピットから飛び出しそうだ。
だが、俺は機械。MMHだ。冷徹にノイズ混じりの声で答えるのみ。
「寝ぼけるなよ、グレン。ステイツの切り札が”クルード”でなかったことなど、かつて一度もない。
相手がまさかと思うような”タフで””クルードな”イカレた一枚。
いつだって、それがステイツの切り札だった。 違うか?」
そうやく、グレンが静かになった。なにやら、絶望したようにも見える。
だが、これでようやく、ここに居る3人は同じスタートラインに立ったわけだ。
「だから、そうならないように手を打つ。ホットラインで大統領を呼び出せ。
最優先のラインがあるはずだ」
「どうするつもりだ」
クリスの問いかけに俺は僅かに笑って見せる。
「スマートに交渉するのさ」
そして、交換手との僅かなやり時。Q-pearksなどの符丁を切り、大統領に直で繋がり、
枝がないのを確認してから、俺の切り札を切り出す。
「お忙しいところ失礼します、大統領。メレディ機関出身、No.13、開発コードネーム
”ブラフォード”の黒人です。MMHとして、提案があります。
メレディに関する情報、及び身柄をも含む全ての所有権を破棄していただきたい。
出した罪状などはそのままで結構ですが、管理はF.C.M.で行わせていただきたい。
もし、この件を飲んでくれるのでしたら、今後4年間の戦後債務に関する費用を我々LIMNET-P
が受け持ちます。
繰り返しますが、罪状はそのままで構いません。ただ、所有権は我々に。そのほうが隠蔽工作
とかも楽になるかと思うますが、いかがです?
ただ、時間がないので、600秒以内に、返事を頂きたい。
また、その間も我々は作戦行動下にあるのをお忘れなく」

そして、フリップして歌姫達を見る。
インターバルに優雅に紅茶を飲んでいるところを見ると準備はOKのようだ。
フリップしてクリスにレイ・ストームのモードを戦闘時に切りかえるように指示し再びフリップ。
そして、”ツァフキエル”を呼び出す。
「よう、”小さな電脳の歌姫”。こっちは準備できたが、そっちはどうだ?……」

冷たいノイズ交じりの頭の中で、再びあの言葉が繰り返される。
「何が望みなの?」
望み?
望みなどない。
自分に対する自信もない。
だが、絶望もしていない。
ただ、仕事をこなすだけだ。

「……”デッドコピー”? 聞いてる?」
「ああ、すまない。ちょっと、他のことに集中していた。簡潔に説明するぞ?
もし、お前が”俺の考えている通り”の存在なら、これから歌う彼女たちの歌に身体が共鳴する
はずだ。もしそうなら、身体が共鳴してから、ランを仕掛けろ。共鳴しなかった場合には、歌が始
まって霧が2つのものに分れて、その互いが干渉し始めてから仕掛けろ。まあ、共鳴すれば、イケる
はずだ。俺やメレディのボディも共鳴を助けることになるからな」

……だが、その場合には、俺はこの小さな歌姫から欠片をスティールしなければならないだろう。
【彼女の中のメレディの欠片】を。無論それは、タダではすまない筈だ。

「んじゃ、始めるぜ」

再びフリップして歌が始まるのを待つ。
このような状況で、何を望むと言うのか。
俺はMMH。だから、望みはしない。
ただ、それをこなすだけだ。

 [ No.577 ]


紅夢

Handle : “指し手”榊 真成   Date : 2001/05/21(Mon) 03:05
Style : KARISMA,FATE◎,KURO-MAKU●   Aj/Jender : 30/Male
Post : 榊探偵事務所


「どうしたのですか?」

そう言って和泉に顔を向けた刹那、榊の腹部を灼熱がはしった。焼けた鉄棒をねじ込まれているかのような感覚に目を向けると、腹から生えた刀が和泉の右手に握られているのが見て取れる。いや、違う。和泉が、榊を刺したのだ。
鉄の味のする赤い液体が込み上げてくる。足に力が入らない。背後の壁にもたれるように体をあずけ、そのまま崩れ落ちる。壁面に赤い大河が描かれていく。肉を裂く音とともに、刀が抜けた。
霞む視界の中で、和泉がぼんやりと立っている。右手に血塗られた刀を手にして。その面にはこの場にそぐわない、親に見離されたような、逆に迷子になったのを見つけてもらった子供のような、そんな表情が浮かんでいる。
それを見て、榊は全てを察した。

(・・・そういうことですか、ゲルニカ。ずいぶんと効果的な手を使ってくるものですね・・・)

榊の右手がコートのポケットに伸びた。隠されていた小型の拳銃を手に取る。

(所長、これをお持ちください)
(私には貴方がいますから、こんなものは必要ないですよ)
(いえ、万が一ということもありますから。どうか)
(ずいぶんと心配性ですね。・・・わかりました、貴方がそこまで言うのでしたら)

和泉から手渡されたときの記憶がよみがえる。
震える手でグリップを握り締め、ゆっくりと右手を上げていく。その先には、行き場を無くした少女がいた。

「・・・貴方と最初に出会ったときの言葉、覚えていますか? スラムで獣のように暮らしていた貴方に言いましたね。『私が貴方に道を示してあげましょう、人としての路を』と。
・・・私が“約束”を破るのは、生まれて二回目です。
・・・和泉・・・長い間・・・よく・・・」

関帝廟に銃声が響いた。
そして、微笑を、悲しい微笑を浮かべたまま、榊の意識は闇に落ちていった。


・・・。
・・・・・・。


壁にもたれ、うずくまる榊の横に、一人の女性が立っている。気配に気がついた榊が顔を上げると、彼女が声を発した。

「・・・痛かったら、痛いって言えばいい」
「・・・これでも男の子ですからね」

女性はゆっくりと榊の傍らに腰を下ろす。

「・・・弱みを見せるのが怖いの?」
「・・・こんな商売、してますからね・・・」

榊と同じく壁を背にもたれ、正面を見つめたまま問いつづける。

「・・・ずっと人前で、泣けなかったの?」
「・・・弱いまま生きつづけることは屈辱でしかないですから、だから・・・」

言葉の途中で、女性の手が榊の頭を優しく抱きかかえた。
無言の時。満ち足りた時間。
榊の視界には紅い・・・紅い・・・・・・紅い・・・・・・・・・。


意識を失っていたのはほんの一瞬のことだったのか、目覚めたとき、その部屋の様子は何も変わっていなかった。
ただ一つ、目の前に崩れ落ちている黒髪の女性をのぞいて。

「こんな感覚、長いこと忘れていましたよ。・・・ずいぶんと心細いものですね、一人というのは・・・」

榊はゆっくりと眼鏡をはずし、取り出したハンカチでレンズを綺麗に拭き上げ、再びかけなおした。
そして、激しい痛みを堪えながらよろめくように立ち上がると、一歩、一歩、ゆっくりと歩み始める。
その顔には、もう、微笑みは浮かんでいなかった。

http://www.din.or.jp/~kiyarom/nova/index.html [ No.578 ]


