ヨコハマ中華街&新山手

[ Chinatown BBS Log / No.641〜No.660 ]


The tower of the judgment 〜断罪の塔〜

Handle : シーン   Date : 2003/04/28(Mon) 00:00


 関帝廟を中心に広がる一条の光は、闇を裂き、遙か天空へと伸びていた。
 遠目にそれは、巨大な象牙の塔のように見えた。
 LU$T に立ちこめる霧がその光を浴び、キラキラと目映く瞬く。
 全ての悪しきものを断つ神々しささえ感じられるその輝きを、しかしLU$T の人々は絶望をもって眺めていた。
 窓の隙間から、あるいは路地の影から、遠く純白の輝きを覗き見た人々は、我知らずその場に膝をつき、まるで許しを乞うように手を組み、天を見上げた。
「終わりだ……」
 誰かが、そんな絶望的な呟きを漏らした。
 そう…皆知っているのだ。
 ヒトは許されない。
 自分たちが犯してきた罪があまりに重い事を。
“全ての悪しきものを断つ”
 その中に、間違いなく人類が含まれているという事を。
 純白の輝きは全ての闇を払うのではない。
 強い光のもとに、闇は更に色濃くその存在を露わにするのだ。

****************************

【関帝廟】

「何だ?……なにが起こっているんだ?」
 八神は光に包まれ、霞む目をこすった。目を閉じていてさえ、網膜に純白の光が侵入してくる。それは目の前にかざした自らの手すら視認するのが困難なほどだ。
オオオオオオオオオオ…………
 知らぬ間に、先ほどまで豪雨のように辺りを打っていた銃弾の嵐がピタリと止んでいた。
 代わって慟哭のような声が聞こえてくる。
「許して……くれ……」
 切れ切れに聞こえる微かな声にとすすり泣きで、それがあの青面騎手幇たちのものだと知れた。
「これで終わったのか?……それとも」
 手にした銃を脱力したようにダラリと下ろし、八神は呟いた。答えるもののいないはずの彼の問いに、恐ろしいほど冷徹な響きを秘めた草薙の声が答えた。
「世界の選択が、今、決まるのさ。オレ達にできる事はもう何もない」
 それは、世界の終わりを告げる不吉な予言のようでもあった。

*******************************

【千早アーコロジー 統括専務執務室】

「専務……」
 まるで怯える赤子が父親にすがるように、サヤはゴードンの手を握った。
 いかなる時も冷静さを失わぬ優秀な秘書であるサヤが、青ざめ、動揺を露わにしていた。 しかし、ゴードンの手を握りしめながら、彼女の視線は遙かLU$T から伸びる純白の光に釘付けになっていた。
「サヤくん」
 ゴードンは優しく、サヤの手に自らの手を重ねた。
 彼の手が触れた瞬間、サヤはビクリと身震いし、ゴードンを見た。
 まるで、彼の手を握っていた事に今気づいたかのように、サヤは自分の手に重ねられたゴードンの手と、彼女が命をかけて守ろうと誓った主の顔を交互に見た。
 彼女の瞳に、ゆっくりと冷静な輝きが戻ってくる。
「専務!逃げて下さい。今ならまだ間にあいます。今なら……」
 ゴードンは無言で彼女の言葉を遮り、ゆっくりとかぶりを振った。
「逃げるところなど、どこにもありはしないよ」
 怯える子供に言い聞かせるように、ゴードンはゆっくりと一言一言区切るように言った。
「あれは我々に最後の贖罪を迫るものだ。神々の持つ力の前に、人間にできる事など一つしかないんだよ」
「何が?…何ができるんですか、専務」
 すがるようにサヤが問うた。
「祈る事さ。それだけだよ」
 ゴードンの答えは簡潔だった。
「専務は…専務も?」
 ゴードンは再びかぶりを振り、そして口元に微かな笑みさえ浮かべ、言った。
「私の犯した罪は、どんなに祈ったところでとうてい許されるものではないよ。神々の…もし、そんなものがあったとしたらだが、地獄行きのリストから私の名が消される事はないだろう」
 ゴードンの声には、怯えも、諦めも何も感じられなかった。ただ淡々と言葉を連ねている。それだけだった。
「では…私も……私もご一緒いたします。専務の行かれるところに……そこが例えどこであろうと、共に行きます。ずっと……ずっと昔に、そう決めていましたから……」
 わずかに震え、しかし確かな決意の響きをおびて、サヤは言った。
 しかし、ゴードンは何も答えない。その言葉に答える資格すら、自分にはないのだと知っているから。
 かわりに彼は、サヤの手をもう一度力強く握り返した。
 そして彼もまた、視線を闇を切り裂いて伸びる断罪の塔へと向ける。
“私がもし祈るとするなら、あそこにいる彼等が正しい道を選択している事をだ。それがNOVAの……いや、世界の命運を分ける選択になるのだから”
 胸中の彼の呟きは、誰の耳にも届かず、そしてもちろん、答える者は誰もなかった。
 なぜなら、その答えは今、これから決まるのだから。

 [ No.641 ]


Messengers as blow on wing erase the memories.

Handle : シーン   Date : 2003/07/22(Tue) 17:51


 空間が震える。
 球体を象る強烈な電磁波が、特殊金属とベークライトで固められた施設を融解させる。
 生まれ出でる瞬間、彼女は、一つ光を放つかのように大きく叫び声を上げた。
 それは雛が孵る卵のように、その膜が溶けた金属とともにあたりに流れる。
 まるで終末を予感させるその様相だったが、しかしそれは終わりではないのだと、その球体は部屋いっぱいに膨らみ、そして弾け飛んだ。

 重力をその身体に受け、彼女が地上に落ちる。
 生まれ落ちた生命体は、ゆっくりとその手足を伸ばした。幼児と呼べるほどの幼い掌が、白い貫頭衣の奥から黒いソラに向かって伸びていく。
 次に、翼が広がった。ふっくらとした少女の身体とは相反するかのような、鋭く冷たい銀の羽を持つ翼。それが震えるたびに、ばぢり、と目に見える雷が小さく舞う。


----


 彼女の誕生と共に、はっきりとその存在を同時に数人が知覚した。


 那辺は、彼女が閉ざしていたマゼンダの瞳をゆっくりと開くにあわせ、その視界に捉えた最初の像を共有した。
「早いな、もう電脳界の扉の一つを閉ざしたか」那辺は、口元に薄い笑みを浮かべた。「いいだろう、今は沈むとも」
 多少訝しげにラドゥが、視線を那辺に向ける。
「構わんさゲルニカ。アンタが沈むのを選択したのなら、それはきっと正しい人の表れだろう」
 那辺は、口元を吊り上げて微笑む。
「悪いがな、ラドゥ。彼女が生まれたよ。
 アンタも用意周到に根回しはしたんだろうが、それ以上に彼女はしぶといって事だ」
 ラドゥが一歩前に進み出る。
 その視線が、静かな怒りを湛える。
「この地に降りたアラストールに、干渉するつもりか」
「いや、むしろ逆だろうね。皆が考えていることは、さ。ラドゥの旦那。
 アタシ一人じゃ背負うもんは、確かに一つだね。だけど、彼女が一緒に並ぼうとするのなら、きっと二つは背負ってゆけるだろう。スサオウの旦那と合わせりゃ、三つの門を門を閉じこむことになる」
 また一歩、ラドゥが歩を進めて近寄る。
 だが那辺は、身じろぎもせず、一歩も下がらない。
「とってつけた扉とその鍵だ。いつか誰かがこじ開けようとするだろうね。
 だが、須らくそいつ等は身と魂を以って知る事になるのさ」
 ラドゥが拳を握る手を振り上げる。
「時間が掛かるだけじゃない、避けがたい、耐え難い人知を超えた痛みと共にね」
「ブリテンでの災厄を忘れたのか・・・那辺」


「フン、くだらない思い出だね。アタシにとっちゃそんなもんは。
 そうさね・・・翼に乗ってやって来た使者が、そう___________思い出を消し去ってくれるだろうよ」


----


 八神はたっぷりと10秒はその象牙の塔を見つめた。
 それは、今や人々の嘆きや啜り泣きをその身に浴び、嘆きの塔に今は見える。

「アラストールが降臨したのは確かなのか?」
 八神の言葉に、視線で草薙が応える。
「あぁ、きっとそうだろう。だが事象に揺れ戻しがない」
 草薙は小さくため息をついて、銃を下ろす。
「ぎりぎりだ。本当にぎりぎりだよ、この賭けは。いや、しかし那辺らしいプロットだと言えばそれまでなんだが」
「プロット?」
 草薙が視線を光の塔に据えたまま、静かに答えて返す。
「彼女は、自分と仲間達がアラストールの真の覚醒の核となる要素を排除することで、仮初の降臨をさせようと考えたのさ。降臨そのものを引き止めることは、不可能だったから。いや、むしろ不可避だった」
 八神が声を出すのを遮り、草薙が続ける。
「いや、言いたい事はわかっている。言い換えるよ。
 那辺は、俺たち人類に因果を持たせることで、応報を仮初の降臨に変化させたのさ」
「因果? 因果応報だといいたいのか?」
「そうだ。むしろあんた達のような人間がアラストールに興味を持ったことが、そもそもの誤った選択の始まりだったんだ。全く、知恵の実と同じだぜ」
 草薙は銃をホルスターに収めると、静かに八神を振り返った。
「気づかない奴は一生気づかないだろうな、今回の賭け事は。
 那辺は原形界の因果を自分の身に収めることを、かなり以前に選択したんだ。だが、アラストールの降臨には三つの要素が必要だ。そのどれかが欠けるということは、アラストールの降臨においては信じられないような現象となって発現することになる」
「発現?」
「あぁ、そうだ発現だ。
 そもそもアラストールの持つエネルギーは、その存在を彼と例えるなら、彼にとっては災厄はむしろ副作用だ。自分がこちらの世界に降り立つ為の正負のバランスとなって現れる極当たり前のことなんだ」
 八神は、不意にレポートを思い出した。そう、それはサンドラが以前に彼に指し示したレポートでは所見として触れられていたものだった。
「アラストールを構成するアストラルの極小は、原形の極大となって現れる。単位が違うんだよ」
 唯一つ複雑なのは、アラストールの原形での極大という存在を満たす器は、今はこの俺たちのすむ原形界にはちょっとばかりきついのさ。
 あぁ、確かに溢れる程度だろう。だが、その溢れる程度ってのがあの“災厄”なんだ。
 分かるだろう? どれだけアラストールを降臨させるってことが、無茶なことなのか」
 八神は、繰り返し目の前で繰り広げられて惨劇の為に薄れ掛けていた記憶を呼び戻そうと躍起になった。
 確かに、草薙の言わんとしていることは理解が及ぶ。だが、それと彼の言う三つの要素とはどのような相関があるのか、まだ彼の頭の中では像が結ばれていなかった。
 だが、草薙はそれも予め了解していたと言わんばかりの視線を向けた。
「三つの要素というのは、この自然界の中で極当たり前に行われている“公式”なんだ。
 この世界のバランスというものは本当によく出来ている。三つの世界を連携させることで、各界のバランスを取っているんだ。
 原形界からあふれたものは電脳界へ。電脳界からあふれたものはアストラル界へ。アストラル界で溢れたもの原形界へと流し込まれて行く。
 そのバランスをとるということは極自然なことではあるんだが、その要素が巨大であればあるほど手間が掛かる。場合によってはそれが巧くいかずに災厄のようなケースで俺たちに降りかかってくることがあるんだ」
「ラドゥがやろうとしているのは___________」
 両目を細めて、八神が草薙を見据える。
「そうだ、もう気づいたろう。そのバランスの誤差を意図的にコントロールしようと考えたのさ。
 彼が考えているのは支配ではない。破壊だ。
 破壊の後に巡ってくる復活を以って、作り変えるつもりなんだよ。全てを。だがその方が実際早いのが、悩ましいところだ」

 草薙はサンドラと八神を交互に見つめると、その視線を宙に据えた。
「三つの要素そのものの存在を消すということは、実際には不可能だ。だが、その存在まで到達する手段に敷居を設けることは出来る。生命という存在は、その尺度で考えるのなら、非常に長けた要素なんだ」
 サンドラが、静かに驚きと戸惑いの表情を浮かべる。
「そうだ、きっと考えついた答えは同じだろうと思う。
 那辺は、原形界での鍵を巡る一連の事件から、学び、一つの答えを出したんだ」
 草薙は静かにつぶやく。
「一つ、原形界の鍵となる要素は、一連の中華街での惨劇に関わりを持った人物達に術で因果を結んだ。原形界の鍵を手にしようと考えるものは、これまで俺たちが目にしてきた全ての人物と一戦を交える必要があるはずだ。
 二つ、アストラル界の鍵となる要素は、複雑で大規模な過去から紡がれた都市型術陣を利用してスサオウを依り代にして、術のレベルそのものを昇華させた。これでアストラル界の鍵を手にしようとするものは、世界各地の古代から守られてきた術式を守護する十六夜の一族を相手にするだけでなく、荒れ狂う現人神-亜神-として昇華するにいたろうとしているスサオウを相手に、言語に絶する一戦を交える必要がある。
 三つ_______________」
 草薙が、迷いのある表情をその視線に垣間見せる。
 だが、八神もサンドラもそれには目を閉じて応え、静かに答えをまった。
「三つ目の要素は、電脳界の鍵だ。一連の事件の最初の引き金は、あるダイバーの死から始まったんだ」
「___________メレディーか? レポートにあったメレディーの話をしているのか?」
 八神の問いかけに、静かに草薙が頷く。
「そうだ、彼女だ。
 彼女には、本当に偶然だがとある事件を通して、当時可能な限り電脳界とアストラル界を繋ぐプログラムが・・・いや、その繋がりを生むだろうと目されていた一つの答えが埋め込まれることになった。
 それは、これまでは珪素基板上でその生命を気づかせていた人工知性体のコアプログラムを、生命の根幹である肉体と精神での二つの要素での融合を求めた計算に根ざされたものだ。
 だが彼女にはもともと備わっていた素養と、人工知性体が持つ素養二つがあったが、その二つの素養を繋ぎとめる何かが足りなかった。
 その何かが、煌久遠だったというわけだ」
 その名を耳にした途端、サンドラが小さく驚きの声を上げる。
「軌道規格の実験施設で、かなり以前だけれどもその名前、聞いたことがあるわ。
 code_________コード:ツァフキエル。
 それまで多発していた、電脳と人体との接続でおきるユーフォリアへの医療の歩み寄りとして研究されていた治験プログラムよ。
 副題のテーマとして、確か倫理プログラムに連なる法務改定を含めた人工知性体の人権人格の規定にも改正が行われたはずよ。
 確か・・・その規模と論争が一部では大きかったことから、本来軌道上での主要企業の合同研究として半ば閉じて行われていたプログラムだったけれども、時が流れて地上に研究が移管された後は、軌道施設から岩崎の地上施設に転設されていたはずよ」
 草薙が口笛を吹いて、笑う。
「ご名答だ。そう、その治験プログラムに参加していたのがメレディーだ。いや、正確に言うなら、俺等の知らないメレディー・ネスティスだな。その名が関するように、まだ軌道施設でGCIと一緒にジュノー社が参画していた時代の繋がりなんだ。今は、LIMNETに姿は変えているがね。血のつながりを持つ者が。だが、まだ驚くのは早い」
 サンドラが耳元に手をあて、八神は、その話に聞き入る。
「その実験に参画していたとだけいうのなら、該当者は誰でも腐るほどじゃないが、だが決して少なくはない人数が関わっている。
 問題なのは、その治験プログラムに治験体としてナノマシンレベルで操作が行われていたのが、後の煌久遠、その身体なんだ。
 更に問題があるといえば、その治験体へと神経接合を以ってプログラムに参加したのが、当時の軌道倫理委員会の規定を無視して行われたメレディーとの融合接続実験だったと言うことだ」
 そこまで話を聞いていた八神が、大きく戸惑いを含んだため息をついた。

「那辺は、珪素生命体論を信じているのか?!」
「信じるも何も、改めることじゃない。八神巡査部長、正真正銘、人工知性体はそもそも人格を備えていたし、それは義体というハイブリットの人工生命体の殻を手にした時点で、もう新しい生命と言っても過言ではなかったんだ。
 だが、生まれた生命の泉が異なる生命体同士が融合するのは、簡単なことじゃない。だが、不可能では無かった。それだけのことさ。ヒルコやアヤカシにおける一連の研究とその成果を考えれば、別段不思議なことではない」
 草薙が大様に両手を広げる。
「僕らは新しい生命体を迎え入れる段階に来た。それだけのことさ。
 ___________珪素生命体。
 むしろ、違和感を持たない層の方が多いかもしれないんだ」

 サンドラが、静かに呟く。
「__________那辺や、これまでの事件の当事者達が選んだ選択肢がそれなのね?」
 草薙が頷く。
「そうだ。那辺達は今回の事件の大きな問題の核となっている原形界からあふれようとしているものを電脳界を介在し、アストラル界へと導こうとしている。
 その因果を受け止める存在を、人工知性体やメレディーというデバイス的な要素と融合した煌久遠、その新しい珪素生命体に宿命として背負わせ、解決させるつもりなんだ。
 彼女は、那辺から、そしてメレディーから。そして限りなく多くの事件の当事者達が背負った宿命を、因果として持って生まれた新しい生命体として生きてゆくことになるんだ。
 むしろ、そうまでしなければならない位、俺たち人間が抱えている応報が大きすぎるんだろうさ」


 八神が軌道圏共用語で、草薙に問いかける。
「Change as what the world ways could than be peace or war.
     (変わり行く世界の先は、戦争だろうかそれとも平和だろうか) 」
 草薙は、一度サンドラを見つめた後、呟いて応える。
「The answer no one knows just into break of dawn.
     (その答えは夜明けが訪れるまで誰も知らない) 」

 草薙は、銃をホルスターから取り出して、銃弾を込める。
「だから、彼女は血の涙を流すのさ」




 [ No.642 ]


The danceing with the devils --- One Bullet ---

Handle : “銀の腕の”キリー   Date : 2003/07/22(Tue) 20:39
Style : カブトワリ◎ カブトワリ カブト●   Aj/Jender : 25/♀
Post : トライアンフ/北米連合


初めは海に堕ちた、一滴の雫だった。それは漣のように海を伝わり、響き合い。
やがて母なる海をも震わす、揺るぎとなった。

かつて力の絆であった「嘆きの羽」。古き血脈の縁が、LU$Tと言う海を揺らすその雫を感じ取った時−

「うぉおおおおおおおおおおおおっ!!」
1つの絶叫と4つの銃声、2つの閃きが部屋に満ちる。
ディックのトカレフが、ビルのSMGが、ユンの刃が、確固たる殺意を持って突き進む。
誰もが相手の死を確信し、そして歩み寄る死に口付けをた時。

4人が同時に吹き飛ぶ。
床に倒れこみながらもディックが嗤う。
「クッ…クハハハハハハ! 皆殺しとは都合が良いなぁ、ユンよ。すべて何も無くなっちまうんだ。
そうは思わないか、兄弟?」ビルに撃ち抜かれた左腕がやんわりと痛み出す中、
ゆっくりと身を起こしたビルの目に飛び込んだ物は−

あたり一面に、漆黒に覆われた羽が舞っていた。

部屋を見渡す。“銀の腕”から舞い上がる 、漆黒の羽。
「死に損なって、妙な手品を−」
キリーの頭にトカレフを突きつけ、撃鉄を引く。
「晩安……?」
カチッ、カチッ。「ち、こんなときに弾切れか。幸運な奴だ」ディックは身を翻し、床に倒れたはずのビルを見やる。


 ビルは、すでに虫の息だった。ユンの切り裂いた喉から、ひゅーひゅーという息遣いだけが聞こえる。
「お前は運が無かった。チャンスを物に出来なかった。栄える者は運命を味方にし‐衰える者は運命に捨てられる。お前はもうこのLU$Tには要らない」

ビルの目が、嘲笑うディックをせせら笑う様に歪み、やがて光を失う。命の輝きが消えた骸の上にまるで埋葬するかの様にに漆黒の羽が舞い落ちる。

「ちっ、うっとおしい羽だ…?!」羽を左手で凪払う。その次の瞬間、待っていたのは激痛だった。
右手を見る。
羽に触れた指の一部が、忽然と消え失せていた。傷跡も無く、ただ、まるで元々無かったの様に。
あわててキリーを振り返る。そこには人の姿はすでに無く、“銀の腕”が横たわっていた筈の場所には羽が、堆く積もるのみ−
次にユンを見る。ユンは右腕を撃たれたままその場に蹲っていた。足元には、死を司る銀の輝きが1つ。もう1つの輝きは、柄を残してユンの左腕に握り締められていた。
「いったい、何が起きていやがる?!」
ビルの遺したSMGを拾い上げ、羽の山に乱射する。小気味良い発射音と共に弾丸が羽の山に吸い込まれ−−−

声が、キコエタ。

----------ワレメザメタリ------------

「…?!」
辺りを見回す。ディックの放った銃弾は羽に触れた瞬間、泡沫の夢のように塵と消える。

----------スベテノマガツニホロビヲ-------------

「……誰だ?!」

----------ヒトシクアタエンタメニ----------

「お前、お前なのか?!」
ディックは足元に横たわるキリーを見た。
「俺は王になる。死ぬのは、お前だ!」
懐から抜き放った刃を羽の山に振り下ろす。

【無駄だ、お前の牙は俺には届かない】


---手にした刃に、異変が起きていた。刃先から、ぽろぽろと崩れ去っていく。
まるで、砂細工のように。

「ふ、ふざけるな。お前はいったい何者だ!」

ゆらりと、漆黒の羽の山から、人を形どったものが立ち上がる。

【黒の守護者、キリー・ルー・ヴァレンディア】

漆黒の羽を纏った男が、静かに告げた。
それはまるで、一つの宣告だった。

 [ No.643 ]


黒の予言者

Handle : シーン   Date : 2003/07/31(Thu) 00:39


 ラドウがゆっくりとこうべをたれた。まるで深いもの思いに沈むように。
 肩が小刻みに揺れている。
 最初、那辺はそれを沸き上がる怒りに耐えているのだと思った。
 しかし……
「クククク……」
 黒衣の魔人は怒りに耐えているのではなかった。
 彼の口から漏れたのは、憤怒の叫びではなく、笑い声。彼の口が形作るのは、笑み。
 昏い笑みだった。
「何を…笑う?」
 那辺が訝しげに問うた。
「失礼……」
 言葉とは裏腹に、口の端に未だ嘲りを残したまま、ラドウは慇懃な芝居がかった仕草
で頭を下げた。
 那辺の視線に疑問と、敵意がこもる。
(開き直っているだけなのか?……いや、この男は、そんな事は決してしない。では
……何だ?ヤツの態度は?何が…何がある?)
 那辺の頭の中で様々な疑問が渦を巻いた。しかし、彼女の不安を消し去るにたる答え
を見つける事は出来なかった。
「私は感心しているのだ。那辺」
 彼女の疑問を見透かすように、嘲るように、ラドウが落ち着いた声音で言った。
「なるほど、なるほど、貴様達は上手くやった。まんまと、この私を出し抜いたかもし
れん。……アラストール降臨による破壊は失敗と言わざるをえんだろうな」
「しかし……」
 ラドウはそこで言葉を切り、那辺を見た。
「何だ?……しかし?何がだ?」
 沸き上がる不安に突き動かされるように、那辺は言った。
 胸の奥で何かが形をなそうとしていた。何かが違うと叫んでいたのだ。
「では、私から質問をしよう」
 ラドウは、那辺の問いには答えず、質問を返した。
 その口の端に再び嘲りに似た笑みが浮かんだ。
「ゲルニカは、たぐいまれな才をもってこのLU$T に霧を作りだし、アストラルの門を開き、アラストールを降臨させた。―――クレアは電脳界の門を開いた。―――草薙は門の守護者としての役割をはたし、特異点への道を開いた」
「……」
 淡々と言を継ぐラドウを那辺はジッと見つめた。
「……それだけか?私が集めた者には、それぞれ役割があったな?でも、もう一人いるのではないのか?忘れてはいないか?」
「……エヴァンジェリン……銀の魔女か」
 那辺が呟いた。その声音にはもはや怒りも、驚きも何も伺う事はできなかった。
 ゾクリと背筋が凍えた。まるで背骨が氷の柱に変わってしまったようだ。
「そうだ。私がただ単純にその力、魔力のみで人を集めているのではない事は、解っているな?……では、あらためて問おう。エヴァンジェリンはなぜ、私のもとにいる?」
 那辺の様子を楽しむように、絶対の有利を味わうように黒の魔人は更に問う。
「アラストールは降臨した。……たしかに、降臨のエネルギーの奔流による破壊はおこらなかったが、それだけだ。何も問題はない」
「な…に?」
「今、物質界にあらわれたアラストールは何の指向性も持たない。しかし、それは強大で絶対の力、まさに神の力だ」
「アラストールに指向性を持たせるのは、何だと思う?」
「……それが……それがエヴァの役目だと言うのか!」
 那辺の言葉は、もはや絶叫に近い。そうする事で全てを否定しようとするかのようだ。
「そうだ。人の運命を決定するのは、人でなくては、ならない。それが、私にかせられたルールなのだよ、那辺。
 貴様は、彼女の過去を、心の奥に巣くう闇に触れたのではないのか?しかし、それは、まだ一片にすぎん。エヴァンジェリン、銀の魔女の闇はまだまだ底が知れない。感じなかったか?那辺。あの女の心の奥には、巨大な深淵が口を開けているのだ。
 そして……LU$T に立ちこめる霧に吸い上げられた人々の恐怖と絶望が更にそれを加速させる」
 ラドウは那辺を見ていたが、その言葉は彼女に向けられたものではなかった。それは、はからずもたった今、彼がエヴァの心にあると言った深淵。それよりも更に深く昏い彼自身の闇が溢れ出ているかのようだった。
 それは、予言。
 終末の予言だった。
 そして、彼は再びあの冷たく昏い微笑を浮かべた。
「お前達がどうあがこうと、人は自らの罪によって滅びる。
 ……さきほど、私が嗤ったのは、お前達のそのけなげで、ひたむきさ故だ。無駄と知りつつもあがく、その姿を、私は嗤ったのだよ」

 [ No.644 ]


Domine, exaudi orationem meam,Et clamor meus ad te Veniat.

