INDEX のま加納NIINOMYOそんちょ8bitEarlいわしまん原代篠原透
 
b a c k n u m b e r
Bakanegy
#01 異形 10.9

#01 異形  2001/10/9
皆さん「こんにちは」或いは「初めまして」。
“Bakanegy”(正式名称:バカがネギしょってやって来る)と題したこのコラムでは、僕、加納健が毎回無節操に思考を迷走させる。固い話もあれば救いようの無いバカ話もあるかも知れないが、その辺は成り行き任せだ。とりあえず第一回は本に影響されての歴史ネタ、“ジャンヌ・ダルク”を。

まず最初に断っておく。僕は信仰を持たない人間である。少なくとも、人間を救済する神などいないという考えを持っている。霊の存在も認めないし、まして神のお告げなど幻覚の一種に過ぎないと思っている。
にも関わらず、いやそれゆえにジャンヌ・ダルクについては語る価値があるのだ。

改めてジャンヌ・ダルクとは、という説明を加える必要も無いだろう。今これを読む誰しもが、彼女の生涯について大筋ぐらい知っているはずだ。フィクションの題材として、あるいはイメージの原型として取り上げられることも多いゆえ、使い古された感すらある。今さら掘り起こすまでもないと思うのもむべなるかな。
更に言えば、現代の日本人、特に僕のように無宗教の人間から見れば、彼女のメンタリティは遥かにかけ離れた場所にあり、正直理解に苦しむ。彼女の行動原理が非常に宗教臭い「神の声」というただ一点であることが、共感するのに足を引っ張る。
真正面から一人の人物として見るには、ジャンヌは余りにも浮き上がっている。だから彼女を「大人に利用されただけの神懸りの少女」と見なすのが合理的な考え方ともいえる。

そういう人にこそ、もう一度正面からジャンヌを見ることを僕は勧める。

信仰生活の中で「神の声」を聞いた人は多数存在する。戦争を「神の意思」として遂行した人も数多く存在する。前者は極まれば聖人とされ、後者は極まれば英雄となる。
だがジャンヌはその両者である(彼女は異端として処刑されたが、500年後に教会から聖者に認定されている)。
しかも彼女は一介の村娘でしかなかった。信仰に拠って強大な神の国を建てたムハンマド(マホメット)には人的・物的資産と才覚があったが、ジャンヌにはそれもない。戦場においてもただ旗を振り突撃し、味方を励ましただけである。戦略も政治的見識もなく、ただ敬虔さと勇敢さと奇跡的な幸運のみを武器として、極めて政治的に重大な役割を(短期間ではあるが)果たした。幸運が失われると彼女は悲劇的な最期を迎えたが、最期まで信仰と勇気は失われなかった。それがジャンヌの全てであった。

彼女の一貫したプリミティブな情熱は、今もなお人々の精神にインパクトを与え続けている。彼女の伝記は一度聞けば決して忘れ得ぬ強い感銘を残す。もっと偉大な英雄よりも、もっと模範的な聖人よりも。それは信仰を持たぬ者に対しても、個人の神秘的体験がもたらした偉大な業績を容赦無く突き付け、魅惑する。

ジャンヌ・ダルク。それは歴史上に燦然と輝く異形の英雄だ。
僕は神を持たぬがゆえに彼女を畏れる。

※今回の参考資料
竹下節子「ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女」講談社現代新書

このテキストにメッセージを書く