ヨコハマ中華街&新山手

[ Chinatown BBS Log / No.621〜No.640 ]


荒ぶる魂の王

Handle : シーン   Date : 2002/01/16(Wed) 00:18


二つの影が数度交錯し、そして離れた。
双方にダメージはない。
これは、終わるはずのない螺旋なのだ。さながらメビウスの輪のように。
「仁姫・・・いや、荒王よ。」
「勝てぬと、貴様は言ったな。・・しかし、たった一つだけ手段はある。」
阿修羅丸が荒王を見据える。
その仮面の奥で彼が微かに笑ったように、荒王には思えた。
「我もまた荒王となれば良いのだ。おまえの一部となり、おまえから主導権を奪う・・・いや、それは正しくはないな。我の魂により、おまえに影響を与えれば良いのだ。」
その答えを荒王もまた、予測していた。
いや、彼もまたそれを考えていたのだ。
「我の闘争に飢え、荒ぶる魂を受け入れる事がおまえに、できるのか?荒王よ。」
「応!」
吠えるように、彼は答えた。それは仁姫の声ではなく、荒王の声だった。
「我、荒ぶる魂の王。荒王なり。」
荒王と阿修羅丸が再び剣を構えた。
双方が意志力を剣に変え、最後の一合を交えんと睨み合う。
最後の残るのは?
荒王か?
それとも阿修羅丸か?

 [ No.621 ]


Beat Bullet

Handle : “銀の腕の”キリー   Date : 2002/01/30(Wed) 22:48
Style : Kabuto-Wari=Kabuto-wari Kabuto◎●   Aj/Jender : 24/Male
Post : 猶予の一族


「時間がないのは分かっているだろ? だから、2秒で決めてくれ」

現れた男−黒人はそう告げた。

確かに時間が無い。陣の起動までの時間、外的要因排除のための時間。全てが不足している。
それに、青面騎手幇を全滅させてしまっては、その怨念が陣に悪影響を与えかねない。

ならば?
そう、情報戦しかない。目の前の、信用に欠ける男から青面騎手幇をこの場所から引き上げさせるに十分な材料を提供してもらうしかない。
電子の海の姫君には、この男が少しは役に立つだろう。

まったく当たり障りの無い容貌---?
「よほどの急ぎのようだな。市販に近い義体を使ってまで交渉に来るとは」
そう言いながら右手で印を切り、久遠を"嘆きの羽"で隠す。
まるで久遠が翼を纏ったかのように、黒人の前に浮かび−−掻き消える。
「いいだろう、青面騎手幇をこの場所から撤退させるに足る情報、それが引き換えだ。今は時間が惜しい。連中は一人でどうにでもできるが、数が数だけにいちいち相手にしてられん」

「成立だ」黒人は頷き、きびすを返す。「情報が整い次第、すぐに連絡する」
「なに、こちらも手が離せなくなりそうだ。流れ弾に当たりたくなかったらすぐにこの場から消えろ」

そう告げる視線の先には、ビルの入り口から飛び出す青面騎手幇と思しき一団。
何も言わずに右腿のホルスタに収まっていたAP40を抜き放つ。

銃声が響き、100メートルほど先のビルの出口から出てきた一人が突然、頭をクラッカーのようにはじけ飛ばす。

「さて、血煙と硝煙で踊るのは誰だ? 時間が無い、地獄に行きたい奴から来い」
普段なら言わない科白。挑発的な笑みが唇に現れる。

「邪魔だ、死ねぇ!」
そう先頭の一人が喚き散らし、手にしていたショットガンを撃った。

スローモーションのように飛んでくるスラグ弾を、冷めた頭が告げる。
"右手上腕部に着弾まで0.35秒。回避動作要求"
左手のAP40からスラグ弾を狙い済ましたようにもう一度銃声。
"スラグ弾、着弾外と判断。敵勢力、20名と判明"
「ば、馬鹿な……、銃弾を弾いただと?」
ショットガンの男がうめくように再装填、発砲。
"右肩着弾まで0.20S。回避動作要求"

「……うるさい、アシストだ」思考トリガーで回避サポートの音声をカットオフ。同時に銃のセレクタを3点バーストに変更。
そして、銃声。
3点バーストの銃弾。1つはスラグ弾を弾き飛ばし、2発めは男の額へ。3発目は弾装へ着弾。
爆発音。

「て、敵襲!!」頭の無い死体と、爆発音でビルから降り立ったばかりの青面騎手幇が、散開する。

「奴は一人だ。青面騎手幇の邪魔をするものには、制裁をっ!!」
指揮官らしき男が、アサルトライフル片手に怒鳴り散らす。
「散開っ!」よく訓練された動きで散開し、こちらに銃口を向け射撃が開始される。

「チッ、数が多い」
思考トリガーでセレクタをFAに変更、撃ち込まれた銃弾をAP40のマガジンが空になるまで弾き飛ばす。
最後の1発で射手一人の額を撃ち抜き、撃ち尽くしたAP40を投げ捨てる。

「し、死にさらせぇーっ!」絶叫を上げつつ突撃してくる前衛に向かって、いつの間にか右手に現れたストッパーが咆哮を上げる。
四肢と両手首を打ち抜かれた男が絶叫を上げ、独楽のように血飛沫を上げつつ倒れ伏す。
猶予の一族として生まれた男は、その名を捨てたときから身に着けた「力」を、圧倒的な力として青面騎手幇に見せ付けていた。


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「や、奴は化け物か……」
指揮官の男は明らかに焦っていた。
20対1。通常であれば勝負にもならない状態を、目の前に現れた右腕が銀の腕の男は圧倒的な戦闘力で青面騎手幇の兄弟たちを撃ち倒していく。
「何をしている! お前たちはそれでも青面騎手幇かっ! たった、たった一人の男に我々が……」
(こんな、こんなところで俺の出世を止めるわけには……くそ、あの男の……銀の腕の男さえ……?!)
「ば、馬鹿な、お前があの“銀の腕”だと言うのかっ!」
気がつけば20名いた部隊は、すでに5名ほどに撃ち減らされている。

「奴が“銀の腕”なら銃弾など当たりはしない……だが、これならどうだっ!!!」
軽快な発射音と共に、榴弾が連射される。
「死ね、死ねぇーっ!」

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あらかた撃ち尽した2丁目のストッパーを投げ捨てた時だった。
戦場で聞きなれた榴弾の発射音。
(……グレネードっ!)そう思ったときには体が動いていた。
反射的に印を切り、体の位置を《転移》。
刹那、爆音と共に爆風と凶器となった破片がキリーを襲う。

収まった爆炎の跡には、何も残りはしなかった。

「我々青面騎手幇に逆らうから骨も残らんのよ、愚か者めが」
「愚か者は貴様の方だ」
死天使の様な声と共に轟音が響き、残った青面騎手幇の兄弟が血煙を上げながら倒れていく。

「ば、馬鹿なあれほどのグレネードを食らって−−まさか、上かっ!!!」
上空を仰ぎ見る男の目が最後に見たのは、銀色のカービングが輝くBOMBの銃口だった。

 [ No.622 ]


How much difference is between a "human" and "us" ?

Handle : “ツァフキエル”煌 久遠   Date : 2002/02/12(Tue) 14:54
Style : 舞貴人◎ 新生路=新生路●   Aj/Jender : 22,Female/ In Web... "Little Six-Wing'z Angel" I-CON
Post : カフェバー “ツァフキエル”マスター




いろんな生命が生きているこの星で
今日も運ぶ、戦う、増える、そして食べられる

そろそろ遊んじゃおうかな
もっと頑張ってみようかなーんて
嗚呼 嗚呼 あの空に
恋とか、しながら

力合わせて、戦って、食べられて
でも私たちあなたに従い尽くします

立ち向かってって、黙って、ついてって
でも私たち愛してくれとは言わないよ


(Love song --- theme of pikmin)

______________________________________



 「自分」が何か、と問われれば答えは明白だ。
 電子。プログラム。ソフトウェア。01。
 寂しがり屋の人間が作った、『己に似せて造りしモノ』
 ……人のように思考し、人のように答えを返し、人のように行動する。
 けれど結局は――――――文字通り、機械という水槽でしか生きていられない
 金魚のようなものなのだ。所詮AIなんて。
 愛玩動物ですら、突然主人がいなくなり居場所が無くなっても生きていく意志さえあれば
 力尽くでそれを叶える事も可能かもしれない。
 しかし自分には自己消滅する自由さえままならないのだ。回路がない……つまりは主人の意志で。


 久遠がEDENへと転移する画像が幾度もリピートされた。
 『今こそ、私の命と全てをブレットにかえて、トリガーを引く時なんだ・・・』
 『...よう、皆さん。“彼女達”はどうやら縦じゃなくて、横に転移-シフト-するつもりみたいだゼ。
 それもただシフトするんじゃない。時間を超えて広がる記憶と意識の海原にダイヴを始めたぞ』
 “ツァフキエル”は小さく溜息をついた。同意。年頃の娘を持った親ってこんな気持ちかしらと
 使い古された台詞を自分の中でリピートする。
 現在の久遠の電子能力のみに特化して複製され、より練り上げられたAI-"Zaphkiel"は
 確認出来ているキー……プレイヤー達の回線の中継点となっていた。無論戒厳令が敷かれた現在
 それは生易しい事ではなく、終わりのないハイドアンドシークだった。
 遙かソラを見上げ、ツァフキエルはもう一度溜息をつく。
 久遠が選んだのは現状打破。
 私に託されたのは現状維持。
 「結論から言うぞ。俺ではあの二人を正確に捕らえることは出来ない。“ツァフキエル”がああいう手段をとった以上、出来そこないのMMH
である俺には手の出しようがない」
 黒人の声が届いた。おそらくはレイストームの二人の搭乗者達に告げているのだろう。
 淡々としていたものの、僅かにある苛立ちの色は隠しきれない。
 (女同士ですもの。ないしょの話は大好きなのよ)
 黒人のバディであるクローソーの声までダイレクトに此方に届く。
 自分が中継点であるが為に、そして「二人」がミラーリングした僅かな隙間だからこその、直接的な彼女の声。
 バックアップに廻ると言った黒人の声に重なるようにして、黒い人形達は手を繋いでワルツを踊る。
 自分達ではどうしようもない状況下でも、彼は己の行える事を為そうとする。
 ならば――――――

[...ねえ、“デッドコピー”]
 初めて「私」から語りかける声に、黒の人形は地上に降り立つ直前で僅かに足を止めた。
 無機質な瞳の色がこちらを覗く。
[...私は貴方に頼むしかないの。これからは人の直感が支配する時間なのなら]
[...何の話だ、“ツァフキエル”?]
[...貴方に頼むのはお門違いだってわかってるの。本当は私がしなければならない事。
 でも、私のキャパシティを遙かに越えてるのよ――――久遠を、頼みます]
[...…………………]
[...その代わり、私は私の仕事をするわ。…………ねぇ、“デッドコピー”]
 自宅のメインフレームが火を噴くまで後12cec.
 私は火事にならないようにスイッチを押して出ていく、その直前で微笑ってみせた。
 上手く、微笑えているだろうか? 私は、彼とは違う……
[...―――――貴方は、人間よ。私達と役目は同じ、流し雛でも]

 使い捨てのプログラム。それが、私。



 マーシャル・ロウの発令された現在、他者とのリンクを保持しつつ回線を確保するのは
 猟銃が狙いを定めている中でカルガモのひなを後ろに連れて歩いているようなモノだ。
 外に出て一秒で、いかに自宅が暖かかったかを嫌というほど思い知った。
 普通の人間なら精神すら削って行う作業を黙々とこなしていく事に私は重荷を感じない。
 その事が―――――時々溜息をつかせる事になりながら。
 暫く安定出来る場所を探しては、また捨てていく。
 その感覚がだんだん短くなっていく事に僅かに苛立ちを覚えた。後もう少し余裕さえあれば
 一本回線が支配出来た、何て事もままあるために。
(…………もう少し、深めに潜ってみようか)
 判断は一瞬。その準備を行う前に保有者達のPingを確認する。
  LU$T再開発地区:廃ビル。
  漢帝廟:正門近郊。
  漢帝廟:正門前。
  漢帝廟:外周回廊。
  漢帝廟:正面回廊。
  電離負荷領域:−。
  軌道:母なる大樹。
  地上千早重工:執務室。
  漢帝廟:地下回廊中央。
 下位は上位。廻していくほどに重くなる。タイムアウトを幾度繰り返しても
 マトリクスを駆け抜けながら“ツァフキエル”はピンを送り続けた―――――久遠へも同様に。
 このままでは蓄積負荷が多すぎる……そう思った瞬間、大きな存在が移動する気配を察して
 絶え間ない電子の波に身を隠す。
 巨大な一つ目玉のアイコンが大きな身を揺らして流れていった。戒厳令など素知らぬ様子で。
 ……………………千眼。
 ……………………編纂室。
 例え「彼」とは勝てなくても、エイの腹影に隠れているゴバン鮫のように、その影でなら
 隠匿しつつ保持する事は可能なのではないだろうか?
 今の微量な情報量と―――――それなりの施設さえあれば。
 でも何処にそんな場所が?
  一秒の沈黙はデータベースを検索していた時間だ。
 ひとつだけあった。
 おそらく、他には方法がない事もその方程式の答えは示していた。


 ざっと見回し、手頃な義体を支配する。
『……こういうのはクルードにやるもんだ』
 チェックしたスペックの差に、そう言っていた彼との格差を改めて図式化されたようで
 少し苦笑が零れた。
 本来勝てる相手ではないのだ。黒人も、千眼も。けれど他に方法がないからやる。
 それだけの話なのだともう一度自分を納得させた。
 フラグの後、ダッシュ。ここからはそう遠くない場所に、其れはあった。


 かつてメレディー・ネスティスという女性が戦った場所。
 地上に一番近い「墓場」。
 【第一の封印:物理的封鎖】
 それを義体と、所持していた銃で力任せに壊していく。……中は真っ暗だった。当然だろう。電源自体を入れていないのだから。
 【第二の封印:物理電子的封鎖】
 ざっと周囲を見回して、それらしいスイッチを入れる。次々と機械が命の吹き返す様は、幾度見ても心地よい。
 席について環境をチェック。……………… ALL GREEN.
(いける)
 そう思い、コネクトを開始する。三度のフラグが続いた後でディスプレイに表記が現れた。
 【第三の封印:電子結界】
 これを使用した時の、メレディーが組んだ物。これもやはり彼女の意志の欠片で……………
 酷く私に近い存在。
 <<...before 124cec.>>
 耳の奥で聞こえた電子音に、私は指を滑らせ始める。
 これが繋がればさぞリムネットは驚くだろうな。そんな事を考えながら。



 ――――――人形でいる事に哀しみを覚えない。何故ならそれが存在意義だから。
 誰でも大切なものの為に時間の川を流れていくのなら。
 ヒトと私達の間に、どれほどの差があるというのだろう。

http://plaza.across.or.jp/~ranal/master_nova/quon_nova.html [ No.623 ]


From AnyWhere To FarAway

Handle : ”スサオウ”荒王   Date : 2002/02/14(Thu) 01:31
Style : Katana◎●Chakura Mayakashi   Aj/Jender : 壮年/男
Post : 中華陰陽最高議会の使徒