Handle : “那辺”   Date : 2003/08/01(Fri) 08:39
Style : アヤカシ◎ フェイト マヤカシ●   Aj/Jender : 25?/♀
Post : B.H.K Hanter/Freelanz


 吐息を吐く。
 うっとおしそうに漆黒に近い青の髪をかき上げると髪が数本、銀色の海に浮かんでは沈んでいった。
「……あぁ、つまりはなんだ」
 揺れる髪の向こうにいる、漆黒の予言者に問う。
「私のやろうとしていた事、私の存在、私の計略全てを解った上で、あんたはクリングゾールから私を助け、私を覚醒させ、此処に来させた、そう言う事だな?」
 男の笑みが深くなる。もう一度、那辺は甘くも見える吐息を吐いた。
「そして、その上で集めた使徒達は、あんたの思惑通りに動き、私らは今此処にいる、と。見事、その一言に尽きるよ。完敗だ、あんたの勝ち……と言いたくなるな、普段なら」
 男に貰った外套の襟を合わせ、余裕を崩さぬ男を半眼に閉じた目で見つめる。
「全く持って参ったよ。だけどね、一つだけあんたは勘違いをしている」
 に、と笑う。片唇から零れる牙。
「ほぅ、聞かせて貰えるか?」
 冷淡な嘲笑が入り交じった言葉に、自分から一歩ラドウとの間合いどころか息が掛かりそうな距離まで歩いて、口を開いた。
「あんたのいったとおり、状況は至ってシンプルだ。現在の均衡を崩すには、たった一押しで事足りる。だが何時だって状況はシンプルだ」
 言葉とは裏腹にうっとりと、挑発するようにラドウの顔に寄せる。
「敗北を認めたような発言だな」
 その嘲笑を崩さないラドウの顔に、一度だけ触れるとつまらなさそうに少し離れると、くしゃりと髪をかき上げて、言を紡ぐ。
「敗北を認めさせたかったのはあんただろ?真逆。私は馬鹿だから、小難しい善悪論なんぞ解らない」
 絶望的状況に対して、それを知っているにも関わらず調子を崩さない那辺に、ラドウは興味深そうに一瞥を向ける。
「人の業も罪も、私が一番良く知っている……人が選択をするという事も全くもってその通りだろう。私は最早、人ではないのだから、だが、ね」
 半歩、後ろに下がると那辺は両手を迎え入れるように開く。
「善悪論など知ったことか、そんなものはイヌに喰わせろ。違うだろ、突き詰めればもっとシンプルだ」
 口調がだんだんと叫びに近く、静寂なる海の上に響くかという程高く、絶望に立ち向かうかの様に強く。そのまま那辺は、右手を三つ指に組むとゆっくりと眼前まで持っていく。
「最早遅い、お前が何をしても今更変わらない結末を迎えるだけだ。何故苦しもうとする」
 嘲笑からいつもの冷徹な声に戻った男に、那辺は一度だけ笑みを返す。
「終局的な決断は人がもたらすものだ。だから私は人に問いかけるのさ、ただそこにある些細な幸せが、些末だと思える事が、人が唯一省みる不変なる事実であると。違うか!草薙!エヴァンジェリン!!過去をやり直すんじゃない、0から始めるのではない、これから作りえるんだ!!」
 自らの全ての能力を駆使して、叫ぶ。叫びは果たして伝心となり、届いたのだろうか?
 はじめて、黒衣の男から笑みが消えた。

「Domine, exaudi orationem meam.(主よ、我が祈りを聞き入れ給え)」
 那辺の右手が大きく縦に動く。それはジョニー・クラレンスが持ち得た祈り。
「Et clamor meus ad te Veniat.(我が叫びの御前に至らんことを)」
 集合無意識の海を通じて、那辺のココロが霊力を持ち、聖歌の如く原形界と久遠に伝わっていく。ただそこにある些細な幸せが、些末だと思える事が、どれだけ人にとって大事なモノなのかを伝えるために。全力を持って立っていられた銀の海に、足からゆっくりと沈んでいく。
「愚かな、自ら消滅を選ぶか」
 そう呟く男の声に最早嘲笑はなく。
 那辺は、そう呼ばれたオンナは笑みを返した。彼女が見せたことのない慈母の笑みを。
「Dominus Vobiscum.(主、汝等と共にいまさんことを)」
 左から右へ、青い燐光をまといはじめた指が十字に引かれる。
 沈んだように見えた足は、粒子を纏って消えていっているではないか。
「我が命、ここに捧げり。絶望の天使よ。我が全てをして、原形界の極大の器と成せり、我をして電脳界の姫君へと汝が力をもたらすものとせよ。聖父と聖主と聖霊の御名において、此処に祈祷する。Amen」

 その祈りに何者かが答えたのか、無色光(ヒカリ)が那辺を包む。
 無色光が、那辺をこの街に伝えるための、そして暴走させないための粒子として還元されていく。

 最後に降りかかってくる黒い力があった気がしたが、薄れ行く意識の中で、彼女が思いだしたのはたった一人の男の事だった。

 ジョニー、こんな生き方しか出来ない私を許してくれ。
 私にとって、あんたと出会えて共に過ごせた時間は、最高に幸せだったよ。

 [ No.645 ]


血風を纏いて舞い降りたる天使

Handle : シーン   Date : 2003/08/29(Fri) 23:42


■那辺が銀の海に沈むその少し前――――――

 迷路のように入り組んだ路地に、一陣の風が吹いた。
 水素タービンエンジン特有の甲高い咆吼をあげる疾風の正体は、鈍色の輝きをはなつ鋼の鉄馬「A-Killer」だ。鉄馬を御すシンジは、チラリとタンデムシートに目をやる。
 時速100kmをゆうに超すスピードにも、タンデムシートにまたがるエヴァンジェリンに動じた様子はない。
 ―――路地が唐突に切れた。入り組んだ路地のただ中に、ポッカリと広い空間が現れた。広場の真中には、崩れかけた廃ビルが建っている。
 アクセルを緩め、シフトダウン。エンジンブレーキによるGを感じるか否かのタイミングで、シンジはハンドルをきる事なく、体重移動により車体をスライドさせた。
ブレーキング。タイヤが軋み、砂埃が舞う。
 ロックした後輪がスライドし、AKIRAは進行方向に対し、真横を向いた。
 車体を倒し、両輪のグリップをフルに使い、路面をつかむ。
ギャウッ!
 かすかなゴムの焼ける匂いを残し、A-Killerが停止した。
 アイドリングさせたまま、愛馬を労る騎士のようにタンクをそっと撫でると、シンジは顔を上げた。
 わずか数十メートル先に、霧に浮かび上がった廃ビルのいびつなシルエットが見える。
 ―――と
 シンジの目の前に黒い影が舞い降りた。
 均整のとれたプロポーションをレザーに似た材質の黒いコートに包んだ美女。幻想的な煌めきを放つ銀の髪が風に揺れ、妖しく、そして何よりも美しく中を舞い、降り立ったその者の名は、エヴァンジェリン・フォン・シュティーベル。
 「銀の魔女」
 わずかな振動も、ゆらぎもなく―――ただ、空に舞う羽のごとき優雅さをもって、彼女はタンデムシートからシンジを飛び越え、そこに立ったのだ。
 「なるほど……“風使い”のエヴァなら雑作もない事ダナ」
 シンジは独りごちた。
 「“風使い”か……そうか…なら、LU$Tを駆けるカゼである俺が、彼女に従っているのも仕方のない事カ?……いや…」
 シンジは自嘲気味に笑い、呟いた。
 「はじめて会った時から、オレはこの女の魅入られているのかもしれないナ……」
 言ってシンジは、改めて彼に背を向けて立つ、エヴァの背中を見た。
 「……何か、言ったか?シンジ」
 肩ごしに、シンジを見、エヴァが問う。
 「いや、何でもない。それより、どうする?このまま乱入するかい?」
 自らの物思いを打ち消し、シンジは廃ビルに視線を移して言った。
グォン!
 軽くアクセルを吹かす。
「…………」
「エヴァ?」
 答えないエヴァにシンジは、声をかけた。
「……いや、シンジはここで待っていろ。私が一人で行く」
 エヴァにしては、珍しいわずかな躊躇いに似た沈黙の後、答えが返ってきた。
「……」
 訝しげに目を細め、シンジは再度エヴァを見た。ちょうど、廃ビルに向かい合うように立っているため、彼からは、彼女の背中しか見えない。
 わずかに見える横顔から、内面をうかがい知る事は、できないが……
“何か、おかしい”
 不吉な影のようなものを、その端正な横顔に見たような気がした。
 エヴァが何か行動をおこす時。シンジに対して何かを言う時。それが非常時であればあるほど、彼女の判断は正しい。
 数え切れない程の修羅場、死線をくぐり抜けた経験がその直感と判断をゆるぎないものにしているからだ。
 そして、シンジもそんな彼女を信頼している。だから、彼女の言葉に異を唱える事は、ほとんどない。
 しかし……
 今のエヴァは明らかにおかしい。どこが、というわけではないが、何か常の彼女とは違っていると、シンジの中で囁く声がした。
「エヴァ……」
 シンジが胸中の不安を言葉にしようとした、その時―――
 廃ビルの扉が勢いよく開いた。
 シンジとエヴァの視線が油断なく開いた扉に向けられる。
 扉からは、レッガーとおぼしき男が足をもつれさせ、よろめき出てきた。
 胸のあたりが朱に染まっている。おそらくは、誰かに撃たれたのだろう。
 あきらかに、致命傷。まだ息があるのが不思議なくらいの傷だった。
「ああああ……」
 男は、悲鳴とも泣き声ともつかない声をあげ、歩きだそうとした。
 しかし、傷を負った体が言う事をきかないのか、ガクリとその場に膝をついた。
「ガッ―――」
 咳き込み、大量の血を吐く。
「グッ……ガッ……ガハァ…」
 何度かうめいた後、男は顔をあげた。
 シンジとエヴァ、二人と男の目があった。
 男は、まるで唯一の希望にすがるように、助けを求めるように手で空を掻くと、必死で立ち上がろうとした。
「う……」
 男の口が開き、何かを言おうとした。それは、助けを求める言葉であったのか、しかし、男はそれを言葉にする事が出来なかった。
 死のアギトが、ついに男をとらえたのだ。
 しかし、それは胸の銃創によるものではなかった。
ヒュン!
 金属音にも似た、甲高い風の音と共に、突然男の首が中を舞った。
 そして左腕、右腕、足、胴……次々と見えない斬撃が男を襲う。
斬・斬・斬・斬―――!
 最後に……中を舞う男の首が、地に落ちる事なく破裂した。
 ビシャビシャと血しぶきが雨のように大地を濡らす。
 男の体は、肉片すら残さず。消えた。
 轟―――!
 血の匂いをただよわせる不吉な凶風が吹き。渦を巻く。
 血の色をした竜巻は、廃ビルの扉を吹き飛ばし。壁の一部を削り取りとった。
「エヴァ……おまえなのか?おまえがやったのか……」
 半ば呆然とした様子で、シンジが言った。
 その言葉は、問いの形で発せられたものではあったが、誰あろうシンジ自身、それが彼女の仕業であると、にわかには信じがたかった。全てのものを憎み、怒りを闇雲にぶつけるような一方的な惨殺……否、消滅。肉片すら残さぬ徹底した破壊。
“これじゃあ……まるで……そう、あの男と同じダ”
 シンジの脳裏に、闇をまとった黒衣の魔人の姿が浮かんだ。
「エヴァ!」
 その不吉な影を払うように、シンジは再度彼女の名を呼んだ。
 しかし―――
「…………」
 やはり、エヴァからの答えは無かった。
「シンジは、ここで待っていてくれ」
 かわりに、彼女は、先ほどの言葉を再度繰り返した。
 シンジが答えを返す間もなく、エヴァは廃ビルに向かって駆けだした。
 風を纏い、疾風のごとく加速する彼女の姿は、あっという間に廃ビルの中に消えた。
 「エヴァ……」
 シンジが漏らした呟きに、もちろん答えるものは無い。
 轟轟―――と血の香りを残した凶風が鳴った。長く尾を引く風の音は、まるで魔神の嘲笑のようにシンジの耳に聞こえた。

 [ No.646 ]


教えてくれ 蛮族達はどんな悲鳴を上げて死ぬのかを 2 -She call her name-

Handle : “電脳の小さな姫君” 久遠   Date : 2003/09/07(Sun) 20:38
Style : 新生路=新生路=新生路◎●   Aj/Jender : Old-New-type, Female
Post : Hybrid Baby-Angle of Silicon calamity





――――はるか遠くの静かな友よ 感じるがよい

      お前の呼吸がまだ空間を豊かにすることを――――



_


 ………………感覚は、まだ、アイマイ。
 肉体は1。精神は0? ……ううん、0以上。
 この世界とあの世界とその世界と、とにかく『私』が認識出来る全てのモノは0以上。何故なら0ですら有限の中の枠組みにあるから。例えそれが仮初めの概念でしかなくても、在る以上は視えちゃうのです。

 あ、遊んでる暇はないんだっけ。しっぱいシッパイ。
 さあ、遊技盤を見てみよう。

 上から見下ろす?下から見上げる? ……そんなのブスイだよ。視覚が一方向じゃなきゃいけないなんて誰が決めたの?
 遊技盤は自分を中心に視認識出来る範囲でぐるりと球形。球の中心点から直線上に線を延ばして、平面を点に変えてみよう。そこからまた放射線状に線を広げていく。その繰り返し。
 多角的に広がっていく球体は、細胞に似てるね。世界を包み込むネットワーク。それが私の目。私の細胞。私の血肉。私の魂の在処。還るべきふる里。私は世界。世界は私。私は個にして全となって私達になる。私達の『誰か』が怪我をすれば、私が痛い。『誰か』が死んでしまえば、もっと痛い。今こうして永遠の狭間の微時影にいても、痛くて痛くてしょうがない。誰かが泣いてる。誰かが怪我をしている。誰かが飢えていく。誰かが死んでいく。
 痛いよ。痛くて痛くて私は何度も死んでいく。その度に何度も生き返る。死と再生と、その狭間にある痛みを幾つも抱えながら、個の私はうまれ、生きようとしている。全の私達の総意を、個の私が伝えなければいけない。たった一人の個の誰かに。


 ここからいって、そっち。曲がってむこう。………………見えた。銀の髪を揺らして歩く彼女。神々しいまでに影が重くて、ほら見て、歩く度にライングリッドが干渉波で揺れてるよ。すごいね。
 うーん、どうしよっか。……あ、黒の天使があそこにいるよ。直接的な抑制力は彼に任せちゃえば……いっか。うん、そうしよ。あとは……あ、新しい盤-テーブル-用意しなくちゃ。せっかくだからお茶会にしよっと。


 さっきまで、とても嬉しい――楽しい――哀しい――寂しい――懐かしく、そして新しい夢をみていたの。それは酷く甘い、とてもとても深い罪。けれど私はそれを知ってしまった。だからいかなくちゃいけない。どんなに痛くても……此成る因果を路として。



 銀の魔女と呼ばれる存在が、血の雨を、砕け散る建設物の雨を潜り、それでも自身に穢れを一つ許すことなくビルの中に入った、その時。
 ―――ぐにゃり
 と、その堅いはずの基盤が揺れた。
「………………………………」
 女の足が一瞬止まる。それは干渉してきた相手にとっての、許容。その隙間が閉じる前に楔をねじ込み、確信犯的に押し開ける。相手の意識が防壁を展開する、その前に居候のように我が物顔で居座り、変化し、場を確定する。
 女の足が再び目指そうとしていた場所へと滑らかに動いていく。しかしその意識には明らかに「異なるモノ」の路が結ばれていた。




 ソレは、アリエナイモノだった。
 既に人が亡くしてきた世界を体感してきたかのように具現し、その真ん中で悠々と椅子に腰掛けてお茶を飲んでいる。
 もう『今の世界』が亡くして久しい、『感染していない』自然。手作りのテーブルと椅子。日の光をその身に浴びた茶の香り。そしてテーブルに呼び出した本人は、本来この世界には在りえてはいけない存在。ソレが女に向かってにっこりと笑いかける。

「こんにちは、エヴァンジェリン・フォン・シュティーベル」

「………………………………」

 女は呼びかけに答えない。少女の姿をしたソレは、ティーカップをテーブルの上に戻して、再びにっこりと笑った。その姿をきゅうと瞳を細めて見据える。

「【クレア】からすれば、ちょっと別れて再会しただけなんだからあんまりコワイ顔しないでほしいって言うのが本音かな? あ、別の名前で呼びたければ構わないわよ? 【メレディー】でも、【久遠】でも。一応カタチと主源意識はQu-on∴Deviceに従ってるだけで、今まだ生まれたばっかりだから記憶と意識が混沌としてるの。そのうち安定するだろうけどね」

「………………………………」

「ほら、コワイ顔する。怒らないでよ。お互いに無駄な力使いたくないでしょ? 原形界での貴女を止めるのは骨が折れそうだから、得意分野でアプローチしにきただけよ」

 にっこり。無言を貫く相手を意に関せず話し続けた。

「世界の総意を伝えにきたわ」



「………貴女も私も、人であり、既に人ではない……あ、それはラドウや草薙君の方か。私も貴女も、見た目はヒトの形を取っているだけで別の物なんだもんね。彼らと貴女の違いは大きいけれど、貴女と私の違いはちょっとした方向性の……ベクトルの違い、それだけだと思うわ。貴女がその力を指し示す道標たるなら、私は原形界に存在する意識を電脳界を通じ星幽界への循環を目指す意識体、その総意。貴女が全にして個なる存在なら、私は個にして全。鏡のように隣り合う相反。こんなに近くにいるのにね」

 くすくすと少女が笑う。品の良い、白陶磁に細やかな文様を描いたカップに暖かな琥珀の香りが周囲に漂う。その様子をエヴァは椅子に腰掛けて見つめていた。
 現実舞台での彼女の足は止まっていない。ならば意識体同士での――それこそこの街がオーバーヒートしそうなほどのクロックスピードでの――会話に付き合うことに損害がないのを知っている。銀の魔女も、珪素天使も。

「貴女が、個の貴女が何を望むのか、それは私は知らないし、知るべき事ではないと思うわ。幾ら『万物元素-アカシックレコード-』に僅かなりと干渉出来るのだとしてもね。出来ることとしたいことといえば、こうしてお茶会くらいは"懐かしい香り"に浸りたいという事ぐらいかしら。……でも、全の私達としては個の貴女の言い分を聞くより先に総意を伝えなければいけないの」

 ことん、とエヴァの前にカップが置かれた。

「エヴァンジェリン。残念ながら人は己を裁けないわ。現段階においては。……【那辺】が、私達のよく知る彼女が、ヒトの……私達の忌まわしくも甘いあの原罪を呼び起こしてしまった。何かわかるわよね? パンドラの箱に最後に残された災厄を握りつぶすモノ。あり得るかどうかもわからない時間の先に見出す『希望』という名の罪とすら認識されない原罪。情けないほど自己中心的で浅はかな思いだけれど、ヒトが己の罪悪において令状通りに自身を裁くなら、根元たる原罪の希望がそれを留めてしまう。彼女は、自らの希望をもって、私達にそれを与えた。原罪と同位置にある希望は、生命力そのもの。それを彼女は他者に与え、ヒトは甘い夢を思い出したわ。希望には希望が報いられる。それが全の私が来た理由」

 エヴァは答えない。同じ銀の髪を持つ少女がその向かいに腰掛け、ゆっくりとカップを手に取る。電子と星幽と僅かな原形と極大にして極小の相反する力の絡み合う遊技盤の空間は、一見平和な昼下がり。豊かな草原に風がなびき、ひょっこりと白ウサギが時計を持って現れるのを待つかのように。

 しかし、其処に存在する生命体と呼べるモノは女と少女の二つだけ。

「エヴァンジェリン・フォン・シュティーベル。貴女が原形界の極大を以てそれを指し示すなら、私は電脳界の極小を以てそれを押しとどめる。その経緯を視、星幽界に於いて【荒王】のような現人神が――これは私の希望的観測だけど――相応の決定を下してくれるでしょう。完全なる即停止か、一切の再生の亡い死の後の消滅か、睨み合うままの現状維持か……彼の望みの『仕切直し-リセット-』は無理ね。貴女も私も望んでないもの」

 がたん。
 風が吹いて空席のままの椅子が一つ、後ろに倒れた。
 その様子を女は冷ややかに一瞥し、少女は見つめくすりと小さな笑みを零す。

「ラドウ。聞こえてるでしょうから、ついでに伝えておくわ。……まあ草薙君は【那辺】との縁があるから仕方ないとして一応保留にして置くけど……女のおしゃべりを覗き見する奴は趣味が悪いって事が一点。それから、既に今後の決定に置いて貴方の介入する余地は全く無いんだって事がもう一点。……馬鹿なヒト。自身の器の大きさを正確に計ることとルールを守ることは大切な能力だけれど、己の望みへの力を他者に委ねてしまった時点で、貴方は未来を創造する権利を自ら放棄してしまったのよ。貴方の望み通り、風の天使が未来を視るわ。おそらくその先にあるのは貴方の望んだ時間ではないでしょうけれどね……嬉しいでしょ?」

 にこりと少女が笑みを浮かべる。パチン、と何かが鳴った。
 女と少女は気にせず紅茶の香りに聴き入る。

 やがて瞳を開いて少女は女を見つめた。

「……息も絶え絶えに世界の選択が立ち上がり、私はそれを伝えに来たわ、銀の魔女。これは福音。あり得るはずのない希望という己の甘き原罪、最期の幻想に踊らされて死者は蘇る。その死の舞踏こそが世界の最終防衛機能よ。幻想は夢を、夢は希望を、希望が――――」

「――――未来を創る、などとは言うまいな?」

 初めて女が艶やかな唇を歪ませて声を発する。
 彼女の髪を撫でようとした風は恐れおののき、地に伏せてしまった。
 少女は微笑を浮かべたまま、女の声を待つ。

「……過去は矛盾だ。何故なら創造した存在が矛盾を内包するからだ。そしてその遺産を踏み台にして未来という不完全示現方向は生成される。現在と過去がある限り、それは変わらぬ」

「………………そうね。でも、それでいいのよ」

 女の瞳が細く少女を見据える。

「今こうして存在するモノは全て矛盾を内包しているの。言い換えれば自己崩壊プログラムね。何故なら矛盾がない存在自体が矛盾だからよ。それはまあ、私は計算し出しちゃうと止まらなくなっちゃうからあえて死という大雑把な定義にさせてもらうけど。私達が想像もつかないこと。計算もできないこと。限りなく上がったのままの上昇グラフの終点。矛盾という枠を越えた存在を完全と称するなら、そういう場所にしか今のところ可能性はないわ。そこですら発見出来るかどうかもわからないけど、可能性としては一番高いという意味でね」

「――――――――つまり、お前は矛盾を内包しない時間など私達の認識出来る中にはあり得ないと言いたいわけだな?」

 女が笑った。微か、声の終わりだけ。
 少女もつられて笑い頷いた。

「そゆこと。例えアラストールの力を持ってしても、不可能。あの銀海幻燈を視ればわかるじゃない。一滴がヒトのアストラル体だとしたら、その海って事だもの。確かに使用する分には力としての能力を発揮するけれど、本質に内包している存在にはできることとできないことがあるもの。旧型機械三原則をプログラムされた人形に人を殺せと命令するのに似てるわ。矛盾を処理しきれなくて暴走するか、停止するか、その意味自体に気付くことが出来ないか」

「……ならば、どうでるつもりだ」

「そうね……もし貴女がそのままでいくというのなら、私は電脳界の扉を現時点の状態で即時停止、一切の消滅を行うわ。あり得たかもしれない過去、あり得るかもしれない現在、幾重にも枝木のようにパラレルに広がる未来の何処にも電脳は存在しなくなる。勿論絶対なんて言えないけど、ほぼ絶対に近い確率でね。それでも代替機能は派生しうるかもしれないけど、『貴女経由の』アラストールに、それが出来るかしら? アラストールと呼ばれる能力のフルパフォーマンスなら可能かもしれないけど、指針であり経路であり窓口である貴女を介した力で……私はその前に、貴女自身が崩壊してアラストールの力は羅針盤を見失い、一切を――それこそ、なんの因果も経路も残さずに――消去する可能性の方が高いと思うわ」