小景異情  〜唄

Handle : “ツァフキエル”煌 久遠   Date : 2001/05/21(Mon) 20:51
Style : 舞貴人◎ 新生路=新生路●   Aj/Jender : 22,Female/ In Web... "Little Six-Wing'z Angel" I-CON
Post : カフェバー “ツァフキエル”マスター




                        ふるさとは遠きにありて思ふもの――――――――

 電子情報がある通信距離間でやり取りされる場合、通信を行うマシン同士はそれ以外の情報も交換する。
 まず互いに接続が可能かどうか。回線が確保されているか。マシン同士で同期が取れているか。
 交換情報の理解は可能か。変換情報は取得できるか。そして流した情報が互いに同一がどうか。
 そういった情報のやり取りをリクエストと呼び、一回に送る情報の単位をパケットと呼ぶ。
 けれど既に……久遠のその小さな身体に流れてくる情報の数は単位や名称などに収まりきれる程の
 モノではなかった。負荷分散ツールを使い、構造体を組んで使用し、それでもなお自分に送られてくる
 声はまるで惑星から逃れようとして掛かる重力のようにただ重く息苦しかった。

                            そして悲しくうたふもの――――――――

 “行っちゃやだ 行っちゃやだ 行っちゃやだよ……!…”
 去っていく那辺の白い後ろ姿が、閉じた視界、闇の中に鮮やかに蘇る。それからやや遅れて、
 更に曖昧になっていく己の身体。それに触れられた冷たい感触も。
 草薙に肩を掴まれていなかったならばおそらくは後を追うように駆けだしていた事だろう。
 流れを尊び、人を愛し、街を愛し、一人の男を愛し……己であり続けようとする女性。
 それが彼女の生き方だとわかっていても。
 彼女が彼女であろうとするように、集い合った人物がそれぞれの個人を主張するように。
 久遠もまた久遠である事を捨てる事が出来なかった。
 だから彼女の姿が見えなくなった今。己の出来る事をしようとしている今でも内ではそうして叫ぶ事を
 止める事はなかった……那辺は聞いている。何処かでこの声を聞いている。
 想いが、祈りが通じる事を。心の何処かが通じている事を。根拠もなく、ただ久遠は信じようとしていた。

                   よしや うらぶれて異土の乞食となるとても――――――――

 身体が重く、痛い。先程までは曖昧にしか感じていなかった痛みがここにきてその痛覚がまだ
 機能している事を伝えた。それは警告を与える間もなく、身体中のあちこちで小さな爆発を
 起こしているような痛みと熱を覚えさせる。
 「……………やぁ……っ!…」
 小さな叫びを上げて、久遠は己に繋がっているWaWのケーブルを引きちぎった。繋がれていた皇と趙が
 突然の回線切断に自分も僅かな痛みと眩暈を覚え、瞳を暫し瞬かせる。
 「煌さん……………?」
 その問いに久遠は答えられず、身を捩る様にして痛みに抗う。懐から震える手で小さなそれを取りだし、
 首にある古いモノを急ぎ捨てて叩きつける様に貼り付けた。
 途端、新しいパッチがその機能をいかんなく発揮し始める。酸欠状態だった部屋の中に清涼な空気が
 流し込まれた様な、安堵と恍惚と――――そして何故か僅かな罪悪感が、熱く冷たい灰色の大地に
 座り込み、倒れかけた自分の体の中を、急速に駆けめぐる。
 “もう時間がない”
 そんな残酷で変えようのない事実を身体が、残されたパッチの数が伝える。零れそうになった涙を
 唇を噛み締め、溜息に変える事で表に出すのは避けられた。
 そして心配そうに見つめる皇と趙、そして那辺から己を任されたキリー、中華最高陰陽議会の長老たる紅、
 相対するのかもしれない草薙、静かに見守る八神、姿の見えぬ来方……その顔を、方向を順に見回し
 やがて静かに微笑む。そして立ち上がった。
 「ごめんなさい、大丈夫……もうすぐ始まるから、スタートラインに立たなきゃ……」
 呟き、踵を返す。漢帝廟の門へ一歩踏みだそうとしたところで、耳の中に冷たいコール音が聞こえた。
 「よう、”小さな電脳の歌姫”。こっちは準備できたが、そっちはどうだ?……」

                            帰るところにあるまじや――――――――

 既に久遠はラチェットに触れていなかった。タイピングなど貪欲で秩序を護る子供達の声にとうの昔に
 振り切られてしまっていた。接続回線を物理的に有しないままのフリップフロップ。N◎VA、LU$Tに
 置いてある己のメインフレーム達が悲鳴を上げている事に、ゆっくりと歩きながら久遠は微苦笑を浮かべ
 ごめんね、と呟いた。自分の子供達、蟲(Warm)が偽装しながら提供している外部のアーコロジー、企業
 フレームの演算機能を借りていてなおこの空中に漂う子供達はそれを上回る声を上げていた。
  ……………………コツン。
 久遠の小さな足がやっとの事で門に辿り着く。中からは相変わらず凄まじい音と気配、そして溢れる光。
 それをしばらく見つめ、ゆっくりと瞳を閉じて……門に触れる。ざわざわとした固い感触は一瞬。
 手は確かに門に触れているのに……見えない手が、腕が、門をすり抜けて01の流れに直接触れるような
 感覚を覚える。それは錯覚ではなく、確かにそのデータに直接「干渉」することが出来た。
 その様子に、久遠はもう驚きはしなかった。漠然とした――しかし確かな予感は、もう以前から
 あった事なのだ。

                             ひとり都のゆうぐれに――――――――

 「Aah――――――……」
 突如聞こえる透明な歌声……歌姫達の天も魔も関係はなく……ただ「ヒト」としての強さを秘める歌声が流れる。
 好きな歌姫達の声。その強く純粋な声に聞き惚れると同時に、霧の子供達の嘆きが聞こえる。
 場が中和されるということは則ち一人きりの力しか持たなくなるという事。子供達は集い、手を繋ぐ事で
 その力を強くする。なのに。せっかく仲間を見つけたのにまた迷子になってしまう……そんな
 子供達の泣き声を久遠は確かに耳にした。
 “…………なんだか、迷子になった子供みたいね”
 『……私たちの様に?』
 久遠は門を見つめたまま。「ツァフキエル」は徐々に組み立て上がる硝子の城の様な構造物を見つめながら。
 電子レベルではない会話を為していた。
 “うん…………でも、久遠達にはお養父さんやお養母さんがいてくれたもんね”
 『……初流花やレイちゃんやウェズさん、常連さんやお友達も。ね?』
 “そうだよ。だから………おとーさんやおかーさん、お友達がいればさみしくないと思うの。
  みんなみんな………”