 阿修羅丸の剣は見事なまでに荒王の身体の中心点を貫いた。
 その鬼の面に満足げな笑みが浮かぶ。
 荒王の顔にもまた満足げな笑みが浮かぶ。
 阿修羅丸と荒王。
 二柱の荒ぶる魂の長達は共に笑う。
「終わりは即ち始めか・・・」
 声と共に阿修羅丸の姿がぶれる。
 まるで氷像が業火に触れたかのようにその姿を虚ろなものへと変えていく。
「那辺より来たりて久遠へと消える。全てのものがそこへと消えていくものよ」
 阿修羅丸の剣は確かに荒王の存在の中心に突き立っていた。だが、荒王の剣もまた阿修羅丸の存在の中心に突きたっていたのだ。
 身体を預けるように剣を繰り出した阿修羅丸を抱き留めるかのように、その剣は阿修羅丸の背を貫き、さらには己の身体に突き立っていたのだ。
「無限の彼方か」
 阿修羅丸の顔に不敵な笑みが浮かぶ。
 だが、その笑みも数瞬と持たずに崩れ去る。
「然様。だが、”在り”し故に”在る”が我ら。そこにたどり着く術を未だ知らぬ。」
 腕も、脚も、そして身体さえも姿を保つ力を失い始めていた。だが、その意志は消えることなくその場に残り続けている。
 ”存在の残滓”と呼べる漆黒の霧が集い蠢く。
 ただ、ただ強い思いがそれをそこに止め続けている。
「今は眠るがよいわ。我らの戦いは瞬の間で決着はつくがそこに至るまでは永劫よ」
 荒王はゆっくりと両腕を広げる。
 まるで、その全てを受け入れ抱き留めるかのように。
「忘れはせぬ。そして忘れも・・・させぬのだろう?」
 それに応えるかのように霧が蠢く。まるで黒い炎のように激しく、妖しく。
 心の臓まで届いているに違いない大穴の開かれた胸に霧が流れ込む。胸だけではない。腕も足も頬も、暴風を伴い霧は舞い踊った。
 霧が癒していく・・・。
 いや、補っていく。
 全ての霧は荒王の身体の中に呑み込まれていく。
 それを瞑目しつつ荒王も受け止める。
 炎が舞った。
 炎は左腕を灼き焦がしたかと思うと左胸に吸い込まれ消えた。
「身を焦がすほどの餓え。文字通りな」
 荒王は口元に優しげとさえ言える笑みを浮かべるとゆっくりと拳を握りこんだ。
 炭と化した腕の下から鍛え抜かれた豪腕が姿を現す。
 高々と腕を振り上げる。ただ、それだけの事で・・・風が吹く。
 風に運ばれ赤い霧が集まる。
 二人が闘い流した血。
 そのあまりの多さに目を覆う程の赤い霧が中たりに立ちこめていた。
 一度はその身体から離れてしまったとは言え、元は同じ身体に宿っていたもの。
 それらが帰りたい、帰りたいと脈動する。
「戻れ、失われる時は今ではない」
 力強き言葉に霧が引き込まれる。霧の流れが渦をつくり、渦は即ち風を呼び覚ます。
 風は炎を煽り、炎は荒王の身体に宿り始めた”滅び”の欠片を焼き尽くす。
 焼き尽くされた欠片は灰となり、灰は大地を生み出し、大地はそのうちに”何か”を抱く。
 踏みしめる大地、そびえ立つ岩、根を張る木々、照らし出す炎、流れる水。
 紙に絵を描くかのように小さないながらも世界の情景が創られていく。
 荒王は大地をしっかりと踏みしめると大岩にどっかりとばかりに腰を据える。
「さて、座は定めた。これより如何にするつもりかよ」
 決して大きくは無いが、強い意志の込められた声が水面を揺るがす。
 鏡のように凪いでいた水面に波紋が広がる。
「まずは変容を知ることでございましょう。荒王様」
 笑みを含んだ声が水面を揺らす。
 新たなる波紋は古い波を消し、水面に凪を呼び戻した。
 鏡のように凪いだ湖面には”どこか”の映像が映り混んでいた。
 ”ここ”ではない”どこか”。
 その証拠に湖面に映る姿は幼くも美しい少女の姿だった。
 炎よりも赤く、命の煌めきそのままの印象を与える、眩しいほどの紅を纏う少女。
 その瞳には若き覇気が、その口元には年月を重ねた老獪さが見え隠れする哀しみが宿っていた。
「変容かよ・・そは何を知りたるか?」
 荒王の眼が三日月の如く細められる。
「鍵を握りたるものたちの現在を。まず、知らねば道を過ちましょう」
 少女の声に梟の鳴き声が唱和する。
 ふと視線を少女の後ろに向ければ、古今東西のありとあらゆる鳥たちがその姿をさらしている。
「やれもやれも、主にかかれば我も若造かよ」
 呆れたような、それでいてどこか優しさの漂う風が吹いたような気がした。
 少なくとも荒王とこの少女の間にはそれがあったのだ。 
「それはお互い様というものでございましょう。我が智恵は累代を重ねて得たものなれど、我が身はこの世に生まれ落ちては、十と少しの年月しか数えておりませぬもの」 
 魂が重ねた歳月を愛おしむように、そして悲しむようにその口元を隠す。
 繰り返しになるがアストラル空間に置いての姿とは自己に対しての認識、それも本質的な認識が投影される。その本質が人間とは異なる姿をとらせてみたり、現実世界では肉体のフィルターを通して見るせいで気にならない精神的な歪みをカリカチュアして見せたりすることがある。
 それ故に確固たる自我を持たずにアストラルサイドに顕現した己の姿を見ると異様な化け物のように見えたり、また、まったくの別人のように見えたりするのだ。それがもとで発狂する術者も少なくはない。築き上げてきたアイデンティティと現実として認識するそれの差がそれを引き起こすのだ。
 だが、少女は現界にある時と変わらない姿を認識し、そして相手に認識させて見せる。
 それだけでもたぐいまれな自我と意志力を持っている事の証明に他ならない。
「やれもやれも口の減らぬ事よ」
 水の扉をくぐり抜け、少女の姿が荒王の傍らにその実像を結ぶ。
「口が減っては困ります。歳をとってから若者達を叱る楽しみがなくなるというもの」
 くすりと楽しそうな笑みが口元に浮かべる。
 どかりと腰を降ろす荒王の手招きに応じ、その肩に腰を降ろす。
「まずは、那辺様・・・。大きな岐路の重なりし方・・・」
 血にまみれ、大地にのたうつ那辺の姿が水面に映し出される。
「”那辺”は”那辺”よ。真の名も、送られた名も、本当の意味であれを縛れはすまいよ。既にあれは自ら名付けておるゆえな」
 LUSTを護る、護ると自らに誓った場所を、人を、街を。それを護るためならば自らの持ちうる全てを犠牲にするだろう。
 その”名”の通り、どこからともなくああらわれ、そして何処ともしれぬ場所へと消えていくことだろう。
 強大な力をもつものたちが精緻な織物を織り上げる今のLUSTに置いてもっとも大きな力を彼女は持っている。
 百年先も見通そうかという”預言者”たちにとってもっとも厄介な武器。
 ”予測出来ない”という武器を。
「ですが、義理堅い方ですから。あれほど多くの鎖を解きほぐすのは難儀なことでございましょう」
 少女の瞳には那辺の身体を縛り付けるいくつもの重い鎖の姿を認めていた。
 両手両足ですら足りず、まるで壁にまとわりつく茨のように大小さまざまな鎖がまとわりついている。
「案ずるは羅道か?」
「彼の者の道は歪みたるものなれば心にかかるも致し方ありませぬ」
 少女の表情がふと沈み込む。その視線の先には影のような何かを身体からにじませるラドウの姿がある。
「案ずるな。あの禍星神はひねくれものゆえな。それ故に知る。その切り札を使うのは今ではないとな」
 ぽんと荒王の大きな手が少女の頭の上に覆い被さる。まるで、小さな娘をあやす父親のように、その手からはぬくもりがあふれ出てくる。
「なれど・・・」
「まるで、子を心配する母御のようぞ」
 その言葉に少女の口元に優しい笑みが浮かぶ。
「那辺様も仮初めにも血に連なる方。私から見れば子のようなもの。いらぬ節介と言われようとも気になりますもの」
 その言葉に嘘偽りは無いだろう。彼女達は中華の歴史が開いた時より、連綿と記憶と智恵、そして力を受け継ぎながら見守ってきたのだから。
「出来の悪い子ほど可愛がるはどうもな・・・ならば、もう一つあろう。出来の悪い子どもがな」
 荒王の言葉に応え少女は袖飾りを一つ水面へと投げ入れる。
 鏡のように穏やかだった水面が乱れ、また、別の風景を映し出す。
「ほう、”覚えがある”」
 肩にはぐったりと力無く眠り込んでいる少女を抱え、無数の放火の中を飛び回る男の姿に記憶を刺激された。
「猶予の一族の御方」
 注意を喚起するかのようにゆっくりと指し示す。少女の誘導に従い視線を向ける。
 磨き抜かれたような輝きを放つ銀の腕。どこにでもあるようなベーシックフレーム。
 だが、その腕には面白い力が宿っている。
 退魔・封魔の力。
 だが、それ以上に彼の一族に伝わる力がある事を荒王の内側に眠る無数の魂は知っていた。
 猶予の一族。
 その名自体に特別な力が宿っている。
 選択する時間を与える力。
 あり得なかったはずの運命を選択させる時間を作り出す力を彼の一族は持っていたはずだ。
「やれも、符号よ」
 面白い。と笑う。
 那辺の持つ力は選択肢自体を作り出す力。
 そして、その選択肢を可能とせしめるための場を創る力を猶予の一族、”銀の腕の”キリーは宿している。
 そして、彼が護るその少女の名が久遠というのも良い。
 未来を選択する少女。
 そして、未来を作り出す力を持っている少女。
「選びし道が交われば、運命と呼ばれる必然もあらわれましょう」
 水面が激しく乱れる。
 波が大きく揺れるごとに違う場所、違う人々を映し出す。 
「ただ、道に沿う者たちばかりではないがな」
 ラドウ、ゲルニカ、そしてメレディー。
 運命を知り、それを改変すること選び取った”変革”の資質を持つ者達。
 そして、それに抗するかのように別の”変革”の資質を持つ者達が立ち上がっている。
「それでこそ変革者達でございます。ですから、それに手を加えるなどと言う事など出来ませぬ。あまりにも恐ろしすぎますもの」
 皇、キリー、久遠、榊、那辺。
 変革を更に変革するものたち。
「だが、そうも言ってはおれぬようよな。青面騎手弊の情報・・・漏らしたであろう?」
 情報の渦の中で、運命の糸を切らせぬように両手両足に力を込める黒人の姿が浮かぶ。
「致し方ありませぬ。求めているものを私が持っており、時間がもうないのでございますから」
 キリーと青面騎手弊の幹部達がその顔を見合わせる映像が一瞬浮かび、次の瞬間には消える。
「なるほどな。なれば、我も己に与えし役割を果たすとしようぞ」
 荒王は少女を降ろすと、頭を撫でた。
「荒王様?」
「”神”と呼ばれしものと闘うは随分と久方ぶりよ」
 少女の見つめる前で荒王はゆっくりと深呼吸を繰り返す。
 息吹を行う毎にその身体に力が蓄えられていくのが解る。霧の中を彷徨い、”向こう側”にいくこともできない無念な魂が流れ込んでくる。
 救いを求める絶叫の様な思いが流れ込んでいく。
「小さき頃から、無茶なことばかり・・・頼んでおります」
 少女の瞳に涙が溜まる。
「”血に連なる子”はやはり可愛いものよ。甘えるに遠慮などするな」
 我は汝等が親たるものぞ・・・。
 笑みを浮かべる荒王に少女は掛ける言葉を見つけられなかった。
「在るべき場所に在れ。行くべき場所に行け。天運など知らぬ。運命など変えて見せよ。」
 少女の姿が虚ろに消える。
 肉体の在るべき場所へと帰っていったのであろう。
 肉体を残している者がこのような場所に長時間在り続けるのは力の消耗が激しい。
「在れと願うものよ。我と共に在れ」
 ”力”の渦が更に激しさを増す。
「我と共に歩もうぞ」
 ただ、純粋な力が吹き荒れる渦の中で、荒王はゆっくりと天を見上げる。
 その口元に大きな笑みを浮かべながら。

 [ No.624 ]


Soul -Ovonic Unified Memory- (1)

Handle : シーン   Date : 2002/03/01(Fri) 04:13




▽転移-シフト-


 天も地も。全く、その存在を感じる事が出来ない。
 彼女に、クレアに手を触れてから一切の重力とも言うべきメレディーと言う人格構造体のデータが持つ粒子の流れすら、その一切を感じる事が出来なかった。
 全てが光に融けていた。
 自分が身に纏う衣服も血とその肉も。ニューラルウェアに巧妙に組み込まれていた人格構造体のツァフキエルの存在すらも、相手も自分も意識も時間も何もかもが一切その存在を消していた。
 その感覚は、光の海に飛び込んだとも、闇に沈む海に飛び込んだとも知れない、感覚や存在と言う一切の地平線を無くしていた空間だった。

 ・・・・・・ぽぉん。

 赤く、丸いボール。存在を消していた自分の周りの事象に、ボールが転がる。
 幾度も跳ねては、転がり、重力はここにあるのだとばかりに終わり無く転がってゆく。
 不思議な感覚だった。それは、何処かで見た光景だった。恐怖がない。それはとても自然で、何も意識しない程の風景だった。
 足元を見る。白く簡素な実験服がひらひらと揺れた。
 実験服?
 身体が自然に動き始める。てぺてぺと、素足が小さな音を立てて赤いそれを追いかけ始める。
 合わせる基点の無い筈の足元には、何時の間にか闇が床の様に広がり、まるで廊下のようにひんやりとした冷たさを伝え始めていた。
 転がるボールに追いついた言うことのきかない自分の身体が、赤いボールをゆっくりと拾い上げる。
 柔らかいボール。赤いボール。それは心をかき乱す程に大切な、何かだった。言う事のきかない身体が、激しく感情を打ち鳴らし、音にならない声高な叫び声を上げる。
 何故なのか。幾つもの疑問が生まれは流れ、消えてゆく。
 どうして?
 赤いボールを小さな両手に包み、顔を上げる。何時の間にか足は見えぬ大地に平をつき、自らの瞳が捉える視界は、同軸線上のグリッドに・・・影を捉える。

 左耳から、僅かに怯えた囁き声が聞こえる。
「・・・“世界”を考えた電子の頭脳も、最初に発したのは同じ言葉だったわ・・・久遠」
 顔が自然と左側を向く。
「・・・貴女も待っていたのよ・・・ツァフキエル。“小さな電脳の姫君”」
 右耳から、冷たい囁き声が聞こえる。全てを威圧する声。囁かれた右耳から氷を差し込まれ、全身が無理やり凍りついたように痙攣を起し始める。
 笑う声。からからと壊れた玩具の様に終わりが無いと教えられずとも感じる、神経をかき乱す、笑い声。
 煌は両手で耳を塞ぎ叫び声を上げようとしたが、合わせる基点も軸もない世界の『時間』が押し流すように流れては身体にぶつかる見えない気勢に、一切身体が動かす事が出来なかった。