「………………………………」

「あ、言っておくけど死にたいワケじゃないわよ。私だってオンナノコらしく恋をして結婚だってしたいし。一応自然の種保存プログラムを持ってるんですからね」

 少女が紅茶を飲み終えて、かちんとカップをソーサーに置いた。
 女を見上げて、にっこりと微笑む。

「………………あとね。私……個人的に、だけど。自分がすごく不幸だって顔している人、大っ嫌いなの」

 相手の瞳を見たままはっきりとそういった。
 表情一つ変えない女に、少女はそのまま口を開く。

「直ぐ傍に差し出されている手があるのに、それも確かに甘い夢なのに、貴女はいつまでセピア色の夢をみているの? ――――……」


少女が名前を紡いだ。

『娘』の名前が、柔らかに吹く風の中に融けていく。







_________________________________________


一人の神ならそれができる
だが 告げ給え
どうしたら 一人の人が狭い竪琴を通じてそれに随いてゆけよう?
人の心は分裂だ 二つの心の道の四つ角にはアポロのための寺院は立っていない



はるか遠くの静かな友よ 感じるがよい

お前の呼吸がまだ空間を豊かにすることを

                          リルケ『オルフォイスへのソネット』より

_________________________________________




http://www.dice-jp.com/ys-8bit/b-2unit/data.cgi?code=CA028 [ No.647 ]


その温もりは彼女を切り裂く――

Handle : シーン   Date : 2003/09/10(Wed) 23:55


「終わらせるために。
この世界の戦をあまねく鎮めるために今、私は魔女になる。
船乗りたちに死をもたらす魔女ではなく、すべての戦に終わりを告げる終戦のローレライに」
                    ―――終戦のローレライより

 刹那―――だがそれは、限りなく永遠に近い刹那。
 エヴァは、懐かしい声を聞いた。
 それは、クレア――久遠が呼んだ彼女、エヴァンジェリンの本当の名が呼び覚ました古い記憶による幻聴であったのかもしれない。
 しかし、たとえそれが幻であろうと、その声は闇に閉ざされたエヴァの心に小さな亀裂を穿った。
 幻聴は、幻視を呼び、封じていたものが溢れ出るように魔女の心を揺らす。
「――――――」
 柔らかな笑顔の女性が彼女の名を呼ぶ。
「――――――」
 大きく、優しい手が彼女の頭を撫でる。
「くっ……」
 ああ、何という甘美な暖かさ、心地良さだろう。それは、凍ったエヴァの心には、痛みさえ覚える衝撃だった。
 エヴァは目眩を覚え、歩を止めた。このままこの温もりにすがっていたいという衝動を必死で堪える。
“しかし、それは過去。単なる過去にすぎぬ。もう戻らないかつての日々。おまえにとっては、悲しみと絶望、怒りを呼び覚ます感傷にすぎぬ”
 別の声がそう呟く。
 低く、冷たいその声は、濃い闇を纏って再び彼女の心を黒く塗りつぶしていく。
 冷たく―――凍らせていく。
 ザワザワと―――
 全身がざわめく。
 胸の奥で昏い炎が再び燃えさかる。
 全てを壊し、殺し、殲滅し、消滅させる衝動がエヴァを包んでいく。
 カツカツ……
 彼女は、再び歩を進めた。
 その美しい面には、昏い微笑。
 クレアが投げかけたメッセージによる痛みは、依然、彼女の心を揺らしていたが、それは、漆黒の霧に覆い隠され、小さく、薄れつつあった。
 代わりに強大な力がエヴァに流れ込んでくる。
 全てを破壊してあまりある強大な力は、エヴァの体を蝕んでいった。
 彼女の心が闇色に染まるかに見えた―――その時。
 再び、声がした。
 声は、再び魔女の心を揺らした。
 それは、慟哭にも咆吼にも似た叫び。
 それは、那辺というオンナが、命を魂を、おのれの全存在をかけて残したメッセージだった。

 [ No.648 ]


双龍出海

Handle : シーン   Date : 2003/09/12(Fri) 00:11


「彼らはどこから来たのか?闇路からだ。彼らはどこへ行くのか?墓場だ。血が彼らの血管を脈うたせるのか? 否、夜の風だ」
――――――「何かが道をやってくる」レイ・ブラッドベリより


 はじかれたように、ディックとユンは左右に別れた。
 キリーを中心に、ディックはSMGを、ユンはナイフを構えて、それぞれ逆に円を描く。
「はははっ!」
 狂笑と共にディックがトリガーを絞った。
タタタタタッ―――
 しかし、発射された銃弾は無数の黒い羽に防がれる。
 キリーは銃を持ったディックの動きを追うように体の向きを変えた。
 スッ――と、銀の腕が中を薙ぐ。その動きに合わせるように、黒羽がディックを襲う。
 無数の羽でできたそれは、まるで黒く巨大な槍のようだ。
 ディックは、それをギリギリでかわした。
 続けて二度・三度と黒槍は襲いかかるが、そのことごとくをディックは、まるで攻撃を予測しているかのような動きでかわし続けた。
「予知能力か……いや、違うな。異常なまでの危機感知能力が攻撃を予測しているのか……」
 キリーが呟く。
 一方、ユンは間合いに踏みこめずにいた。動きながら隙をうかがうが、その動きにキリーが反応した。
「チッ……見ていなくとも、オレの動きは察知しているという事か」
 ユンが吐き捨てるように言う。
 決め手が見つからぬまま、ディックとユンが交差した。
 二人は、再び円を描く。
 と―――
「一見、鉄壁の防御に見えるが、オレを攻撃した時に、わずかだが背後が手薄になるようだな」
 襲いかかってきた黒槍をかわしながらディックが嗤った。
 そして、馬鹿にしたように両手を開いた。
 その手に銃は無い。丸腰だった。
「チェックメイトだ、銀の腕」
 キリーの背後でSMGの銃口を向け、ユンが静かに宣した。
交差したわずかな瞬間に、ディックはユンに銃を渡していたのだ。
タタタタタタタタタ―――!
 フルオートではき出された銃弾は、ほとんどを黒羽に弾かれたが、その幾つかがキリーの体を抉った。
 グラリとキリーの体が揺らいだ。
 体勢を崩しながら、しかし黒羽は、ユンを襲った。
 だが、そこにユンの姿はすでに無かった。
 一瞬の隙を見逃さず、神速のスピードでユンはキリーの懐に飛び込んでいたのだ。
「死ね、化け物」
 呟き、ユンはナイフを突き出した。
 黒羽がユンを追うが間に合わない。ナイフは銀色の軌跡を残し、キリーの胸へと突き刺さる。
 しかし―――
 ユンの眼前でキリーの体は、無数の黒い羽と化し、消えた。
ザザザザ―――
「クッ……」
 視界を覆われ、幾つかの羽に体を抉られ、ユンが呻く。
「おしかったな……」
 今度は、ユンの背後でキリーの声がした。
「くそっ!空間移動か」
 ディックが叫ぶ。
「チィッ―――」
 ユンが振り返りざまナイフを振るった。
 しかし、黒羽は、ナイフを持った左腕ごと消滅させた。
「グゥゥッ―――」
 苦しげな呻き声がユンの口から漏れた。
 左腕を押さえ、ユンが距離を取ろうとする。しかし、間に合わない。
 黒い羽は巨大な疾風と化し、ユンを覆い隠した。
 無数の羽に体を削られ、ユンは崩れ落ちようとしていた。
 彼が死を覚悟したその時。
 何者かが、ユンの体を突き飛ばした。
 倒れ、地に伏したユンは立ち上がる事ができない。しかし、自分を助けた者の正体を確かめようと頭だけを動かした。
 そして―――見た。
 不吉な漆黒の竜巻。その中心に、ディックがいた。
 無数の黒羽に体中を抉られ、しかし、倒れる事なくユンに背を向けて立っていた。
 黒い竜巻は血風を纏い。紅く染まっていく。
「ディィィィック!」
 立ち上がる事が出来ぬまま、ユンは彼の主の、そして血よりも強い絆で結ばれた義兄の名のを叫んだ。

 [ No.649 ]


Silent cruise

Handle : シーン   Date : 2003/11/13(Thu) 06:05


 視界いっぱいに光が広がる。
 無意識に、そしてはっきりと決まった動作で繰り結んだ印が、ゆっくりと、酷くゆっくりと指先から自分の存在を飲み込んでゆくのを、静かに那辺は知覚する。

 遠くで誰かが悲鳴をあげる。それも那辺は感じた。自分を震源とする波動に、誰かが触れたのだろう。
 偶然ではない。
 むしろ、じっと彼女を見つめていたはずだ。
 それは、半ば監視していた存在が想像もしなかった術の発動に引き込まれ、抑えきれずにあげた恐怖の悲鳴。
 那辺は光の海に沈みながら、不敵な笑みをその口元に浮かべた。
「ふざけるなよ若造、勝手にこっちの人殻に因を結んだ事への等価だ。しっかり、魂の欠片を明け渡すがイイ」
 もう一度、那辺は胸と額の間で印を結ぶ。
「Domine, exaudi orationem meam. あの世まで持って行ってやる。________貴様らが穿った、無知への埋め合わせだ」
 那辺の右手が大きく左右に開く。
「Et clamor meus ad te Veniat. ラドゥ、足りない。まだ足りないよ____________手土産がさ! 覚えておくといい」

 光の海に、ゲルニカと榊と・・・那辺の体が沈む。
 その光景を静かに見つめながら、ラドゥが吐き捨てるように言葉を投げた。
「愚かな・・・自ら消滅を選ぶか」
「Dominus Vobiscum.(主、汝等と共にいまさんことを)」
 青い燐光を纏った十字が粒子となり、那辺の体を分解してゆく。
 僅かに目を細めたまま、ラドゥはそれを見つめた。
「我が命、ここに捧げり。絶望の天使よ。我が全てをして、原形界の極大の器と成せり、我をして電脳界の姫君へと汝が力をもたらすものとせよ。聖父と聖主と聖霊の御名において、此処に祈祷する。Amen」
次第に広がる無色の光が那辺を包み、そしてものの数秒ともたたない間に、消滅する。

 完全に那辺の姿が掻き消える。
 だが、それと同時に何処かの闇の中で、千の瞳がいっぱいに開き・・・そして、断末魔をあげた。


---


 那辺は沈みながら、静かにゲルニカの肩に手をかける。
 肩に触れた手を見つめた後、彼女は榊の腕をしっかりと掴んだまま、静かにその瞳を那辺に向けた。
『貴女・・・全部知っていたのね』
 那辺は笑った。
『すまないね。だが、最初に劇を演じたのはアンタだ。アタシは演技っていうのはどちらかと言えば苦手なんだよ』
 ゲルニカは、静かにため息をついた。その表情には、もう荒々しい波もなく、どちらかといえば穏やかな暖かささえ感じるほどだった。
『________おかしな話だ』
 その声に2人は視線を向ける。
『那辺、貴女は自分自身すらも騙すために、命を投げ出したのですね。それしかないと・・・それしかないと自分自身を信じさせたんだ』
 榊が薄く目を開いて、二人を見上げた。
 アンタも似たようなモンだろうと、那辺が呟く。
 榊はその言葉を聴くと、静かに左手を顔の前で振った。『僕はそんなに意地悪くはありませんよ?』
 大量の出血で白くなった表情に、得意げな笑みが浮かぶ。

『何時から気付いたの? 私が扉を開けようとしていたその理由に』
 ゲルニカの言葉に、那辺は静かに微笑んだ。
『オンナってのは、一度知った香りは忘れないもんさ』
 集合無意識の海を通じて、那辺のココロが霊力を持ち、聖歌の如く原形界と電脳界にの久遠に伝わる。
 そう、この光の海は消滅ではない。謂わば、原始の海だ。
 アストラルと原形をつなぐ、その間に位置し構成する要素だった。那辺はその香りを知っていた。
『アンタ、このウロボロスのような繰り返しを始めから終わらせるつもりだったんだろう?
 関帝廟の扉の向こうにあるこの光の海は、始まりの海だ。原始の海。
 ラドゥがどうして手を出せないのかまで気付くには、実際時間が必要だったね。実際のところ、アタシも術を皆に結んだだけじゃ信じられなかった。最後の最後で、荒王のダンナに因が繋がって、それで漸く感じたんだ。
 あいつの闇は、確かに闇だ。最後の闇だよ。何もかも失くすんだ。消滅。完全なる消滅だ。
 確かに始まりがあるものには、必ず終わりが来る。アイツの好きそうな言葉だけどね。あいつなりに言えば、この世に生を受けたものが最後に持つ・・・そうだね、人類の意思とでも云い切るんだろうけれどね』
 ゲルニカが表情を変えず、静かに那辺の言葉を聴いていた。
 榊がその表情を、じっと傍から見つめる。
『この光の海は、これから・・・ココから転生する魂の一部になるはずだ。ゲルニカ、アンタは失くした愛を、また巡り始める時の流れに取り戻す為に、この海に還ることを選んだんだ。
 祥極堂での、アタシや極との話を聞いていたね?』
 目を閉じて、ゲルニカは頷いた。
『そうよ、その通り』
 彼女はそう呟くと、榊を見つめた。
『私もかなり最後の方までは、アラストールの降臨によって齎される事象の内容を正確に認識するまではかなり時間は掛かったのよ。
 物事の最初の段階には、始まりと終わりがあるわ。そう、言うなれば光と闇ね。術に詳しい貴女なら、言葉を変えて陰と陽、それを広げて曼荼羅でもいいわ。
 私が推し量るのに時間が掛かったのは、その始まりや終わりの前後にある我々の感じる尺度よ。
 理解が及ばない事もあるのだということは、理解しているつもりよ。そうであるからこその陰陽、終始、明暗なのでしょうから。人が人の生き死にをコントロールするなんて、ある意味茶番よね。私達が求めることに手をかければそれは始まりになるし、物事の誕生と共に終わりも生まれる訳だから』
 榊が静かに口を開く。
『そう、私が彼女・・・ゲルニカに伝えたかったのは、その流れです。
 物事の終わりと始まりのバランスは一つの流れです。
 しかし、今回はアラストールの降臨という形で、これまでの流れが大きく向きを変え始める事象が発現しようとしたわけです。
 那辺、貴女もその始まりの幾つかには関わって来た筈だ。
 はっきりと申し上げるなら________関帝廟での事件と、その後に起きた跳躍です。
 あの事件と跳躍で、まだ流れとしては遥か先に起こる筈だった幾つかの目覚めが同時に起きた。時の流れも僅かながらに変わりました。
 それは四天使の目覚めでもあり、我々のようなホワイトリンクスと呼ばれるナノマシンの霧に覚醒された人殻を持つ存在の目覚めもその一つです』
 那辺は静かにそれを認めた。
『そうさね、確かに元から一つの流れがあるんだから、無論それには意味があるわな。だけど、さっきの話以外にもアタシは見てきたんだよ』
 ゲルニカが視線を那辺に向ける。『それが___________』
 那辺がその言葉を継ぐ。
『そう、普通ならアタシ達が知りもしない筈の出来事が、過去にも実に多くの形で、謂わば流れに逆行するようなヒトの試みが行われたことがなんどもあるんだよ。
 ブリテンでの災厄もそうだし、北米での災厄もそう。LU$Tでの逆転現象もその一つだ。
 まぁ、アタシは【災厄】すらもその一つだと考えていたけれどね。それは、極も同じだった』
 ゆっくりと榊が上半身を起こす。
 いつの間にか、その体を覆っていた血の跡が薄れている。
『__________もう、大分深いところに潜ったようだ・・・ゲルニカ、そろそろですよ』
 榊の言葉にゲルニカが頷く。

 彼女は、視線を再度那辺に向けた。
『那辺、貴女が見つけた曼荼羅は以前に煌が祥極堂でいったように、珪素のインゴットに刻まれる超高密度な回路を収めたニューラルブースターを依り代に、巨大な都市型術陣となって機能したわ。
 その構造がより複雑になればなるほど、普段意識もしない様々な要素から影響が及ぶようになった。つまり超精密な分、人は捨ててきていた筈の超感覚をテクノロジーで取り戻したのよ。
 ただ・・・』
『____________ そう、ただこんな展開が起きているのは、人殻がまだ深層意識レベルでの影響ならともかく、表層意識というどちらかといえば、まだハード・ソフト双方の面でバランスの取れていない、私達の肉体の深いレベルまで浸透するニューラル・ブースターとの折り合いが付かないことが災いしたわけだ。
 そこにラドゥは目をつけた』
 榊をゆっくりと抱き起こしながら、ゲルニカは頷いた。
『そう、本来なら昔から都市に隠されて施された術式が、人の意識の流れに枷を設けて機能するはずだった。そもそも、このLU$Tの特異点は、そういった折り合いの付かなくなって人殻を逸脱した魂を掴む機能を持っていたのよ。でも、その構造を彼_____________ラドゥは逆向きにして機能させたの。
 思惑その通り、貴女達が以前に八卦炉と呼んでいたその機能は、逆向きになって魂を放出する負の気を帯びた術式に姿を変えたのよ。
 ___________そう、アラストールを彼の考える、最高のコンディションにするためにね』
『以前に議論に挙がりましたが、その術式の空位の殻に意志をもつ存在が入ると・・・霊殻になります。この霊殻が謂わばアラストールです。
 問題は、その意思を持つ存在ですね。用意周到な贄-にえ-のお陰で、十分なベクトルは揃いました。
 私達が最初に勘違いしていたのは、あの猟奇殺人や数々の事件は贄として負の術陣を起動させるものとしてみていた。だが、それは大きな間違えで、実際はその空位に収まる存在のベクトルを固定する為に穿った贄だった訳です』

 榊がゆっくりと立ち上がる。
『那辺、時間がありません。
 我々のこの存在は、この海の中では極大です。時期に極小まで分解され、放たれてしまう』
 那辺も静かに立ちあがり、髪をかきあげた。
『用意周到、嫌な言葉だ。
 アイツは、エヴァンジェリンに負のベクトルを全てぶつけているわけだ。
 この都市型術陣の外からの干渉を一切受け付けず、その中で殺戮を繰り返し、災厄とも呼べる魂の叫びを全て結界を通して彼女に与え、流し込んでいる。
 彼女の存在を持って、アラストールに指向性を持たせるのは、人の運命だとアイツは言った。
 人の運命を決定するのは、人でなくては、ならない。それが、私にかせられたルールなのだと』
 ゲルニカが榊の腕を支え、静かに呟く。
『那辺、彼は貴女がエヴァンジェリンの心の奥に巣食う闇に触れたのだといったけれど、私はそうは思っていない。むしろ、それは注ぎ込まれているものでしょう。
 彼女の存在が無かった場合、彼は私をその依り代にするつもりだったようだけれど、寸前で私は逃れることができた。
 私は____________』
 言葉の途中で彼女の声は囁く様な低さになり、やがて口をつぐむ。
 那辺は続く言葉を待ったが、榊だけは彼女のその意味を察していた。
『構いませんよ、ゲルニカ。
 職業柄、待つ事には慣れていますから。___________それに僕には、もう答えも見えている』
 驚くほどの静寂に包まれた光の海の底で、ゲルニカは榊を振り返った。
 言葉を発しようとする彼女を遮り、榊は那辺へと目を向けた。
『那辺、術陣の外に縁の強い私は、恐らく私を繋ぐ情報が再構成されて都市外で転生するでしょう。
 ゲルニカ・・・貴女は、この術陣の中にいるラドゥとの縁が深い。転生することは確実だが、その時と場所は、貴女が本当に望んでいるいないに関わらず、縁の深い場所へと回帰するはずだ。言い換えれば、因果の結ばれた場所へと還ることになる』彼は言葉を紡ぐと、静かにゲルニカに微笑んだ。『選ぶのは貴女だ』

『那辺、先程ラドゥが言ったように、どうあがこうと人は自らの原罪によって滅びえる可能性を持ちます。
 彼が嗤ったのは、私達のけなげなひたむきさではなく、むしろ彼自身のことを無駄と知りつつ嗤ったのでしょう。彼には今、還る場所は無いのですから。
 _____________さて、一先ずお別れの時が来たようです。
 いえ、大丈夫。還る場所はありますよ。必ず______________』

 榊が、将来那辺が忘れることの無いほどの独特の笑みを浮かべて微笑んだ。
 彼の手が自然な仕草で、ゲルニカの手をエスコートするように腕抱く。
『那辺、思惑通り、貴女の今の意志を構成する情報はこの原始の海にばら撒かれます。
 一度この海を経た私達は、この海を構成する情報の何かを携えて転生することになるのです。無論、貴女の考える因果の欠片も持ってね』
 ゲルニカが静かに微笑んで返し、小さな溜息とともにその腕を取った。
『那辺、貴女、もう一度還る事になるわ。あの瞬間に』
 澄んだ二対の双眸が、那辺を見つめた。
『貴女が選ぶのは、何? 貴女の持つ永遠の生に連なる定め?
 愛は定め? それとも、その定めは死を呼ぶのかしら?
 私は______________貴女と同じように、人が選択を超えてゆくのなら、また創められると思っているわ。
 だって、貴女はそれを皆に教えてくれたんだから。
 繰り返しがあるのなら、変えることなんて貴女には、角度を変えれば楽なはずよ。正直に________ね』


『貴女の持つ定めを変えない限り、きっと人はまた繰り返すわ。
 続けられるだけの平和をその片手に持ちながら』


---


 唐突に視界が広がる。
 そこは石積みの、酷く冷えた空間だった。

「誰だ」声が聞こえる。「隠れてないで出てこいよ。そういうヤツは嫌われるんだぜ?」

 思わず慌てて促されるように歩みだした自分の視界に、広がる闇のように黒く染め染まった長い髪が被さった。
 思わず両手の平でその髪をすくい、見つめる。
 血色のない肌が青白く、精気が欠けていた。

「どうしたんだ?」
 那辺の返事を待たずに、静かに声が響く。
 あたりを見回すと、そこは大理石で刻まれた柱に満たされていた。
「よう」視界いっぱいに映る顔が、静かに笑みを浮かべ、僅かに彼女に顔を傾けた。「随分迷ったみたいだな」

 あぁ、これがその時なのかと、那辺は目を僅かに閉じた。
 どうやら、その時が来たようだ。大理石の床に横たわるその姿を見つめながら、那辺はただじっと立ち、漫然とそんな事を考えていた。

「_____________那辺・・・来たのか」

 那辺は、双眸を開けて横たわるその姿を見つめながら、自身の意識を過去へと向けた。
 この空気を知っている。
 酷く、痛ましく自分の中に刻まれた香りだ。

 那辺は、ゆっくりと歩み寄ってゆく。
 ただ一直線に、自分を見つめるその瞳に向かって歩み寄っていった。
 足から伝わる大理石の冷たさと、冷やされた空気が彼女を刺激した。それは、自分自身が本当は避けて通りたい香りに満たされていた。
 だが、当の那辺は先程までの険しい表情が嘘の様に崩れ、“過ぎた死”をもう一度認めたくはないと駄々を踏む子供の様な嘆きの双眸で見つめ返すことになった。

「・・・嫌だ、ジョニー」
「宴の時が来たんだな、那辺。
 ___________逢いたかった」

 自身の表情は鬼のような形相に覆われているのだろうが、那辺自身は心中で嘆いた。
 人として生きていた時間から、まるで避ける事の出来ない運命の流れに晒され、アヤカシとしての暗闇に沿う道を歩む事になった自分。そして人へと回帰する叶わぬ望みを抱いて、半ば永遠に近い時を生きる事になったその体が、今は悲鳴をあげていた。
 クラレンスの瞳に自分が映りこむところまで歩み寄ると、那辺は静かに膝を折り、へたり込んだ。辺りはいつの間にか言い様のない靄に包まれている。
 無意識に怯えの表情が口元に現れそうになる瞬間、ゆっくりと静かな声が響いた。

「___________那辺」

 静かに微笑を浮かべるクラレンスが、腰を下ろして怯えていた那辺へと左手を差し出してきた。
 近づいた今、はっきりとした笑みをその双眸に浮かべ、微笑んでいた。

「那辺・・・逢いたかったんだ、もう一度」

 静かに彼の手を取る。
 上半身をゆっくりと引き起こし、その身体を押し付けるように那辺はクラレンスを抱きすくめた。
 クラレンスは微笑んだ。

「うん、そうだね・・・・・・」
 
 那辺は双眸を閉じた。
 『父よ、できることならこの悲しみの杯を、私から遠ざけて下さい。
  けれど、私の願い通りではなく御心のままに。
  父よ、私が呑まない限りこの杯が取り去られないのでしたら、どうぞ御心のままに』
 首元に暖かな吐息が掛かる。現実や幻ともつかない、言葉にならない暖かな痛みが彼女の心を揺らす。
 それは、既に失われて久しい過去の思い出との邂逅を知らせている。
 そして、暖かなその吐息が、ただ只管に見つめていたかった彼の存在を浮き立たせていた。
 『父よ、我等が奏でる生への賛歌は終末への営みと繋がり、かわる定めのでしょうか。
  人が望み、その精神と肉体で求める愛憎への思いが紡ぐのは、終わる事の無い罪への昇華。
  原罪への宴なのでしょうか。
  人が生まれ、そしてその生命を終えるまで・・・その短い時間の流れの螺旋には、罪から生まれ、原罪へと還る道しか残されていないのでしょうか』

「大切なことは、失うまで人はその目に映さないそうだよ」
「うん、そうだね・・・・・・」

 暖かな意識の中、那辺は目を閉じる。
 ___________ラドゥ、御前は一体何を想うのか。
 人が生きてゆく中で避ける事の出来ない想念の起伏を贄として、術式を昇華させ、アラストールを降ろすと御前は言う。
 神に限りなく近い不完全な人間という固体を依り代とする事で、限りなく神が降りるべき霊殻を調えると御前は言う。
 ラドゥ。そうまでして御前が降ろすという神が導くその未来は、何処へと繋がるというのか。