                             ふるさとおもい涙ぐむ――――――――

 「……………泣かないで」
 こつん、と門に両手を添え、額を当てて久遠は呟く。閉じた瞳、皇と趙から無理に引き抜いたコードは
 久遠の首元に繋がれたまま大地に触れ、確かにそれは神経の様に跳ねた……様に少女を見ていた者には映った。
 “ねぇ、霧の子。霧とお友達になった人達……怖がらないで。大丈夫、みんなさみしいだけなの”
 歌姫達の歌声に乗せ、久遠は静かに囁く。それは別の歌声の様に、風に流れる蜘蛛の糸のように細く細く。
 “お友達になった人達、霧の子供達、少しだけ久遠に力を貸して……みんなが泣くの、聞きたくないの……
  みんながこの街を好きなら、お願い。少しだけ久遠の我儘、聞いて……”
 囁きと共に、電子に延びる自分の腕をまた少し伸ばす。それは霧が送るリクエスト情報を解析し、
 逆リンクにならない様に有限レベルで汚染者達に蟲を走らせる。その身体に埋め込まれた機械(もしくは
 ジオプラント、もしくはIANUS)の空いた僅かな演算機能を又借りし、組み立てた構造体に関与させた。

                      そのこころもて 遠き都にかえらばや――――――――

 聞こえる歌声に、身体の芯が震える。甘く深い感触を覚えながらも処理は加速的に速くなっていく。
 これが黒人から聞いた共鳴なのだと情報変換・交換循環を指示していく自分に実感し。感傷も恋情も
 哀愁も憎悪も郷愁も追憶も全ての混沌とした感情を含む01データを冷たく、ただ機械的に処理していく
 感覚は何処か懐かしさを覚えた。以前は……以前もやはりこうしていたのだと。胸の奥が微かに軋む。
 “……いけない子だよね。同じことしてるんだもの。怒られるかもしれないね。でも……”
 霧が送る情報に対抗する為に。己が行く場所に届く為に。多くの……それこそ多くの人間の力を借りる。
 時にデゴイを、時にスナーフを、時にフィーリングを行いながら築き上げられた構造体は深く高く……
 地上へ延びる生命の樹の様にも、古の……神の怒りに触れた、限りなき天上へ挑む滅びの塔の様にも見えた。



                       ――――――――遠き都に還らばや――――――――


 “――――――久遠は、ぎりぎりまで久遠でいたいの”
 自分の中で自動回帰する唄。それは時折生母が歌っていた旋律。
 それを耳に、久遠は天を仰ぎ、瞳を開く―――――掛かる情報のGを越えた其処は、暗く目映い宇宙【ソラ】だった。


http://plaza.across.or.jp/~ranal/master_nova/quon_nova.html [ No.579 ]


別離

Handle : “女三田茂”皇 樹   Date : 2001/05/22(Tue) 01:47
Style : タタラ、ミストレス●、トーキー◎   Aj/Jender : 28/♀/真紅のオペラクローク&弥勒
Post : ダイバ・インフォメーション新聞班長


『歯車は、ただ歯車として廻っているわけではない。彼らは彼らの存在意義の為に廻っているのだよ。たとえそれが、本当にただの歯車であったとしてもね…』

(マリオ・G・フレッチャー『理想郷(ユートピア)』より抜粋)

準備は整った。あとはゴーザインを待つばかりだ。
…うなずけない部分は、どこかにはあるのだが…


「なあ、アンタ」
あの夜…桃花源の那辺は、いつにも増して真面目な顔をしていた。
「生きて戻れないかもしれない…それをわかってて乗り込むのかい?」
「…約束、ですから」
王小姐−より正確にはその代理の趙という人だったが、それでも真実を伝える事を約束した事には変わらない。
だが、今にして思えば「このような事態」を、皇は意識して考えていなかったし、逆に那辺はシビアにとらえていたのだろう。
(これは、私の罪…なの?)
那辺がいなくなった時に、皇はハッキリと自覚した。
彼女が見つめていて、自分が見つめていなかった事を。
そして悟った。悟らされた。
那辺は、おそらくは帰ってこない事を。
だが、この事態を収めたいのは皇にとって同じだ。その止める為に自分ができる事は、まだまだ残っている。なにより「霧の真実」を伝えるまでは歩むのをやめるわけには行かない。そう、これは皇がこの仕事を選んだ時に背負っている「罪」なのだから。

「皇さん、たとえ何が起こっても、真実を伝える自信はありますか?」
(結局ここに立ち戻らざるを得ないのね…)
だから、彼女は選んだ。那辺を追う事をやめ、ここで自分の仕事をする事を。

王美玲のレポートには、もう一つの「隠しアドレス」があった。
彼女を軌道から支援してくれている人間の物だ。
煌が実験体である事を知った時から、皇には策があった。
彼女が干渉している時に、そのデータをレッドを使いそこまで転送する。彼女自身のバックアップを行えれば、少なくとも後で「復旧」させる事は可能である。
(レッドの展開先を広げます。場所は…)
短くアドレスを呟く。あとはデータ化した「煌久遠」を転送できれば、彼女の安全は遥かにマシになるだろう。

「…準備できたわ」
思考トリガーを僅かに動かし、レッドを解除できる状態にもってきた。同時に右目と両耳から、僅かな電子音が響く。慣れた手つきでスロットにデータカードを差し込み、データのバックアップを取る。これがなければ、いくら霧の真実を伝えてもただのデマに終わる可能性もある。
今何が起こっているのか、そしてこれから起こる事が何なのか、術式に全く明るくない彼女には正直想像も付かない。だが…これだけはわかる。それはこの職に就く物が誰もが望み、そして手に入れる可能性は極々僅かなことだ。
そう、「歴史」という瞬間に立合えるのだ。その後の事はともかくとしても、だ。
「レッドの一部は開放してあるわ。大部分は私の『仕事』の為につかわせてもらうけどね」
そういい、強張った顔をしている煌に話し掛ける。何時間ぶりにか、皇は微笑んだ…もう何日も、何年も笑ってないような気がしながら。
「こういうファジーな言い方しかできないけど、がんばってね」
そういい、虚空に目をやる皇。


ぞくり


何かが身体を走り抜けた。
「…来る」
小さく呟き、そちらに目をやる。
『素人』である皇の目にもはっきりわかった。
その先にある小さな建物で、何かが起こり始めたのが。

 [ No.580 ]


開門

Handle : “ウィンドマスター”来方 風土   Date : 2001/05/27(Sun) 00:09
Style : バサラ●・マヤカシ・チャクラ◎   Aj/Jender : 23歳/男
Post : 喫茶WIND マスター   