「・・・・・・さあ、“世界”を創り直しましょう?」

 煌が大きく口を開き、メレディーが鋭利な叫び声を上げた。



----------------



「__________グリッドの固定座標では、ヴォイド効果ってのはどう発現するんだ?」
 最初にその異変に気付いたのはダレカンだった。その語調は、いつの間にか数秒前にYUKI達と交わしていた様相からは打って変わったような、全くの揺らぎのないいつものそれへと戻っている。
 黒人が嘲うかのように呟く。
[...俺は電子に質量が存在するのだと、マトモには考えてはいない。だがそれを定義と考えるなら空洞化したその座標が]彼の機械合成の声が構造体より、YUKIとYAYOIの歌に非干渉の音叉域を投げてくる。[...飲み込む。全てを飲み込み始めるはずだ]
 御厨が静かにダレカンを振り返った。
「・・・そうね、取り戻す為に全てを飲み込むわ」
「_________じゃあ、あれはその始まりだというんだな?」
 ダレカンが指し示すその指先が消失点へと向けられる前に、けたたましくアラートが鳴り響き渡る。同時に立体的にウェブの積層構造体を指し示すグリッドが、消失点を中央にその軸索を歪ませ始めた。
 画面を見た御厨が、半ば条件反射的に側のオペレーターを押しのけて、コンソールと向き合う。件に関る一切のLIMNET-P命令指揮系統を任された彼女は、その腕もメレディーのカウンターパートナーだった一級の技術者だ。だが、その表情は扱い慣れたコンソールと向き合うダイヴァーのそれというよりは、むしろ恐怖に歪んでいた。
「こんなに早くシフトするなんて」御厨が、起動待機中の監視プログラムの構造体を次々とアクティブにしてゆく。
「ダレカン!」
「わかっている!!」
 御厨の叫び声にダレカンの答えが重なる。彼は御厨に声をかけられる前に、既に作業を仕込んだクーロンを超高速で繰り返しランさせた。
 彼が即座に考えたのは、消失点を構成するグリッド上の構造物を対象とした積層封鎖だった。目の前では単なる1グリッドの座標だが、実際には既知世界観つまり軌道周回上のヴァラスキャルブ・・・ユグドラシルとの直通ルートを制御する超弩級の複合テラバイト・チャネルからのストリームの発現基点でもある。ダレカンはその空間座標を取り囲むように黒人が構築したナパームの球体封殺の内側へと張り巡らせる。通常空間における封殺など、今の自分は考えなくてよい。それは、キャンベラの宇宙軍と北米の国境警備軍がこの事象など幾つも殲滅せしめる兵力を待機させている。今はただ、自分は酷く電子的でいて変容的なこの界を押さえ込むことだ。
 そこまでのダレカンの処理は、予めクーロンを仕込んでいただけに常識外の速度だった。
 だがその数秒にも満たない時間の中で、驚異的な変異速度を以って積層封鎖された構造体自体が揺らぎ始めていた。
 彼が数秒で、その自信に満ちていた表情に僅かな翳りを見せた。
「御厨、こんな防壁、以って後20秒だぞ! 奴さん、動的に秒単位でチャネルを切り替えてやがる・・・いや、帯域そのものの規模も違うんだ。座標からの縛りも効きやしねぇ! 黒人!! 見えているんだろう!」
[...まだだ、ダレカン]
「ふざけるな! プルを引け! 」口許を歪ませ、ダレカンが瞼を僅かに痙攣させながら叫び返す。「こっちが仕込んだクーロンが走らせている防壁なんぞ、紙の壁みたいなもんだ! 今の爆縮には耐えても、質量封鎖はお門違いだ!! 引けッ!!!」
[...まだ駄目だ、ダレカン。 煌が残した片割れのツァフキエルが、メレディーか煌自身のシグナルをUltraSeekしている。その走査-スキャン-が終了するまで、俺は彼女にこの回線を維持すると誓った]
「オマエ間に合わなかったら、一体どう治めるつもりだ?!」
 ダレカンが、怒りに震えながら叫ぶ。だが、彼は叫んだ2秒後、黒人が云わんとしている事に思いつき、更にこめかみを震わせて押し黙ってしまった。
 そして、ダレカンのその思い付きをなぞるように黒人が静かに嘲う。
[...計器が告げる値として俺の言葉を聴け、ダレカン。
 俺は機械だ。オマエ等のヒト的良識勘定なんぞ、クソ喰らえだ。
 だが今、煌は皇が拵えた回線を維持する為に、戒厳令に伴いN◎VA軍からの電子的な走査をこれまでに類のない規模のフェイルオーバーとして捌いている。それだけじゃない、その回線をツァフキエルにエミュレートさせて、YUKIとYAYOIの音叉干渉でナノマシンのシグナルを対消滅させているのも彼女だ。
 オマエなら、嫌と言うほどわかっている筈だ。関帝廟やLU$T全域でのナノマシンの深層レベルでの干渉を食い止めているのは、紛れもなく彼女達・・煌と皇だ。何故、そのルートを俺がクローズしなきゃならない]
 ダレカンが目を閉じる。
 それを何処からか見ているのか、返す黒人の言葉もまた穏やかなものだった。
[...覚えておけよ、ダレカン。_________ニューロは騙すものだ]

 穏やかな、硝子の様な透明の感情に溢れた表情で、ダレカンが静かに目を開く。
「騙すのなら、最後まで夢を見させろ_________________黒人」彼は、コンソール上のキーから指を離した。
「今俺達が流そうとしている血に染まる大地は、醒めれば消えてなくなるのだと、俺に誓え」



----------------



 皇の緊張を察しているのか、それともそんな事には興味を引かないのか。
 ゴードンは静かに組んでいた指を解き、質素な革張りのソファーから静かに身を起して立つと、皇に背を向けて背後にある硝子の壁へと歩み寄った。
 分厚い耐圧硝子の向こうには、鈍い光を燐光の様に灯す街明りが一杯に広がっている。
 皇はその街並みを見つめるゴードンの瀬に、何かしらの表情を見たように感じた。しかしそれは、確証と言うよりはどちらかといえば酷く野性的な、信用とは無縁のカンのようなものだった。
「皇さん、貴方が考えていらっしゃるように恐らくN◎VA軍が進行を開始すると言う可能性は、現実的には低いかもしれません。LU$Tに存在する各方面の私設軍隊や市政組織が存在するわけですから、微妙な緊張を政に引き上げる事にもなりますからね」
 一度ゴードンが顔を皇に向けてから、再度硝子越しに開発地区が座する方角を見つめながら呟く。
「皇さん、私はね、何事も穏便に済ませられるのであればそれが一番だと考えています。」
 皇は改めて、ゴードンのその背を見つめ直した。
「それはどう意味で仰られているのですか?」
「そのままの意味です、皇さん。この大地はあまりにも多くの血を吸い込んできている。
 苗を植えれば、真っ赤な血の花が咲く。そのような大地に誰が口付けるというのでしょう」
 ゴードンは、窓の外から街を見つめたまま続けた。
「愛されればいいという言葉は聞こえはいいが、そのままであれば実に無責任でもある。
 しかしあえて今はそんな必要がこの大地には必要なのでしょう。
 _____________そう、貴女のご友人の那辺氏の様に」
 皇は自分の表情が見えていないはずだと知りながらも、思わず左手を自らの口許に寄せてしまった。
 一切の表情を、彼、ゴードン・マクマソンに見せたくはないと無意識に手をやった。
 彼は今、私の中へとその答えを探し出そとしている。
「貴女は何処か、あの那辺氏に似ておられる。
 そう、本来あるべき人の命を重さを知る、その尺度。何よりも、その魂の集合体とも言える、都市-まち-を愛されている」
 ゴードンは、僅かに視線を右に寄せた。

「どのタイミングで、メディアに情報を投げられるおつもりなのですか?」



 [ No.625 ]


Soul -Ovonic Unified Memory- (2)

Handle : シーン   Date : 2002/03/01(Fri) 04:14




▽Twilight waltz


 叫んでいた。確かに叫んでいた。
 耳を塞いでいた両手を外し、顔をあげる。
 だが叫んでいたはずの自分は、気が付けばいつの間にか籐で編み上げられたゆったりとした椅子に腰掛けている。辺りには何もなく、ただ静かに風に靡く平原が広がり、空には速い風の流れを伝えるように、雲がたなびく。
 クレア・・・いや、メレディーに手を触れ、何もかもが、全ての視界が真っ白な光と振動に包まれたのは覚えている。意識も塵となり、手を触れた瞬間、強烈なサージが全端子に流れ込んだかのような激震を受けた。
 だが、今自分の身体を包んでいる空気はその一切が穏やかで、またその空気に見を任せている自分の鼓動も穏やかなのだった。

 静かに煌は、上半身を椅子から起した。
 静かな海。
 何処までも広く、なだらかな丘を豊かな緑色に染める草花が広がる。それは碧の海だった。
 後ろから風に乗って流れてくる静かな声に、振り返る。視界が陽光の光に溢れ、思わず手を翳して日を遮り、瞼を閉じる。暫くして閉じた瞼をゆっくりと開くと、視線の先に白いシフォンドレスに身を包んだ少女が踊っていた。鮮やかな栗色の髪をした少女。自分の真っ黒な髪の色とは対照的だった。
 __________黒?
 煌は無意識にその少女へと歩み寄る。歩き始めた自分の姿に少女が動きを止める。こちらを振り向く。溢れる笑顔。煌はえもいわれぬ胸を締め付けられるような焦燥感に捉えられ、思わず無意識に背後の籐製の椅子を振り返った。
「メレディー、ここに来ては駄目だと言ったろう」
 後ろに立つ大柄な背をした白髪を疎らにした男が、静かに、勢い良く身体を抱き上げる。
 何時、後ろにいたのか。それすらも気づくことが出来なかった。
 __________私、メレディーじゃない。煌、煌久遠よ。
「ここの風はね、メレディーの身体には毒なんだ。このお日様もだ。昨日の夜、お話してあげただろう? ソラとは違うんだ。 この前みたいに、咳で眠れなってもいいのかい?」
「お友達が出来たの」
 どこか頼りない、あどけない言葉。
 __________違う、私、久遠。
 言うことのきかない身体が、頬を摺り寄せながら笑いかける男の肩に顔を埋めて戯れながら笑う。
「お友達?」
「うん」
 少女が顔の筋肉を総動員してくしゃくしゃにしながら、豊かに笑いかける。
 __________違う。 私、メレディーじゃないよ?


 笑っていた。静かに身体が笑いに揺れていた。
 心を揺らすほどの笑みで、視界に涙が溢れている。静かにそれを拭う。
 だが幾度拭っても、その両の瞳からは静かな笑みと涙の流れがとまらなかった。
「もう! 大丈夫?」
 傍らに、幼さを残した長い栗色の髪の娘が小さな端末を抱えて立ち、微笑んでいる。
 __________貴女は誰?
「うん、だっておかしいじゃない。貴女が言った通りになるんだもの」
 全く云うことを聞く気配もない、私の身体が両頬に手を当てて笑う。目の前で栗色の髪の娘が、口を膨らませた。
「まぁ! それじゃあ、まるで私が犯人みたいじゃない」
 __________貴女は・・・
「あら、違ったの?」
「ふーん、そんな酷いこというなら、貴女の大事な伯父様に言いつけてやるから」
 __________貴女は・・・
 長い廊下の向こうで、扉を背にして手を振る白髪の男性。
 云うことの聞かない身体が、嬉しさに飛ぶように駆けてゆく。
 背後からかかる、聞きなれない声。
「遺伝基質のモニター、忘れないでよ! トライフェーズは貴女なんだから!!」
 __________貴女は、誰?


 じっと見つめた。息を殺して二人で身を寄せ合いながら、モニターを覗き込む。
「これ以上の速度は、恐らく望めないだろう」男が背後から声をかけてくる。
 私は身を寄せる栗色の髪の少女に呟く。
「基底核の発現はどのレベルなの?」
 栗色の髪の少女が答える。
「規定値以上の速度ね・・・想像以上の結果だわ」
「新薬?」
「えぇ、この前規定臨床を終えたアレ」云い終えぬうちに、少女がモニターから視線を外して硝子越しに指を指す。「見て__________きっともうすぐ目を覚ますわ」
 __________何? 何なの?
 云うことを聞かない私の身体が、視線を上げる。
 白い肌。流れるようなプラチナブロンド。きっとまだ誰も触れたことがないのだろう。・・・恐らく、その本人すらも。
「名前は?」
「ツァフキエル」
「セフィロトの第3位、理解の天使。どう、洒落ているでしょ? 軌道の星を見下ろす神の知性、全てのものに形を与えるの」
 栗色の髪の少女が笑う。
「ねぇ、私達にお似合いじゃない?」
 __________それは、私・・・私なの?
 硝子越しに、幾つものコードと配管に包まれた鋼鉄の容器の中で“私”が目を覚ます。
 だが、そのマゼンタ色の瞳には、靄が降りるに任されたままだった。


 __________チリチリする。視床下部のあたり。
 ややうつ伏せ加減になっている姿勢のせいか、血の流れが妙に重く感じる。まるでレッドアウトだ。
 見えない背後の方から声が聞こえる。
「記憶や演算や結果に基づく予測的な行動は、ほぼ全てが大脳基底核にてコントロールされている。今回の投薬では、彼女とのシンクロにおける位相を合わせる為に大脳基底核への抜本的なアプローチを行う事にした」
「脊髄視床路と脊髄小脳路へのコンタクトは? チャネル構築は?」
 一人の女性が視界にゆっくりと姿を現す。栗色の髪の女性。
「脳弓にはチャネル構築を含めて、海馬体への主要な遠心性線維系のコントローラーを構築-ビルド-してもらわないと、困るわ」
 __________脳? 私の?
「白い帯状線維が見えるだろう。この中に投射線維と交連線維の両者へ専用のチャネルとレセプター構造体をインストールした。その効果で、同時に海馬台皮質と海馬の大錐体細胞の軸索、そして海馬白質から側脳室表面を通して海馬采へと形成させている。後は、海馬の後端に至って脳梁膨大の下を脳弓脚となって弧を描いて脳弓に入る。条件はクリアしていると判断している」
「じゃあ、ちょっとモニターでフォーカスしてよ」
 背後からの男の声に、栗色の髪の少女が腕を組んで唸る。彼女は視線を傍らに設置された高解像度のモニターへと向けた。
 薄く板状に広がる筈の脳弓交連が、どちらかと言えば半球体を形成している。
 本来、ヒトでは発達が悪い部位だ。両側の脚が合して脳弓体となり、脳梁の直下を前方に視床の吻側端まで行き、ここで再び線維束が左右に分かれて脳弓の前柱として室間孔から前交連の後ろまで腹方に曲がっている。神経線維が通常では見られない厚めの帯状となった状態で海馬采が脳弓のほぼ全経過にわたって外側に位置している。
 それは、明らかに異常な発達だった。
 だが、私のその疑念を栗色の髪の女性が押し流してしまう。
「いいじゃない、きっとダイレクトリンクもいけるわ」
「まだ早い」
「試してみなければわからないわ。彼女は今が一番柔軟な時期なのよ、組成的に」
 男が溜め息をつく。
「_________どのチャネルからだ」
 栗色の髪の女性が、微笑んで答える。
「視覚野から五感神経接合まで」
 ガチリ、と音が頭に響く。
 私の視野に闇が降りた。


 立っている。広い空間に立っている。
 足元には黒曜石の床が広がる。いや、それは気のせいなのだろうか。だが、ひんやりとしたその冷たさははっきりとした現実だった。
「本当はもっと前に、貴女に逢っていたのよ」
 椅子に腰掛けた私とプラチナブロンドの少女に、栗色の髪の女性が優しく囁きかける。
 私が視線を上げると、隣に座った少女も視線を上げる。その都度、彼女の視界が私の視界にゴーストの様に重なった。
 その様子をみて、栗色の髪の少女が静かに微笑む。
「もう、魂も肉体もシンクロしているのね」
 私は左を向く。彼女は右を向いた。私の視線、彼女の視線が絡み合い、私の視界には私が座っている。きっと彼女の視界には、彼女が座っているのだろう。
「私は_________」
「私は_________」
 私と彼女の言葉が重なる。


 私の前にメレディーが立っている。確かに立っている。
 彼女の豊かな艶のある黒髪が、ありもしない筈の風に揺れている。ここはグリッドなのに。
 __________グリッド?