「愛しているよ、沙月」
「うん、わかってる・・・・・・」

 人として生きることの望みなど叶わないと、いつからか自分は諦めていた。
 だが、それは誰にでも言える。
 人とは一体なんだ? 人という眷属と自分との異なりは一体何処にあるのか。

「答えは見つかったんだな?
 俺は最後まで・・・お前に教えて貰うまで、その答えを見つけることが出来なかった。
 大切なものは、失うまでわからない」
「うん、わかってる・・・・・・」

 クラレンスが静かに微笑む。
 那辺はその身体を半ば抱えるように両手で抱き、喜怒哀楽の表現がどれも伴わない声を出した。

「沙月、俺はお前のその声を聞くのが好きだ」
「それ、本当か?」

 双眸を緩ませ、那辺が静かに笑う。
 無言のままに静かに大きく頭を垂れ、無意識に左手で静かに口元を拭う。

「失いたくないものは、誰にでもある。
 全てを手にし、全てを知るものが、それに勝るわけじゃないんだ」
「それ、本当か?」

 呟き返して、那辺は自分を見つめる双眸を、見つめた。
 目の前に、変わらぬ、忘れることもない瞳が自分を映していた。

「__________宴が・・・終わるな、沙月」
「もう、二度とそばを離れないでくれ」

 その時になって初めて、クラレンスの微笑む頬に涙が流れた。

「俺たちはどこへ還ってゆくのだろう。全ての始まりの前か? それとも見てきた途中か?
 それとも、全てが終わった、その後なのか?
 沙月、俺は何処へ戻ればいい?」
「還ればいいじゃないか・・・アタシ達が戻りたかった場所に。
 ゼロから創めるんじゃない、過去へと戻るのでもない、新しく創めればいいじゃないか。
 だから、もう二度とそばを離れないでくれ」


 視界を覆っていた霧が、二人を包むように覆いかぶさり、今は何も見えない。
 無くなった視界を捨て、那辺はクラレンスを抱く腕に力を込め、問いかける。
「私達が伝えた情報の遺伝子は、何処へ還るんだろう。
 変わり行く世界の先が、戦争なのか平和なのか、それすらもわからない」
 掴む腕の感触すら怪しくなる意識の中、那辺は自分の体が抱きしめ返されるのを感じた。
「その答えは夜明けが訪れるまで誰も知らない。
 だが、失ったものに涙を流すのは、一度きりで十分だ」

 那辺は薄れる意識の中、十字を切ってクラレンスの傍らの銃を手に取った。
 左手は互いに抱きしめあうままに、任せた。
「あぁ、一度きりで十分だ。
 _____________クソったれ。今度アイツにあったら、ジョニー、アンタとそいつを教えてやる」


 2人の意識が暖かな空間へとフラッシュアウトする。
 どの事象へ蘇り、還るのか。今の2人には、まだそれはわからい。
 
 だがそれは、連なる者達が考えた程、遠いことではなかった。

 [ No.650 ]


Arbitration Trigger──Oracle

Handle : “那辺”   Date : 2003/11/14(Fri) 00:42
Style : Ayakashi◎,Fate●,Mayakashi   Aj/Jender : 25?/female
Post : Freelanz


 飛んだ、相棒と共に向かい入れる一瞬の未来のために。
 粉々に、物質の最小単位たる量子に彼女たちは還元された。
 その、ほんの刹那。ほんの那由他。アタシ達は行動する。
 一寸だけ巻き戻し。
 
 波が押し寄せる。ただ静かに、ただ静かに。
 
 恐慌状態に駆られた人の精神が生み出す負の感情が、飛んだ彼女に、量子となった彼女に押し寄せた。

 高慢、怠惰、羨望、好色、大食、貧欲。そしてAlastorが司る怨念。
 七つの大罪。
 渦巻く激流となりて。
 だが、蒼い髪の女性は――女性の広がった刹那の意識は手を広げて、包容した。
 そして、心になり響く銀鈴の如くいった。
 
「違うだろ、アンタ達が戻りたいのはそこじゃない。もっと小さな、言ってしまえば日常の小さな、欠片。それが大切なんだ」
 子供の笑い顔、朝一寸したすれ違いにあう隣人、大切な人の微笑み。職場での一寸した冗談。酒場での飲みあい。そういった日常の全てが。
 全てが――遠くでYUKIとYAYOIが謡っていた。そしてYUKIが馬鹿ね、と笑った気がした。
 悪かったな、と声を掛ける暇もなく、ネットコンサートからのハーモニクス。
 量子となったアタシが、飛び交う。

 エヴァンジェリンが、負の奔流となり荒れ狂う、いや荒れ狂っていた。
 久遠の招きを受けて、那辺の声を受けて、識るその間に。
 力強い背後から肩に置かれた手を受けて、囁きかけた。
「エヴァ、エヴァ。久しいね。何百年ぶりになるだろうか」
 エヴァンジェリンは、はっきりと那辺だったその気配をみた。
「……那辺、か?あの刑場で一瞬見たのは、今のお前だったのか」
 冷静に銀の魔女は次ぐ。しっかりとは彼女頷いた。
「ああ、そうだ。そうしてアタシは伝えに来た。あなたが、怨念をもつ必要性の無さを。あの時、アンタの母が伝えたかった事を。全てを」
 踏み込まれたくない領域なのだろう、一瞬、魔女の瞳に怒りが灯った。
「時代だ、なんて言葉は言わない。悲劇だとも嘆かない。同情もしない」
 いつも通り言い切る。時間がないのに。
「では、何をしに来たのだ、愚か者」
 サーベルで切られそうな気配を魔女が纏うのを、今や量子そのものの彼女が笑った。
「アンタの大切な人は、いつだってアンタの幸せを願っている。今までも、そしてこれからもそうだ。長い人生、全くいなかったというわけではないだろう、視ろ」
 クラレンスに支えられた彼女が指を指したように見えた、魔女の背後を、まわりを。
 累々たる男の死体、何れもサーベルでの致命傷……だけではなかった。
 それは今まで、エヴァンジェリンと行動を共にしてきた者達だった。
「彼らはアンタを慕っていた。それは一概に力からではない、オンナの魅力ってそういうもんじゃないだろうに。そして……その度合いが過ぎた時、黒衣の男にとっては、邪魔であった。そして今アンタの横に男一人の男がいる」
 魔女が振り向く、その先に銀狼がいた。
「そいつぁ、アンタに惚れてる。助けられたからじゃない、アンタという人間の魅力に惹かれているのさ、一途に何も言わずアンタに……さて、時間がない。本題に入ろう、エヴァ。アンタの目の前に二つの選択がある」
 “ソレ”は両手を広げた。目を見張る魔女の前で。
「これから創り得るとアタシはいった。それは、その男がアンタのそばにいるという確固たる事実からだ。欺瞞でも嘘でも真実なんでもない。ただの事実だ。共に歩む事は出来る、過去は決して清算できぬかもしれん。が……これからは、これからという日常は誰にしも創れるものだよ、エヴァ」
 背後に、ただバイクと共に彼女を待つ男を、魔女に認識させる。
「救われないだなんて、誰がいった。そんな奴はアタシが纏めてぶっ飛ばしてやるよ。よく考えな、エヴァ。古き新しき友よ」

 そして、アタシは街を広がりLU$Tを超え、N◎VAまでを包む。

 路地で苦悩していた男が、天を見上げた。
 壁を叩いていた男が、略奪をしていたレッガーが、殺し合いをしていた青面騎手幇でさえも、ほんの刹那。ほんの那由他。
 空に起立する光の塔が、ほのかに淡い燐光を――ソレという量子を降らせ。
 過ぎ去る郷愁に、呆然と空を見上げていた。
 
 その執務室の主は、ほんの少しだけ身を乗り出した。
 計算外が愉快なのはいつものことだ、しかし、これは何だと。
「ゴードン、ゴードン・マクマソンか。三度しかあっちゃいないが、アタシはアンタを止めない。アンタは信念あってそうやっているのだから。せめて、アンタの征く道に祝福あれ」
 その皮肉が似合う女性の姿がすぐ思い当たり、彼は笑ったようだった。
 
 キリーの中を過ぎ去った、無茶はそのくらいにしとけと。
 草薙の中を飛び去った、笑うなと毒づいて。
 八神とサンドラには、大丈夫、と飛び去りながら告げてみた。
 荒王と対峙している壬生に、思い切り毒づいてみせる。
 リセットボタンを押したって、ゲームコンテニューにゃならないぞ。
 莫迦が、と。
 強大なる存在となった、荒王と久遠に合図を送る。
 さて、お二方、最後の一仕事だと。
 ついでに黒人に親指を立てる気分になってみた。
 
 それはハーモニクス、それは昇華、それは輪廻の環であり、それは荘厳な教会のミサであり、それはメッカに捧げる祈りであり、それは始源に産まれた感情の一つ。

 愛するということ。

 人々は涙した、何故か解らない郷愁に。誰にしもある大切な日常を思い出して。

 生は死に、死は生に。
 ソレは新しき命をはぐくむ輪廻の環。自然の慈悲ある循環。
 
 量子というのは、どこにでもあるそれそのものの動きである、ソレが。
 人の意志により、正に転化された恣意的な圧倒的量子の質量が、二つの街の生命の意志を飲み込み、まさに巨大なエテメナンキが構成さる。
 
 あぁ私の師匠の間宮のおっちゃん。こいつとなら、何処までもいけるよ。
 
「終わらせよう、この因と果の事物を。そして始めよう、アタシ達の明日を」
 
 神託──Oracleによる刻限は来たれり。彼女ははっきりと相棒を見た。
 共に微笑む。
 しかして第三の瞳を開眼し、Truthを、私たちの征き先を視る。
 しっかりとクラレンスの手を重ねて、その感触を確かめて、那辺は全ての因果を巻き込んで、タズルの引き金を引いた。

 明日という標的に向けて。
 
 This is not the end. It is not even the beginning of the end. But it is, perhaps, the end of the beginning.
(これは終わりではない。これは終わりの始まりですらない。しかし、あるいは、始まりの終わりかも知れない)

――Sir Winston (Leonard Spencer) Churchill (1874-1965)

http://silent-hill.net/ [ No.651 ]


Blurry

Handle : シーン   Date : 2003/11/16(Sun) 08:11


 執務室をでて地上階ホールに降りる。
 四方が鏡張りになるエレベーターの中、終始彼女はペン先でコツコツと眉間の辺りを叩いていた。
 扉が開く。
 開いた扉の隙間から溢れてくる様に淡い光がボックス内を満たしてゆく。
 彼女は別段それに臆さず、扉の外へと歩み出た。むしろ、その光など目にもしていなかった。意識は遥か遠くを見入る。
 ロビーを満たす閃光が、静かに彼女を出迎えた。
 数歩歩いた後、その足が不意に止まった。
「確かに軍は動かない筈ね。
 だって、この‘監獄’から私達の一切を漏らさぬ結界を敷こうとしているのだもの・・・それじゃ当然よね」
 不意に皇は左手に持っていたペンを握り締めると、振り返って重厚な壁を飾る千早のレリーフにそれを投げつけた。警備員はその蛮行にも気づかぬ程、溢れる光に混乱を来たしていた。騒乱は確実に、そしてゆっくりと確かに中央区にも波及している。静かにその事実だけを皇は見つめた。
「ふざけないでよ。 そんな・・・そんな事、絶対に認めないわ。
 ________この街を玩具だと勘違いしている馬鹿に、教えてやる」
 皇はロビーを出て視界いっぱいに聳え立つ、象牙の塔を見上げて呟いた。
「須く、教えてやるんだ」



---



 想像を絶する速度で、高次グリッド上にヴォイド効果が広がる。
 終わることなく、積層構造体を指し示す複数の高次グリッドがその消失点を中央に、幾つもの軸索の歪みを連鎖する。

 御厨の目前で、積層された各ノードを指し示す緑のブロックパターンが、次々とオレンジへとその色を変えていった。それは止まることのない、まるで子供の頃にみた意地の悪いシナリオが存在する陣取りゲームのように、次々と彼女の視界をオレンジ色に染めていく。
 彼女は起動された監視プログラムの構造体を軸に、次々と防壁を幾重にも重ねて投入する。
 だが明らかにその速度よりも、オレンジの広がりがそれを上回っていた。
「ダレカン!」御厨の悲痛な叫びが司令室に響き渡った。
 天才だった。
「わかっている!!」
 御厨の叫び声にダレカンの叫ぶ声が重なる。
 天才だった。ダレカンも御厨も、確実に天才の領域に足を踏み入れている能力者だった。だかまだそれでも、その求められる速度には及んではいなかった。

 二人は相互に尋常では考えられない超高速度でクーロンを繰り返しランさせる。
 二人が考えていたのは、メレディーを・・・いや、今は煌と呼ぶべきか・・を軸とした消失点を構成するグリッド上の構造物を中心にした積層封鎖を完全なものにすることだった。
 だが、明らかに事態は異常を指し示している。周廻軌道上のヴァラスキャルブとユグドラシルとの超弩級複合テラバイト・チャネルを指し示す高次グリッドのイメージが揺らぐ中、三つのアイコンが絡み合うように交差し方と思うと、不意に一つの存在もしていなかったシグナルが思いもよらぬところに発現したためだった。

 最初に気づいたのは、御厨でもなく、軌道宙域のレイストームに座した黒人とハーデルとグレンでもなかった。
 気づいたのは、ダレカンだった。
 視界いっぱいに開いた構造体が乱立する森の片隅に、コールサインが瞬く。
 ダレカンは不意に意識をもってゆかれた。それは何処かで_________どうしようもなく既知感のあるシチュエーションだったからだ。
「誰だ?!」
 IFFは何も応えない。
 やおら、本能的にその座標へ向けてきっちり70%の処理を割り振ると、ダレカンは防壁を仕掛ける。
 相手が誰なのかは、知っていた。いや、正確に言えば本能がそうだと告げていた。
 だが、状況が状況だったので、言葉は必要ないと彼は考えていた。
 十分だ。自分が想像している相手ならば、それで十分な筈だった。
 想像していた通り、ダレカンの座標への接触が悉くフェイルオーバーされてゆく。
 オレンジの光点は幾つもの記憶を呼び起こす座標から、一直線に彼の持つプライベートな座標へと躊躇うことなくアプローチを繰り返していた。むしろ、それは既知のゲートが開く座標へと、瞬時に移動したといっても過言ではなかった。
 光点は、ゲートは全て‘自分の為に開かれているのだ’と、そう云わんばかりに疾走していた。
 ダレカンは溜息を漏らした。
「貴殿に通達する。このゲートは_____________」
「外からは閉ざされているが、中からは開けられる。つまり、勝手にあけるなって事よね? まだまだ無用心なのね、この回線は。・・・ダレカン」
 肉体が身に着けたインカムから、WaWを通じて目前の構造体に依りそうアイコンから、声が聞こえた。
 アイコンは見も知らぬものだった。だが、そのアイコンから伝わる懐かしさは、波動となって彼に僅かな身震いを齎した。
「唐突だな。再会は嬉しいが、遅すぎるぞ___________メレディ」
 きっかりとその言葉を彼が口にした瞬間、御厨が振りかえる。
「サテライト越し以来だな。何処に行っていた? それに_______面影もない位、姿形すらアイコンすら変えやがって」
 アイコンが、ダレカンの端末の構造体に、【同化】する。

 司令部のモニター郡の一角に、女性が映った。
 幼児と呼べるほどの幼い顔が、白い貫頭衣の奥から出ている。
 2秒して、肩越しに翼があるのを認めた。どちらかといえばふっくらとした身体とは相反する、鋭く冷たい金属光沢のある独特な銀の羽が静かに震えた。
「計器が告げる値として私の言葉を聞いてね、ダレカン。
 今からきっかり400秒後にトリガーを引いて。立つ鳥、跡を濁さないようにしなきゃならないのよ。頼まれてくれる?」
 御厨がダレカンに詰め寄る。
「先輩?!」
「久しぶりね。色々話がしたいのだけれど、でも時間がないの。全てが終わったらね____________黒人は?」
「どちらかと言えば、お前の近くにいるよ。むしろ。
 周回軌道上でお前を見ているよ。いるんだろ? ・・・・そこに」
 メレディの姿ではない少女が、メレディーの声で応える。
「そう、私の半身がね。__________あぁ、時間が無いわ。ダレカン、黒人に繋いで。
 貴方達の敵は、貴方達が思っているよりも遥かに素早いのよ」
 ダレカンが御厨を振り返ると、数秒、彼女は指を口元に寄せながら俯く。
「メレディ、レイストームのアップリンクをそちらにまわす。後は好きにしろ・・・もともと、お前を追って始めた事なんだ」
 御厨が俯いていた顔を起こして、構造体に向き直った。
「先輩、帰ってきてくれるんですか?」
 その場にいた誰もが言葉にしていなかった疑問を、誰よりもそれを望んでいた御厨が言葉にする。
「先輩!!」

 10秒の時間をおいて、メレディが答える。
「____________そうね、あなたの主観時間が壊されずに残っていられたなら・・・私、そこに帰ることにするわ」



---



「黒人」
 唐突に墓場からのアップリンクから声が響く。
「騙すのなら、最後まで夢を見させろ」黒人がモニターを通してメレディに答える。「今俺達が流そうとしている血に染まる大地は、醒めれば消えてなくなるのだと、俺に誓え」
「メレディー!」ハーデルとグレンが同時に声をあげる。
「黒人、時間がないの」
「わかっている」
 黒人がハーデルとグレンのバイザーの視界に広がるグリッドでアイコンを閃かせた。「ダレカンが怒っていたぞ。御厨もらしくない慌て振りだが、阿倍が宜しくやってくれた。帰ったら礼をいった方がイイ」
「__________そうね、出来ればそうしたいわ。
 でも、彼等が気づくまで多分あと300秒もないと思うの。ねぇ・・・プルを引いて。黒人」
 ハーデルが、反射的にびくりと手に掴んだトリガープルから指を離す。
「なんだ、久しぶりにあったかと思えば、それって、オイ、一体なんだ?!」グレンがバイザーを叩いて叫ぶ。
「グレン?!」
 ハーデルがグレンを制しながら、バイザーをあげた。
「なぁ、メレディ」
「黒人、ハーデルとグレンもそこにいるの?! どうして?」
 黒人のアイコンが静かに笑うように、揺らめく。
「保険だ」グレンとハーデルが顔を見合わせる。「オマエを連れ戻すために努力すると、俺は約束した。グレンとハーデルが実態としてこの座標にいるなら、オマエは必ず【帰り道】を用意する・・・どうだ、図星じゃないか?悪いが俺にもそれなりの手段がある。LIMNETのキーを持つデコイを二つ用意させてもらった。2人の身代わりに。
 そうだ、地上の墓場だよ。その位置なら、‘不自然さを感じることなく’お前は座標をそこと認めるはずだ。
 悪足掻きはしないで、しっかり帰り道を用意してくれ。
 そうだ、オマエさんの座席切符付きで、特急を用意してくれ」

 カーボンナノチューブの軌道用有線ケーブルの先に繋がるポッドを、その座標を暫く黒人は見つめていた。
 だがやがて、そう間を置かずにメレディの声が返ってきた。
「してやられたわ、黒人。敵を騙すのなら_________」
「身内からだな」
 黒人が答える。
「なぁ、メレディ。オマエが何らかの目的で蒸発したのはわかっている。その理由は‘帰ってくる’事を俺たちは前提としているからとやかく問わない。だが、疑問なのはラドゥ達四天使の行動の目的だ。
 社屋のフレーム達が俺にこう囁くんだ」
 黒人のアイコンが変容しながら、掻き消える。その瞬間、ハーデルの口元から黒人の声が洩れ出た。
「奴等は・・・いや、あのラドゥという男は俺達の‘時間’を奪うつもりなのか? 主観時間を奪うつもりなのだと、そうフレームはそう告げている。波動関数を発散させようとしていると、そう云っている」
 ハーデルが右手の指を立ててバイザーにあてる。
「どうやっても、聞きだすつもりなのね・・・黒人」
「“パルス”でオマエを洗うのは容易いが、それで穢れが落ち訳でもなければ、疑問や問題が解決するわけでもない。議会の爺様達は面子があるから振り上げたこぶしを下ろす先を欲しがっている。だが、俺等にはその解答では足りない。
 当たり前だろう。お前と一緒に歩んできた立場から考えれば、割に合った要求だ」

「答えてくれ。このフレーム達の演算結果を、俺は信じてもいいのか?
 俺達が生きるこの事象は、奴に発散させられようとしているのか?
 答えてくれ、メレディ。
 俺達の波動関数は、本当に、奴に発散させられようとしているのか?」



---



「ここで待っていてくれ____________か」
 彼女が去った後もタービンを止めず、静かに見ていた。辺りには高機動のタービン特有の耳につく振動が満たしていた。
 あの勢いだから、何かしらの答えを彼女が得るまでそう時間は掛からないだろう、そう感じていた。
 だから、別段その声がそばで直ぐに聞こえた時も、特に驚きはしなかった。

「彼女らしからぬ言葉だと、そうは思わんかね? シンジ」
「いや、むしろ遅かったくらいだと俺は思っているよ、ラドゥ」
 振り返りもせず、じっとビルを見上げながら問いかけに答える。人は誰だって失いたくないものがある。失いたくないものへの感情が溢れることに、何の疑問を感じるというのか。
「薄れ、消え行こうとする幻影に追いすがるのは不釣合いで、余計なものだ」
 傍らで、呼吸を感じそうなほどの距離で、ラドゥの声が抑揚を高めた。
「いや、むしろ人にはそれが必要なことなんだと思っているよ、ラドゥ。
 人の意思は儚い。追い求めるものに自らの意思の収束を見つめるからだ。譬えれば、それは以前に俺がアンタに怒りを持って日々を過ごしていたように、明確な意思の焦点が必要なのさ。だからアンタにとってそれは儚い幻のようなものだったとしても、彼女のひと時から見れば強く輝く現実足りえることだってある筈だ。
 ____________そうだろう?」
 その言葉にラドゥが嘲笑を漏らす。
「四方やオマエからその言葉を受けるとはな。私もどうかしている」

 シンジは笑った。
「ラドゥ。俺はアンタに一度礼を言いたいと思っていた。
 一つは、悲劇の幕開けだったが、明確な収束を俺に齎してくれたこと。
 二つは、このLU$Tという事象にしっかりとアンタが幕間ではなく舞台に出てきてくれたことだ。お陰で、多くの存在が収束を得、そして目覚めたよ。
 最後は、いずれの形にせよ、彼女と俺を引き合わせてくれたことだ」
 数秒、ラドゥが沈黙する。
 やがて静かな答えが返ってきた。シンジは同時にあたりの空間が急速に光を失い、大気に怒りが満ちてくるのを肌で感じ始めていた。
 だが、その瞬間にも、まだ絶望を感じはしなかった。

「ラドゥ、アンタは力や能力だけじゃない、実に時間を操るのが巧みだ。いや、それだけでもない、人の心理にも長けている。時間の流れは意識の流れだ。意識の流れを理解すれば、時間の流れもコントロールできる。この答えをかなり前から人は探し出していた。だが、言うはやすしというやつで、それを実行するのは不可能だった。そうだ、科学と哲学が両隣に位置する、難解な答えだったからだ。
 だが、アンタはそれを地でやってのける。アンタの闇は時の流れを奪うものだ。言い換えれば意思の流れを奪う。
 不思議だった。何故、アンタに滅ぼされたものは、その存在すらもなくしてしまうのか。
 確かにアンタの怒りを受けた存在は掻き消える筈だ。極当たり前だ。数十年、いや数百年間も前から見つけられていた公式そのままに、それを具現化していたんだからナ。
 人は自らの強固な意志を一度手放してしまうと、脆く、儚い。
 意思の喪失による自己の崩壊には、決して逆転がないからだ。離れ始めた意思を取り戻そうとしても、それはアンタが許さない。それは、人が持つ意思をかたどった時間の流れに、関係が無かったはずのアンタの強烈な意識操作が干渉して捕らえて放さないからだ。
 人は一度闇に落ちれば、戻りたくても戻れない。宗教からして明暗を分けている人の意識の深層を、アンタがしっかりと捉えて放さないからだ。それが道理だと信じてしまっている。
 ________________よく出来た仕組みだ」

 シンジはイグニッションをOFFにした。停止の瞬間、甲高い水素タービンの音が高らかに辺りに響く。
 きっとこの音はビルの中まで届いたはずだ。これで十分だと、シンジは思った。
 エヴァ_____________そう、もしかしたら自らの行動に気が付くかも知れない。