「さてさて、ああは言ったがどうするか…」
今から、荒王と阿修羅丸の闘いを止めるには遅過ぎる。
と為れば、アストラル界から術陣にアプローチをするしかない。
しかも、依り代となる霊殻、那辺が陣に到着する前に。
アストラル界に行くには、“門”を開く必要が在る。
しかし、ホワイントリンクスによって乱された結界の中で“門”を開くと為れば、
それなりの“場”が必要になって来る。
「ここらへんに、在ると思うんだけどなぁ」
そう呟くと、路地裏へと続く細道に、歩みを進める。その身に霧が纏わり付く、
まるで風土の歩みを阻むかの様に。

風土は、霧の中を歩み続ける。そして、その先には、古びた井戸が一つだけ在った。
風土は井戸に近づくと、何かを捜す様に、辺りを見廻す。
そして、それは井戸に隠れる様に、ひっそりと在った。
祠。それは古い、とても古い小さな祠だった。
「流石は、ヨコハマ中華街。細かい所まで、しっかりしてるよ」
風土は、祠の扉を開く。祠の中には、龍の絵が納められていた。
そして、扉には対聯(ついれん)が貼られ、
「九江八河主」「五湖四海神」という対句が記されている。

風土は井戸に向かうと、左手で剣指を作り、呪を放つ。
「我、九江八河主にして、五湖四海神たる、龍神の力を得ん事を。
  我をして、龍神の力を使い、門を開きせしむる事を。急急如律令!」

風土はそう叫ぶや、素早く剣指を振り、指先を井戸の中へと向ける。
その言葉と同時に、井戸の中が微かに光り始める。しかもその光は、僅かの間に井戸の
廻りを照らすまでの、眩い光と化した。
そして、霊視の力を持つ者が見れば、その光は黒い光に見えたであろう。
「さて、門は開いた。後は…」

 [ No.581 ]


EDEN -エデン- (3)

Handle : シーン   Date : 2001/05/29(Tue) 22:59




▼ 軍施設内電算室


「衛星からのアップリンクを確認」
 千眼が薄ら笑みを浮かべながら目元のグラスを人差し指で叩く。
 彼の目前には薄い緑色のグリッドが地の果てまで広がり、終わることなく続いている。
 耳に届く音も無く、辺りを照らす明かりも無い。ただ目の前に艶の無い漆黒の闇が広がり、光を放つとも反射しているとも言えない空間が流れていた。そしてその闇には大地を意味するように、仄かな緑色のグリッドが大きく横たわる。ゆっくりと見渡せば、時折その空間の所々に鎮座するメガコープの起業層構造物が灯台の様に瞬いているのも確認できた。
 千眼は溜息を漏らしながら、再度、微笑んだ。
 彼が微笑みながら見下ろす今、それら構造物の間には幾つものアイコンが流星群の様に飛び交っている。そこは彼が幾度も歩き回り、走り回った場所だ。人には碁盤の目の様にしか見えないそのグリッドも、彼にとっては吹く風に棚引く緑色の草原そのものだった。
 そして今、その草原を目指し、幾層も上に在るグリッドで一際大きく輝く光点が彼の興味を引いていた。その光点は、やがて一筋の大きな流星となって遥か下層の構造物へと向かって降下するのだろう。まさにその前兆を示すかのように強く瞬いている。
 恐らく__________いや、間違えなくLU$Tの都市構造物の一角へと、驚愕の速度で移行-シフト-しようとしているに違いない。
 刹那もの思いに落ちた後、千眼は言葉にする事にした。
「室長、奴さんもやっぱり降りるみたいだな」
 千眼の声を受けて側から離れていた壬生がゆっくりと視線を彼へと向ける。
 その表情は先程までと比べ、明るさの欠片も無かった。
「降りる? 奴が軌道層から降りるというのか」
 壬生が微かに目を細めて千眼の後ろに立つ。彼は、壬生が後ろに立った途端、全身に鳥肌が立つのを感じた。
「俺はただ事実を報告したまでだよ」
 壬生がその声には一切何も応えずに、右手を千眼の肩に置く。
 その途端、千眼が小さな悲鳴に似た呻き声を上げた。それはまるで金属か氷のような塊が自分の肩に置かれ、そこから彼の身体の中へと無数の触手が伸ばされたように感じる言語に絶した痛覚だった。
 千眼は何も抵抗する事が出来ず、ただ成されるままにガタガタと壊れた玩具の様に細かく震えた。
 数秒の後、壬生がゆっくりと静かに片手を千眼の肩から外す。
 手が離れた途端、千眼はどっと噴出した汗を両手で拭った。
 呼吸すら止められて、酸欠気味になった身体に勢い良く酸素を送り込むように激しく息づき、顔を僅かに引き攣らせ振り返った。
「室長、幾らアンタでも他人が自分のゴーストのキーを持っているというのは落ち着かないぜ」
 その瞳に宿る表情はともかく、言葉は穏やかな千眼の言葉に壬生はまた無表情に答えた。
「私が居なくとも事が運ぶのならいいのだがな」
「自分が居なきゃ事が進まなくなってしまうような奴等ばかりを相手になさっているんじゃ、そうはいかないですね」
 汗を流しながら千眼が紡いだ言葉に、ゆっくりと壬生が嘲った。
「始めろ、千眼」
 言われた千眼が、一度だけ痙攣するように身震いしてから目の前の霧状のモニターへと向き合う。
 幾つものアプリケーション層へとポートを繋ぎ、過去に苦渋を舐めさせられる事になった忌まわしい日々を思い、言われたように“銀の魔女”が候補者へと接触するまでの時間稼ぎをするべく、LU$Tの各方面に散らばるエージェント達へとその座標を投げる。
 千眼は両目いっぱいに広がった魚眼の視界に映るエヴァンジェリンとシンジを見つめ、聴覚を成すポートに二人の声が聞き及ぶと、忌々しげに小さく舌打ちして笑った。
[...ビンゴー!さすがは銀の魔女。なかなか鋭い・・・]
 違法に強制接続を行い、恐らくノイズにまみれた声なのだろう・・彼の声に店内がざわめき始めた。
[...良い雰囲気のところ非常に申し訳ないんだけど・・・アンタ方お二人に俺達の計画をさんざん邪魔してくれたお礼を是非したくてね]
「エヴァ・・・気づいているか?」
 辺りに気を配りながら囁くシンジに、エヴァが応える。
「気づいているとも、シンジ」
「今夜はいやにガラの悪い客が多いんだな」
「まったくだ。無粋な連中だな」
 シンジが腰を上げ、エヴァがまるで食事でもすませるかのような気軽さでつぶやいて返した。
「歓迎は痛み入るが、千眼殿。あまり長居をするつもりはない。・・・先ほど、私を呼ぶ者がいたようなのでな」
「呼ぶ者? ・・・誰ダ」
 シンジが問う。
「運命に抗う者達・・・紅蓮の炎に身を焦がしながらもなお、その道を進もうとする者達だ」
「お二人さん。急いでいるのは解るんだが、そいつらは普通のエージェントとはひと味違うぜ? そう上手く行くかな?」
 千眼はデータ越しに映る二人を見つめた。何処までも捉えどころの無い楽しみな奴等だと笑う。
 だがその深層は、傍らに立つ壬生の持つ絶対の恐怖に煽られ、身の内を焦がす憎悪にまで歪められていた。
 だがその彼の考えを塗り替えるように、エヴァとシンジの二人が同時に答える。
「問題はない」
 彼女は僅か一瞬悲しげな色をその瞳に宿したが、シンジは窮地にあるというのに口元が綻んでいる様だった。
 やがてその二人の表情に、嫌な冷たさを感じさせる風が吹き込んだように千眼には見えた。
 千眼はギチリと歯を噛み鳴らした。
「店内にはまだ普通の客達もいるんだぜ? そいつらを巻きこむのかい?」
 千眼は指で神経質に目元のグラスを叩きながら、さらに問う。
 だが目前の・・・データ回線越しに佇む二人には、それは心底問題が無いのだと彼に伝えたい様だった。
「何も、問題はない。」
 一語一語区切るように、ゆっくりとエヴァが答える。
 やがて、見る間に彼女の笑みは見る者を恐怖させる氷の微笑へと変わってゆく。