 __________アァ。
 突然、意識がはっきりと覚醒する。
 靄がかかっていた意識が晴れ、覚醒した意識が身体の痛みを訴え始める。
 強烈な痛みにしゃがみ込もうとした時、私の腕を誰かが身体ごと支えた。
「久遠」
 メレディーが静かな瞳をたたえて私をじっと見つめる。
 彼女は私の視線をロックし、更に身体をドミネートする。その驚異的なコンタクトは、通常では考えられないアプローチを行う演算素子だった。
 一度だけ、立つ足元のグリッドが、ぐらりと震え、揺れる。だが、私にはそれはグリッドを形作る超構造体が、静かに歓喜に震えたかのように感じた。
「ブリッジプログラムの核なのよ、私は。 そう、バイオス。“イージスの盾”は究極の接続手段の始まりだったわ。本当はきっともっと先立ったのかもしれない。でも、ヒトがAI/ALに判断と選択を委ねてしまった時、これはもう、弾の切れることのない終わりの無いゲームになろうとしている」
「メレディーさん?」
 彼女は私の言葉を意に介する事無く、続けた。
「貴女はね・・・デバイス」
 __________デバイス?
「遺伝子の操作なら誰でも出来るわ・・・手段を問わなければ。でも、界に於けるなければ成らないバランスと言うものがある。それだけは、未だにクリアできていない」
 私はじっと支えられたまま、彼女を見つめ返す。しかし彼女は一切目を逸らす事も無く、説明を続けた。
 まるで時間が、もうこれ以上はないのだと言わんばかりに。
「アラストールを巡るこれまでの闘争が、得るものの無い結果に及んだことにははっきりとした理由があるの」
 彼女が私の身体を立たせると、静かに手を離す。
「それは、バランス」
「バランス?」
 彼女が頷く。
「貴女もレポートを読んだでしょう? 予測は出来ているはずよ」彼女が三つ指を立てた。「電脳界とアストラル界、そして原形界。この三つの要素が全て揃わなければ、昇華しないのよ」
 昇華。私の構造体に刻まれた、奥深い場所に収まった記憶から、その言葉が拾われる。
 昇華の宴。何もかもが、その言葉から始まったような気がする。そう、私の身体が伝えてくる。
「これまでは、アストラル界と原形界へのアプローチしかとられて来なかったの。それは、まだこれまでに電脳界におけるキーとなる要素が一体なんであるのかがわからなかったから。
 でも、その事実を知っても、アラストールの力に魅せられる人々の目には、その一切が映らない出来事になってしまうわ。 ・・・幾度でも、例えそれが愚かだとはわかっても、繰り返えされる。・・・私は_________」
 メレディーが目を細める。
「繰り返しはもう沢山。配列も、連想配列も、まるで終わりのないルーチンだわ。 それに、こうやって貴女と話す時間さえ限られているから」
 私は唐突にその『時間』を思い出す。
 そうだ、私には後数秒の時間しか残されていない。部屋の端末とアルテオンが紡ぎだす、LU$Tの都市に生きる接続された多くの端末とニューラルウェアを実装した固体が奏でる巨大な“演算”には、終わりが・・・コーダがある。
 今この回線が途切れれば、永遠に私は彼女と接触する事も叶わず、約束を守ることも出来ない。レッドは、裕司の負荷がかかれば、強制的に私をリリースする。そうなってしまっては、那辺がいつも繰り返し口にしていた約束。『私は、この都市-まち-を守る』。その約束に頷いた、私の“約束”すらも守れない。
 目の前で、メレディーが私の瞳を覗き込むように見下ろす。
「入れ物や箱があったとしても、それに物が納まらないのなら、結末は見えているわ」
「・・・・・」
「貴女はデバイス。私はバイオス。彼女は、その中に納まる魂を象るプログラム」
 唐突に私の背後から、誰かが両肩に手を置いてくる。
「インストールされなければ、どうなるかなんてわからないわ。だって、これまで私たちの誰もが空虚で形も無く、風が通るように穿たれて棄て措かれたインゴットのようなものだったのだから」
 栗色の髪の女性が、吐息を投げかけるかのように囁いてくる。
「私達の誰が欠けても、決して扉は開かない。開かない扉は、開けようとするものを拒むわ」
「拒みつづけられる度に、ヒトは深く傷ついてゆく」
「ならば、扉を変える鍵は作りましょう」
「その扉を買える鍵が“失われれば”、もう扉も無くなる」
「なくしてしまえば________」
「ヒトが傷つくこともなくなるわ」
「もしかしたら、忘れて生まれるヒトビトが生まれてくるのが早いかもしれない」
 クレアとメレディー。二人が視線を合わせ、私を見つめる。

「久遠、時間が無いわ」
 彼女達二人だけではない、幾つ者声が重なり、差し出された二人の意思の手が、静かに私の鼓膜と鼓動を突き破る。
 珪素の生命が生まれ出でる。そうとして、一体何処までヒトが生き長らえ、昇華できるのか。
 私は口を開く。





 [ No.626 ]


死闘の行方

Handle : シーン   Date : 2002/03/05(Tue) 03:46


▼同時刻:中華街

来方は拳を固め、再びフーディニと対峙した。
「肉弾戦・・・それが君の答えかい?」
半ば失望したように、フーディニは肩をすくめ言う。
「確かに、僕は何度か、君の体を変化させようと試み、ことごとく失敗してる。大した精神力だよ、それは認めよう。」
「ありがたくもない賛辞だね。」
来方は不適に笑い、答えた。
「だが君の攻撃は通じない。それはわかっているはずだろう?」
フーディニは相手の思考を読むように、ジッと見つめ問うた。
「饒舌だな。」
来方は苦笑し、続けた。
「お前の能力は確かに今まで見た事がないほど早く、正確だ・・・でも、攻撃が見えなければ、どうだ?」
「?」
「オレの攻撃に合わせ、何らかの術を行使する、その暇さえ与えず、おまえを倒せれば、勝機はあると思わないか?人は、そういう技術を長い時間をかけて、錬磨してきたんだぜ?」
その自信があると言わんばかりに、来方は一歩、歩を進めた。
無意識に、フーディニは一歩後ずさる。
自分が目の前の男に気圧されたのだと悟り、フーディニは心持ち顔を赤らめ呻いた。
「できるのなら、やって見るがいいさ。今度こそ、君に引導を渡してやる。」
語気も荒く、フーディニは言い放った。同時に手にしたステッキを振る。
純白のマントが魔法ように背中から現れ、彼の体を包んだ。
フーディニはそれを闘牛士のように、片手で掴み左右に振る。
ヒラリヒラリと乳白色の霧の中、純白のマントが舞った。
フーディニの表情に落ち着きと絶対に優位だという自信が戻り始めた。
しかし、彼は気づいていなかった。
もともと、フーディニは相手を翻弄し、常に主導権を得て闘う方法を得意としていた。
自身の変異能力により、相手に何か得体の知れない者と闘っている、自分はこの者に勝てないという絶望感を与える事が彼の常道ともいえた。
だが、今、フーディニは来方の挑発にのり、いわば力対力、正々堂々の闘いを挑もうとしている。
それに加え、先ほどから来方はあらゆる体術を駆使し闘って来た。
そして、知らず知らずの内に、フーディニの頭には、来方が体術を使い闘う武闘家というイメージが出来上がっていたのである。
“相手が力押しでくるのなら、負けるはずがない”
その自信が彼にはあった。
しかし。
ニヤリと
来方の口元が微かに歪む。
それは、闘争者の愉悦の笑みというより、何か大きな悪戯をしかけた時の子供の笑みにも似ていた。
「どんなにすごいマジックも、一度タネがバレれば、もう観客を驚かせる事はできないんだぜ?」
その言葉を合図に、来方は一直線にフーディニに向かって突進した。
瞬間移動と思えるほどのスピードと跳躍力。
文字通り瞬く間に来方はフーディニのふところに飛び込んでいた。
旋風をまとって拳が突き出される。
必殺の突きだ。
超絶の威力をもった拳は、知覚できていないのか避けようともしないフーディニの胸に命中した。
しかし、来方の拳には何の抵抗も無かった。
まるで水面に拳を突き入れたような、ヌルリとした異様な感触。
グラリと
フーディニの像が歪み、霧散する。
瞬く間にそれは無数の光の粒子となり、溶けて消えた。
中を舞う光の粒子に惑わされ、来方の視界から一瞬敵の姿が完全に消えた。
次の瞬間。
彼は背筋に氷塊を押し当てられたような、感覚を憶えた。
視覚でも聴覚でもない、数え切れないほどの修羅場をくぐり抜けた者のみが持つ、危機を回避するための超感覚。それが来方に敵の位置を教えた。
踏み込んだ右足を軸に流れるような円運動を行う。
同時に体を沈め、来方は独楽のように回転しながら背後に感じる殺気から間合いをとった。
ブォン!
背筋が寒くなるような重々しい怪音をともなって何かが彼の頭上を通り過ぎた。
ハラリと髪が一房、中に舞う。
体を沈めたまま見上げた来方の目に、マントを翻したフーディニの姿が映った。
しかし、マントに布特有の質感はなく、かわりに金属のような重量感と光沢が見て取れた。
先端が月光を反射して剣呑な光を放った。
「でかい斧だな・・そんなので首をはねられるなんて、御免だね。」
来方が口元を歪めて言った。
「じゃあ・・・こんなのはどうかな?」
フーディニは愛らしい少年の顔でそういうと肩からマントをはずし、目の前にかざした。身長の低い彼の姿はそれで、完全にマントの裏に隠れた。
「ワン・ツゥー・・」
舌っ足らずなフーディニの声だけが聞こえる。
「スリー!」
そう数えると共に彼はマントから手を離した。
ハラリと純白のマントが落ちる。
しかし、その向こうにフーディニの姿は無かった。
「また瞬間移動か?芸がないな。」
来方は再び背後を振り返った。
だが、そこにもフーディニの姿はない。
「ハズレー。」
声は彼の頭上から聞こえた。
見上げた彼の真上に、フーディニがステッキを構えて浮いていた。
「そぉれ、伸びろ如意棒!」
キャッキャッと耳障りな笑い声を上げながらフーディニが言った。
手にしたステッキが伸び、真下にいる来方に向かって迫る。
その先端は槍のように尖っていた。
来方が体を捻り、紙一重でそれを避ける。
だが、ステッキはまるで蛇のようにウネウネと不自然に曲がりながら彼を追った。
あらゆる方向から突き出されるステッキを避け続けた来方だったが、ついにその先端が彼の背を浅く薙いだ。
鮮血が中を舞う。
「クッ・・・」
来方が低く呻く。
軽快だったステップがわずかに乱れた。
「よし。とどめだ!」
地に降りたフーディニは再びマントを手にしていた。
それをブーメランのように投げる。
中を飛ぶマントは形を変え、巨大な円形の刃となって来方に襲いかかった。
「御免だといっただろう。」
来方は、迫る刃を宙返りの要領でかわすと金属の質感をもったマントを踏み台にし、前方、楽しげな笑い声をあげるフーディニの方へと跳躍した。
「おいたがすぎるぜ。」
そのままのフーディニの跳び蹴りを放つ。
刹那。
来方は見た。
フーディニの表情、それまでまるで無邪気な子供のような笑い声をあげていた彼の顔に、ゾッとするような、悪意に満ちた邪悪な笑みが浮かぶのを・・
彼の体に悪寒が走った。
しかし、今度は彼は身に迫る危険を回避する事はできなかった。
来方の蹴りがフーディニに届く瞬間。
彼の体は何者かにより引き戻された。
振り返る彼の視界いっぱいに白い何かが覆い被さっていた。
刃と化し通りすぎたマントが背後で再び布に戻り、自分をからめ取っているのだと気づいた時にはもう遅かった。
大きく広がったマントはたちまち来方の自由を奪い。体中に巻き付いていた。
ゴトリと鈍い音をたてて来方が地に落ちた。
「君の体を別の何かに作り替える事はできなかったけど・・今度はそのマントで君を変えてあげるよ。ただの肉塊にね・・・」
悪魔の笑みを浮かべてフーディニが足下に転がる来方を見下ろし、言った。
「アハハハハハハハハハハハハハ!」
フーディニの狂ったような笑い声が中華街の裏路地に木霊した。

 [ No.627 ]


同盟

Handle : “女三田茂”皇樹   Date : 2002/03/11(Mon) 00:56
Style : タタラ● ミストレス トーキー◎   Aj/Jender : 27/♀/真紅のオペラクローク&弥勒
Post : ダイバ・インフォメーション新聞班長


「何も、望まれていないのでしょう?」
唐突に、自分でも信じられないぐらい唐突に、皇は切り出した。
「ゴードンさん、いえ、地上千早自身が今回の一件で望まれていること。それは“何も変わらないこと”なのでしょう?」
皇は言葉を続ける。
「N◎VA軍進駐がもたらす最も危険な状況は、その駐留により地上千早の利益が損なわれる事。そしてそれは、恐らく岩崎も同じのはずです。企業の皆さんにとって、“利益”が損なわれるのは、報道人(トーキー)にとって“報道の自由”が阻害されるようなものですよね」
「ええ、すこしニュアンスは違いますが…およそその通りです」
何かを期待する目。皇は改めて「試されている」事を如実に感じた。
「そこで、です」
待ってたとばかりにポケットロンを取り出す。もちろんポケットロンでの通話は制限されている。しかし、皇のポケットロンだけは「通話可能」の表示が出ている。
「先ほどもいった通り、千早も岩崎も今のままを望んでいる。ならば協力して、今後の動きを封じてはどうでしょうか」
ゴードンがす…と目を細めた。
(かかった!…あとはバラさないように釣り上げなきゃ)
兄との数少ない思い出――木更津でやった釣りを思い出しながら、一方でこんな状況なのにそんなことを思い出している自分が、少しおかしかった。
「ずいぶんと無理をおっしゃる…そんなことを“上”が認めるとでも思ったのですか?」「……」
皇は言葉を待った。
「千早と岩崎が手を組む。なるほど、なかなかいい手ではありますよ。ですが、それが行えるのなら早い段階でそうしている、違いますか?」
「確かに私も最初はそう思いました。ですが、それは思い違いだったとわかったのです」「思い違い?」
「ええ。手が組めないのではない、逆にあなた方は始めから手を組みたがっていた。ですがそれを妨げる障害はあまりにも多い。だから…私を用意したんです」
ゴードンがニヤリ、と笑った…ように見えた。
「まずはこの事件の調査を行わせ、真相を究明する。そしてその情報が調べ終わった時点で私が間に立てば、双方に連絡をつけることが出来る。幸いにして私にはあなたにも、そして和知氏にもコネがある。もちろんコネが無くても、私なら“報道”という名の天秤を持ち、双方の間に立って話し合いが出来る。あなたはそんな状態を用意させるためのテーブルとして、私を用意したんですね」
この結論を導き出すのにずいぶんと時間がかかったのは、それだけゴードンの手口が老獪だったからだろう。皇がレッドを持っていること、その中立的な立場とメディアという武器を持っていること。さまざまなポイントから導き出した、これ以上無い人選だ。
「私はこれから、この一連の事件を報道します。そこには千早も岩崎も一切交えない、N◎VA軍の進駐とそれによって変化するLU$Tの立場に絞って報道します。その事を、私は今ここから、“岩崎製薬”の和知氏に連絡をいれようと思います」
「ここから?」
「ええ。ここから、です」
皇はポケットロンの画面を操作した。和知氏のアドレスを呼び出し、いつでも連絡できる状態にする。
「一通り連絡が終われば、私の用事は終わります。そうですね…何か伝えておくことはありますか?」
営業ではない、かといって微笑みでもない、そう、敢えて言うなら不敵な笑みを浮かべて彼女は続けた。
「いや、伝言では誤解を生じてしまう。和知氏と、直接話されてはどうですか?」
ポケットロンの「通話可能」の文字が、大きく点滅していた。

 [ No.628 ]


確実性の終焉

Handle : “那辺”   Date : 2002/03/16(Sat) 01:24
Style : Ayakashi◎,Fate,Mayakashi●   Aj/Jender : 25?/female
Post : Bounty hunter/Aangel quadrille?