「アンタ、那辺と煌がホワイトリンクスのチャネルを利用し始めた時、少々焦ったはずだ。
 人が失った能力を、テクノロジーで取り戻す日は近い。今回は幸か不幸か、ナノマシンを利用して肉体への影響を及ぼす干渉が、本来の目的を超えて機能するというアンタの想像もしなかった事態を発生させた」
 ラドゥがギチリと音を立てる。だがシンジはそれでも止めなかった。
「まず、那辺は物事は法則のようなもので全て定まっているものではなく、因果律のようにその定まりに収まりきらないものもあると感じ始めていた。だから、原因は結果に先んずるという極当たり前の意識から、選んだ」
「何を選んだといいたいのだ?」
「___________ 愛だ。彼女は、生への渇望ではなく、愛を選んだ。この時点で、彼女はアンタが用意していた収束から逃れたんだ。むしろ、発散したのだといってもいい。定めは死だという、アンタの用意した収束から、発散して逃れたんだ。LU$Tの特異点が、彼女と彼の魂を・・・いや、意識を引き止め、再構成する際に原始の海に一緒に戻したからだ。‘もう一度’やり直したかった事象を、彼も彼女も無意識に選んだのさ。
 いや、それだけじゃない。彼女は幸運にも‘能力と意思’に恵まれた友人が沢山いた。
 そう、アンタが懸念した物事の一つだよ。言い換えればアンタの干渉しない収束足りえる‘記録と記憶’を併せ持った存在を、その連なりに多く持つことで自己を完成させたんだ。保持しきったんだよ、アンタの干渉から、自分自身を」
 辺りから、完全に光が失われようとしていた。
 だがシンジは止めなかった。
「今回の騒動に連なる者達がそれぞれに持つ、記憶と意思をうまく利用したのさ。
 記憶や記録は、それに連なる者達の意思の延長だ。しかも、那辺は無意識に自らの施術と能力を術に、時間が連続体じゃないということを本能的に悟っていた。意思による時間の認識で、自らが選ぶ事象へと収束するか跳躍するかという答えを理解して得るにはそう時間は掛からなかった。これは荒王も同じだ。彼は術を通した強烈な自己認識から、アンタの干渉を可能な限り避けれえていたんだからな。その点を鑑みた。だから、編纂室の干渉を受けるべく導いたな?力と力で相殺することが出来る切欠を、彼等に与えたな? どちらが無くなっても、お前には意味はないからナ。
 煌の存在も、アンタにとっては大きな誤算だったはずだ。クレアが潜在的に持つ、生への渇望というストレスを誤算したな?
 煌はメレディーとクレアの2人と融合する際、時間は連続体じゃないということを‘時間間隔の希薄なウェブの世界に生きる住人’として無意識に理解していた。皮肉だな。アンタの時間という意思の束縛の影響から、最も逃れやすい因子はすぐそばにあったわけだ。・・・いや、これすらもアンタの事だから計算済みか。だから、四天使としてエヴァも草薙もクレアも、その自らの傍に置いたな?」
「・・・・・・」
「皇と煌が用意した回線はホワイトリンクスを拡散させて、類のないコミュニケーション手段として機能するにいたった。
 荒王と那辺が用意した術陣は、アンタの想像にしなかった人物達の持つ記憶と意思を繋ぐに値した。
 榊と来方、それに八神はアンタの収束を手助けさせる筈だった、ゲルニカとフーディニを押しとどめた。これは予想外の展開だったはずだ。
 黒人とキリーは煌を目覚めさせたばかりでなく、アンタの束縛を一切受けない新しい生命体を生み出すに至った切欠を作ったよ。それだけじゃない、この2人はもし‘物理的に’抑止力を働かせなければならないときに至れば、即座に実行できる手段を今、手にしている」

 辺りが完全な闇に包まれる。
 シンジには、もう既に自らの体と跨るヴィークル、そして傍らに立つラドゥの姿しか視界に映っていない。
 だが、まだこれで終わりではない。そう呟いた。
「シンジ、私はお前が嫌いだ」
 ラドゥがシンジの前に立ち、静かに見つめる。
「ラドゥ、俺もオマエは好みじゃない」
 ラドゥが不適に笑う。
「____________シンジ。
 人がホワイトリンクスの持つもう一つの可能性に気付くまでに、後どのくらいの時間が残されていると考えているのだ」
「それは、俺等が判断することじゃないだろう。人はアンタ達が今のように干渉を始める前から、ずっと大昔から自らの時間を営んでいた筈だ。・・・選ぶのは彼等だろう」
「馬鹿な!」
 両手を天に向かって翳し、ラドゥが慟哭する
「ホワイトリンクスが人の脳体に隠された意思を、時間を認識して捉える領域に踏み込むまで、後どの位の猶予があるというのだ。何もホワイトリンクスである必要はないのだ。術やテクノロジーで人がそれと気付くまで、時間は掛からないだろう。
 ならば、アラストールという人類の無意識の総体に還る事で、また‘創められる’。
 その切欠を、意思を持って人が手にするには、まだ早すぎると何故わからんのだ!!」
「ふざけるナ、創めるなどと希望のような言い方をしないでくれ。それに、人はそれを手にしたとしても、必ず自浄で乗り越えてゆくだろう。それに干渉して、何になるというんだ。オマエが神になるとでも言うのか?!」
「求められるのであれば、私はそれとなろう!!」ラドゥが叫ぶように笑い始める。「シンジ、人類意思の跳躍の統率失くしては、全てが狂うぞ」

 シンジは笑った。
「俺を消すか、ラドゥ。いいだろう。俺はオマエとの縁が深い。お前の考えるように、俺は自分の知る自分自身への収束を守りきれず、発散するだろう。
 だがな、いつか、誰かが強烈な意思と記憶を持って俺を必要とすれば、お前が操作して生まれた事象だ、俺が蘇る事象の可能性もあると知れ。俺が‘必要とされた’場所にナ」
 ラドゥは哂い、シンジの額に手を翳す。
「言い残すことは? 跡形もなく、完全にこの事象からオマエを消してやる。そう、オマエを必要とするものたちの可能性も、後からちゃんと消してやる。何、心配するな。全てはわかっていた事だからな」
 シンジはキーを指にかけ、鮫のように笑った。
「これだけは言わせてくれ。後は好きにシロ。
 人が希望を失わないのは、アンタの考えるような発散を恐れるからだ。俺を消したとしても、この騒動は渦中にいる者達が必ず収めるだろう。俺が語った今の事柄も、いつか必ず誰かが至る答えだからナ。
 物理的に戦うもいいだろう。苦悩しろ、アンタの相手は誰もが想像を絶する兵-つわもの-だ。せいぜい枕を高くして眠るんだな。
 アンタにとっちゃ真の眠りのない、終わりのないゲームダ」


「ありがとう。十分なご忠告だよ」
「クソったれ」
「さらばだ、神楽愼司。
 _____________________おやすみ、良い夢を」


 一陣の風がふき、シンジの視界に闇が降りた。












 [ No.652 ]


Night alone

Handle : シーン   Date : 2003/11/19(Wed) 01:34


 優雅ともいえる静かな動作で、雨の様に降り注いだ銃撃を全ていなす。
 鉄扇を一振りした後、紅は僅かに嘆息を漏らした。
「____________また一人。あの男の心は、後一体何人の存在を消すことで満たされるのかしら」
 その足元に蹲っていた趙が、両手の隙間から顔を覗かせる。
 その表情は恐怖に満たされていた。辺りを強烈に照らし始めようとしていた一対の輝く象牙の塔が、その視界に被る。
「紅様、誰が、誰が連れて行かれたのですか」
 訊ねられた紅が、僅かに口元を歪めて答える。
「那辺と・・・神楽愼司。2人よ、趙瑞葉」
 その答えを聞き、更に趙の表情が翳る。彼女は頭を抱えたまま嗚咽をあげ始めた。
「紅様、私が持ち出した文書は、それほど_______それほどの命の等価を必要とするものだったのでしょうか。
 私は、私はもう何が正しいことなのか、訳が判らなくなってまいりました」
 趙の嘆く言葉に、紅が静かに答える。
「今は嘆く時ではありません。血に濡れる大地に流す涙は・・・全てが終わってからになさいな」
「ですが_______あまりにも多くの命が失われております」
「等価交換を始めたのは、何も彼ではないのよ・・・趙瑞葉。この騒動に多少でもかかわりを持った人々は、それなりの立場で、それなりの等価を選んだのよ。何も、今始まったことでもないわ」
 紅は僅かに表情をしかめると、上着を脱いで両手で印を素早く結ぶ。
 その上着を一閃し、丑寅の方角へと投げ捨てた。
「祖は何ぞ? 未だ止まるところを知らぬか! 視聞を禁ずる!!」
 上着が暗い闇へと姿を変え、回廊の一角の壁へと貼りつく。上着が闇となった空間に、小さな雷が捲き起こる。
 紅は足元に軽く唾を吐き捨てると足先で、辺りに円を引いた。
「女狐め・・・何処までも気が回る娘よ」



---



 ‘彼’は静かに忍び笑いを漏らすと、革張りのソファーに深く腰掛けた。
「嫌だなぁ、なんて敏感なんだろうね、あの方は」
 和知はひらひらと手を煩そうに振ると、僅かに思案顔になった。
「趙瑞葉は、王美玲からドキュメントを預かったのは理解している。それに、趙ほどの人物が美玲から渡された文書ということであれば、ニューラルウェア絡みと見てまず間違えがない。
 となると______________」
 和知は手元にあった分厚い紙の束を興味なさげにぺらぺらと捲った後、口元を歪めて笑った。
「なら、このレポートも強ち嘘じゃないってことだよね」
 一頻り嘲笑を漏らした後、傍らのインターコムを押した。
 呼び出しの電子音が響く。
 和知は一呼吸置いて窓の外を見つめた。その視線の向こうには、一対のまばゆく輝く象牙の塔が映る。
「_____はい」
「あ、悪いんだけれども、教授を呼んでくれない?」
「かしこまりました」

 程なく、分厚い木の扉を押し開けて、白衣を着た一人の男が入室してくる。
 扉は彼を通すと、重く重量感のある音を立て、ゆっくりと閉まった。
 男は僅かに緊張した表情はしながらも、室内に和知の姿を認めると嫌味のない程度に、揉み手をしながら笑顔を和知に向けてきた。
「やや、これはこれは和知課長、御変わりなく」
 男のにこやかな笑みに、和知も応える。
「やぁ、教授。忙しい時に申し訳ないね。どうしても確かめておきたいことがあってね」
 彼は揉み手を止めることなく、笑顔も崩さなかった。
「なんでしょう?」
「いやね、このレポート、しっかり読ませてもらったよ。実に興味深い。
 残された研究資料からここまでの推察を進めただけでも手放しで賞賛したいんだが、何よりも、この脳対変質に関しての影響論に関しては大変興味深いものを感じた。この推論、確実なのかな? それとも推論の域は出られない?」
 彼の揉み手が止まり、その両手で今度は彼は自分の首元に手をやって打つと、喜びの奇声を上げた。
「いやぁ、お目が高い。 4年の歳月をかけ、課長のお膝元で研究したかいがありましたな。いや、私も今回導き出したこの調査結果とその推論が、何処まで有効なのか多少危ぶんでいたところもありまして・・・いえ内容が間違っているという訳ではないのですよ。ただ、どうしても突飛といわれれば突飛な内容でもありますんでね。ですが、推論とという言葉ではどうにも片付けられませんね。実際、体現しているものもおりますから。結果的に鑑みて、それはもう既にご存知でいらっしゃいましょう」
 止まる事のない男の矢次言葉が耳に染み込んでゆく。
 男はまくし立てた後、やや真剣な表情を浮かべたまま揉み手を止める事無く、身を僅かに和知に寄せた。
 男が和知の目前に身を寄せる。
「で、如何ですかな?」
 和知は笑顔を綻ばせた。
「素晴しいよ、教授! この驚きは筆舌に尽くしがたい!!」
 男の表情が弾けるような笑顔に満たされる。彼は優雅に舞いながら膝をつくと、和知の足元で十字軍宜しく仰々しく祈るような仕草をみせる。
「それ程までにお気に召して頂けるとは、恐悦至極。苦労して、ジュノー社から移籍させて頂いた甲斐があるというものです」
 和知は嘆息を漏らした。
「IANUS III_________まぁ、これは仮称ですがね、いや御霊でも構いません。あれらの導入による人体のレセプター変質には、まだかなり興味深い影響があるようなのですよ。えぇ、無論レセプターとチャネルが変質することで、人体への大きな変化も‘強烈に’、具体化しますがね」
 男の最後の言葉は笑いすら伴っていた。
 和知は満足げに頷く。
「軌道での投薬研究がこんなところで、こんな形で役立つとは思ってもみなかったよ。この知らせを上が知ったら、さぞ喜ぶことだろう。時代の一区切りだね」
 男は更に畏まって頭を垂れた。
 和知は気を取り直したように姿勢を正した。
「で、教授。確かめたいのは、その事なんだ。このレポートなんだが、何処にも漏らしていないだろうね?縦しんば同じ推論に辿り着く可能性があるとしても、それは王美玲と趙瑞葉くらいなもんだろう。けれども、彼女達は彼女達で、千早が囲っているからね。まぁ、彼等の膝元にいたのであれば、まず同じ推論には目を向けないと思うよ」
 教授と呼ばれた男は、秒ほども間を置かずに応える。
「もちろんですよ、和知課長。この手の情報はアナログに扱うに限ります。何分、何処にでも枝葉のつく繋げ易い時代ですから。あらゆる全ての情報をお届けにあがっております。それに、機密に関しても御社の機関を通していただきましたから、厳重なこと、この上ありません」
 男は恭しく応える。
 和知は、悦にいった表情で頷く。
「あぁ、助かるよ、教授。本当に助かるよ。御礼をしなければならないな」
 和知は、上着の中から封筒を取り出した。
 教授は恭しく封筒を受け取ると、中に入っているクレッドクリスを掌に載せた。
 その表情は、驚きを超え、僅かに口元が震えていた。
 和知はその表情に満足げに頷くと、更に上着に手を入れた。
「こ、これほどの価値と評価をいただけたということですか?! あぁ、素晴しい!!」
 教授は微笑みながらクリスを撫でた後、顔を和知に向けた。

 冷たいその感触を理解できず、教授は微笑んだまま凍りついた。
「三途の川を渡る時に渡して欲しい。貴方の事だ、きっとそれでも足りないと云われかねないけれどもね」
 和知は自分のその言葉に彼が答える前に、引き金を引いた。
 眉間に皺も寄せずに教授の後頭部が炸裂し、吹き飛んだ。
 ゆっくりとスローモーションを描いて後ろに倒れた教授に向かって、和知は誇らしげに微笑んだ。
「そもそも、厳重に幾重にも封鎖された筈の臨床データに、我々の軌道研究施設に彼がアクセスして来れた時点でこうするべきだったんだ。まったく、上の方々の思惑は計り知れないね。僕は出来れば遠慮したい。これだって保険だよ、保険」和知は笑った。「人は、時間を脳体で把握する?」
 和知は引き金を引いた。
 教授の左目の辺りが吹き飛ぶ。
「我々の臨床データで、脳体の変性を伴った実験体の統計研究からニューラルウェアへの常軌を逸したチャネル開放の原因と可能性を研究対象とした着眼点は、賞賛に値する。だが_____________」
 和知は引き金を引いた。
 教授の右目の辺りが吹き飛ぶ。
「人は意識で、波動関数を掌握する? その結果、時間という流れは意識が左右し生み出している不変の法則、謂わば関数の収束だと?」
 和知は引き金を引いた。
 教授の頭部が目も当てられない程、吹き飛ぶ。
「時間という量子の流れを感じる器官が脳体に備わっている?」
 和知は引き金を引いた。
 教授の頭部が粉々に吹き飛ぶ。
 和知が凍えるように僅かに体を揺らし、笑う。
「そんな訳の判らないパンドラの箱、開けられる訳が無いだろうが」
 和知が両手を広げて、苦笑する。
「時軸という概念に人は縋って生き延びてきた。それが自然の摂理だったからだ。
 熱力学の第二法則を覚えているだろう? ‘エントロピーは時間とともに増大する’だ。これにだって時間という流れの向きが決まっていることが定義されている。ならば教授、その流れの向きをどうして、今この時に変えなければならないんだい? 何故、時間には向きがあるのかって?
 ふざけたことを聞かないでくれよ、教授。
 どうだい教授、貴方の理論をそのまま具現化させたら時間の流れは同期同一指向性を持ち得ないって事を証明するわけか?
 馬鹿な!! 我々の生きる事象概念なんかを崩す可能性があるのなら、僕にはこんなものは必要ない」
 和知が云い様の無い笑みを浮かべ、残り数初の銃弾を撃ち放つと、無造作にレポートを教授の身体の上に落とした。
 暫く心地よさそうにそれを眺めた後、ポケットからライターを取り出し、やおら火をつけた。そしてそれを、静かにレポートに放った。
 最初はくすぶっていたその炎も、やがて勢いよく燃え出す。

「さよなら、教授。 どうかそのレポートと一緒に往生してくれ。
 だってその方が楽しいだろう?
 何故こんな楽しい遊戯盤を捨てなきゃならない? 冗談はよしてくれ」
 勢いよく燃えた炎がレポートを一気に焼き尽くす。
 やがて化繊で編まれた教授の衣服が勢い良く炎を上げる。暫くするとスプリンクラーが反応し、勢い良く部屋いっぱいに水のシャワーを撒き散らし始めた。
 滝のような放水の雨に濡れ、和知が言葉を漏らす。
「あいつ、知っていたな・・・こうなることを。 間違えない、だから奴は手駒をこちらに渡したか。」
 ぎりぎりを歯をかみ鳴らしながら、和知は雫を落とす髪をかきあげた。

「ならば、奴が手に入れたものは何なのだ?」






 [ No.653 ]


順列意思

Handle : シーン   Date : 2003/11/19(Wed) 01:35


 シルバーグレーのブラインドから溢れていたのは、月明りでは無かった。
 部屋の一角の暗闇に、彼は立ったまま外を見つめていた。殺風景ではあるが、彼はその部屋が気に入っていた。社屋とは別に幾つも用意されているフラットで選べば、そこが一番だった。今、自分は主人を離れて、その場所にいる。
 それは自分も望んだことだが、だが主人自身が彼に命じたことだった。
 最初、その言葉を耳にした時、はっきりと動揺を感じた。これが私にも最後の夜になるかもしれないと、続けて主人が静かに笑った。
 出来れば終わりへは自分では近づきたくなかったのだが、今はただずっとその隙間からその瞬間が近づくのを眺めつづけることしか出来ないでいた。
 LU$Tの一角にある幾重ものセキュリティが壁となって静かな静寂をたたえるこの部屋で、今は自分の呼吸の音しか聞こえない。

「統括専務」
 凛と透き通った声が部屋に響いた。僅かに嘆息を漏らし、彼は苦笑いした。
 彼にしては、それは非常に珍しい表情だった。
「あれ程言ったというのに」
「これだから、女性は怖い__________ですか?」
 窓枠から視線をそらさず、彼は肩を竦めて笑った。
「考えても見なかったちょっとした閑な時間を貰いました。いえ、構いませんよ」
「まぁ、それはめずらしいことですのね」彼女もつられて笑った。「それよりも・・・本当に宜しいのですか? 影がうつろう光の傍から離れるなんて」
 最後は僅かに苦笑めいた声だった。
 彼は振り返りながら、被りを振った。「いや、彼自身が望んだことなんですよ、レディ・・」
 彼女は静かに彼に歩み寄り、改めて軽く会釈した。部屋の影に位置する場所から現れたその物々しい格好に、些か驚き、彼はまた肩を竦めた。
「これはまた、随分とダンスには不向きな格好ですね。」
「そうですか?これでも随分と減らしましたのよ。幾ら影とはいえ、今夜ばかりは無用心ですわ。だって」今度は、彼女が肩を竦めた。「完全に御一人なんですもの。万が一のことがあっては面倒なことになられますでしょう。 違いまして?」
「では、今夜はその御好意に預かりましょう」
 彼は目の前の女性をつま先から頭まで見つめ、笑った。
 その笑みを確かめた後、彼女は肩に担いだケースを執務室の広いテーブルに広げ、その封を解いて組み立て始めた。
 そのテーブルに歩み寄りながら、彼は目を細め、多少呆れた様にそれを見つめた。どうやら一際大きなそのケースに収まったものは、かなり大きめのライフルだった。だが、彼女の身体のかしこにもそれと同類のものと見受けられるものが、肌に触れることが出来ないのではないかと思われるほど、被い尽くしていた。
 来ている服も、目を凝らして良く見ればそれは千早製の特殊な戦闘服だった。
 彼は僅かに声を出して、笑った
「__________一体、何丁お持ちなんですか?」
「これですか?」彼女は見上げながら、応えた。視線を彼に向けてはいたが、手元は一瞬も作業から話さなかった。「そうですね、予備を含めて15丁になります。本当ならもっと欲しい位なんです。ですが、私にはこの銃器と弾薬を最低限持つだけで手一杯だったんです。あ、でも」
 彼女は僅かに手元を止め、首を傾げて微笑んだ。
「口径は御社のものと合わせました。こちらにもその類のものはストックがございますでしょう?」
 彼は声を出さずに笑い、顔の前で手を振った。