「しっかりと記録しろ、千眼。千を越える眼で彼女達を観察するんだ」
 壬生が口元を歪めて笑った。
「・・・後の大きな財産になる」



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▼ 漢帝廟 側面地下回廊


「誰だ」
 那辺が弥勒で隠しもせずに赤い瞳で睨みつけてくる。
「今の私は気が短い。隠れてないで出てこいよ。そういうヤツは嫌われるんだぜ?」
 自らにどうしても譲れず、そして護りたい一線がある以上は目に見えている結果を選択しようとはしない彼女が、そう鋭く言葉を継いだ。
 目の前にいる那辺は、何時かの夜に彼の腕に抱かれていた気配は仄かな欠片の程しか残っては居なかった。
 白金に染められていた彼女の短い髪は、今は音が聞こえて来そうな程に長く顔に降り始め、色もただ只管広がる闇のように黒く染められている。血色のない肌は以前よりも更に青白くなり、精気すら纏おうとしていない。口元に揃ったイミテーションの牙も、今は鋭く長い牙に生え替わっていた。
 クラレンスは溜息をつき、大理石で刻まれた柱の影からその身を乗り出した。
「よう」静かに笑みを浮かべ、僅かに顔を傾ける。「随分迷ったみたいだな」
 どうやら、その時が来たようだ。姿が変わりきった那辺を見つめながら、クラレンスはただじっと立ち、漫然とそんな事を考えていた。
 ヴァチカンが枝のつかぬ限られた細い連絡網を通して自分に要求してきた事は、実に簡単な言葉だった。
 我等の父が降りるには、まだはやい。遥か過去の・・・古の時代から各国に受け継がれ、残されてきた遺跡が目覚めることはない。そう言う事だった。
 つまり、遺跡に干渉しそれを励起させようとする存在は否定されている。
 クラレンスはもう一度ゆっくりと目の前に立つ那辺を見つめた。
 留まる事無くIANUSへと流れてくるヴァチカンの情報を信じるのであれば、中華最高陰陽議会を始め、各三合会・千早・イワサキ等の一部北米勢力を除いたほぼ全ての勢力が、霧のカーテンに隠された日本の影を背負う編纂室とアラストールを取巻く四天使の抗争を認知している。そして、その争点となっている「鍵」の存在を巡る幾つかの問題を改めて認識し始めていた。
 鍵の存在とは、遺跡を励起させる特定の要素を表現する一つの言葉だ。
 華僑勢力が龍と呼び、欧米勢力が魔神と呼ぶ・・・だが正確には、編纂室や四天使、それに自分達ヴァチカンがその存在を認めているアラストールという、フェニックスプロジェクトに端を発する存在だ。
 神とも悪魔とも精霊とも呼ばれたこともある。古いキリストの教えでは父と子と聖霊に姿を変えることもある、絶対無比の存在だ。
 その神を、原形界の泡沫とも言えるこの世界・・・一つの時間の事象軸に具現化させるには、想像を絶する奇蹟に近い機会と事象へと干渉する為の膨大なエネルギーが必要だ。そして鍵の存在とは、そのエネルギーを求められるべき方向へとベクトルを向ける為の、絶対必要となる言わば触媒のようなもので、過去の災厄と神災は、それら鍵の存在をあるべき状態で保持できなかった事が大きな原因なのだと、法王猊下の言葉に示された事を記憶していた。
「_____________ジョニー・・・来たのか」
 クラレンスは那辺を見つめながら、自身の意識を過去へと向ける。
 アストラル界と原形界、そして電脳界の三つを依り代として鍵の存在を相互に作り上げる。それが言うなれば、鍵という存在を説明する正確な解釈だ。
 鍵となる存在は幾らでも可能性がある。だが、複雑に幾つもの要素と事象が絡み合う中、最も波長が合う存在となると数は自ずと限られてくる。ヴァチカンが最終的にそれと判断したのは、このLU$Tを巡って幾度も事件が起きた舞台に登場したプレイヤー達だ。異なる経路で中華最高陰陽議会も同じ応えを導き出すに至った現在、今この瞬間に最もその可能性が強く示唆されているのは荒王と那辺と煌だ。特に議会では、予てからLU$Tに張り巡らされた遺跡を中心とする術陣を治めるべく、荒王を遣わしていた。だが、ゲルニカの周到な手配と編纂室の働きにより議会に亀裂が入り始めている。議会の一派が、長たる紅と繋がりの強い現在の時勢を快く思わない側面を突かれたのだろうが、実際にはその裏切りの行為は非常に効果的だった。全てを鏡写しに具現化する阿修羅丸が荒王という存在を対消滅させるべく、その存在を機能することになった。
 残る可能性は、那辺と煌だ。双方共に単独ではその可能性が下方修正されるが、荒王と阿修羅丸が切り結ぶ術陣結界での衝突が、途方もない術式として励起されようとしている。更にLU$Tばかりでなく、N◎VAをも包み始めたナノマシンで構成される霧の存在が、都市全体に生きる様々な生命体が奏でる感情の起伏や想念といった負とも正ともなる無極なエネルギーにベクトルを持たせて機能している。
 今やLU$Tの術陣は、繁栄の陰・・・過去に忘れられようとしている災厄と神災を、また引き起こすべく起動しようとしているのだ。
 クラレンスは、ゆっくりと那辺に向かって歩み寄ってゆく。
 だが、当の那辺は先程までの険しい表情が嘘の様に崩れ、“今”を認めたくはないと駄々を踏む子供の様な嘆きの双眸で、頭を振りながら後ずさり始めていた。
「・・・嫌だ、ジョニー」
「宴の時が来たんだ、那辺」
 自身の表情は鬼のような形相に覆われているのだろうが、クラレンス自身は心中で嘆いていた。
 人として生きていた彼女は、避ける事の出来ない運命の流れに晒され、アヤカシとしての暗闇に沿う道を歩む事になった。そして人へと回帰する叶わぬ望みを抱いて、半ば永遠に近い時を生きる事になったその身から観れば、限りなく儚い人間達の・・・彼女が知る限りの友人とも言える人間達の営みを守ろうと足掻いている。
 本当に彼女は、この事象を落とし込む事になる鍵の要素を持つ存在の一つなのだろうか。
 他に要因など幾らでもあるではないか。
 目の前で怯える彼女は、きっと誰に見せる事も無かったであろう、過ぎ去った夜にみた儚い女性の双眸だった。
 不器用に微笑み、激しい気勢に気押そうとしながらも、その双眸の奥には限りなく人の儚さを知る光が宿っていたのだ。