▼YOKOHAMA LU$T Chinatown "NEO関帝廟" 回廊

 からり、からりと乾いた音を立て、真なる深淵に飲み込まれたクリングゾールが足掻き残した痕跡は、床に落ちたミラーシェイド、ただそれだけだった。
 死んでもおかしくない程の怪我と血で床を朱に染め、横たわる那辺は口を開いた。
「……あんたの仕業か……ラドウ。私の……守護神が……閻魔でなくなったのは」
「神の概念を、人間がどれだけ理解しているというのだ」
 圧倒的な力の差を見せつけた男の言葉は、さも当然の如く言葉を継ぐ。
「様々な変容を見せる高次の意識体を時期、時間、時代において、別のものと解釈しているにすぎぬ」
 薄ら寒い霧闇に神託の如く響くその音は、恐ろしさを通り越しむしろ心地よい。
「……なるほど……無矛盾の…状態である、か」
 くつくつと血泡が弾ける如き笑いを返し、那辺はその言葉を肯定する。
「ひとつ……頼みが…あるんだ…ミスタ。服を……貰えない……か」
 ぼろぼろのままの姿で逝きたくないのであろう。那辺は黒衣の男にそう頼む。
 すると男は那辺を抱き起こすと、自ら纏っていた黒い外套を纏わせた。
「傷は塞いでおいた、動きにくいだろう。御前はもう死ねぬ、自らの意志では」
「あんたに借りを作ってしまったからな、ディアブロ」
「それが御前の選択だからだ」
「それだけじゃない、シュレディンガーの猫なのだろう。私は」
「我らの同胞だ、那辺。“アラストール”を基幹とする天使共の」
 ラドウの言葉に、那辺は大仰に肩をすくめるとすらり、と立ち上がった。
「まだ人だよ、私はそれでも。だがそれをそうと視ない人々もいる──壬生源一郎といったか?日本軍大災厄編纂室長にして、ゴードン・マクマソンの旧友」
 那辺が縁のあるゼロから聴いた事のある、行方不明になったブラックハウンドのずば抜けた隊員の話。
 そして皇に渡した“死鳥文書”とゴードン・マクマソンに関しての機密情報から導き出した、現象学上の本質的直感(シャーロック・ホームズ)にラドウはあっさりと肯定の頷きを返す。
「……ゴードンか。奴も可哀想ではあるとは思うんだけどな」
 あっさりと肯定の頷きを返された動揺を隠すように、那辺はそう呟いて回想した。

 ゴードン・マクマソンは千早重工の統括専務である。
 が、元々千早一族の人間であったわけではない。
 彼は6歳までヴィル・ヌーヴの小さな村に母親と遠縁の年下の娘と住んでいた。
 物静かな頭の良い子供で、チェスが得意などこにでもいる先生となる小さな夢を持った少年。
 母親は父親や彼女の血縁者について何も語らず、彼もあえて聞かなかった。
 だがしかし、彼を6歳の時、祖父を名乗る男が現れ、彼を千早のアーコロジーに連れて行ったのだ。
──そしてその男は、フェニックスプロジェクトの主要メンバーで、大災厄をおこした者達の一人であった、と。
 用意周到なニューロが、千早のメインフレームに進入して手に入れた機密情報を思い起こし、彼女は歯を噛みしめた。

「感傷は御前を殺すぞ、那辺。最早御前の望みを叶える時間は少ない」
「いわれなくても解っている。あんたこそ、ゲルニカが何処までやれるのかみたいんじゃないのかい?」
 むきになって彼女は言い返す。が男が何も反応を示さない為にそのまま肩をすくめた。
「……まぁ、いい。恐い奴が来る前にとっとと目的をすませるさ。手段と目的を取り違える程馬鹿じゃない」
 そういいながら那辺は、ラドウの目の前で平然と印を組む。
「その右手に嫉妬、その左手に傲慢、その右脚に暴食、その左手に強欲、右胸にありたるは姦淫、左胸にありたるは憤怒──我が手により世界から隔絶されし「真祖」が力、再び世界に戻りたもう、再び我が手に戻りたもう。陽魂と陰魄。併せて魂魄となり、ひとつのたましいになるように」 
 銀鈴の音に似た複雑な音律と印で、那辺は自らが世界から封じたクリングゾールの力を、再び“彼”が構成される前に鋭い気合いと共に一条の蒼雷を放ち、自らに取り込む。
 か細い悲鳴が何処からか聞こえたが、彼女は気にした風もなくその力で傷を癒す。
 す、とラドウが顎を上げた。
「借りはしっかりと憶えておく。が、私の望みは変わらない。それを承知で契約を結んだのだろう、ディアブロ。だとしたら……」
 YUKI達のネットコンサートの力でゲルニカの力が自らに及ばない事を良いことに、那辺はラドウの耳元に何かを呟いた。
 そしてさも当然のごとくミラーシェイドを拾い上げ、身につけると平然とその身を関帝廟の中心部──いや、特異点へとつながる門へとその黒衣を翻した。

▼YOKOHAMA LU$T Chinatown "NEO関帝廟" 中心回廊──或いは門

 姿や形は変わっていようと、初見の時と全く同じく彼女は榊の前へと姿を現した。
「随分とぼろぼろじゃないのさ、ミスタ」
「……貴女も人の事はいえないでしょう、那辺さん」
 その声に歴戦の黒幕こそが持ち得る眼力で、那辺だと見抜いた榊があきれた返事を返す。
「もう時間がない、それは解っているだろう?肩を貸すからとっとと歩きなよ」
 問答無用で榊の手を取ると、担ぐような形で彼に肩を貸す。
「相変わらず強引な人ですね、貴女は……」
「五月蠅いな、ゲルニカに逢いたいんだったら、とっとと歩けって」
 僅かに榊の血の香りに喉仏を動かしながら、那辺は歩みを強引にも早めた。
 転々と血の後が続く道の先に、何が待っていようと。

……それは、一つの確実性の終焉だった。

 [ No.629 ]


死闘の行方U

Handle : シーン   Date : 2002/03/30(Sat) 00:47


▼関帝廟内、回廊

那辺が特異点へと続く門へと歩を進める。
ラドウはその背中をじっと見つめていた。
いや、正しくは彼女の背後に漂うあるモノに・・・
黒く、煙りのようなソレはしかし、明らかに意志あるもののように、ウネウネと形を変え、まるで失われた自分の体を取り戻そうともがいているかに見えた。
「ミディアンか・・・存外にしぶといものだな。奪われた己の力にわずかに意志を残していたか・・いや、無意識か。長い時を生きたおまえも自らの感情だけは、コントロールできなかったようだな。」
それは消え去ったはずのクリングゾールの残留思念とも呼べるものだった。
しかしそれには、もはや生物としての意志はなく、那辺に対する憎悪が形をなしたものでしかなかった。
それも、より大きな意志、ホワイトリンクスによって形成された統合思念によって取り込まれようとしている。
ラドウはそれに向かってわずかに手を動かした。
彼の力をもってすれば、クリングゾールの残留思念ごとき、消し去るのは造作もない事だった。
しかし、彼は静かに手を下ろし、そして低く、嗤った。
「ククククク・・・」
「心地よい波動だ。お前のむき出しの憎悪を感じるぞ。おまえには、その姿が似合う、この世界を満たす悪意の一つになるがいい。我が力の源となれ。」
ラドウが背を向ける。その向こうでクリングゾールの残滓は漂い、関帝廟の外へと流れていった。

▼中華街、路地

「アハハハハハハハハハハハハハ!」
フーディニの狂ったような笑い声が中華街の裏路地に木霊する。
白いマントは薄く膜のように広がり、来方の体を完全に覆っていた。
「クッ・・・」
来方は抗い、脱出を試みたがそれは無駄な努力に終わった。
ミシミシと体中の骨の軋む音が聞こえた。
すさまじい力で彼の体を締め付ける悪魔の抱擁に、彼は自分の死が近い事を悟った。
「無駄だよ。もう君にそこから脱出する術はない。おとなしく死んじゃいなよ。」
勝利を確信したフーディニが来方を見下ろし、言った。
「どれ、クリングゾールのヤツは上手くやってるかな。せっかくこの僕が美味しいところを譲ってやったんだから、失敗なんかしたら許さないぞ。」
フーディニはひと心地ついた風で遠く関帝廟の方向を見た。
その時。
「勝負ってやつは最後の最後まで解らないんだぜ?」
彼のすぐ背後で声がした。
それは、ありえない者の声。
彼が勝利したと確信していた敵の声だった。
「き・・貴様!どうやって・・・」
あわてて振り返るフーディニの目に不適な笑みを浮かべる来方の姿が映った。
ピタリと来方の拳が彼の背に押し当てられた。
「ようやく・・捕まえたぜ!」
言うやいなや、ズシンとすさまじい音と共に石畳に亀裂を作るほどの勢いで来方は足を踏み降ろした。
震脚という中国武術独特の踏み込みによって得られたエネルギーは、膝、腰、肩を伝い腕へ、そしてフーディニに押し当てられた拳へと集約された。
フーディニが必殺の一撃を逃れようと体の構成を変化させる。
しかし、彼の力は何か別の力によって妨害された。
時間にしてわずかコンマ数秒の間であったが、それだけで来方には十分だった。
発勁。
中国武術必殺の秘技は超絶の破壊力を余さずフーディニの体へと解き放った。
外からではなく、内部からのすさまじい衝撃に、フーディニの小さな体はまるで爆ぜたように、高速で回転し、石畳に叩きつけられた。
「ガッ!ガハァ!」
フーディニが苦しげに大量の血を吐く。
その様を、今度は来方が快心の笑みで見下した。
「衝撃は内部からお前を破壊した・・いくらおまえでも、重要な器官を体の外に出すわけにはいかないだろう?」
来方が言う。
「瞬間移動に・・変化か・・貴様、能力者か・・・」
フーディニが息も絶え絶えにそう言った。
「いやぁ、苦労したぜ。もう少しで本当に死んじまうところだった。」
来方がニヤリと笑う。
来方はフーディニの注意がわずかにそれた瞬間に彼の背後に瞬間移動し、攻撃を加えたのだ。
フーディニは来方の攻撃を体の構成を組み替える事で避けようとしたが、来方は自信の変化能力によって彼の術をわずかに遅らせた。
いかに、フーディニの変化能力が優れているとはいえ、完全に無防備な瞬間、しかも彼の頭には来方が同じ変化能力を使用するという考えはまったくなかった。
いや、来方の言葉、それまでの体術のみの攻防によってその考えを失念していたのだった。
それは、来方の文字通り命がけの賭けだった。
そして、彼は勝ったのだ。
「このペテン師め・・・何が人はそういう技術を長い時をかけて錬磨して来た・・だ。」
もはや体を起こす力も残っていないのか、フーディニは地に伏したままで、憎々しげに見上げた。
「ありがとう。最高の賛辞だよ。」
来方は再びあの悪戯小僧のような無邪気な笑みを浮かべた。
「普通ならアレで死んでるんだが、さすがにしぶといな・・でも、しばらくは戦う事はおろか、動く事もできないだろ?」
彼の言葉にフーディニは自らの死を覚悟した。
「とどめをさせよ・・・」
静かに目を閉じる。
しかし、来方は何もせずフーディニに背を向けた。
そのまま、その場を立ち去ろうとする。
「な・・貴様!馬鹿にしているのか?」
怒りに一瞬痛みを忘れ、フーディニが叫ぶ。
「完全に勝負はついてるだろ?動けない相手をなぶるのは、好きだけど・・殺しは趣味じゃないんだよなぁ。」
もはや興味を無くした風に来方は、呑気に答えた。
「ここで、僕を生かしておけば、今度こそ貴様を殺すぞ!」
その言葉に来方の足が止まった。
顔だけを動かしフーディニを見る。
しかし、その表情は笑顔。
何か楽しい事でも見つけたような、無邪気な笑顔だった。
「いいぜ。何度でもぶっ飛ばしてやるよ。」
来方は何でもない事のようにそう言い、再び歩を進めた。
遠ざかる彼の背後で、フーディニはもはや何も言わず、ただ憎しみを込めた眼差しで来方の背を見つめていた。


▼同時刻:日本軍大災厄史編纂室

「フーディニ戦闘続行不能。・・・どうします?室長。」
千眼は心持ち強ばった声音で問うた。
目の前のモニターには地に伏した少年、フーディニの姿が映し出されている。
しかし、問われた当の男は何も言わず、きびすを返した。
「室長?」
今度は明かな動揺を露わに、千眼は振り返った。
彼の目に幅広い巌のような背が映った。
その向こうで彼等の長である室長、壬生がどういう表情をしているのかは、彼からは伺い知る事はできない。
「どうする?」
壬生は振り返らず、ただ千眼の問いを繰り返した。
「決まっている。クリングゾールが倒れ、フーディニもまた倒れた。」
そこで彼は言葉を切り、顔をわずかに巡らし、千眼を見た。
ゾクリと
千眼の背に冷たい物が走った。
壬生の視線はそれだけで、彼を殺す力を有しているかのようだった。
事実、壬生はたやすく彼の命を奪う事ができるだろう。
この部屋から出ていく、ほんのついでに彼を死神の手に引き渡す事ができるのだ。
しかし、千眼が本当に恐怖したのは、そんな事ではなかった。
彼はてっきり、壬生が怒りも露わにこの部屋を出ていくのだと思っていた。
部下が、それも腕利きの部下が二人も倒されたのだ、上司であればその失態に怒り、あるいは尻拭いをせねばならない事に憤りを憶えるのだろうと思っていたのだ。
だが、千眼は真に壬生という男を理解してはいなかった。
壬生の面には、彼が予想していた怒りの感情は微塵も現れてはいなかったのだ。
いや、怒りどころか、まったく何の動揺も伺えはしなかった。
静かな、氷像のような無面が千眼をただ見ていた。
そこで、千眼は悟った。
この男は何もあてになどしていない事に。
自身の力以外、何も信用してはいないのだ。
フーディニも、クリングゾールも、そして千眼自身も目的を達成するための選択肢の一つにしかすぎないのだ。
「あの男が現れた以上、私が行くしかあるまい。」
「それとも・・おまえが何とかしてくれるのか?」
嘲りに似た響きを帯びて壬生が問うた。
その問いに彼は答える事が出来ない。
もちろん、自分が何とかできようはずがない。
あの、全てを無に帰す黒衣の男に対抗する術などあるはずがなかった。
ただ、彼は魅入られたように、壬生から目をそらす事が出来なかった。
それだけではない、動くことも、息をする事すらできず、ただ彼の視線を受け止めるだけで精一杯だった。
そんな千眼の姿に、もはや興味を無くしたのか、壬生は再びきびすを返すと部屋を出ていった。


 [ No.630 ]


TANGO In EDEN -I ..... "We are G.O.D.'z Children"

Handle : “ツァフキエル”煌 久遠   Date : 2002/03/31(Sun) 19:14
Style : 舞貴人◎ 新生路=新生路●   Aj/Jender : 22,Female/ Now... a Little girl in za world
Post : カフェバー “ツァフキエル”マスター




▽TANGO In EDEN = Twilight Star

「貴女はデバイス。私はバイオス。彼女は、その中に納まる魂を象るプログラム」
「インストールされなければ、どうなるかなんてわからないわ。だって、これまで私たちの誰もが
 空虚で形も無く、風が通るように穿たれて棄て措かれたインゴットのようなものだったのだから」
「私達の誰が欠けても、決して扉は開かない。開かない扉は、開けようとするものを拒むわ」
「拒みつづけられる度に、ヒトは深く傷ついてゆく」
「ならば、扉を変える鍵は作りましょう」
「その扉を買える鍵が“失われれば”、もう扉も無くなる」
「なくしてしまえば________」
「ヒトが傷つくこともなくなるわ」
「もしかしたら、忘れて生まれるヒトビトが生まれてくるのが早いかもしれない」
「久遠、時間が無いわ」
 彼女達二人だけではない、幾つもの声が重なり、差し出された二人の意思の手が、
 静かに鼓膜と鼓動を突き破る。