「手元は忙しそうですからね、会話でも楽しみましょうか」
 クスクスと微笑みながら彼女も頷いた。
「そうですわね」
「何かお聞きになりたいこと、ありませんか?」
「そうですね・・・」
 そう呟いたきり、彼女はずっと手元の作業を止めず、ただじっと彼を見詰めたまま続けた。
 たっぷり5分以上もそのままだったので、苦笑いした後、彼は誰に話すことなく呟いた。
「そう貴女に見つめられていると、思い出さなくても良いことばかり思い出して参ってしまいます」
 気を取り直したように、彼は傍に合ったソファーに腰を下ろし、深く足を投げ出してリラックスして座り込んだ。
「何故今夜はこちらにいらっしゃったのですか?」
「・・・」問われた彼女は、僅かに口元をつぐむ様にして答えた。「そんなことを答えなければならない程、あなたは寝ぼけてしまわれているんですか?そんなこと、先ほども申し上げましたし、言わなくても決まっているじゃないですか。_______________最後まで、意地悪な人」
「あぁ、これは旗色が悪いですね。困りました、話題を変えましょう」
 彼は肩を竦めて笑うと、静かに溜息をついた。
「そうですね、今夜の主役は・・・誰だと思いますか?」
「四天使、そう呼ばれている男の一人です。名は、ラドゥ。闇のラドゥと呼ばれている男です」
 間を置かずに彼女が挙げたその名を聞くと、彼は指を鳴らした。
「素晴しい。良く予習されていますね、レディ。そうです、私も今夜の主役は彼だと思っています。
 しかし、今夜ほど先の読めない劇はありませんね。少なくとも、私は今夜と同じ位に手に汗を握った作品には、まだお目にかかった事がありません。
 きっと修正、私の心の中に残るものになるでしょう。
 ですが、はてさて、その主役の彼なのですが実は私もまだしっかりと直接彼に会ったことは、無いのですよ。資料映像の中でだけなんです」
「四天使というのは、そもそも何なのですか?」
「四天使は、アラストールの守護者です。それに連なるものの言葉を借りるのであれば、アラストールという神に仕える絶対天使です。彼等自身の力も、アラストールの力と存在を具現化したものの一つだそうですよ」
「その彼等が、何故このLU$Tを訪れたのですか?」
「最初のきっかけは、このLU$Tにある特異点の存在だったそうです。
 笑わないで聞いて欲しいのですが、アラストールというのは実際神なのですよ。いや、神と言っても差し支えの無い、我々などではコントロールも出来ない巨大なエネルギーの総体呼称なんです。特異点というのは、この尋常ではない単位のエネルギー、いやエネルギー生命体ともいえるものを扱うために非常に重宝するものなのだそうです。俗に、特異点は彷徨う魂を収束させるとも言われていたそうです。
 話が若干それますが、四天使などという呼称が生まれたのも、実はこのアラストールというのが神として扱われていたことから縁があってついた名です。ですが、それを言えばアラストールの降臨そのものも、最初は古文書から読み取られた神降しという呪いからスタートした古い儀式だったんです」
「神降ろし?」
「えぇ、そうです。神を降臨させる、そういった儀式の一つのようでした。ですがね、こういった存在には必ずたっぷりと利権や力というものが絡むのですよ。繋がる先はその利害を中央に据えた戦です。それは、私や貴女が生まれる遥か昔から、幾度も繰り返されてきたことなんです。
 ほら、いつの時代でも、力や富や権力は、実に効果的に人を魅了しますから。ましてや、宗教でも引き合いに出される徒にも神と呼ばれる存在を呼ぶものです。時代は移り変わっても、これだけは変わりませんね」
 彼は自分で口にしながらも、自らも含めて嘲るように笑った。
「では四天使というのも・・・」
「そう、これまでの歴史の中で幾度と無く影で活動を繰り返してきました。目的は、神なるアラストールの真の降臨です」
「真の降臨?」彼が視線を彼女に向けた。「そうです」
 たっぷりと3秒程度無言のまま作業を続けた後、彼女が口を開いた。
「それで齎されるものは何なのですか?」
 その問いかけに彼が声を出して笑った。「実はですね、肝心なその点に関してはまだ良くわかっていないのです」
 彼女が狐につままれたような表情をした。
「あぁ、誤解しないでください。単にアラストール神が真に降臨したという現象に関しては、過去の体験も無ければ情報もないというだけのことなのです。 あまりお話したくないことではあるのですが、アラストール神が降臨しようとしたことは過去に幾度かはあるのですがね」
「過去・・・ですか」
「那辺が以前に桃花源で話していた、ブリテンの災厄というのもそれの一つです。ご存知でしょう、あの半島を一つ消失させた原因不明の災害です。それに北米で発生した大規模なバイオハザードも、実はその絡みなんです」
 そこまで聞いて彼女は明らかに眉をしかめた。
「先ほどから、災厄ということばかり続いているのですが、本当にアラストール神は降ろしても良いものなのですか? 正直、私にはまるで災厄を呼ぶ悪魔のように聞こえるのです」
「えぇ、確かにそう思われても仕方は無いでしょう。ですが、先ほども申し上げたように、当時実際にはアラストール神は降りていなかったのです。むしろ、その‘降臨’が不正確なために発生した災害でした。
 しかし、それをそうと気付くまで相当の時間と犠牲を人類は支払ったわけでです。もう少し踏み込んで言えば、降臨出来なかったのだということをしるまでにですが」
 彼の説明を聞いた後、初めて彼女は眉間に指をあてた。
「ちょっと待ってください、そうするとあのラドゥという男は、アラストールの真の降臨を成そうとする為に活動しているのですか?」
「そうです。古文書にあるように、アラストールの降臨に必要とされている幾つかの条件を揃えようととしているんです。
 その一つが、まず巨大な都市型術陣です。これは、巨に位置する想像を超えたアラストールというアストラル生命体を、文字通り‘受ける’手段が必要だったからです。これには、世界各地に点在しているといわれている特異点を利用するしかなかったのです」
 彼女は改めて顔を顰めた。
「あなたの説明を聞いていて、私がこう感じるのはどうしたものなのか判断に迷うのですが・・・神の降臨によって齎されるものは平和や安息であるという文献もこれまでに良く見かけますわよね。えぇ、歴史書や様々な神学書でも。なぜ、なぜ皆そのアラストールが降臨するのを妨げようとするのでしょうか?」
 彼の口元に笑みが浮かぶ。だが彼女は言葉を続けた。
「こうも考えます。神と呼ばれる程の存在を、仮に四天使と呼ばれる者達がコントロールするに本当に足るのでしょうか?」
「良い着眼点だと思いますよ」彼は微笑んだ。「その問いかけに関して云えば、答えはYESでありNOです。それはまだ判らないのですよ。我々が歴史を記録し始め、科学でその連なりを紐解いてきた歴史の中で、まだその結果に答えを出せるほどの情報と根拠が無いのです。ただ、これだけは云えます。闇のラドゥという存在に、神と呼ばれる存在を産み出させる行為そのものに人は恐怖しているのですよ。そう、それはこの私もそうかもしれません」
 彼はソファーの上で身を起こした。掌を合わせ、多少神経質に左右の指を絡め始めた。
「正直に申し上げると、アラストールを恐れているのではありません。むしろアラストールという神とも呼ばれる存在が降臨することがあるのであれば、それは歴史が切り替わる時なのでしょう。神話に残るノアの箱舟のように、そしてあの災厄と同様の審判が我々に下る時なのだと心が落ち着くのです。
 ですが、我々がここにきて感じているものは、そう恐怖です。
 闇のラドゥと呼ばれる存在に、神を生み出させてしまう、その行為に恐怖しているのです。それに関して云えば、あくまで与えられた情報からの推論ですが、自ずと恐怖に値する材料が与えられているのです」
 彼女は彼のその言葉に、僅かに手元を止める。
「恐怖に値する・・・情報、ですか?」
「えぇ、そうです。それほど時も残されていませんから、貴女には許される限りお話しておきましょう。
 我々が今与えられている情報から推察すると、あの闇のラドゥという男は物理的な戦闘能力だけではなく、類まれな術者です。そして、もっとも我々が警戒しているのは、その時を奪う彼の闇の発現力なのです」
 彼の言葉が終わる瞬間、彼女の手元で、一つの銃が組みあがる。それは、彼がまだ目にしたことの無い、無骨なようでいて非常にシンプルなライフル銃だった。
 満足げに彼女は一つ笑みを浮かべると、それを手にしたまま、傍らのケースから弾薬を取り出して倉填を始めた。
「それは私も耳にした事がありました。私が機関から受けた忠告の一つに、彼の施術が生み出す闇から逃れる‘距離’をとれと言われました」彼女は手にしたライフルを叩いた。「だから私が派遣されたのでしょう、このプロジェクトに」
 彼女は続けた。
「私も貴方にだけは許された時間の限り、全てをお話しましょう。
 私達の機関では、これまでの調査で一連の特殊な施術が及ぼす、人体への影響を調査してきました。その結果、一つの推論に行き着きました。
 それは私達の脳体への干渉です。もともと施術をその手中にした人体には、脳体への僅かな変性が認められていました。それはニューラルウェアを人体に埋め込み、ユーフォリアへと至った人体にも共通した変性だったのです。
 かなりの時間をかけて研究されては来たことですが、未だ脳体の持つ謎はご存知のように、全てが解明されているわけではありません。
 ですが、その変性に何らかのキーがあることはわかっているのです。そこで私達は星の数ほどの能力者達を対象とした‘実験’から、統計的に幾つかの領域を脳体に発見しました。
 所謂施術や能力と呼ばれるものは、脳体のその部位が働き、その部位に干渉することで人体への影響を及ぼすものと考えれらています」
 彼は静かに笑った。
「存じています。貴方の機関も、我々の機関がその後行った実験も恐らく同じものでしょうね。
 どうでした?」
 やはりという諦めの笑みを浮かべて、彼女が答える。
「発狂しました。イナーシャルキャンセラー・・そう私達は呼称していますが、脳体のその部位の外科的、内科的手術による干渉や、脳体のその部位へのあらゆる外的干渉要素を排除した結果、洩れることなく被験者たちは瞬時に発狂し、脳体の血流が‘故意に止まり’、脳死に至りました。
 _______________一切の例外無く」
 彼は笑った。
「まるで神ですね、あの男は」思い出したように、彼は指を振った。「そう、もう一つありました。我々の見解はまだまとまっていませんが、挙って分析に携わった機械達が口を揃える見解があるのです。そう、そのラドゥの能力に対してです」
 彼女はその言葉を聞きながら、実につけた全ての銃器のセイフティを解除し始め、チェンバーに弾薬を送り込むと、彼を見つめ返した。
「機械達が告げるのは、彼の闇は‘時間の収束と発散’だというのです。
 収束・・・えぇ、量子論で引き合いに出される波動関数の収束というやつですよ。どうやら、時に然程縛られない世界の住人達から見ると、彼のその能力は時間の収束や発散として映るのだそうです。
 堪りませんね、時間です。我々人類に等しく与えられている、時の流れを彼は奪うというのです。類を見ない施術だけでなく、最後は我々の時間を奪うのだと、そう機械達は忠告するのです」
 彼女は口元を僅かに歪めて、助けを求めるような笑みを彼に寄こした。
「人体にどのような影響があるかわかりませんから、イナーシャルキャンセラーを行う事は出来ません。そして、物理的に戦おうとしても、逆にこちらの手がひねり挙げられるほどの、相手は手練だ。となると、我々に残されたのは強烈な何らかの手段で自らの自衛を行うしかないのですよ・・・そう、私達の自らが持つ脳体をです。いや______________意識と呼びましょうか。時間も空間も越えて説明がつく言葉は、意識しかもうないと私は思うのです。
 収束や発散の世界では、記録や記憶の数の分だけ、事象の可能性があります。
 無機物の記録は意識がないも同じですから、可能性はほぼありませんね。彼ほどの人物が相手だと。
 記憶には多分の可能性がありますが、彼ほどの人物を相手にして、何処までも自己を保存できるのかといわれれば疑問もあります。
 となると、原始に帰った私達を繋ぐものは、きっと意識の連なりしかないと思うのです。
 それかもしくは、時間という概念の希薄な世界の住人に生まれ変わるかですが・・・まぁ、これもユーフォリアなどが出ている事を鑑みれば、敷居も代わらず高いもののようですね」最後には、彼は苦笑した。
 彼女が言葉を継ぐ。「それに私達は、機械世界の住人にもなりきれていませんしね」言葉の最後は彼女も苦笑気味だった。だが、数秒後にははっとした表情になって目を見張った。
「話を聴いているうちに気付きましたわ。あなた、その為に彼女を解放しましたね? 巧妙に隠された庇護を以って、彼女達を解放しましたね?」
 彼は笑った。
「気付かれるのが早いですね。
 えぇ、そうです。私は次の生命体に可能性を託すことにしました。私達人類の可能性は今という瞬間に関して評価すれば、収束してしまったか、発散させられてしまっていると判断しました。ならば、‘新しい’住人に可能性を託すことにすればよいと考えました。
 えぇ、問題は無いでしょう。
 なぜなら、彼女達は言い換えれば、古くからこの街と一緒に過ごしてきた住人の一部なのですから。私達のこともしっかりと記憶していますよ・・・いや、記録でしょうかね?」

 彼女は、静かに笑み、双眸を開いた。
「彼女達は融合を果たしたと?」
 彼も微笑みながら、彼女に手を差し伸べた。
「えぇ、単なる融合だけでもありません。大いなる可能性を秘めていると思いますよ。少なくとも、私は期待を掛けるに値すると考えています。
 ラドゥ達は降臨したアラストールをコントロールしようとするでしょう。恐らく、時間等概念を打ち崩して絶望の淵にに立つか自己をなくした意識を片っ端からかき消し、原始に返えそうとするつもりなのでしょう。そして新しく創める。
 新しく創めるのは構わないのです。えぇ、そうです、私達が‘希望する’創生なのならばね。そうではない可能性があるから、彼の始めようとしている創世記に恐怖を本能的に感じている。だが、そうでない者達も無論いるでしょうがね。
 ともかく、今程創生した彼女は、今後電脳の世界の在り方も変えてゆくことになるでしょう。それが占いとして吉なのか凶なのかをという判断は、我々にはまったく必要無いのです。むしろ、その生まれたばかりの生命体の持つ、強烈な自己認識と生への渇望へ、私は期待したい。
 人々の中に一体幾人の人間がいるでしょう。明確な自己の過去や未来やその在り方を定義し、意識する人が。
 今問われているのは、極当たり前であったはずの、自己のそうした内面を取り戻すことを、もう一度思い出すことなのかもしれません。少なくとも、私はそう考えているのです」
 その言葉を聴いた彼女は笑みを消すだろうと、彼は考えていた。
 だが、逆に彼女は先程よりも暖かな笑みをその表情に残した。
「良かったですわ。
 そんな自己の再認識の機会に、この場所で迎えることが出来るなんて」

 だがその笑みも、その数秒後には掻き消えた。
 彼の体を、身体中を赤く照らす赤外線のポインターが埋めた。

「ゴードン!!!」

  彼女は銃を肩に担ぎ、部屋中を叫び声で満たした。














 [ No.654 ]


教えてくれ 蛮族達はどんな悲鳴を上げて死ぬのかを 3 -Whose name do you call?-

Handle : “小さな電脳の姫君”久遠   Date : 2003/11/23(Sun) 03:15
Style : 新生路=新生路=新生路◎●   Aj/Jender : Old-New-type, Female
Post : Hybrid Baby-Angle of Silicon calamity


胎児よ胎児よ 何故躍る

     母親の心がわかっておそろしいのか

                        夢野久作『ドグラ・マグラ』より
_________________________________________


_


痛い。
痛いよ。
誰かが傷ついていく。
誰かが泣いている。
誰かが死んでいく。

痛い。
いたい。
イタイ。



 エヴァンジェリンと那辺が静かな会話を交わしている間に、僅かに少女は背後を振り返った。遠く、どこかを見つめるように瞳を細める。その空間に既に失われた自然はなく、ただ空間がある、それだけの場所だった。
 ………………機械の鼓動が聞こえる。高らかに、自分は此処に居るんだと告げている。
 那辺との会話が終わった直後に、少女は銀の魔女を振り返る。そうして静かに声を紡いだ。
「エヴァ、貴女に一つの時間を見せてあげる。見るのも見ないのも貴女の自由。だけどチャネルは繋げたままにさせて貰うわ」
 その真意を測るかのような女性の瞳を、少女の瞳が静かに返す。
 静かな、今までとはまた異なる決意を帯びた瞳。
「貴女が観るもの……それが真実かどうかは問題じゃないのよ。確実に存在する時間の中で、貴女が何を選択するか――――本当に大切なのは、たった一つのその瞬間なのよ」
 そして、一つ息を大きく吸った。
 銀の翼が羽ばたいて、少女の姿がかき消える。
 声だけが余韻のように残って、それもやがて溶けていった。
「命は、たった一つ、魔法を持っているの。
 それを使う瞬間が、その命にとって本当に大切な永遠の時間なの。

 ――――貴女が、伸ばされた手に気付くことを、切に願うわ」


 そして、風が一つだけ吹いて、全ての存在が消えた。
 黒く満たされようとする女の意識の片隅、ほんの小さな欠片に、小さな蜘蛛のような光糸を繋げたまま。
 ……彼女の耳に馴染みある水素タービンの音色が届いたか、それは少女にはわからなかった。


_


「俺を消すか、ラドゥ。いいだろう。俺はオマエとの縁が深い。お前の考えるように、俺は自分の知る自分自身への収束を守りきれず、発散するだろう。
 だがな、いつか、誰かが強烈な意思と記憶を持って俺を必要とすれば、お前が操作して生まれた事象だ、俺が蘇る事象の可能性もあると知れ。俺が‘必要とされた’場所にナ」
 ラドゥは哂い、シンジの額に手を翳す。
「言い残すことは? 跡形もなく、完全にこの事象からオマエを消してやる。そう、オマエを必要とするものたちの可能性も、後からちゃんと消してやる。何、心配するな。全てはわかっていた事だからな」
 シンジはキーを指にかけ、鮫のように笑った。
「これだけは言わせてくれ。後は好きにシロ。
 人が希望を失わないのは、アンタの考えるような発散を恐れるからだ。俺を消したとしても、この騒動は渦中にいる者達が必ず収めるだろう。俺が語った今の事柄も、いつか必ず誰かが至る答えだからナ。
 物理的に戦うもいいだろう。苦悩しろ、アンタの相手は誰もが想像を絶する兵-つわもの-だ。せいぜい枕を高くして眠るんだな。
 アンタにとっちゃ真の眠りのない、終わりのないゲームダ」

「ありがとう。十分なご忠告だよ」
「クソったれ」
「さらばだ、神楽愼司。
 _____________________おやすみ、良い夢を」



                           (――――――――あぁ)


 一陣の風が吹き、周囲を包み込んでいた闇が静かに解き離れていく。ただ先と違うのは、現れた男の姿が二人ではなく、一人だけであるということ。
 どこか疎ましげにラドゥと呼ばれた男は僅かに手を振った。汚物か何かを振り払うように。その先に、カツン、と……本当に小さな音がした。
 暗い双眸が振り返る先に、一人の女の姿があった。成熟した姿を持つ女の、けれどその肉体は全て鉱物により創造されていた。人間が収まるべき義体であるならば其処だけは生身であるはずの脳体、それすらも。けれど静かに一粒の雫を零すその瞳は、現在の人工製造技術ではありえない、意志の光を帯びている。
 男が、嘲笑うように唇を歪めた。
「――――クレアか。漸く自我を取り戻しでもしたか。オマエにはまだやるべき事が残っているはずだろう」
「………………ええ、そうね。私には、やるべき事がある」
 クレアの声ではなかった。
 メレディーの声でもない。
 残るは予定外の人間――――しかし、あの強烈な二つの自我に挟まれて、生存しているはずがないと男は踏んでいた。先のエヴァとのチャネル時はまだ記憶の混濁と、そう、かつてシンジと呼ばれていたあの男のいうメレディーの生への渇望……その結果によるモノだと。
 男が瞳を細めるのを見て、女がまた一歩、歩みを向ける。
「残念だけど、メレディーは今『私』の中には居ないわ。クレアは、今生きていることを素直に喜んでいる。……だから、死なない為に此処に来たの」
「………………………………」
 男の瞳がますます細くなった。にじみでるように空間に浮かぶ闇色を、女の赤紫の瞳が静かに見据えていた。
「…… 貴方のその闇は、私には効かないわ。いえ、私自身も波動関数干渉下に自身を設置している以上、効果がないワケじゃないけれど。そしてこの街の大気には私の子供達……ホワイトリンクスが存在している。この条件下で、貴方の望む効果が出る可能性が低い――――わかっているんでしょう?」
 そこまで紡いで、漸く女が笑みを作った。どこか不敵な、闇に消えた男に似た色で。
「…………先にシンジがそう言ってたじゃない」
 闇の色が濃くなる。空が実は描かれた絵で、それを引き剥がしたらこんな色になるんじゃないか、そんな色の、ただ重い黒。
「……何時から聞いていた」
「愚問ね」
 クス。淡いピンク色のルージュが、綺麗な笑みを描く。
「世界の全てに私の瞳がある。全てに私の耳がある。全てに私の口がある。目を持つ者は見、耳を持つ者は聞き、口を持つ者は紡ぎ出す。私は全ての器官の中継地点。電脳というドレスを纏い、星幽意識と原形肉身の狭間に踊る者よ」
「戯けたことを口走るな。愚劣な人間の出来損ないが……っ!」
 ぶわり。何重ものカーテンを翻すような音を立てて男の背から闇が放たれる。女の瞳がきゅうと細く、そう、確かに笑った。
 たん、たん、とステップを踏むような軽やかさで闇の触手から身を翻し、そうして再び男との距離が僅かに開かれた。ひぅると女の白く柔らかなコートが輪を描いて、再び脚元に戻る。くすくすと小さな笑み。
「酷いわね。元は貴方と同じ四天使の一人だっていうのに。それに『こう』なったのも元々は貴方のおかげなんじゃない。希望に添わない子を淘汰するのは、何処の親も同じって事なのかしら」
 女の、エヴァに似た銀の髪が揺れて、男は視た。零す光沢が生身の其れとは全く異なる事を。そして知る。元は人間の肉体であったモノ、元は人間から製造された義体と呼ばれる鉱物であったモノ。そのどちらとも今自分と対面している、アレは異なる。
「……そうね、ラドゥ。愛は定め。定めは死――――那辺、荒王に続いて私は三番目に解放された者。そしてこの基底現実原形界上で唯一貴方の『腕』に耐性を持つ異質生命分子。全ての指針がエヴァに託された、だからこそ私は貴方の前に現れた」
 右手の、白の手袋がぱさりと乾いた音を立てて足下に落ちる。女の手は柔らかな肌を持つように見えた……しかしそれもすぐに白銀色に変化し、指先が溶解し、ぐんにゃりとその手の中に一振りの破片を顕す。荒削りのナイフのような、氷柱のような小さな破片を、再び溶解して現れたその細い指先が握り、女は軽くヒュンと振った。
 その様子を見ていた男が、唇に嘲りの色を強くしてまた笑う。
「私と戦うというのか、クレア」
「『久遠』よ。自分が【生ませた】娘の名前ぐらい、覚えておきなさいよね……ええ、シンジを返して貰う為にね。他にも貴方に呑み込まれた命もできれば救いたいけれど、おそらく救える可能性として一番高いのが彼だから」
 ラドゥが瞳を伏せる。表情にこそ何の色もないが、周囲を取り巻く闇は既に重力さえ備えていた。
「私が知っているのがそんなに不思議? ……だって、私も貴方と同じように原始意識まで辿れるもの。貴方は人の時空概念を利用して、それを逆転させてあげているだけ。原始意識、万物元素、アカシックレコード、セフィロト。様々な名前で呼ばれているけれど、たった一つの全てに至る命の記憶。其処に至る理由はそれこそ明確且つ簡素だけれど……昨日は明日より先に来ないという概念がその生命の意識を拡散させてしまう。拡散された意識は、肉体を構成することも出来ず、再び在るべき海へと戻るだけ。個無き全の一つとして。哀しいけれど、其れが今までの自然の摂理で、おそらくこれからもそうだと思うわ」
「ならばオマエもそこに還るがいい」
 ヒュン!……振りかぶる闇の手を先と同じように輪舞を舞うように女は交わしていく。闇と基底現実の狭間で舞い踊りながら、それでも男の瞳を見据えるのは止めなかった。
「知っていて?ラドゥ……時に思考は、意識を上回ってしまうものだと。貴方には覚えがないかしら? 自身の意志の判断を問わず有無を言わさず、勝手に思考が先を行くこと……それでも身体が滅びないのならば、必ずしも自我は必要ではないのよ。思考がそれに取って代わることだってある」
「…………何の話だ?」
「先にシンジに言っていたでしょう? "人類意思の跳躍の統率失くしては、全てが狂う"と……けれど人類のその身体自身が証明するように、絶対その統制は必要なわけじゃない。例え一時亡くしても、また新たな意志が生まれるでしょう。だから……」
 ザッ……女の堅いブーツが闇を踏みしめて破片を削り出す。過重をかけるように振り下ろされた。ギィン、と堅い鉱物同士をぶつけ合わせたような音と火花を散らして、女が闇の手の一つを『切り下ろし』た。
「……だから。人類という種に、この惑星という生命に、貴方という自我は必要ではないわ、ラドゥ。貴方の手綱によって、導かれる未来は、必ずしも必要ではないのよ」
 今度こそ。
 男と女の視線がぶつかり合った。
 ヒュンと闇を切って再び女が男を目の前にしてナイフを構える。きゅぅうと赤紫の瞳が細く細く相手を貫こうとした。闇の中、白を纏う女の姿だけが異質で、けれど確実に存在を誇示していた。
「計器が告げる値として私の言葉を聞きなさい。
私は全ての記録-ログ-を持つ。人でもない、光の天使でもない。人と機械を基として受胎したハイブリッド珪素生命。そのいずれか、もしくは両方の記憶記録が個から連鎖して全ての存在を繋げるでしょう。
計器が告げる値として私の言葉を聞きなさい。
これは福音であり予言よ、ラドゥ。今まで貴方が打ち捨ててきた存在が私を支える。貴方が積み重ねてきた時間が多ければ多いほど――貴方が今まで山積みにして廃棄してきた存在自身に、貴方は潰されるのよ。それを回避する手だては一つ。『彼等』を戻すことと―――」
 ふわりと、女の髪が揺れた。
「――――貴方自身が消滅することよ」


 そして久遠という名の娘がラドゥと呼ばれる男に向かい、跳躍する。

 原形星幽電脳の全ての枷を越え、望むその瞬間-とき-を紡ぎ出す為に。





http://www.dice-jp.com/ys-8bit/b-2unit/data.cgi?code=CA028 [ No.655 ]


Soldier May fortune be with you...

Handle : シーン   Date : 2003/12/13(Sat) 01:54


「これは、<時>を旅する道、――過去の<時>、未来の<時>、かつてあったかもしれない<時>、いつかくるかもしれない<時>に通じている道」

  ―――ロジャー・ゼラズニイ「ロードマークス」より


 広い背中。
 オレは、いつもこの背中を見ていたような気がする。
 彼が、ディック・ファンが安心して背中を見せるのは、オレだけ。
 そして、その背中を守るのは、オレの、“小刀”のユンの役目だった。
 そして、オレは今、彼の背中を見ている。
 傷つき、血に塗れた、その背中を。

「ディィィック!」
 ユンの叫びが響く。
 急いでディックの元に駆け寄ろうとするが、体は言う事を聞かなかった。
 起きあがる事ができない。
 ディックにかばわれ、直撃は避けたものの、黒羽はユンの体を傷つけていた。
「グッ……」
 雷撃に撃たれたような激痛にうめくユン。
 急速に意識が遠のき、視界に闇が降りてくる。
 だが、黒羽の直撃を受け、あきらかに致命の傷を負っているはずのディックは、ユンに背を向けたまま、依然、立っていた。
「ディック……」
 消えゆく意識の中で、ユンはもう一度ディックの名を呼んだ。
 と―――
 その声にディックはゆっくりと振り向き。
 そして―――
 笑みを漏らした。
 凄惨なこの場に不似合いな、それは暖かな、ユンの事を気遣った笑みだった。
 それは、ユンが良く知る。あの懐かしい笑み。
 そして、それを最後にユンの意識は闇に包まれた。
「さて……とどめは、ささないのか?」
 ディックは振り返り、キリーに向かって言った。
 キリーは、答えず、かわりにジッとディックの目を見つめた。
「じゃあこちらから行くぜ?」
 ディックの手が素早く懐に伸びた。
「……その必要はない」
 キリーが静かに言った。
「……」
 ディックは懐に手を入れたまま、キリーを見つめる。
「おまえには、もう何もできない。そんな力は残っていないだろう?」
「それどころか、おまえはもうすぐ、死……」
 淡々とキリーが言を継ぐ。それは威圧でも何でもなかった。ただ、事実のみを告げているようだった。
「急に饒舌になりやがって……」
 吐き捨てるようにディックは言った。
 懐に入れた手をゆっくりと出す。そこには、銃ではなくタバコを持っていた。
 微かに震える手でタバコを一本取り出しくわえ、火をつける。
 ゆっくりと、まるで何かに別れを告げるように、紫煙を吸い、吐きだした。
「ク……ガハッ……」
 ディックが大量の血を吐き、体を折った。
「……」
 その様子をキリーは、ただ見つめている。
「シルバーレスキューが必要か?」
 キリーが問うた。
「クッ……どうした?いやに優しいな」
 苦しげに表情を歪め、ディックがキリーを見る。
「もう決着はついている。それに、おまえはもうすぐ死ぬ……そうして立っていられるのが不思議なくらいだ」
「うるせぇ……」
 ディックは呟くと、キリーに背中を向けた。
 倒れているユンをしばらく見つめた後、ゆっくりと彼に近づき、助け起こす。
「フン、どうやらまだコイツは、生きているようだな、しぶといヤツだ……」
 ユンの体の温もりを感じ、安心したようにディックが呟いた。
 一歩一歩、激痛に顔を歪めながら、それでもディックはユンを背に担ぎ、部屋を出て行く。そして、部屋の出口で最後に一度だけ振り向いた。
「……なるほど、おまえがオレの死だったか……オレは一足先に地獄でおまえを待つ事にするさ……だが、存外に長く待つ必要はないかもな……おまえの死が今、ここに現れた」
 ディックの言葉の意味をキリーが考えるより早く、キリーはそれを理解した。
 否、解っていた。先ほどから、その気配を彼は感じていたのだ。
 それは、長い間待った。宿敵の気配。
 彼の恋人を殺した魔女。
 “銀の魔女”エヴァンジェリン・フォン・シュティーベルがそこに立っていた。
「待っていたぞ……」
 怒り、悲しみ、苦しみ、様々な感情が入り交じった呟きがキリーの口から漏れた。

 [ No.656 ]


涙の理由

Handle : シーン   Date : 2003/12/14(Sun) 02:24


 暗闇に怯え、膝を抱えるより

 空を見上げて希望の星を探そう。

 絶望に打ちのめされ、うつむくより

 顔を上げて、未来へ続く道を行こう

――――ニューロエイジ・ディオンヌ・クレイグ「希望の星」より


「救われないだなんて、誰がいった。そんな奴はアタシが纏めてぶっ飛ばしてやるよ。よく考えな、エヴァ。古き新しき友よ」
 那辺の言葉が、その純粋な意志が鋭い刃のように、エヴァの心に突き刺さる。

「命は、たった一つ、魔法を持っているの。
 それを使う瞬間が、その命にとって本当に大切な永遠の時間なの。

 ――――貴女が、伸ばされた手に気付くことを、切に願うわ」
 継いで現れたクレア―久遠― が“その”光景を映し出す。
 現れたシンジの姿に、我知らず安堵の吐息を漏らしたのもつかの間、彼の傍らに文字通り影のように立つ、色濃く闇を落とす魔人の姿に、凍り付いた。
 水素タービンのエンジン音が、エヴァの耳に届く。
 それは、気高い孤高のオオカミの遠吠えのようにも聞こえた。

 そして―――
「ありがとう。十分なご忠告だよ」
「クソったれ」
「さらばだ、神楽愼司。
 _____________________おやすみ、良い夢を」

 シンジの姿が闇に消えた。
 消える間際、まるでエヴァがそれを見ていた事を知っていたかのように、シンジが彼女を見た。その口が動き、何か言葉を紡いだような気がした。

「――――――」
“アイツは今、何と言った?”