 クラレンスの瞳が、言い様のない靄に包まれてゆく。
 怯える那辺の表情にゆっくりと静かな笑みが・・・現れる。
「___________那辺」
 静かに微笑を浮かべるクラレンスが、怯えて腰を下ろしていた那辺へと左手を差し出した。
 今やはっきりとした笑みをその双眸に浮かべ、那辺が微笑んだ。
「クラレンス・・・逢いたかった」
 彼の左手を取り、立ち上がった彼女がしっかりとその身体を押し付けて、クラレンスを抱きすくめる。

 クラレンスは微笑んだ。
 “父よ、できることならこの杯を私から遠ざけて下さい。けれど、私の願い通りではなく御心のままに。父よ、私が呑まない限りこの杯が取り去られないのでしたら、どうぞ御心のままに”
 己の首元に突き刺さる痛みは、既に失われて久しい過去の思い出への別れを知らせていた。
 急速に暗くなる視界は、ただ只管に見つめていたかった彼女の姿だけを浮き立たせている。
 父よ、我等が奏でる生への賛歌は終末への営みと繋がり、かわる定めのでしょうか。
 人が望み、その精神と肉体で求める愛憎への思いが紡ぐのは、終わる事の無い罪への昇華なのでしょうか。
 人が生まれ、そしてその生命を終えるまで・・・その短い時間の流れの螺旋には、罪から生まれ、原罪へと還る道しか残されていないのでしょうか。

「父と子と聖霊の御名において、この者に祝福を授ける。
 等しき生命の流れの中に・・・影に住まう者達へも、その御力による洗礼と祝福を」
 消え行く意識の中、クラレンスは目を閉じる。
 ___________ゲルニカ・蘭堂、御前は一体誰を想うのか。
 人が生きてゆく中で避ける事の出来ない想念の起伏を贄として、術式を昇華させ、神を下ろすと御前は言う。
 神に限りなく近い不完全な人間という固体を依り代とする事で、限りなく神が降りるべき霊殻を調えると御前は言う。
 ゲルニカ。そうまでして御前が降ろすという神が導くその未来は、何処へと繋がるというのか。

 限りなく薄れ、崩れ消えてゆく意識に縋り、クラレンスは最後に呟いた。
「愛しているよ、沙月。
 人として生きることの望みなど叶わないと、いつか御前は言ったな。
 だが、それは誰にでも言える。
 沙月・・・人とは一体なんだ? 人と御前の言う眷属の異なる種との違いは一体何処にあるのか。
 _________俺は最後まで・・・その答えを見つけることが出来なかった」

 クラレンスが力無く屑折れる。
 その身体を半ば抱えるように片手で掴み、喜怒哀楽の表現がどれも伴わない色をその双眸に宿し、那辺が薄く笑う。
 無言のままに静かに大きく頤を開き、左手で静かに血に濡れた口元を拭いながら、彼女は漢帝廟の正面門へと続く長い回廊へ視線を向けた。

「__________宴が・・・始まるよ、クラレンス」
 その時になって初めて、那辺の微笑みに歪む頬に・・・涙が流れた。

http://www.dice-jp.com/plus/china03/ [ No.582 ]