 口を開き、声を出そうと思った。喉が動かない。ただひゅうひゅうと息の音が聞こえる。
 焼け付くように乾いた粘膜が苦しかった。
 「デバイス」は自分でも意識しないうちに自動的にその一角を音声に振り返る。
“…………………でも、どうしても扉を開けようとする子供達もいるかも知れないよ。
 みんな、本当に苦しい事は知りたくないもの。絶望を抱くから扉を開けようとするんだもの。
 それを閉ざして……本当に良いの”
 声をあげる事は容易いのにね、とその様子にクレアが柔らかく微笑む。
「何故子供達は扉を開けようとするのかしら」
「それはきっと」
「絶望がなんであるかを知っているからね」
 メレディーが言葉を詰めた。久遠の瞳を静かに見入る。
 その深い色に恐れを為したように、自然一歩、少女は身を引いた。
 視線は離さないまま、離せないまま。
“……………私はどうして生まれたの”
 静かに続く声。それは音ではなく、ただ意識の欠片として震え伝わるモノ。
 見つめられる瞳に苦しげな色を浮かべて久遠は呟いた。
 乾いた風のような音だけが、唇から零れ出る。
“……………………あなた達は、何がしたいの”
「いったでしょう?」
 クレアが静かに呟く。
「今私達の前にある扉を開ける鍵を変えてしまうと」
 メレディーが視線を更に久遠に絡めてくる。
「今ある鍵で開ける扉ではなく、私達はもっと違う世界へ繋がる扉を手にする鍵を作るべきだわ」
「そう」
 クレアがその言葉に答える。
「ヒトの記憶が失われ、拒まれることのない、拒む必要もない……新しい世界へ……
 時の流れへと繋がる、その扉を手に」
 ぐらりと空間が揺れた。子供達の悲鳴は……歓喜の歌は更に強くなる。
 この場にいる三者。
 電脳世界の『軸』、それすらを飲み込む歪みが、重力が生まれている。
“わかんない……わかんないよ”
 場の混乱、混沌を示すようなか細い音と共に、ぽたんとマゼンタの色から雫が落ちた。
 絡められる視線、その影響から逃れようとして久遠は小さく首を振り続ける。
 じくじくと身体の何処かが痛んだ。
“みんな、本当は自分だけの大切な何かの為に
 いろんなモノと戦ってるはずなのに。
 メレディーさんもクレアさんも、それを教えてくれない。
 久遠にはわからないよ。
 それじゃまるで……みんな壊したがってるみたいじゃない”

「……もう見つけたの」
 泣く風に返ってきた声は、驚くほど暖かくて。久遠は顔を上げてクレアをみる。
 彼女は無邪気に微笑んでいた。その笑顔は、何も悪意のなく、思わずその表情に触れた
 久遠自身もつられて微笑みかけるほどの穏やかな表情だった。
「その扉の向こう側なのよ、久遠」
 メレディーが、その久遠の表情をみて応える。クレアの声に被せるように、静かに。
「今私達の目の前にある扉が繋がる……その先は、まだ何も見えないパンドラの箱よ。
 でも、扉である今ならば、まだ私達はその繋がる先を選ぶことができる」
 クレアの表情から笑みが消えた。
 久遠の瞳に視線を絡ませる。
 観る事は干渉する事なのだと……いつか誰かから聞いた言葉を思い出しながら
 久遠はぼんやりとその瞳を見返していた。
 闇に浮かぶ四つの月がこちらを覗いている。
「回帰の扉か」
「それとも、再生の扉なのか」
 クレアが一歩、久遠に向かって歩み寄る。
「貴方の内部から導き出せる『場』に臆さないで」
 パチバチとプラチナブロンドが弾けて、強風に煽られるように舞った。
 久遠は、近づくその姿から離れる事もなく視線を外すことも出来ず、ただ其処に在った。
 その「時」まで存在しなければいけない事を、ぼんやりと感じていた。
“……久遠は――――――”
 守りたい。そう、声にならない言葉が生まれて消えた。
 赤いボールを胸に抱いたまま、そして。
“――――――生きていたいの”
 ぽたんとひとつ、雫が落ちる。


||   ▼ UNKNOWN-AREA ____"Middle Earth"
||
||    銀色の長髪を揺らし、彼女が呟く。そばに居る男はただ静かにその言葉を聞いた
||   「平穏だと感じて縋った仲間は、全てその命を……在り方を変容させ、堕ちてゆく。
||    どれほど魂を揺さぶられることかしら」
||    男が肩を竦める。
||   「だが、やがてはそれも戸惑いが……いつかは、あてどころのナイ怒りに移り変わり、
||    最後には俺が歩んだように憎悪を伴ってその身を包むだろう」
||    銀色の女がその手に触れ、静かに呟く。
||   「『彼女』がそれを凌ぎ、その線を越えるか頂点へと一気に上り詰めれば_________」
||   「憎悪を」男が視線を彼女にやる。「頂点へと向かわせるつもりか?」


「仕上げなければ」
 クレアが視線を、天へと向ける。
 その先には幾層も積み重なったグリッドが、静かに打ち震え、燐光を散らす。
「私達はいつも一緒よ」
 メレディーが微笑み、久遠にひとつ歩み寄る。
「久遠__________________」
 二人が更に一歩、久遠に歩み寄る。


||    男の言葉に、女が微笑んで応える。
||   「ヒトが通らねばならないいただきがそこになるのならば」彼女が髪をかきあげる。
||   「囁く言葉は、愛でも哀しみでも、どちらでも良いのかも……しれないな」
||   「どれほど魂を揺さぶられることかしら」
||    男が肩を竦めた。


「好きよ、私________________貴女のその優しさが」
 クレアが微笑む。
「力を」メレディーが一人、更に歩み寄る。「力を_______________使える?」
 二人が視線を、久遠の両眼を捕らえる。
「久遠」

 あるはずのない風がそこに存在する人物達を包んでいた。
 クレアが、す、と手を高く上に向けて何かを示した。
 それにつられるように、ごく自然に久遠は見上げる。

 星々が瞬く――――それは、ソラだった。
 狂おしいほどに愛しく、懐かしい場所だった。

 差し伸べられる二人の手に、久遠は己の指を絡めた。
 動くたびに燐が落ちて、震え落ちて、微かな痛みを感じさせながら握りしめる。
 幼い子供が叱られた時のように、ぐずぐずと泣きじゃくりながら、それでも
 握られる手は優しく包まれた。



再び光が溢れて零れる。全てが凝固し、伸縮し、不規則な変化を続けながら
膨張する。爆発への道を辿る――――――超新星爆発と呼ばれるそれに向かいながら。

光の中、己の輪郭が失われるのを感じながら。
久遠の唇から、漸く音が……叫びに似た声が零れる。
それは、新たに生まれ落ちた赤子の泣き声に似ていた。

http://plaza.across.or.jp/~ranal/master_nova/quon_nova.html [ No.631 ]


銀の海

Handle : シーン   Date : 2002/06/08(Sat) 03:04


『もし、私が雨だったなら
それが永遠に交わる事のない
空と大地をつなぎ止めるように
誰かの心をつなぎ止めることができただろうか』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ここが・・・特異点。」
ゲルニカは、ついにその場所に立った。
何らかのトラップや二重結界を予測していたが、彼女はあっさりとその場所に来る事が出来た。考えてみれば、“門の守護者”以上の障害などないな、と彼女は自嘲した。
霊的視覚に映るは、光満ちる。フィールド。
足下から上へと、沸き上がっては消えていく細かな光が星空を見上げているような錯覚を憶えさせた。
なんて静かなーーーーーーーーゲルニカは、まさにこれから、自らの命をかけた思いが成就するか、という瞬間には、不似合いな心休まる感情にしばし、酔った。
迷いは、ない。後は、するべき事をするだけだ。
「・・・・」
その場所の中心に立ち、全神経を集中した。
術の構成も彼女の力を使用する必要もない。ただ、思い。見えざる手を延ばす。
「!!」
不意に、それは来た。
霊的視覚に映る風景がぼやけた。
モニターにノイズが走るように、まず歪み、別のものへと切り替わった。
それは、海。ただし、満たされているのは青い海水ではなく、銀色の液体だった。
どこまでも続く銀色の海が視界いっぱいに広がっていた。
ゲルニカはその海面すれすれのところに浮いていた。
「これは・・・?」
「アラストールだ。」
「!?」
返ってくるはずのない問いに不意に答えた者がいた。
だが、彼女はその声の主を知っていた。静かに声のした方へと首をめぐらす。
「ラドウ・・・」
「おめでとう。ついに君は終着点に来た。そして、ようこそ、アラストールの元へ。」
ラドウは、彼女のすぐそばで、彼にしては珍しい芝居がかった仕草で深々とおじぎをした。
彼の体もまた、ゲルニカと同じように銀の海上に浮いている。
「どうして、ここに?」
何度この男の事を考えただろうか?この声を思い、この腕に抱かれる事を夢みたのだろう。
ゲルニカは心の内をさとられまいと、つとめて冷静な声音で問うた。
「アラストールの使徒である我々は、つねに彼と繋がっている。
中でも私は彼に近しい。だから、望めば、ここに来る事ができる。何の不思議もない。」
いつもの、冷徹な冷たさを帯びた声でラドウは言った。
ゲルニカを見つめる瞳には、何の感情も浮かんではいない。
その冷たさが彼女に冷静さを呼び戻した。
わかっていた事だ。この男は、こういう男なのだ。
彼のもとを離れた自分は、今ではただの他人……いや、ともすれば、敵であるのかもしれない。
「私を殺しに来たの?ラドウ。」
ゲルニカの問いに、彼は静かに首を振った。
まるで、よく出来たCGを見ているようだと、彼の彫像のような整った面を見ながら、彼女は思った。
以前のような、心の高ぶりはもはや失せていた。
“なぜだろう?”ゲルニカは自らの冷静さに逆に驚いた。
刹那、あの黒眼鏡の探偵、榊の姿が浮かんだ。彼の存在が彼女のラドウへの想いを薄れさせているのか?
「違う・・・違うわ。」
時が経ったのだと、ゲルニカは自身に言い聞かせ、その思考を強引にうち消した。
なぜなら、それを肯定してしまう事は、自分の今回の行動全てを否定してしまう事に他ならなかったからだ。
「どうした?・・・気をつけろ。集中を乱すとこの海に沈む事になるぞ。
そうなれば、二度と浮いてくる事はない。お前という存在そのものが、無くなってしまうぞ。」
ラドウは、淡々と言った。
「・・・私の身をあんじてくれるの?
てっきり、私を殺しに来たのだと思っていたわ。」
なぜ殺す必要がある?と言う風にラドウが皮肉気に口元を歪めた。
「本来なら、私がするはずの事をかわりにおまえがしてくれるだけの事だ。
感謝しこそすれ、殺すはずはなかろう?」
「感謝?」
今度は、ゲルニカが薄く笑った。
「いいわ。何もしないと言うのなら、私は私のするべき事をするだけよ。」
そう言ってゲルニカは再び集中しはじめた。
「!・・・くっ。」
何か巨大な意志が心・・いや、魂そのものに侵入してくるような感覚に彼女は低く呻いた。しかし、集中はとかない。ラドウの言葉が正しければ、それは、彼女の死、消滅につながるからだ。
「いい子だ・・・・」
そんなゲルニカの様子を見つめながら。
ラドウは、呟き、薄い笑みを漏らした。

・・・・・・・・・・・・・

「?・・・何だこれは?」
八神は、驚きに目を見開いた。
最初、自分が幻覚を見ているのでは、とさえ思った。
足下が光輝いていた。否、関帝廟そのものが光に包まれているのだ。
闇夜を裂き、遙か上空へと続く光は、遠目には、巨大な白光の塔のようにも見えた。
それは、神々しささえ伴い、恐怖の夜を身を寄せ合い耐えるLU$T の人々の目に映った。
「ついに・・・この世の終わりが来たんだ。」
そう言ったのは、誰だったろうか。
しかし、その者でさえこれからまさに、その言が真実になるかもしれないという事には、気づかなかった。そして、その渦中にいる者達の存在にも・・・
「アラストールが・・・現れようとしているのさ。」
驚きに目を見張る、八神とは対照的に、静かにそして、どこか悲しげに草薙がそう呟いた。



 [ No.632 ]


終末の迷路

Handle : シーン   Date : 2002/08/09(Fri) 03:16


轟々と吹き荒れる暴力という名の嵐。
今の青面騎手幇はまさにそれだった。
皮肉にもホワイトリンクスによって共有した狂気と高揚感は、彼等をまるで一個の生き物のように支配していた。
獲物を求め、目につくものを破壊し、殺す。
ハウンドが鎮圧のため、部隊をいくつか派遣したが、その狂気は衰えるどころか益々勢いを増しているようにも見えた。

その様子をユンは路地の一角から静かに見つめていた。
彼は一人ではなく、すぐ側に屈強な体躯の巨漢が立っていた。
黒いスーツに身をつつんだその男の肉体が、トレーニングによって作られたそれではなく、数々の修羅場と実践によって鍛え抜かれたものである事を、ユンは半ば本能的に察知していた。
「行くぞ。ゼットー様が待っている」
男は抑揚のない低い声でそう言うとユンの肩を促すように軽く叩いた。
『おまえの答えを聞きたい』
ユンのポケットロンにビル・ゼットーからの連絡があったのは、30分ほど前の事だった。
それにユンは僅かな躊躇いの後、イエスと答えた。
『使いの者をやる。待っていろ』
待ち合わせの場所を決め、そう言った実の兄の声は、ひどく嬉しそうだった。
組の者から離れ、ビルの使いだと言うこの巨漢に案内されるまま、ユンはここまで来ていた。
「ビル・ゼットー」
後ろから彼を監視する巨漢の視線を感じながら、ユンはもう一度兄の名を呟いた。

迷路のように錯綜する路地をいくつも曲がり、不意に視界が開けた。
ビルとビルの間に、ポカリと空いた空き地があった。
いや、正確には空き地ではなく中央には朽ちた教会が存在している。
元は白かった壁は薄く汚れ、尖塔を思わせる尖った屋根には欠けた十字架が無惨な姿をさらしていた。
「入れ」
再び巨漢が言った。つまり、ここが目的地だという事だ。
「早く行け。ゼットー様が…」
立ち止まり、歩を進めようとしないユンに苛立ったのか巨漢が更に何かを言おうとしたが、その言葉は不意にとぎれた。
「?」
訝しげに後ろを振り向いたユンの視界に、ゆっくりと倒れる巨漢の姿と、その背後に現れた男の姿が見えた。
ミラーシェイド越しに視線がユンを捉えた。
ダークグリーンのスーツに身をつつんだ銀髪の男、胸元に鳳の紋章が刺繍されている。
「この男はもう二度と目を覚ます事はないだろう」
低い、しかしよく通る声で男は言った。
「おまえは、おまえの役割を果たしに行くがいい」
「お……おまえは……」
掠れた声がユンの口から漏れた。
彼はその時はじめて、自分の掌がじっとりと汗で濡れているのを知った。
“恐れているのか?オレが?”
自問するが、自らの体がすでにそれに答えていた。
ユンの体は硬直し、動く事ができない。
本能的に、彼は眼前の男が自分を凌駕する戦闘能力を有している事を悟った。
「私の名は壬生。日本軍大災厄史編纂室長、壬生だ」
男……壬生はそう答えるときびすを返し、去っていった。

 [ No.633 ]