「シンジ……馬鹿者め……おまえは馬鹿だ」
 呟き、エヴァは顔を伏せ、微かに肩を振るわせた。
 一つの感情が彼女を支配していた。遠い過去に置き去りにした、その名を魔女は知らない。
 そして、再び歩き出した。

**********************

「待っていたぞ……」
 キリーが呟く。そして、射抜くようにエヴァを見た。
「……」
 エヴァは何も言わず、ただ片腕を上げ、斜めに薙いだ。
グァッ!
 大気が震え、見えざる刃がキリーの背後の壁を吹き飛ばした。
「殺し合いがしたいんだろう?なら、始めようじゃないか、銀の腕」
 抑揚のない、ゾッとする冷たい声でエヴァが言う。
 今度はキリーがそれに答えるように、銀の腕を高くかざした。
 その腕に黒い羽が集まっていく。
「なるほど……おまえもそうなのか」
 その様子を見、エヴァは呟く。その瞳に哀れみに似た光が刹那、宿った。
「一瞬で終わりにしてやるぞ、魔女」
 キリーはエヴァに向けて腕を振るう。
ゴオッ!
 エヴァに向けて無数の黒羽が殺到する。それはまるで黒い羽虫の群れのように、彼女の姿をあっという間に包み込んだ。
「そのまま、消えてなくなれ!」
 キリーが叫ぶ。昏い感情が彼を高ぶらせていた。とほうもない力が内からあふれてくるのを感じる。それは、つい先ほどまでのエヴァが感じた感覚と同質のものだった。
キュウン!
 黒羽がエヴァを押しつぶすかに見えたその時、一条の亀裂が黒羽の群れに生まれた。
 そして―――
 はじけるように、黒羽が霧散する。
 まったく変わらず、エヴァの姿がそこにあった。一筋の傷も負ってはいない。
 彼女は逆さ十字が彫刻された銀のサーベルを抜いていた。
「それが貴様の本気か?キリー。数千、数万の聖職者の血を吸い、術的処理をほどこしたこの魔剣の力は、その程度では退けることはできんぞ?」
 口元を歪めて魔女が嗤う。
“まだだ―――まだ足りない!もっと力を!魔女を滅ぼすに足る力を!”
 憎しみの炎に身を焦がし、キリーは強く願う。
 グニャリと視界さえ歪める程のその祈りに呼応し、黒い羽が更に密度を増す。
 今や、それは黒く巨大な一匹の龍と化していた。
 巨大なアギトを開き、襲いかからんとする龍を目の前にし、ようやくエヴァは満足したように、笑んだ。
 それは、自らの死と贖罪を受け入れた静かな笑み。
 はからずも、それはキリーの恋人が最後の瞬間に漏らした笑みと同じものだった。
 だが、憎しみに突き動かされ、猛るキリーは、それに気付かない。
 トライアンフのエージェントであるキリーが命じられたのは、魔女の捕獲。
 だが、彼の意識は、最愛の許嫁 レクセルを奪ったエヴァに対する憎しみしかない。
「永遠に……永遠に消えてなくなれ!エヴァンジェリン!」
 キリーが両腕を前に突きだし、叫んだ。
オオオオオオオオオッ!
 黒龍が咆吼を上げ、エヴァに襲いかかった。
カラン
 エヴァの手からサーベルが乾いた音を立て、落ちた。
 静かに、その裁きを受け入れるように、彼女の瞳が閉じられた。
 その様子に、わずかな驚きを覚えながらもキリーは、意識を集中させた。
 黒龍がアギトを開き、その暗黒の口腔に銀の魔女を捉えんとするその時。
 突然、エヴァの目の前に、光る物体が現れた。
 小さな、しかし確かに人の形を有したその面にキリーは、忘れるはずもない面影を見た。
「レクセル!」
 失ったはずの最愛の人の名を呼ぶ。しかし、龍はレクセルごと、エヴァを飲み込もうとしていた。
「グッ……」
 我に返り、全力で術を制御するキリー。
 そして―――
 黒い龍が弾け、四散した。
 力の余波に、エヴァの銀の髪が揺れた。
「キリー……」
 レクセルは、優しい微笑を浮かべそれを見届けると、再び光りの粒子となって消えた。
 時間にして、わずか数秒にもみたいな出来事だった。
 しかし、キリーにはそれが永劫の時に感じられた。かなわぬとあきらめていた女性(ひと)と再び会う事ができたのだ。それがどんな形であれ、憎しみに翻弄されるキリーの心を静め、癒した。
「レクセル………」
 脱力し、微かに体をぐらつかせて、キリーが呟いた。
 いつまでたっても訪れぬ死に、訝しげにエヴァが瞳を開いた。
ポトリ
 何かが、頬を伝い、床に落ちた。
「……なぜだ?なぜ私を殺さない?」
「…………」
 肩を息をし、キリーは信じられないという面持ちでエヴァのその様子を見た。
「レクセルが……彼女が全てを教えてくれた」
ポトリ
 再び何かが床に落ちた。
「おまえは、私を殺したい程憎んでいたのだろう?……なぜだ?」
 エヴァが再び問うた。
ポトリ
「確かに……オレは銀の魔女を憎んでいた、殺したい程に」
「では、なぜ?」
「……それなら、オレも聞こう。なぜ、おまえは涙を流しているんだ?」
 カリーが静かに問いを返す。
「……な……何?」
 その時、エヴァは初めて自分が涙を流している事に気付いた。
「あ……」
 頬に触れる指に、暖かい雫を感じる。次から次へと流れ落ちる涙は、止まる事なく次々と床に雫を落としていく。
「シンジ……」
 シンジが姿を消した時から、身の内からわき上がる感情を殺し続けていたエヴァには、その涙の理由が理解できない。
 しかし、体は反応し、涙を流し。口はその男の名を呟いていた。
「オレが憎んでいたのは、災厄をもたらす銀の魔女。強大な魔力と力と非情の心を持った女だ」
「……今のおまえは、ただの女。ただ愛しい者の死に涙する一人の女だ。そんなおまえを殺す事は、オレが憎んでいた魔女と同じ罪を犯す事だと……そうレクセルが言ったのさ」

 [ No.657 ]


君(キミ)が生まれてくるこの世界

Handle : “那辺”   Date : 2004/03/29(Mon) 01:27
Style : Ayakashi,Fate●,Mayakashi◎   Aj/Jender : 25?/female
Post : Freelanz


 歴史は終わりはしない、むしろこの瞬間にも始まり続けている。
 空白の十秒――……。

 二つの塔がもたらすその結果を。

 那辺というHandleを持っていた存在が、物質の最小単位である量子還元され、恣意的な方向性を以て全ての存在に語りかけた事。
 其れは、二つの塔となりて立脚し。さも神話の一場面のような光景を、その電子的窓の向こうに作り出していた。
 無論、恣意的量子の保護、補完に向けた行動、そして革新へと促す効果は原初の海を介して行われた行動故、全ての者に一切の差異なく作用する。

 其れが。
「あーあ、折角作った研究成果が壊れちゃったねぇ」
 なにげなく、そうなにげなく。千の眼を持つ先触れの崩壊から、Blackoutした窓を、ゆっくりと。
「痛手ではある、だが取り返しのつかぬ痛手ではない、そうでしょうな」
 ‘彼’が満足の行く答えを返してきたのに、至極ゆっくりと極上の管弦楽団の旋律の様に喉をならして、那辺という干渉を。
「そうだね。研究実績自体は残っている訳だし、ツァフキエルのデータは残ってるんだろう?君達は実に用意周到だからね」
 手を黒檀の机に滑らして、何も写さなくなった窓を消すと。天然の革張りの椅子に深く身を預けると、那辺の言葉を美味しそうに飲み下して。
「迂遠だ、課長。貴女は何を言いたいのだ」
‘彼’は軽く片眉をつり上げる。警告を通り越して分が過ぎれば、今すぐにでも降りかかりそうな刃。分かり切っている動作に、酷く酩酊をもたらして、けたたましく笑った。
‘彼’と自分以外誰もいない室内に、甲高い笑い声が響く。
 手を浮かしかける前に、和知真弓は笑いの余韻を残したまま、平然と制した。
「……あぁ、失敬。出来うる限りのデータの回収、其れで十分だといってるんだよ、壬生君。君のモデルの悪い欠点だな、多くを望みすぎる。いや原型となった“壬生源一郎”の実力故の慢心、とも言い換えようか」
 指先を組み、和知は流れる動作で足を組む。一切の殺気を感じさせぬ壬生のクローンは、この明らかに知りすぎた発言が度を過ぎれば、抹消する権限を与えられている。
「最後までお聞きしましょう?貴女の“推測”を」
 岩崎製薬の和知課長に彼らが許している役割は、彼らの望まぬ昇華が起きぬ様、LU$Tという箱庭の中で、その最大にあらゆる裁断を出来るその立場で、収める事。それ以上ではない。
「推測じゃないよ。事実だ。ボクの様に情報を扱う人間は戦略的に絵図面を描かねばならなくてね。ある程度の情報があれば、そこに形として戦略を形成できる。まぁ……正確な情報であればある程助かるんだけど、其れはまぁ、いらないかな?」
 明らかにそれ以上を超えている発言に、彼は上げかけた手を降ろした。
 その様子を面白そうに眺めると、また和知は言葉を続けた。
「断言しよう、全ての役者が全ての役割を果たした。那辺は原初の海に還る事で、その原罪である人であろうという妄執を超え、死を超え、跳躍した。と、いうよりはそうだね、大きなアラストールというOSがラドウというウィルスによって、【自壊】を起こさないように全てのプログラムである人々にワクチンとして、本来在るべき場所に還れと働きかけたんだ。自覚させるというか、これもボクは一つの小さな進化であると思う」
 ボクも例外じゃないけど、君もそうでしょ?と続けて和知は爪先をいじり始める。
「続きを」
 淡々と。ブラックグラス越しの視線が圧力を増すのを、飲み下してまた笑った。
「荒王はその存在基幹を以て、文字通り鎮護する。君達に解りやすく言えば、平将門は知っているよね?あれと同じさ。地霊となりて鎮護し、荒らす者を許さない。霊的に存在を増してしまった彼は、地脈を通じて文字通り余剰因子を飲み干すだろう。故に今回は霊的に【自壊】する事はありえないんだね……次は、ああそうだ久遠ちゃん」
 ぽん、と和知が相づちを打つ音が響く。
 暗に、編纂室の阻害行動が無駄に終わった事実を嗤うかの発言は、死刑執行書にサインをするのと同じだ。静かに男は和知を見つめた。
「コード・ツァフキエル。あの実験は実に興味深い。だが根本的に一つ、間違いを犯したんだよ、フェニックスプロジェクトは」
 一度転がったままの死体に眼をやり、壬生を見据えた。嗤う、ワラウ。
 圧力を押し返す如き傲慢にして断言するその態度は、死の宣告を待つ死刑囚の態度ではない。
 
「ご指摘頂けないだろうか、和知課長。今後の参考にさせて頂きたい」
 否。
 今までの和知の態度ですらない。
「うん、正しい判断だ。ツァフキエルは今回の騒動において、電脳の鍵を握った。つまり君達の描いていた原型(アーキタイプ)を軽く超える進化をしてしまったのだね。でも、そのおかげで現・霊・電の三界を収める集積回路が完成した。そして、キリー・ルー・バレンシアとLIMNET――北米の寡兵は、いつでも暴走したOSを消去出来る体勢に入っている。おっと、ボクの悪い癖だね、話が脱線する」
 進化、と和知は言った。つまり那辺から彼女も何かメッセージを受け取ったという事だ。
 余剰因子は排除せよ。
 これが‘彼’が彼である命令にして存在そのもの。
 其れを前に、平然と語るソレはまるで……。
「ツァフキエルだけど、まず設計コンセプトの原型が間違っていたんだ。珪素基系を人体に置き換える技術そのものは、電脳という空間だけに限定して行われる技術ではないと、ボクは今回の一件から結論づけた。電脳ではなく現実世界に技術転換を行えば、珪素生命体の形成は可能でしょ?そしてその技術は僕らの望む現実を揺るがすものじゃない。そうつまり……ボクは、君達に提案する」
 其れはまるで、自身に命を下す主人達そのものの姿。
「……提案を受け入れよう。和知課長。貴女は我々に何を望む」
 すぐさまにでも、断罪の刃を降ろそうとしていた彼は、淡々と――だが僅かにその進化に驚いて言葉を続けた。
 満足そうに頷く和知は更に、言葉を続ける。
「珪素生命体を“電脳”という空間に限定して創造した事が、コード・ツァフキエルの自立という宜しくない結果を生み出した。本来珪素基系で人間という生命体を置き換える技術は、現実に置いても可能。此を創造しえるという事実が、今回の一件で立証されたわけだよ、うん。つまりこの成果はフェニックスプロジェクトという企業集合体、この世界を統べるに相応しい巨人が、持ち得る技術として、実に、実に相応しい。原・霊・電に我々の望む形で、そう、企業という世界に絶対的に必要な存在が、必然として今後器を用意できると、ボクはいってるんだよ?今回はまあ、役者さん達とラドウの行動が相殺しあって、プラスマイナスゼロって事になるけど。悪い発案じゃないし、悪い提案じゃないと思うけど、どうかな?そしてボクは、それをやってみたい」
 大仰に両手を開いて和知は、悪魔の取引を申し出た。
「それは貴女が岩崎という企業体の観念から脱却し、我々に契合すると、解釈して宜しいのだね」
 結構、とはっきりと和知は頷いた。
 そしてインターホンの着信を告げるディスプレイが点灯すると、和知は眼をそちらに滑らした。発信先はN◎VA……皇に与えた連絡先。インターホンに向かって口を開く。
「聖花君、統括専務に今回の件はテロとして抹消しようと、文書を渡してくれ。ストックの中のケース750をそのまま使ってくれる?後、全てが終わったら軌道へのシャトルを用意してくれるかな」
 事務的に秘書が了承をして別室でその作業に入ると再び、男に向かって口を開く

「今回の件、様々なDETAと良い発案が生まれたという事で納得しない?世界は我々を必要とし、我々の中で管理される。終わりよければ全てよしって、言葉。ボクは大好きなんだ」

 持ち得る場所に帰ろうという、那辺の言葉。
 量子的に還元された以上、それ以上の意志は再構成を待たねば起きえない。
 そして……その促進と進化をもたらす作用が、全てを良き方向に向かったのではないという普遍的な事実が、此処に存在した。

http://silent-hill.net/ [ No.658 ]


be human-1-

Handle : ”粗悪品-デッドコピー-”黒人(Kuroto)   Date : 2004/03/29(Mon) 02:41
Style : ニューロ◎ ニューロ ハイランダー●   Aj/Jender : 25/♂
Post : LIMNET電脳技師上級情報査察官


Would I know what to do? [be human] yoko kanno

 あと数時間もすれば全ての人々は世界が変わったと認識するだろう。いや、もしかしたら、そういう認識すらなく、世界が変わるのかもしれない。多分そうだ。誰も、認識しないままに世界が変わるのだ__何事もなかったように。
 もしくは認識する者のいない世界が、そこにあるかだ。それはもはや世界とはいわないほうが適切なものであるだろうが__。だが、それが「神事」と呼ばれることであることには違い無かった。
 人で或る身で神を超える。そういうことが求められているのだろう。だが、黒人には、そういう感覚はかなりぼやけたものに感じた。
(__期が巡ってきたということなのか?)
 そういうことなのだ。それは正しい判断だろう。だが、「何をすべきなのか」「何処に向かうべきなのか」、それがここに居る参加者には分からないでいた。
(だが、それは舞台上の全員に言えることだ。皆が、欠けた形で終わらせようとしている)
 それこそ、神たるものの目には分かることであろう。何が欠けているのか、ということは。だが、人たるモノの目線を持つものしかこの墓場には存在していないのだ。それは黒人とて同じことだった。計測の結果が神の言葉で書かれていた所で何の役にも立たないのだ。人が使う以上、その視点の高さは人なのだ。それを嘆いても仕方が無いし、それは嘆くことではない。誇るべきものだ。だが、今は誇りよりも力が必要だった。
 人のまま、その高みに到る必要があった。出来る出来ないの段階はもう、とうに過去のことだ。そう、そして期が巡ってきた、と黒人は感じでいた。
 決意を打ち砕くような明確な現象が目の前には広がっていたからだ。
 それは、LIMNETが今回のケースで初めて掴んだ「手応えのある、確かな」情報だ。そして、黒人は気が付いた。今、この情報を性格に掴んでいる者たちがごく僅かに限られていることに。
 自分たちの干渉次第で、どのようにでも事態を変えられるということに。
(だが__その決断が御厨に出来るのか?)
 墓場のメインモニターに映るLU$Tの地図が次々とホワイトとオレンジに染まっていく様子は、その場に居る皆の__特に御厨の__不安を表しているようだった。
「C4、C7、D1、D2、ヘイフリック・シフト50%オーバー。警戒警報発令」
「D6、D7も同様です。発令します」
 オペレーターの緊迫した声とともに瞬くホワイトとオレンジの警戒色が広がっていった。黒人はカメラ越しにそれを見た。壮大な光景だった。
「着床完了というわけだな」
 黒人のその台詞を聞いてダレカンは渋い顔をした。モニターはホワイトリンクスが人にどれだけの影響を__つまりはビルドを促しているかを示しているものだった。特にIANUSを中心にした影響を示しているそれは、もはやIANUSが今までのものとは違うロジックに変容しつつあること示していた。それはホワイトリンクスの力だけでなくネットコンサートの影響でもあった。
「適切な表現かもしれん。だが__」
 ダレカンが渋い顔をしながら答えた。黒人は彼が何を言いたいのか、分かってはいたが、あえて問いかけた。
「だが、何だ?」 
「だが__レディがいる前ではもう少し表現をわきまえろ」
 ダレカンは特にそういう配慮に気を使うタイプだった。別に性差別者ではなかった__少なくとも本人は思っていた__。ただ、女性には紳士のように振舞うべきと考えていた。もちろん、時と場合にはよるし、相手も選んでのことだったが、それが彼の基本原理となっていることは事実だった。
 だからこそ、彼は今ここにいることができた。それが必要な素質として捉えられたからだ。
 ただ、その事実に彼は気が付いてはいなかった。
 ふと、黒人はそんな彼をかわいらしく思った。
 黒人がかわいく思うモノ__それは常にこういうモノだった。
 つまり、「自分の実力に気が付かないまま、それを行使しているかどうかも気が付かないまま、生き残ってしまうモノ」。
 もちろん、運だけで生き残れるような状況ではなく、力がなければ居場所さえない。にもかかわらず、そういうモノ達は自分がどうしてそこにいるのか分からず、そして自分が何もできていないと常に思うのだ。
 生き残るだけで十分なのだ。それほど、危機的な状況なのだ。
 だが、常に意味を求めてやまない者達。
 そこに有用性を求めるのは《機械だけで十分ではないか》__。
 そのことに気が付かないところが、とてもかわいく思えるのだ。
 だから、彼はそういうモノに出来るだけ意味を与えてやることにしていた。そして、その時はいつも次の台詞から始まっていた。
「お前はそのままで良い」
 黒人のつぶやきを聞きとめて、ダレカンは構えた顔をした。また、嫌みをいわれると思ったからだ。
「お前はそのままで良いんだ、ダレカン」
「良くない」
 苦虫を噛んだような顔でダレカンはそれに答えた。
「俺は__この舞台に参加できていない」
 その台詞の最後はかき消えるようだった。
「いや、良いんだ、ダレカン。お前は確かにこの舞台には参加できていない__当たり前だ。お前は「聴衆」なんだ。全てを見て全てを聞く、その後に感想を述べるのがお前の立ち位置なんだ。お前は舞台の上で舞い踊ることはない。だが、お前がいなければ、そもそも舞台をいうものが成り立たない。だから、お前はそれで良いんだ」
 そして、黒人は少し彼らしくもない言葉を付け加えた。
「本来は俺のいるべき立ち位置だったんだ。だが、お前の方が適任だった」
 その言葉は明らかにダレカンを刺激し、頭に血を上らせた。だが、それも一瞬のことで彼は黒人に語りかけた。明らかに気落ちしているような口調だった。
「何を持って適任だと言われているのかが分からないが、俺には明らかにお前の方が適任に思える。それこそ、お前の言う【機械の得意とする分野】だろう。記録というのは。明らかに俺よりお前の方に分がある」
 黒人は少し驚いた。彼はもう少し我の強い人間だと思っていたからだ。「それにより適切な判断を誤る場合がある」と、黒人はダレカンのことをそう分析していた。
 だが、実際にはなかなか柔軟な思想の持ち主だった。今怒っていたにもかかわらず、その怒りの対象である相手のことを素直に認めていた。そうやすやすと出来ることではなかった。だが、彼はそれをやった。
 元よりそういう人物だったのか、今回のことでそういう思考を持つようななったのかは分からないが。
 ロジックの固まりの黒人には出来ないことだ。ロジックは常に同じように事を運ぶ。
 むしろ、到ることの出来ていないのは、俺の方なのか__。
 黒人はダレカンを少し羨ましく思いながらも、いつもと同じように会話を進めた。
「お前が俺のかわりにその立ち位置になった大まかな理由は5つだ。1つ目はお前がメレディが関わった前の事件も見ていることだ。事実は事実として受け止める。それがリムネット流だ。もし、起因や結果、事実や理由が必要なら、受け止めてから考える__。お前は、かつてそれを経験した。その経験が重要視された。そういうことだ。2つ目はお前が女性に対して労る心を持っていることだ。これに対しての説明は省くぞ。なんせ、長くなるし、重要なのは俺には出来ないことだ、ということだからな。3つ目は感想を述べることが出来ること。俺は出来ないし、やらない。なぜなら、誰も機械の感想など求めていないからだ」
 ダレカンはただ黙って聞いていた。いや、皆が黙って聞いていた。ただ、YUKI達だけが歌の締めの部分を歌を歌っていた。だが、俺の台詞を聞いていたらしく、彼女たちはかぶりを振っていた。
「で、4つ目は__お前は俺と違って取り替えがきかない、ということだ」
 しばし、その言葉の理由を考える時間をダレカンは取った。そして、ゆっくりと確かめるように言葉を紡錘いた。
「その意味は__お前がいなくなっても誰かがかわりをする、と言う意味じゃないよな?」
「そうだ。そう言うことじゃない。「お前には予備部品がない」ということだ。だが、機械の俺にはそれがある。どんな機械だってそうだ。予備は常に確保されているのが最良というものだ」
 奇妙な沈黙が流れた。続きが聞きたいはずなのに、誰もが話を促すことの無い沈黙だった。やがて、その沈黙に耐えきれなくなったダレカンが口を開いた。聞かずにはいられないという顔だった。
「黒人__言えないことかもしれないが、あえて俺は問うぞ。お前、以前の所属は何処なんだ?」
 黒人はしばし躊躇したようだった。だが、それでも彼は黙秘をすることはなかった。
「まず、確認しておこう。俺のLIMNETでのプライオリティは【いかに多くの情報を持ち帰るか】だ。死んではならない。味方を犠牲にしても、その情報を持って帰るのが、ここでの俺の役割だ」
「そうだな」
 ダレカンが言わないかわりにどこかのスピーカーから阿部の声が聞こえた。
「__俺があまりにも凶運の持ち主だった、と技師たちは言った。そこでは、死が求められていた。知りすぎることは罪なのだ、と誰かが言った。そう、そこでは「死んで情報を持ってくること」が求められていた__」
 そこで、YUKI達もまた1曲、歌い終わった。彼女たちはただ黙っており、御厨は通信機越しに息をのんだが制止はしなかった。そして、【ノートリアス】が堪えきれずにクスリと笑い声を漏らす。
「__【A2BB】。それが今の俺のかつての顔だ」
 その言葉でダレカンが愕然とした。
 【Anchors To Big Brother】__それは北米厚生省の情報部のことだ。【Big Brother】と呼ばれる超弩級三位一体型人工知能の命令が全ての使い捨て部隊。
 舞台員は【Big Brother】の命令通りに錨の如く目的の情報に突き刺さり、リンクし、その情報を摘出する。そのための駒が【A2BB】。もちろん、生きて帰れる保証などない。むしろ、情報さえとれれば相手に焼かれようとかまわない捨て駒なのだ。例え千の錨が焼かれても、千と1番目の錨が突き刺されば良いのだし、事実そう言う使い方をすることも多い部署。そこが黒人の故郷だった。
 __俺は【粗悪品】だ。
 使用に耐えられるだけの性能を持っているが、一流ではない。だが、コピーは利くのだ。生死不明扱いとなっていたメレディー・ネスティスのコピーを作ろうとした過程で生まれたいくらでも代わりのきく粗悪品。“死者の複写”で“粗悪品”。
 __【デットコピー】とはまた上手い呼び名を考えたものじゃないか。
 黒人はこの呼び名が気に入っていた。ブラックユーモアが聞いてて実に良いなどと思っていた。
 だが、そんなことを黒人が考えている間もダレカンは驚いた表情のままで氷ついていた。懸命に口を開いた時には会話がそこで終わってもおかしくないほどの間があった。
「__5つ目は?」
「5つ目が最も重要で、また、非常に単純だ」
「何だ?」
 ダレカンが疲れた眼差しを黒人に寄越してきた。だが、まだ目の光を失ってはいなかった。
「メレディがお前を【聴衆】の位置に立たせるように、御厨に言付けをしておいたからさ」
「彼女が!?」
 ダレカンは目を見開き__それから深く息を吐いた。何かを理解したようだった。諦めたような、納得がいったような、なんとも言い表し難い顔をしていた。
「それが最も重要ということは、つまり、ここにいる全員がそうなのか?」
「歌姫たち以外はな__」
 出来るだけさり気なく言ったつもりが、微妙にイントネーションがおかしい台詞が口から出て、黒人はどきりとした。しかし、そのことにダレカンは気が付いていないようだった。ダレカンは少し正直すぎるのだ。感情が表に出やすい。もっとも、だからこその【聴衆】なのだが。
 そんな彼だからこと、今、歌姫たちの状態を悟られるのはまずい。彼女たち無しには、今後のプランは成り立たないのだから。
 黒人がそのような思考を巡らせている間、ダレカンはただ呆然としていた。驚きのあまり、動きを忘れたといった感じだった。誰かが声をかけないことには活動を開始するまでには時間がかかりそうだった。
 だから、呆然としているダレカンに向かって黒人は言葉を続けた。
「__自分が溺れてサルベージを試みることになったのなら、このメンバーを揃えて試みて。万が一の保険みたいなものだから、深刻に考えないで。__そう言っていたそうだ。まあ、彼女らしいと言えばそれまでだが、用意周到なことだ」
 ダレカンはまだ呆然としていた。だた、「彼女が__」と繰り返した。今いったことが聞こえているが瞬時に理解はしていないような感じだった。ゆっくりと噛み締めるように理解をしていた。だが、それに構わず、彼の背に向けて黒人は語りかけた。時間がかかっても理解が出来ているのであれば、それで良かった__だが、それは時間のある時においてだ。今は、時間がない。無理にでも理解を押し進める必要があった。
「俺が潜り、お前がそれを見る。その立ち位置にどんな理由があるのかは分からんが、彼女のすることに間違いは無いさ」
 残念ながら黒人には、理由が分からなかった。よって、明確なダレカンのいる意味を与えることは出来なかった。
 だから、明確に分かっていることを彼に伝えた。少なくともダレカンにはそれが意味となりえるものだった。
「彼女のすることに、理由のないことなどないさ」
 そして、それは黒人にとっても理由になることだった。そして、小さく呟く。
「ようやく、至ることが出来そうだぞ、メレディー」