報道戦争

Handle : シーン   Date : 2001/05/30(Wed) 00:34





▼ ダイバ・インフォメーション事務局 社会部


「出たっきりだなぁ」
 その日、5度目の溜息と一緒に近藤はむすっとした表情でぼやく。
 その週の番デスクの皇が、何時に無い表情に顔を強張らせて担当を入れ替わらせて社屋を飛び出してから、もう幾日もたっている。が、その後のいつもの様に行われる、殆ど習慣ともいえる自分達からの業務連絡は殆ど無の飛礫だった。
 およそ都市を飛び交う電波から逃れる事の方が難しいというこのご時世に、皇のポケットロンもK-Taiも一向に繋がる気配が無い。スピーカーから流れるのは、久しく聞くことも無かった空電音だけ。
 電源を切る事の出来ない社の特注の機材だから、通信や電源の断絶という事がおよそ在りえない。
 だが、持ち上げたDAKのインカムを指で叩くも、その状況は変わりが無かった。
 近藤は、斜め向かいの机でモニターに向き合っている後輩の菅野を目を細めて見つめた。
 正確にいえば、一度だけ連絡が通じたのだ。自分達、遊軍記者の主だった面子が取材の為に席を外し、運の悪い事に隣接した各部のデスクが部会で席を離れた時、今時分が見つめているこの後輩が、雑音に歪められながらも連絡をよこした皇と応対したのだ。・・・先週入社したばかりの新人の後輩が。
 近藤の痛みを感じるような視線を感じた菅野が、ちょっと怯えて歪んだ笑みを薄く一度返してからモニターに隠れるように向き合う。
 近藤は傍らからペンを取り寄せてデータペーパーを手に取って、その電子紙面をコツコツと叩いた。
 そこには殴り書きされた菅野のメモ書きがあった。
 “キャップに入電。________緋色のコーヒーカップ”たったそれだけの言葉を何とかノイズ塗れの音から聞き取った後、返事を返す前に通信が切れたのだ。
 緋色のコーヒーカップ? 近藤は主のいない皇の机に目をやり、彼女が普段からお気に入りの今では珍しいロイヤルコペンハーゲンの高価だがその価値が彼には近い出来ないカップへと視線を向けた。今もそのカップは静かに置かれたままになっている。
 その日、6度目の溜息をつき始めたとき、着信音を響かせながら近藤のDAKが起動した。直ぐに明るくなった画面の左端が赤太いラインで塗られ、セキュアなデータの着信を知らせる。シンレッドラインだ。
 近藤はインカムを叩いていた指の動きを止め、画面を睨みながら腰を浮かせた。無意識にIANUSのクロックへと意識を向ける。
 サブデスクの近藤の端末へと直通回線を強制的に開ける人間は、極少数に限られている。高鳴る鼓動を左手で抑えながら、転送完了のメッセージウィンドウとコンソールウィンドウを見つめる。
 だが、その浮き立った腰は一度ストンと椅子に落ちた。
 転送完了を告げるメッセージと共に送られてきたデータのSubjectを観た近藤は、その言葉が意味することを最初の数秒間、理解することが出来なかった。実際、知識では知っていても意味が直ぐに思い浮かばなかったのだ。
 近藤はゆっくりと立ち上がると、あまり大きいとはいえない声で周囲へと声をかけた。
「行政区ボックスより入電。 ・・・戒________厳令、戒厳令! 政府広報だ!」
 最後の声だけが絶叫に近かった。
「政府広報! 戒厳令!!」
 一斉に席を立つ記者達の椅子が軋む音と各部署から走り寄る足音に鼓膜が揺れる。近藤は、その騒音に眉を顰めながら叫んだ。「政府広報、戒厳令!! 今時刻より、夜間外出の禁止! ランク区画外へのライン封鎖!」
「またテロか?!」隣接する政治部のデスクが椅子から腰を上げ、立ち上がりながら声をかけてくる。「発令元は! 確認急いで! おい調査部、確認!!」皇に無理やり代行を頼まれた番デスクが声を荒げる。「近藤君、次の版の紙面と時間空けるの??! どーする!!!」整理部から、矢次にかかる声を耳から追い出しながら、近藤はもう一度視線をモニターに落とした。
 数秒もたたない内に彼の周りに人だかりが出来、やがてそれは人垣になった。通常ならこれだけの政府広報なら入電した詳細なデータも、同業他社に同様に送付されたはずだ。何れ報道協定が結ばれる筈だ。だが、それは公に行政府が正式通達をしてからのことだ。となれば、今流れている秒単位の時間を含めて数十分の余裕しかない。そこからは、同じスタートラインに並ぶことになってしまう。
 政府広報を受令する事が得きる報道社としては、ギリギリのラインでも守らなければならない絶対のルールがある。・・・皇さん、アンタ今一体何処にいるんだ・・・。
 近藤は、深呼吸をして2秒だけ目を閉じた後に、声を上げた。
「調査部、入電データのデジタルID確認! 受令の広報許諾とって!」
「了解! __________綾野ォ!」
「整理部、15段確保! 1面は政府広報、戒厳令! レイアウトデータ送るよ!」
「了解!」
「政治部!」
「行政府ボックスに4名行かせるぞ!」
「お願いします! ・・・菅野!」
「はいっ!」
「配置表作成!! 社会部の紺野と3名で!」
 矢次に叫びながら近藤は3ブロックほど向こうで立ち上がっている写真部へと叫んだ
「泊まり起して!! ボックスに4名! 各企業区画へ3名! パンサー持たせろ!!」
 それから各記者に取材先とネタ元への接触を指示した後、近藤は手に持っていたペンでDAKのモニターを叩いた。スタッフ全員のIANUSから徐々にスケジュールデータが配置表にあわせて本人がそれを認識した途端に埋められてゆく。
 それをじっと確認しながら近藤は、これでまた帰れないと諦め顔で首を鳴らした。
 番デスクの皇が居ない今、各部を取りまとめるのは代行の番デスクだが、遊軍記者を始めとした各部の調整と構成を行うのは自分だ。これから時間がたつのも忘れる頻度でミーティング、ミーティング、ミーティングと続き、その合間をぬって寄せられる原稿に目を通して許諾を繰り返し、構成させる。だが時間の経過と共に必ずそれは塗り替えられ、何度も差替えが置き、デジタルイメージを取り直すことになる。
 不眠不休の終わりの無いゲーム・・・版の次に版が重なり、終わりのないゲームが始まるのだ。

 社会部が嵐に遭遇したように喚き立つ中、セキュリティ上誰も手を触れることの出来ない皇の端末の中では、誰も窺い知れないうちに回線の接続が随時行われ、その保守データのパケットが小さく流れていた。
 それは、彼女を始めとした本の一部のスタッフだけしか知ることの無い、業界各社を複合的にリンクする“レッド”の呟きだった。
 だが、近藤を含め、今は誰もその存在に気付くことが出来なかった。
 皇からも社屋からも、およそあらゆるレッド以外の手段では通信すら行うことの出来なくなり始めた都市部で今、後の人々の記憶に大きく刻まれることになる事件が産声を上げようとしていた。

http://www.dice-jp.com/plus/china03/ [ No.583 ]