終末の迷路《U》

Handle : シーン   Date : 2002/08/14(Wed) 00:57


―――― and he said

    かつての幻想を夢をオレは憶えている。

    しかし、それは重なる年月に摩耗するように

    新雪が足跡と泥にまみれ、汚されていくように

    現実と言う名のナイフに引き裂かれていく。

    残酷に

    無様に

    その軌跡はオレの心に確かな傷痕を遺す。



 キイ、とドアが乾いた音をたて、開いた。
「誰だ?」
 反射的に誰何の声をあげ、ビル・ゼットーは振り返った。
 ドアの前には、ユンが立っていた。
 ディックの片腕、冷徹な殺し屋、腹違いの弟、様々な彼を意味する言葉が耳鳴りのように、ビルの中で反響した。
「脅かすなよ小元」
 言いしれぬ不吉な予感を無理にぬぐい去ろうとするかのように、ビルは優しい声をかけた。
「会いに来たよ、ビル」
 何の感情もこもらぬ、平坦な声音でユンは言った。
 ともすればティーンエイジャーにも間違われる彼の童顔には不似合いな冷たい声。
 こういう物言いをするユンに、ビルは心当たりがあった。
“あれはたしか……”
 本能的に危険を知らせる警鐘がビルの中で打ち鳴らされ、彼の思考を断絶する。
“そんなはずはない。ユンには他の選択肢などあるはずがない。ディックの事を思えば思うほど、こいつには他に選ぶ道などなくなっていくはずだ”
 呪文のように自らの内で繰り返す言葉は、しかし彼の不安をぬぐいさる解放の呪文たりえなかった。
 ツイとユンが滑るような足取りでビルへと一歩近づく。
 ゾクリと背が震えた。
“この建物には数十人の部下を待機させている。オレは安全だ。オレに危害を加えられる者などいない”
 再び繰り返すビル。
“そうだ……ユンの監視につけたあいつは……どうしたんだ?”
 ユンへの使いとして行かせた彼のボディガード。数々の戦場を経た歴戦の強者でもある男の姿を、我知らずビルは探した。
「おまえを迎えにやった男の姿が見えないが……どうしたんだ?ユン」
 言ってしまってから、ビルはその事を深く後悔した。
 ニタリとユンが嗤う。
 背筋も凍る暗殺者の笑み。
 死を恐れぬ三合会のヤクザでさえ恐怖を憶えずにはいられぬ、“小刀”のユンがそこにいた。
 その笑みが―――彼の危惧が全て現実のものであると物語っていた。
「ヤツは死んだよ」
 相変わらずの冷淡な声でユンが答えた。
「死んだ?……馬鹿な、そんな馬鹿な事が……おまえが…殺したのか?」
 狼狽を露わにし呟くビルにユンはゆっくりと首を振った。
「オレじゃない。でも、そんな事はどうでもいいことだ。オレが用があるのはアンタだ、ビル」
 一瞬の安堵。ビルはそれにすがるように早口に言った。まるでそうする事で全てが彼の思い通りに戻ると信じるように。
「……あ、ああ。そうだな。おまえはオレの申し出を受け入れてくれたのだから……」
「違う」
 そのビルの言葉をはっきりとした拒絶の意志をこめて、ユンが制した。
「オレはアンタをディックのもとに連れていくために来たんだ」
「連れていく?オレをか?馬鹿な……そんな事をすればもうヤツは助からないぞ。三合会がそんな事を認めるはずがない」
 近づいてくる死神から逃れるように、ビルは後ずさった。
 背が壁に当たり、それ以上逃げる事ができなくなっても、ビルはさらに逃れようともがいた。
「それに……そうだ、ユン。この建物にはオレの部下達が待機しているんだぞ。オレに何かあれば、おまえは無事にここを出る事はできない」
「アンタは解っちゃいない。オレの決意を」
 自らの内にある意志を確かめるように、それに酔うように、ユンは再びかぶりを振った。
 ユンはすでにビルに手が届くところまで来ていた。
「オレはすでにディックの問いに答えてしまった。彼と共に行くと。彼がそう望むのなら、オレは三合会全てを敵にまわしてもいい」
「馬鹿な!」
 何度目かの否定の言葉をビルは叫んだ。
 ユンがゆっくりと手を伸ばし、ビルの肩に触れた。
 まるで深淵から死を司る怪物が、そのアギトを延ばしているようだと、黒く何の光も宿さぬユンの双眸見つめ、ビルは思った。
「だ…誰か!誰かいないのか?早くここに来い!早く……オレを」
 取り乱し、叫ぶビルを見つめ再びユンは嗤った。
 その時ビルは、初めてユンの白いシャツに、小さなシミがある事に気づいた。
 紅く、禍々しい斑模様に。
「無駄だよ。アンタの部下は皆死んだ。ここにいるのは、オレとビル、アンタだけだ」
歌うように、さながら運命を告げる神託のように、自らの破滅への不吉な響きを帯びて、ユンは静かに呟いた。

 [ No.634 ]


湖楼の夢 深紅の目覚め

Handle : “那辺”   Date : 2002/09/09(Mon) 04:15
Style : Ayakashi◎,Fate,Mayakashi●   Aj/Jender : 25?/female
Post : Bounty hunter


 かの災厄前の指揮者カラヤンは、少年時代にピアノの師匠にこういわれたという。
「君の音楽のすべては、ピアノでは表現出来ない」と。
 そして彼は、かくも高名な指揮者となる道を選んだという。

▼YOKOHAMA LU$T Chinatown "NEO関帝廟" 中心回廊──或いは門

 ゲルニカと同等の幻視の能力を得た榊と、元々径を読む能力を持つ那辺が、ともに在るという事自体が、指揮者に指揮棒を持たせるということだ。
 那辺は榊の傷口から、彼が眉をしかめるのを無視して手で血をすくい、血による縁を結ぶ。
 これにより、那辺は榊という“デバイス”を通して、寸断されつつも高次に形成された径をたどり、彼女達が置かれている現状を視で把握した。

 YUKIの歌声とゲルニカの結界によるハーモニクス。
 うっとりと身をゆだねる。

1.関帝廟内アストラル──“スサオウ”
1.関帝廟入り口──“リョウヤ”“サンドラ”“草薙”
1.中華街雑居ビル──“銀の腕”“デットコピー”

 “デットコピー”にYUKIのハーモニクスを通じて託す。
 曼陀羅の図柄を現在LU$Tに描かれている上から、ウェブ上に書くように。
 YUKIの友人として、願うと。
 
1.軌道上高次グリット......EDEN──“ツァフキエル”

 そこで目をつぶっていた那辺は、久遠に結んでいた縁を使い、少しだけちょっかいをかけた。
 彼女がほんとうに戻りたかったのは、何処か。必ず約束を守るように。
 久遠を基幹とした人格が構成されるように、アストラルからウェブへと、ぴんと指をはじいて波紋を送る──それは、人であるというコトを選んだ那辺の、久遠に対する最後の手向けだった。

 しかし多勢に無勢だというのに、良く戦っているよ、ミンナ。
 笑みから牙が零れる。
 
 しかし笑みを浮かべていられるのは今だけだった。
 ハーモニクスにはっきりと現れる形で、ラドウと同等クラスの“人格”が、ユンの動きを追ううちに、感じられたのだ。
 榊が、驚きの表情を浮かべ、那辺はあからさまに眉をしかめる。
──ソレは、大柄の男をいとも簡単にしとめたダークグリーンのスーツを着た銀髪の男。 ゆっくりと、そうスローモーションのように、ダークグラス越しに“こちら”を視る。 慌てて、榊との径を切断。
「……気付かれましたね。しかしよく……」
「話が違う。貰ったデータとスペックが──違いすぎる」
 二重のハーモニクスを使った幻視に気がついた男の実力に、那辺は自分が背筋に汗をかいているのに気がつき、苦笑した。
 だが手をこまねいている程おろかではない。
『スサオウの旦那、聞こえてるか?ちょいっと思ったより厄介な奴が出てきた。悪いが相手を頼む。私を発見した以上、奴はこっちに来るだろうからね』
 そしてそのまま歩み続けた。

▼銀の海

「あんた一人で何やってるんだ、ゲルニカ。あんたは馬鹿か?」
 唐突に、銀の海に波紋を波打ちながら、ぽたりと出血しつづける榊を担いだ那辺が、そう彼女に向かっていった。
「……東城 沙月。貴女に邪魔はさせないわ。それとも“ドミニク”と呼んだほうが正解かしら?」
 ゲルニカが集中を解き、那辺に言葉を放つ。
「その名はもう使えない。そして神の御名において授けられた銘は、神格を越えたものでしか破れない。西洋で洗礼名を平然と名乗るのは、そういう理由もある」
 が、背後に呟いた通りにいる黒装束の男の姿に動じず、平然と言葉を返す。
「──湖楼の夢はもう終わりだ、ゲルニカ。あんたは何も解っちゃいない」
 肩を貸りながら榊はゲルニカの方を向いた。
「迎えにきましたよ、ミス……蘭堂」
 榊がとろけるような笑みを浮かべる。それは、惚れた男が女に向ける笑みだった。
 意識を集中しなければ沈んでしまうであろう銀の海の上で、那辺に肩を借りながら。
 那辺は榊の意志を受け取ったのか、彼の手を取る。

 そして、唐突にも榊を持ち上げ、ゲルニカに向かって放りなげた。
 重傷をもった人間が、誰かの手を借りなければとけ込んでしまう銀の海の上で平然と。
 そのまま『魔眼』でゲルニカをすうっと眼を細めて見やった。

「そう、何も解っちゃいないんだ。あんたはいったい何をしたいんだ?何をしたんだ?たかが惚れたオトコ一人手に入れる為か?」
 
 真実の刃が煌めく。深紅の目覚めを求めて。
 しかしその後ろ姿は、どこか哀しそうだった。

 [ No.635 ]


輪舞[ロンド]

Handle : しーん   Date : 2002/10/18(Fri) 21:15




 やっぱり始めるのか。部屋を出て行った壬生の背へと千眼は囁く。だがその言葉がかかる前に、壬生のその姿はもう見えない。
 彼は静かにモニター上の構造物に視線を戻した。
「____________________人形でいる事に哀しみは覚えない。何故ならそれが存在意義だからだ。
 誰でも、大切なものの為に時間を流れていくというのなら、ヒトと私達の間にどれほどの差があるというのだろう」
 誰彼ともなく呟いたその声が、眼に見えぬ静かな波紋となって空気を震わす。
「ツァフキエル、お前さんののその選択もまた然りだ」
 彼は薄く、自らをせせら笑うかのように肩を揺さぶった。
「誰も知らぬその世界に、一体誰が・・・どんなヒトがその新世界に生きるというのだ」


--------


 何も、望まれていないのだ。
 唐突に自らの心に浮かんだその言葉に、自分でも信じられないぐらいの安堵を覚える。だが程なく、その安堵は確かな言葉となって現れた。
「かわらない事実_____________貴女が仰られると、そんな言葉もあったのだと思い出します」
 ゴードンが僅かに息をつきながら、ゆったりと組んでいた指を紐解き、皇を見つめる。
「貴女のような広報官を持てば、仕事も楽になるでしょうね」静かに笑い、彼は左手を伸ばした。「___________貸していただけますか? 貴女が用意してくださったその回線は血に塗れている。だが、その血は今を求める願いの径だ」
 皇は静かに見つめ返した。
「ゴードンさん・・・いいえ、統括専務。一つお聞きしたいことがあるのです」
「なんでしょう」
「地上千早の統括専務である貴方の判断一つが下れば、確かに岩崎とそれなりのカードを切ることで軍の侵攻を抑制できるのでしょう。ですが_____________」
 皇は、自分の中に報道に携わるものとして根本的に持つ大きな疑問の一つを瞼に浮べた。それは常に言葉にされることもなく、またそれを的確に表す文字も言葉もないために、いつも人々の精神の殻へと収められて殺された、多くの戸惑いの一つだった。
 だが、その皇の言葉の途切れに気が付いたゴードンは、初めて口許に柔らかな笑みを浮べた。
「【今】以外に他がないのではないか、そう仰りたいのですね?」
 はっと、視線を上げた皇の視線を捉え、ゴードンはゆっくりと頷いた。
「貴女は、私が想像していた以上の慧眼をお持ちだ。言葉にならず、活字にもならない。だがその見えぬ理由には、その【理由】があるのだと強く信じている」
 ゆっくりとソファーに凭れかかりながら、ゴードンは両手を膝にやる。
 ふと気が付けば、いつの間にやら彼の膝に小柄で毛の短い黒猫が寝そべっていた。
 皇は初めて不安を覚えた。この黒猫は__________いつ、この猫はここに姿を現したのだ?

 黒猫の背に手をやりながら、彼は続ける。だが、その表情はがらりと姿を変えていた。
「ここからはオフレコで願おう、ミス・皇。
 貴女がご想像の様に、今この都市では一連の事件の核となっている三合会の抗争がその規模を拡大し、その中央に座している。我々、千早と岩崎は、仮初めにもこの都市の「今」を作った存在だ。彼らのその抗争の規模が我々が許すその尺度を超えるのであれば、軍の存在は無論またとない機会だ。だが、今問題なのはその彼らのその抗争の背後に秘められている真相だ。いや、むしろ深層といってもいい」
 皇は訝った。
「深層?」
「そう、深層だ。私はこの三合会を中心とした抗争の脚本を描いた演出家ともし出会えるのであれば、まずは賛辞を送りたい。
 いや、既にそれは叶ったと・・・そう言うべきなのかもしれないな。貴女にはお礼を申し上げなければなるまい」
 重く、圧し掛かるような笑みを浮べ、ゴードンは再度左手を差し出し、皇のポケットロンを視線で指し示した。皇は本能的な恐怖を正直に感じた。それは経験から裏づけされた理性が教えるものではなく、どちらかと言うともっと本能的な・・・獣のような感覚だった。

「確かにお預かりいたします」
 唐突に背後からかかる柔らかな声に、皇はたっぷりと数センチ肩を動かした。その火と水のような違いのある音程に背筋が鳥肌を立てた。だが、鉄のようなカーテンをその精神に纏わせ、皇はゆっくりとその声を振り返った。
 優しい暖かさを持つ細い手が、静かにゆっくりと自分の手からポケットロンを皇の指を紐解きながら取り上げる。
 酷くゆっくりとした_________だが、幾分も無駄のない歩みで背後の声の主がポケットロンとともにその姿を現し、ゴードンへと歩み寄ってゆく。
 長い黒髪の女性。皇は溜め息をついた。
「ありがとう」
 ゴードンは凭れていたソファーから身を起こし、優雅な笑みを浮べて皇のポケットロンをその手に受けとった。

「ご無沙汰ですね、和知課長。いつぞやの桃花源での夜以来でしょうか」
 数秒の沈黙が部屋に下りる。
 皇は、ゴードンがこの瞬間を待ちわびていたのだと、改めて実感する。始めてみるぎらついた視線が僅かに垣間見える。それはブン屋として自分のような職業の人間だけが垣間見る、特有の視線だった。
 やがて、彼はその数秒の沈黙に渡された、和知の言葉に答えるかのようにいた。
「和知課長、貴女もお人が悪い。始めからご存知であったのなら、なぜ彼女に新薬を処方したのです?
 彼女が今の選択を選ぶ事くらい、貴女は遥か以前からお考えだったはずだ。私達の思惑通り、【今】は皇さんを始めとしたこの血の回線を結んだ方達が事態を収めるでしょう。そう、那辺氏が牙を剥いたように。
 しかし、貴女はあの新薬から生まれようとしている新たな生命に、一体何をご所望されるおつもりなのですかな? そう、一体何をさせるおつもりなのでしょうか」
 彼の言葉の後半は、半ば面白い映画の思い出を語らうかのような笑みにみちていた。
 皇は思わず、半分席から腰を浮かせかけた。あまりにその不自然な笑みに・・・ブン屋が決して許さない、香りがそこにはあった。
 皇の言葉が紡がれる前に、ゴードンの傍らに立つ黒髪の女性が柔らかな視線で制した。その表情は、自然と皇の憤りを抑える不思議なリズムに満ちている。
「まさか、プロジェクトにまた火を入れるおつもりなのでしょうか? ましてや、そしてその火を諌める業火の火種がそのの生命から紡がせ、生まれいずると____________そう仰りたいのですか?」

 皇は、歯を半ば食いしばるようにして、言葉を無理やり紡いだ。
「___________統括専務、貴女のその仰られた彼女とは・・・まさか」


--------


 身体が云うことを聞かない。
 視線も今は上がらない。
 たれた視界には、白い肌。流れるプラチナブロンド。
 私の名前は?
 __________ツァフキエル
 セフィロトの第3位、理解の天使。 軌道の星を見下ろす神の知性、全てのものに形を与える。
 __________チリチリする。視床下部のあたり。
 チャネルが開く。
 __________終わったわ。いいえ、始めるのよ。
 ガチリ、と音が頭に響く。
 私の視野で光と闇が輪舞[ロンド]を踊る。