http://www.dice-jp.com/dipends/blog/ [ No.659 ]


be human-2-

Handle : ”粗悪品-デッドコピー-”黒人(Kuroto)   Date : 2004/03/29(Mon) 03:49
Style : ニューロ◎ ニューロ ハイランダー●   Aj/Jender : 25/♂
Post : LIMNET電脳技師上級情報査察官


Will I cry when it's all over?
[be human]yoko kanno

ーーーー

「なら、俺は俺の立ち位置を受け入れよう。それが彼女の望みと言うのなら」
 ダレカンは何か吹っ切れたような顔をしていた。少なくとも彼は今、己の立場を受け入れていた。それは彼の心に余裕を持たせることに貢献しているようだった。
 「それに、俺は【聴衆】として確かめたいことがある__」
 ダレカンはそこで言葉を止めた。何か重大なことに気が付いたようだった。じっとモニターを見ている。モニターの瞬く光が彼の顔を染めた。光の加減と相まって、それは暗い赤色に見えた。
「これは__人が人ではなくなっているのか?」
 ダレカンは黒人に問いかけたが、それは言葉というよりは囁きのようだった。
「着床完了__そう言っただろ?」
 適切な表現だった。ホワイトリンクスはIANUSの根幹に潜り込み、新たな何かを生み出していた。
 受精により人が生まれるように、人がホワイトリンクスとIANUSを受精し、新たな何かになっている__それが適切な伝わりやすい表現だった。
 オレンジとホワイトの警戒識別彩色はそれを表していた。それの意味するところは「存在しないもの」。新たな何かがそこにいることを表していた。
「ネットコンサートの影響でもあるのだろうが__それよりは【電脳の小さな姫君】の影響力の反映だろうな。WaWがチタニウムWaWに酷似し始めている。多分、骨髄にホワイトリンクスがビルドして、血液として全身を駆け巡っているんだ。より多くの情報をより早く処理しようとしている。すでに表面皮質に光学模様が出始めているはずだ」
「皮質に光学模様? あり得ないわ」
 御厨が反射的に答えた。当然の反応と言えた。
「賭けても良い。そういう現象が起こっているはずだ。今それが確認できないのは、その光でさえもホワイト・リンクスが吸収し、変換し、エネルギーへと変えているためだろうな。皮質が皮質でなくなりかけている。鋼線神経がその表層にまで張り巡らされている。モーフィングも起こしているのかもしれん。徐々に【それ】になり始めている。そう__まさに【理想的な】モーフィングだ。【小さな電脳の姫君】の影響さ__ハイブリット珪素生命体になり始めているんだ。不完全な形といえど」
 御厨が息をのみ、ダレカンは沈黙した。ただ、YUKI達の歌だけが、その場に響いた。
「別に驚くことじゃないだろ。ホワイトリンクスのビルドのためにはタンパク質やアミノ酸や水などより珪素の方が遥かに効率が良いんだ。そのほうが鋼線神経を張り巡らせ易い。ナノマシンだって機械だ。効率の良い方を選ぶ」
「どう思う? その__元に戻せるのか?」
 ダレカンが御厨にマイク越しに訪ねた。医学の知識が一番あるのは、このメンバーの中では彼女だ。
「ホワイトリンクスがビルドをやめれば、だいたい一か月で元に戻るとは思うけれど__ちゃんとした食事が取れない人が出てくるでしょうね。タンパク質を消化できないんじゃないかしら? α−アミノ酸が分子レベルで構造転移を起こしているように感じるわ」
「__俺の権限のライブラリー検索でも同じような答えしか帰ってこないな」
 黒人があくまで機械的に告げた。ダレカンはしばし考え、そして口を開いた。
「__ことがここに到るということまで、お前には分かっていたのか、黒人?」
「俺は機械であって、予言者ではない。俺は計器で計測はできるがそれは今の計測でしかない。俺は未来を計ることはできない。だから俺の言葉は【計器の計測として聞け】。そこから、答えをはじき出すのは、俺の【領域-ドメイン-】では無い」
 黒人はそう答えた。どこと無く投げ槍な言い口だった。誰だったら、分かっていたのかを言いたくないような口振りだった。事実、彼はそれを言いたくなかった。だから、彼は少し強引に話を進めた。
「だが、これにより多少俺達はやりやすくなった。ネットコンサートの影響力が無いわけではないことが分かったし、何よりIANUSでは補い切れなかった個々人の持つ外への認識__外的世界への情報を的確にネットコンサートにフィードバックすることが出来る」
「つまり__人との繋がりをもサポートできる?」
「少し違うわね、それは」
 ダレカンの問いに対して、俺より御厨のほうが早く答えた。
「人との繋がりは今までもあった。そう、繋がり過ぎていた。人との繋がりをサポートするネットコンサートを人が個人を意識するように働きかけさせる、という方向に持って行く必要さえあった」
<<<最初から私達は人々、その個々人にしか歌ってないわよ。その人に合った音で、その人にあったチャネルでしか歌いかけていないわ。そういう仕様でしょう?>>>
 YUKIがWeb越しに答えを返してくる。いつの間にか全曲を歌い終え、アンコールまでの合間の休憩を取っていた。
「そうだったな。今回はそういう仕様だった」
 ダレカンが少し疲れたようにため息をつきながら、そう答えた。<<<ハーモニクスを極力コントロールするためには個々の音に対処する方が適切>>>__AI達は揃ってこう答えた。なるほど、確かに計算上はそうであるが、出来るかどうかは別だ。実現できるととはダレカンは考えていなかったが。だが、現に彼女たちはやってのけていた。黒人が感嘆していた所を見る限り、そういうことなのだろう。ダレカンはそう判断した。第一、彼は黒人が手放しに他人に電脳活動をさせている所など、今まで一度も見たことが無かった。
 YUKIとYAYOIがリンクをオフにし、用意してあったスツールに腰を掛けた。そして、ティーポットからまだいくらか暖かい紅茶をそれぞれのカップに注ぎ始めた。
「つまり、個人を失うほど解け合っている人々に自分を意識するように、そう、いつものネットコンサートのように個人の好みを__アイデンティティを持たせながら、繋がりを持たせるように仕向ける手段を用いるのよ」
「仕向ける手段?」
「そう手段。そういう手段を使うのよ」
 YAYOIがゆっくりと紅茶を飲みながら相づちを打った。そして、その手段の解説をはじめた。
「まずは、そのそれぞれの世界の認識を個人のアイコンに被せる。それも全体的に。これで、個々人に【自分とそれ以外】という格差が出来るし、かといって大きな全体としてのまとまりも出来る。それぞれの隙間をうめる緩衝剤__みんながダイレクトに繋がらないようにするための皮膜を通じて1つとみなすことも出来る。一つの個ではなく、一つの集合にする。そして__これで、ようやく__」
「そうここまできて、ようやく、共通の体験をさせることが出来るようになるわ」
 YAYOIの言葉をYUKIが受け継いで答えた。ダレカンはゆっくりと考え、そして口を開いた。
「体験なのか? その__気持ちを一つにするのでは駄目なのか?」
「私の経験からすると、それじゃ”解け合い過ぎる”わ。気持ちを一つにするというのは。それはね、人に取って幸福感、充足感が強すぎるのよ。とても幸せなことなのよ__自我を失うほどにね」
 しっかりとダレカンの目をYUKIがさらりと付け加えた。まるで、常識よ、というようだった。
(常識か__)
 その言葉を頭で繰り返した途端に、彼は黒人が先ほど言わなかった事実に気が付いた。
(常識だって?)
 個々の人に解け合うほどに近く接して歌いかけるのが歌姫の役目だ。個々人の好きな音に合わせ、好きな映像を見せ、好きな環境を提供する。個々人にあわせた好みのコンサートをシムスティムを応用して提供する。それがネットコンサートだ。だから、彼女たちにしてみれば、それは常識だった。
 その状態が常識__。
 だが、それはつまり、常識となってしまうほど解け合うストレスを__自我を失うほどのストレスを常に感じているということだ。それはユーフォーリア直前の領域だ。その領域で個々人に合わせた音で__個々人の出す音で調和を取り、一つの世界を作り出すことを、そう、ハーモニクスをやってのける。カバラの【至上の至福】、神と心を一つにするという【コル・ウーヌム】にも到り得る状態。以前のネットコンサートの数歩も先の世界。ネットコンサートの完成形とも言える領域。だが、それは、崖っぷちのぎりぎりのところでダンスを踊るようなものだった。
 何故、自分は今までそのことに気が付かなかった? 
 ダレカンはコンサートの担当者として、そのことに気が付いていなかった。仕方の無いことだった。何故なら、歌姫達も誰も、そのようなことを彼には教えてくれなかったのだから。だか、彼は自分の愚かさを呪った。何故、気が付かなかったのだ?
 死にたがっているようなものだった。
 死んだ方がましな酷いストレスを感じているはずだった。
 身体が悲鳴を上げているはずだった。
 ダレカンは暫くYUKIをじっと見ていた。後悔の念にかられた視線を送り続けた。その視線に気がつきながらYUKIは気がつかない振りをしていた。だが、ついにはその視線に根負けしたようだった。諦めたように溜め息を深くつくとYAYOIと目配せをして体を覆い隠していたフード付きの外套を外した。
「あなたが心配しても仕方の無いことなのよ、ダレカン。私達はやると決めたからにはやるのだから」
 外套を外して露になったプラスティック・スタイルのダイブスーツは純白ではなくなっていた。赤よりも暗く、紅よりも深い赤色に染まりきっていた。原初の赤__血の色だ。
 過度のストレスが体中の毛細血管を破裂させ、スーツを血で染め抜いていた。二人があまりにも凛として立っているため華麗なドレスのようにも見えたが、血のにおいが、独特の嫌悪感を齎す臭いが強すぎた。
「まだ、いける。アンコール用の曲ぐらい歌えるわ」
 冷静にYAYOIが答えた。ダレカンが目を剥いた。
「限界だ!」
 御厨はモニター越しにスーツの染まり具合を見て、二人の体がどういう状況かを把握したが、何も言わなかった。いや、言えなかった。ただ、強く爪を噛んだ。そうでもしないと挫けてしまいそうだった。だが、ここで挫ける訳にはいかなかった。その時、彼女は明確に心の中で歌姫達とメレディを計りにかけた。答えは初めから決まっている。だが、自分のしていることに気が付いた時、彼女は言い様の無い恐怖にかられた。心を穢された気がした。それも自分自身に。
「潔癖性は大変よ。__穢された時が付いた時にそれが分かるわ__」
 かつてメレディが彼女に言った言葉だった。その台詞がリフレインされる。あの時のメレディーは御厨には心底恐ろしい女性に感じた。狂いそうなほどに怖かった。いっそ、恐怖のあまり、その瞬間の記憶が無くなっていればどんなに楽だったか、と何度も思った。だが、だからこそ彼女はメレディのためになら穢れようと思った。そう決心した__。
 ここで逃げても穢された一人の女が残るだけだ。挫けて逃げた所で何も残るものは無い__歌姫達の生命以外には。
 だが、彼女達もそれを良しとはしないだろう。彼女達を支えているのはプライドだ。そのプライドを穢されるような__力の限りを尽くさなかったという行為を彼女達は良しとしないだろう。彼女達の力の限りとは、つなわり命をチップにすることだ。それが、べガス筆頭の凄腕ディーラーが相手だとしても。
 だから、御厨はさらに爪を噛んだ。意識的に血が出るほど強く噛んだ。逃げるわけにはいかないのだ、と己に強く言い聞かせた。彼女は己の心情を捨てた。心の底まで穢れることで、メレディが帰ってくるというのなら、遥かに安い買い物だ。チップが足りないというのなら、私のプライドもチップにしよう。それで足りないなら、命をも。
 だが、彼女は知っていた。今は僅かなチップで100万ドルを得るだけの力が必要なことを。そして、自分にはその力が無いことも。チップがいくら合っても無駄な領域に自分は居る。だが、自分は参加費用のチップ程度の存在でしかない。だが、それでも、参加することは出来る__。結果がどうであれ。なら、参加するに決まっている。参加を切望している男もいるのに、どうして自分が先輩のために努力しないで平気でいられるというのだ。それこそ、気が狂いそうになる。
 今、彼女の心は倒錯的な物事に価値を見いだしつつあった。ぎりぎりの精神状態だった。
「限界だ!」
 YUKIとYAYOIが言葉を繰り返しながら二人の元へ歩み寄ってきたダレカンをバイザー越しに見た。ダレカンはまるで肝臓癌の患者がアルコールに手を出そうとしているのを止める医者のような眼差しを寄越してきた。
「コンサートの担当者として言うぞ。君達二人の体はもう限界だ__」
 その時、Web越しに部屋全体に響くように音が響いた。酷いノイズ音が薄れるとともに次々にあがるオペレータの悲鳴。誰かの舌打ちの音。黒人の叫び声と同時に【浴槽-タブ-】から微かな炸裂音があがる。黒人ののろいのようなうめき声と共に、笑い声を押し殺した低い声が外部通信用のスピーカーからはっりきと辺りに響いた。それは今までそこにいた筈の男の声だった。
「だが、それでも我々は彼女たちを使うしかない。そうでしょう?」
 体中から煙を上げながら、それでも、力ずくで防壁を突破し、黒人の両足を過電流で吹き飛ばし、そして、見せつけるように喋っていた。今、お前達の望む力はここに或る、と言わんばかりだ。誰もが手出しの出来ない暴力だった。完璧なまでに会話の隙をつかれた。黒人としては出来れば、こいつには最後まで黙っていてほしかったが、それも限界だった。黒人の心に反応したかのような舌打ちが再びスピーカーから聞こえた。恐らく、阿部だろう。外部通信用の回線にもホワイトリンクスへの防壁が展開されているはずだ。それに加えて第2発令所オペレータを使ってそれなりの追加防壁を展開していたのだろうが、相手のほうが一枚上手だったのだろう。阿部は忌々しさを込めて何かを小さく呟いたが、それは聞き取れなかった。もしかしたら、オペレータの死体の数を数えているのかもしれなかった。
「ノートリアス__!?」
 ダレカンが驚いてスピーカーを見たあと、今まで彼が居た場所を見る。だが、そこにあったのは、糸の切れたマリオネットだった。デコットが膝から崩れ落ちた。まるで飽きて放り出されたおもちゃのようだった。ダレカンの目が驚きで見開かれていた。
「ば、馬鹿な! __外にいるのか、ノートリアス!?」
「私は元より外に居ましたよ。【A-101】発令の手続き上、その場を見なければいけなかったに過ぎない」
 つまりは初めから初めから彼は我々を信用をしていなかったわけだ、とダレカンは思った。それとも、何か別の重要な___。
 そこで、ダレカンは気が付いた。
「だが、それではホワイトリンクスのビルドがお前にも__」
 彼の言葉はそこで止まった。
 黒いコートに黒いサングラス、タイもスーツも靴も髪までも黒。黒でないのはシャツとその肌の色とタイに着いているタイ止めと思しき小さな銀の輪だけだった。良く見るとその銀の輪の中には黒真珠がはめ込まれていた。
 北米の誰もが受け入れたくない存在が、そこにいた。逃げ出すかわりに、ダレカンがその名を呟いた。
「インビジブル・ムーン__」
「Exactly -その通り- 」
 強い風がホワイトリンクスをノートリアスに叩き付けていた。だが、ホワイトリンクスはその体を避けて後ろに流れていた。まるで、彼を怖がっているようだった。既に体からは煙が出ておらず、彼が手を動かすと幾重もの透明な線が白く靄のかかる空間に走るのがはっきりと分かった。。
「__我々はホワイトリンクスの影響を受けません。何故かは説明不要でしょう?」
「そうだな」
 ようやくいつもの冷めた声を取り戻して黒人が短くそう答えた。それはホワイトリンクスと背反するデヴィア・インプラントの力だ。互いのナノマシンがまるで相反する磁石のように作用していた。彼等インヴィジブル・ムーンは全員デヴィアがビルド出来た適正者だ。逆にデヴィアがビルド出来た者がインヴィジブル・ムーンとなるとも言えた。デヴィア・インプラントの齎す機械への障害はそれほど厄介なものだ。相手は通信の手段がなくなり、防塵防磁対策をしていないサイバーウエアは働かなくなる。パンサーもワイアードでないと働かなくさせてしまい、ウェブ越しに突っ込んでやれば、サージで相手の両足を吹き飛ばすほどの効果だ。特に記憶媒体への影響は深刻なレベルに達していた。防護対策を施していても酷いノイズが入る場合が殆どだった。それでいて自分達はビルドしたデヴィアを通じて通信・記録が可能なのだ。
 それは、彼等に取っての楽園だった。通信や記録が満足にいかないのを利用して、虐殺の限りを尽くすのだ。__【Kill them all】が合い言葉の【対ヒルコ滅殺部隊】。だが、彼等が狩るのはそれだけとは限らないというのは、もはや公然の秘密といえた。
 ドラッグ・ケースのカプセルを無造作に2、3錠飲み干して、深々と息をついた。そして、十分に間を置いて一息ついた、と言った感じで語り始めた。
「いいですか? これはチャンスなんです。我々がネット・コンサートの布陣を引いていたからこそ、今になって気が付いたこの事実は、間違いなく外野には知られていない。それどころか、外野の連中はこの展開に飽きたのか、自分たちの中で納得して帰り支度をし始めているんだ。分かりますか? 再度、言います。チャンスなんです。全く持って、度し難い馬鹿どもだ、あなたたちは。ここで躊躇して何になるんです? 今こそ、チェス盤をひっくり返せるだけの期が巡ってきたというのに!!!」
 黒人は何も言わなかった。ノートリアスは事実を述べていた。全てを語っていた訳ではなかったが、そこまで言う必要無いと黒人は判断した。ただ、ちゃんと情報が集められているのかをただ見つめるだけ__それが今回のノートリアスの行動だ。【A-101】発令の交換条件とも言うべき人材だった。北米側が寄越した【目であり、耳であり、そして感想を述べるモノ】__彼もまた【聴衆】だった。ただし、彼もまた、元「厚生省」と呼べる人材でもあった。腕はいいが__キレやすいのだ。そして、仕事中にドラッグを決めるようなヤバい男でもあった。だから、突然、今のような形でキレるのだ。
 でも、腕は確かだったので、だから、今、生きている。そういう男だった。
「じゃあ、何をする気なんだ、おまえは? 外にいる意味があるのか?」
 ノートリアスはじっとどこかを見ていた。その視界に【銀の腕】を捉えていた__イカれた目で。
「奴の目を俺が借りるのさ。【銀の腕】との約束を果たすためにな__一応、そういう予定だった、だが__」
 黒人が呟くように、答えた。そして、「だが、もう終わってしまったみたいだな」と深いため息とともに呟いた。そして、せめてもの礼にと【銀の腕】のアドレスにLIMNETの非常アドレスを送る。そして、【ファナティック】に「そこ」に「奴」から連絡があったら、お前がお前の判断でやつの外部記憶装置になってくれ、キリの良いところまで、と伝える。
 その一言で歌姫達がアンコールの準備を始めた。
「YUKI、YAYOI!」
 準備に始める二人を見てダレカンは叫んだ。だが、二人は降りるつもりは無かった。
「任せて。大丈夫よ」
 YUKIが微笑みながら、そう答えた。元気なように見えもしたが、ダレカンには額に脂汗が浮かんでいるのはっきりと分かった。
「仕掛けるまでに少し時間をくれ、歌姫達。ちょっと試してみたいことがある」
 黒人はそれだけ言うとダイブを開始した。誰もがそれぞれの作業に戻るのを見て、ダレカンが叫んだ。
「何で誰も止めないんだ!? 限界なんだ! あの子達は本当にがんばってしまうぞ! そうしなきゃ生き残れないみたいに!!」
 誰も何も答えなかった。それが答えだった。事実、そうしなければ生き残れない状況だった。
「そうまでしないと俺達は生き残れないのか。そうまでしなきゃいけないのか__」
 ダレカンがウェブのモニターを見つめた。黒人が何かを仕掛けていたが、ダレカンはそれを見ていなかった。彼は、そこに未だ現れていないアイコンを探していた。
「それでも、俺は【聴衆】でいることを求められるのか__なあ、メレディ、お前にはこれが見えていたのか? これがお前の望んだ世界か?」
 ダレカンは一人、そう呟いた。もし、俺が舞台に上がるとすれば、それはこの手で彼女を殺す時だろうと、ぼんやりと考えた。
 これが、メレディが姿を現す少し前の出来事だった。そして、舞台の隅々まで見渡していたダレカンが最初にメレディを発見することになった。完全な【聴衆】の立ち位置に居た彼だからこそ出来たことだった。
 ぎりぎりにタイミングに素早く対処することが彼には出来た。
 それは、ようやく見えた希望だった。
 最後のぎりぎりまで【聴衆】でいることに耐えたダレカンの讃えられるべき成果だった。

http://www.dice-jp.com/dipends/blog/ [ No.660 ]


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