青面騎手幇 -ペイル・ライダー-

Handle : シーン   Date : 2001/05/31(Thu) 18:40





▼LU$T都市部 再開発区画 某都市開発ビル内


 ユンは傍らで無言で仁王立ちするディックの背中を見つめながら、音が鳴る程に奥歯を噛み締めた。
 そうでもしなければその場の空気に沸き立つ血の葛藤と、緊張の為に浮き出るように粟立つ鳥肌に飲まれそうで、我を忘れさせられてしまうと強く感じたからだった。
「皆に話しておきたい事がある」
 たったその一声がユンの鼓膜を揺さぶり、その身を蹂躙してゆく。
 通常ではありえない組織のNo.3の非常呼集に、僅かながらにざわめいていた部屋が一気に静まり返る。
 不安も動揺も何もかも捻じ伏せ、青面騎手幇の屈強な猛者達が持つ絶対の自信が齎す個人の誇りも、あらゆるものを押さえ込む強烈な存在感のある声だった。それに抗う事など誰も出来ず、ユンだけでなく部屋にいるおよそ全ての者達が同様で、ただ只管にディックのその声に引き込まれていった。
 強制認識言語だ。そう自らの中で抗うかのように芽生えた僅かな思慮も、あっという間に飲み込まれてゆく。それは言語に絶する強制力だった。
 ディックは右手を振り上げる。
「皆も周知の事だと思うが、俺達の親父とも言えるホイが・・・先日、亡くなった」
 一斉に部屋にいる数十名の構成員達の表情が険しくなる。部屋にいる100名に届こうかという全ての視線がディックの口元に注がれた。
「御前達も分かっているだろうが、俺達の親父がおいそれと死路を選ぶことなどありえない!」ディックもまた表情を険しくして声を張り上げる。「俺達に銃の扱いから、武道の手ほどきまでした親父だ! LU$Tを手にした親父だ! その親父が、何故死んだ!!」
 部屋の方々から荒ぶる怒号が飛び交う。親父を殺したのは誰だ! 誰かの策略か! 軍に暗殺されたのか! 幾つもの大きな怒声が飛び、部屋の空気を振動させる。最初はアジのようなその怒声も、次第に周りが感化されて個々の怒声が斉唱されたかのように揃い始める。
 ユンは細かく身体を震わせた。
 何れホイの後を継ぐと目されていた後釜候補の一人だ。機智に富む社会派のビルと双璧を成すディックは、古いタイプの人物だった。その強烈な存在感と、後に続くものに不安すら抱かせる事のない自信に満ちた行動は、組織の構成員・・・特に本国からも手の付けられない荒者として、半ば島流しの様にLU$Tという本国から見れば新興地に隔離されて荒れていた者達を纏め上げるのに、幾日も要さなかった。
 LU$Tという大規模物流システムを一手に担う複雑な街を、様々な側面で掌握するにはビルのような政-まつりごと-を心得た頭角は確かに必要だ。企業舎弟を幾つも抱え込むビジネスをしのぐ為、自分達のような幇の族-やから-にも多角的な企業化が進められたのも事実だった。だがユンから見れば、それはどちらかと言えば自分達の身体の中に流れている古の血の流れからいえば、むしろベクトルは逆だ。好んだ言い方ではないが、所詮自分達は幇であり、何よりもその血の繋がりを大切にしてきた一族だ。荒事に塗れた時間の流れは頭だけで御する事は決して出来ない。それは、これまでの自分達が歩んできた歴史とその足跡がそう教えてくれている。
 時には、理由も言われもない暴力を律するだけでなく、掌握する絶対の力が必要なのだ。
 ユンは険しい顔でディックの背中を見つめる。
 あの日、あの夜。マンションの一部屋で補遺に銃口を向け、決して戻る事の無いフルメタルジャケットの引き金を引いたのは、間違え様もなくディック本人だ。意識も途切れ、姿も変わり果ててはいたがホイである事に変わりは無かった。だが、迷う事無くディックは自分の目前で引き金を引いた。
 何故だ? ユンは唇を噛み締めながら訝った。だが、何時までたってもその答えが定まらない。
 ・・・いや、もう既にあの時にディックの中の親父とも言えるホイは死んでいたのだ。そう自分の中に答えが芽生えた頃には、部屋の中は蒸し暑さを感じる程の熱気を伴っていた。
 _____________そんな事にも気がつかなかったのか・・・俺は。
「これを見ろ!」
 ディックが声高に叫び、白い壁のパネルを叩く。
 やがてその壁面に焔色の髪を結い上げた女と向き合うビルの姿が映る。その周りには見るものが見れば一目でそれとわかる多国籍企業特有の空気を纏ったエージェントらしき者達の姿も映っていた。だが、見るものによってはそれは岩崎のジェントリーにも、いや千早やG.C.I.のそれにも映るに違いない。
 ユンは顔にこそ出さなかったが、思わず驚嘆の溜息を漏らした。
 機知に富むビルが各方面の要人達と会わない筈も無く、この映像の真偽はともかく、誰も否定が出来ない。だが用意周到の言葉を超え、的確で鋭利な刃物を思わせるこの物証はその場にいる者達の思慮のベクトルを仕向けるには充分過ぎるほど機能するだろう。
 だが実際にその映像に映る女性がゲルニカ・蘭堂であるならば____________実際には似ても似つかない髪の色だけが似通った女だが_______________その姿と向かい合って立つものは実際にはディックだ。エージェントの姿も実際には日本の息が掛かったエージェント達で、記憶が間違っていなければ大日本災厄編纂室という曰くつきの組織か・・・BH-ブラックハウンド-に違いない。
 だがこの瞬間に、この映像の真偽を問おうと言う思慮など誰が持とうか。
 ユンは再度身震いした。
「この映像ソースは、親父が息を引き取る数時間前のものだ。
 以前から組織の多角化における懸念に対して俺がどう発言していたのかは、皆の知るところだろう。親父が作り上げてきたこのLU$Tにおいて、今、この時代に俺達に求められているのは絶対の存在感だ。
 思い出せ! LU$Tに岩崎や千早が・・・それだけじゃない、北米メガコープの靴音が聞こえるこのご時世は一体どういうことだ!! 俺達華僑がこの街を切り開いてきた日の事を思い出せ!!」
 ディックが片手で拳を握って顔の前に持ってくる。
「この女は何れかのメガコープの狗だ! だがそれならまだいい。しかし何故、ここにビルが映るんだ?! 何故奴がここに映らねばならない!!!」ディックが唾を飛ばして叫ぶ。「売ったのか!? 奴は親父を売ったのか?!! 俺達の親父を___________同朋を・・・奴は売ったのかッ!!!!!」
 許すな。たった一人の構成員の決して大きくは無い一声が嵐を呼ぶ。
「許すなッ!!!」古くから顔を連ねる初老の区画を任された顔役が叫ぶ。「粛清だ!」ホイを慕い大陸から渡って来た過去を持つ企業舎弟の顔役達が叫び、足を踏み鳴らす。「誰だ! 誰なんだ、その女と組織は!!!」既にディックの演説の手中に納まってしまった若手の構成員達が顔色を変えて血気盛んに叫びだす。
 だが、そこでディックは煽らずにゆっくりと両手を広げて騒ぎをその存在で諌めると、静かに答えた。
「_____________ビルに聞け。奴がここに映っているのであれば、御前達が今持つ疑問の全てに答える事が出来るだろう。
 だが、今の俺でもこれだけは答える事ができる。
 ・・・殺せ! 俺達の都市-まち-に、土足で踏みあがっている奴等を殺せ!!!」
 ディックが上着の奥から鈍い光を放つ回転式のリボルバーを取り出す。
 そしてゆっくりとそれを翳す。
「俺達は三合会だ! 同じ三合会でもその武勇が謳われる青面騎手幇だッ!!
 教えてやれ、俺達がどうやって蛮族を諌めてきたのかを!!
 いいかァッ! 俺達は青面騎手幇だッ! 数千を超える屈強の構成員を纏め上げ、その武で全てを押さえ込んできた武闘だ!!!
 いつまでも甘っチョロく、コープの甘い蜜を吸い続けてダンマリ決め込んでいる訳にはいかねぇんだヨオォォォッ!!!!!!!
 これは俺達への挑戦だ! 俺達華僑への挑戦状なんだッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 顔色を真っ赤にして叫ぶディックが部屋を見渡しながら銃を手に振り上げる。
 部屋中が怒号と喝采に沸き立ち、全員が踏み鳴らす床がその振動に何度も揺れた。
 やがて、その状況に満足したのか、ディックがゆっくりとユンへと振り返る。

 ディックは鮫のような笑みを浮かべて微笑んだ。
 およそ彼の知るあらゆる感情を乗り越え、絶対服従の恐怖と強制力が滲み出た筆舌に尽くしがたい表情だった。
 自らが一撃を放ったその流れの全てに満足したに違いない。
「手前ェ等、分かったかヵァッ!!!!」
 ディックが視線をユンから外さずに、叫ぶ。
「オオオオォォオオオオオオオォオオッ!!!!!!!」
返る言葉は、もう誰もそのベクトルも流れも変えることなど出来様のない・・・・その場を揺るがす叫びだった。

 その騒ぎを包む無骨なビルは、程ない場所に鎮座している。
 漢帝廟からも、そして中華街からも、そう遠く離れては居ない場所に位置している。
 __________________だがその大きな騒ぎと地勢の流れに、一体誰が気付くというのだろう。


http://www.dice-jp.com/plus/china03/ [ No.584 ]


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