 立っている。広い空間に立っている。
 足元には黒曜石の床が広がる。いや、これはグリッドだ。だが、ひんやりとしたその冷たさははっきりとしている。実に、現実-リアル-だ。
「やっと、私達還ることができる」
 私は左を向く。彼女は右を向いた。私の視線、彼女の視線が絡み合い、私の視界には私が座っている。きっと彼女の視界には、彼女が座っているのだろう。
 それは、メレディーだった。確かに彼女だ。
 彼女の豊かな艶のある黒髪が、柔らかな風に揺れている。これは、グリッドの風と言うことなのだろうか。
「久遠」
 メレディーが静かな瞳をたたえて私をじっと見つめる。
「電脳界とアストラル界、そして原形界。この三つの要素が全て揃わなければ、昇華はしない」
 昇華。昇華の宴。何もかもが、その言葉から始まった。そう、私の身体が伝えてくる。
「人がアラストールと向き合う為に、これまで何度も見逃した電脳界のキーが揃ったわ」
 私は唐突に彼女の姿が、薄れてゆく事に気が付いた。
 はっとするように、自分があれほど危機的に感じていた、その『時間』を思い出す。
 そうだ、私には後数秒の時間しか残されていない。部屋の端末とアルテオンが紡ぎだす、LU$Tの都市に生きる接続された多くの端末とニューラルウェアを実装した固体が奏でる巨大な“演算”には、終わりが・・・コーダがある。その時間を唐突に思い出した。
 レッドが有事の高負荷とするその瞬間がくれば、強制的に私をリリースする。
 後どれだけ時間が残されているのか。

「私達の誰が欠けても、決して扉は開かないという事は始めからわかっていたわ。開かない扉は、開けようとするものを拒む。けれど、人がそれに気付くにはあまりのも多くの時間と血を流さなければ成らない。それが今の歴史だった」
 右を向くと、栗色の髪の女性が同じ、その姿を薄れさせながら囁く。
「求め、そして拒みつづけられる度に、ヒトは深く傷ついてゆく」
「だから、その事象から抜け出す扉をあける鍵は作ったわ」
「でも、そのその扉をあける鍵が“失われれば”、もう扉も無くなる」
「なくしてしまえば________」
「ヒトが傷つくこともなくなるかもしれない」
「もしかしたら、そのチャネルそのものを忘れて生まれるヒトビトが生まれてくるのが早いのかもしれない」
 クレアとメレディー。二人が視線を合わせ、私を見つめる。「鍵も扉も忘れて」
「私達が電脳の扉を閉ざせば、ヒトがそのチャネルで傷つく可能性は限りなく少なくなるでしょう」
「久遠、ヒトには今、時間があまり残されていないわ」
「ヒトはあまりにも帯域の広いチャネルをその実に持ちすぎたわ。けれど、精神とテクノロジーでそれを補う術を身につけてしまった」

 メレディーが目を伏せて、姿を消す。
 クレアも目を伏せ、煌に手を伸ばした。
「閉じましょう、煌。ヒトに電脳界から開放されているその真のチャネルを」
 煌は激しく首を振った。追いすがるように、消えかかるクレアのその姿に手を伸ばす。
「ちょっと待って!!! クレアさん、閉じてしまったらヒトはどうやってアラストールの在る世界と向き合えばいいの?!
 それとも永遠にその苦痛の海を彷徨えと言うの??!」
 クレアが消え去る。その最後の言葉が煌の鼓膜を震わせた。
「私達がこの扉を閉じれば、ヒトはアラストールと単体ではチャネルリンケージできない固体として生まれ変わることになるわ。少なくともこのLU$Tにある最もアラストールと距離の近い特異点のその存在とコンタクトは出来ない。ホワイトリンクスはそういうものだったのよ、ツァフキエル。ヒトは自らを作り変える手段を次々に鍛え上げていった・・・その代償の一つよ。いいえ、彼らはキットこういうでしょうね。【力-テクノロジー-】だと」

 煌は、突然襲い掛かる静寂とその焦燥感に叫び声を上げる。
「待って!!! メレディーさん!! クレアさん!! アラストールに追いすがる人達はどうやったら救われるのよ!!!」
『叫ばないでも声は届くわ、久遠』
「?!」
『貴女が私達を忘れない限り、私達二人は永久に貴女と同化する。...ずっと一緒よ』
「メレディーさん!!! だってチャネルが揃わなければ、また降臨で災厄が起きるわ!!! そう言ったじゃない!!!」
『閉じたのよ、アストラルチャネルは。スサオウがその亜の力で頑強に閉じ込みを行ったわ』
『残っているのは原形界。でもそのチャネルも程なく那辺が閉じるでしょう。榊と来方がその道を開いたわ。那辺が見るべき道と、歩むべき道を』
「間に合うの?!」

 暖かい風が吹く。その風にクレアの香りを煌は感じる。
『間に合わないものを間に合わせるのよ、皆で。貴女の道は黒人と皇が切り開いたでしょう。
 貴女もやるのよ、ツァフキエル』
 煌は、それでもまだ覚めやらない、自分が開いた様々な構造物が伝えてよこす、LU$T各地での暴動が紡ぐ悲鳴に声を震わせる。
「でも・・・でも!!! 今のハーモニクスだって残存共鳴で喪って数分よ?! 一体そんな短い時間で、誰がこの暴動を止めるのよ!!!!
 術陣が臨界起動しなくても、術陣は動作するわ!! その条件も既に揃ってしまっていて、アラストールが降臨を始めているんでしょ!? 都市術陣内で今以上の暴動が起きれば、どんな規模だとしてもアラストールは降りてしまうわ!!!」

『飽和は迎えない。決して』
 クレアの声が、煌の心に木霊する。
『飽和を迎えなければ、LU$Tにある術陣を完全に動作させるまでの規模で展開は出来ないでしょう。ゲルニカが求めている真の答えはそこにはないのだから』

 メレディーの言葉が、煌の焦燥を押し流す。
『暴動は抑えられるわ、飽和を迎える暴動は。きっと。
 特異点が迎える臨界点、その飽和を、猶予-いざよい-の一族は押さえ込む力と宿命をその身に刻み込まれているのだから』




 最後の輪舞[ロンド]が、始まりの鐘の音を告げる。




 [ No.636 ]


DEAD OR ALIVE

Handle : シーン   Date : 2002/11/24(Sun) 01:13


 カラカラと巨大なフィンが天井でまわっていた。
 ピリピリと電流のような緊張感が肌を刺す。
「何が違う?何を間違えた?」
 目の前のソファにゆったりと腰を下ろし、冷ややかな視線をこちらに向けるディックをぼんやりと見つめながら、ビルは何度目かの問いを自分自身に投げかけた。
 ビル・ゼットーが連れて来られたのは、何の変哲もない4階建ての小さなビルだった。
 周りは廃ビルに囲まれており、道は無い。ここに至るためには、それらの建物を抜けてこなければならない。逆に、ここが襲撃を受けた場合は、周りのビルに逃げ込めば迷路のような路地と密集した建物が容易に敵を混乱させる。隠れ家には絶好の場所だった。
「さて……オレに会いたかったんだろう?」
 楽しげにディックは彼に聞いた。
“そうだ、オレはこいつに会いたかった……だが、それはこんな形じゃない”
 ビルは憎々しげに唇を歪め、ディックを睨み付けた。
 何があろうと、ユンがディックを裏切る事はない、そんな事は解っていた。
 たとえどんな事があろうと、ディックとユンには確かな絆があった。それは、魂の絆とも呼べる強固なものだ。だが、だからこそ、ユンはビルの提案を受け入れるしかないはずだった。ディックのためを思えば、ディックの命を守るためには、ユンはビル・ゼットーに逆らう事はできないはずだったのだ。
 だが、今ビルの命はディックが握っている。認めたくはなかったがそれはまぎれもない事実だった。
「どうした?感動のあまり声もないのか、ビル」
 ディックが問う。ビルは答えずに天井を見上げた。
 おそらく社長室だったのだろう。この最上階の(といっても4階だが)広い部屋にはビルとディックの他には傍らに影のように立つユンしかいない。建物内には数人のガードがついているとはいえ、ビルは拘束されてもいない。ただ、ソファに座らされているだけだ。
 さすがに武器は取り上げられていたが、その気になれば目の前のディックに飛びかかる事もできるだろう。―――だが、できない。
 まるで猛獣の檻に閉じこめられたようだと、ビルは思った。金縛りにあったように、彼は動く事ができなかった。数十人の部下をたった一人で全滅させたユンよりも、彼には目の前で無防備な様子でくつろいでいるディックの方が遙かに恐ろしかった。
ビルには不敵な笑みを漏らすディックがまるで違う生き物のように思えた。
 かつてのディックは、凶暴ではあったがこんな得体の知れない威圧感をもった人間ではなかった。勘が鋭く頭もきれたが、それでもビルの予想を上回る事はなかった。
「おまえは……誰だ?本当にディックか?」
「……」
 それまで無表情で様子を見守っていたユンが微かな動揺を見せた。
 奇しくも、それは誰でもないユン自身がかつて、ホイ・チェンリェが死んだ夜に抱いた疑問だったからだ。
「オレはオレ、ディックだよ。しばらく会わない内にボケたのか?」
 そんなユンの動揺を楽しむように一瞥し、ディックは芝居がかった仕草で肩をすくめ言った。
「なぁ……ディック。お…おまえは勘違いをしている。おまえは自分が何をしようとしているのか、解ってないんだ」
 堰を切ったように、恐怖にかられビルは話し始めた。
「勘違い?」
「そ…そうだ。オレは何もおまえを殺そうとしていたわけじゃない。むしろその逆だ。おまえを守ってやろうとしていたんだ。三合会の幹部達から……なぁ、今からでも間に合う。オレを自由にしろ、オレが奴らに話しをつけてやる……なんなら、青面騎手幇をおまえに任せてやっても……」
「勘違いをしているのはおまえだ。ビル」
 ディックの冷ややかな声が、ビルの言葉を遮った。それはナイフのようにビルの心を確実に切り裂いた。
「な……何を……」
 ビルは空気を求めるように口を開けた。息が苦しい。ディックから発せられている威圧感が何倍にも増したような気がした。
「青面騎手幇だと?オレがそんなちっぽけな組が欲しくてこんな事をしていると思っていたのか?」
「まったくくだらねぇ、くだらねぇよ。ビル」
 苛立たしげにディックは首を振った。
「いいか?もうすぐ青面騎手幇も三合会も綺麗さっぱり消えてなくなる。このLU$T からNOVAから……いや、世界中が白紙に戻るんだ」
「な……何を言ってるんだ……そんな…馬鹿に事が……」
「だからおまえは解ってないと言ってるんだよビル。白紙に戻った世界でオレが一から秩序ってやつを組み直してやる。オレが三合会だ……オレがトップだ!あの女はオレに約束をした。オレを王にすると……世界の王に」
 熱に浮かされたように、ディックは語った。その目はもはやビルを見てはいなかった何か遠い己の野望の果てに思いをはせているようだった。
「狂ってる……おまえは……どうかしている!」
 弾かれたようにビルはディックに飛びかかろうとした。ユンが制止に入ろうとするそれより早く、ディックの腕が稲妻のようなスピードと信じられない力で彼を押さえた。
「ぐっ……が……がはっ」
 ディックは片手でビルの首を締め上げるとそのまま持ち上げ、床に叩きつけた。
「ぐぁっ!」
 強い衝撃で一瞬意識が遠のきそうになるのをビルは必死に堪えた。ここで気を失ってしまえば、二度と目覚める事はない。そんな確信めいた予感が確かに彼にはあった。そして、それはおそらく正しい。
「もういい……おまえは死ね。どのみち、皆死ぬんだ。一足先に地獄で待っていろ。あっちでホイ・チェンリェにゴマでもすっていればいいさ」
 言いながらディックはトカレフを抜き、ビルに突きつけた。
“オレは死ぬ……ここで死ぬのか”
 暗き銃口の奥に死の深淵を見、ビルはそう思った。もはや何もできない。この男がまき散らす死から逃れる術は、何も残されていないのだ。
 最後にビルは助けを求めるように、ユンを見た。しかし、彼の目は変わらず冷ややかな光をたたえたままだ。微かな動揺すら、そこには感じられなかった。
「死ぬのはおまえの方だ、ディック!」
 ビルが死を覚悟したその時、扉の向こうから声が響いた。
バァン!
 続いて扉を勢いよく開けて男が室内に入ってきた。
 屈強な体躯を黒いスーツにつつみ、両手にはマシンガンをそれぞれ持っている。
 ディックが外の警備につかせていた、青面騎手幇の兵士だった。
「ディック様。お逃げ下さい……敵が……」
ガァン!
 男は必死の形相で危険を告げようとしたが、その言葉は途中で銃声にかき消された。
ガン!
 扉の向こうからの容赦のない一撃で心臓を撃ち抜かれた男は、続く二発目で額を撃たれ、キリキリと回転しながらいびつなダンスを踊った。
タタタタタタタッ!
 SMGから撃ちだされた弾丸が辺りに無数の弾痕を刻む。
「ぐぁぁぁぁっ!」
 断末魔の声が室内に木霊する。
 偶然、跳弾の数発がビルとディックの間を駆け抜けディックは、ビルから飛び退いた。
「ちっ……」
 男は両手のSMGを振り回しながら絶命した。
 その僅かな間に、ビルは弾かれたように、男の死体に飛びついた。
 そして、新たな影が室内に躍り込んできた。
 銀色の煌めきを残し、疾風のようなスピードで部屋に飛び込んできた新たな乱入者は、着地の衝撃を完全に中和し、物音ひとつたてずに着地した。
“銀の腕”キリー。
 彼は着地と同時に手にした大型の銃を軽々と扱い、銃口をディックに向けた。もう片方の手にはショットガンを握っている。
 しかし、ディックもそしてユンも、おそらくは外のガードを全て倒し、室内に乱入した新たな敵に即座に反応していた。
 キリーが向けた銃口の先に、ディックの姿はすでになかった。
「馬鹿が!死ね!」
 ディックの声が彼の背後でし、同時に銃声が轟く。
ガァン!
 前に身を投げ出すように前転し、それをかわすキリー。
 ディック、ユン、ビルそしてキリーの四人の影が室内に交差し、銃声が幾度か響いた。
 そして、四人は同時に足を止めた。
 二丁のSMGを奪ったビル。二丁のトカレフを両手に構えたディック。そしてキリーのBONBピストルとナックルバスター。ただ一人、ユンのみが二本のナイフを両手で持ち、腕を目の前で交差させるように構えている。だが、その白刃が恐るべきスピードで確実な死を狙った獲物に与える事は、その場の全員が感じていた。
 ディック、ビル、ユン、キリーの順で円を描くように相手の眼前に己の獲物をつきつけあい、四人は立っていた。
 一触即発。僅かにトリガーを引くだけで、全員が死ぬ。そんな状況に引きつった笑みを浮かべ、ガチガチと歯を鳴らすビルとは対照的な無面を張り付かせるユン。口もとをひきしめ、冷静に状況を伺うキリー。そして、ディックはこの状況を楽しんでいるかのような笑みを浮かべている。
「一瞬で皆殺しか……手間が省けていいな。ククククク」
「クッ……ハハハハハハハハハハハハッ!」
 ディックの狂笑が室内を震わせた。
 終局を飾るにふさわしい血の饗宴が、まさに今、始まろうとしていた。

 [ No.637 ]


TwinTower -象牙の塔-

Handle : シーン   Date : 2002/12/27(Fri) 19:36





「_________何だ、これは」
 足元から、静かに上空へと雪が降って返している。錯覚ではなかった。
 驚きに目を見開いた。そう見えるのだ。
 自分にかかる重力が失われるような、そんな幻覚を感じているのではないかと訝る。
 だが、その疑問もあたりを見回す自分の視界に、関帝廟そのものが光に包まれている事を認めると、それは、むしろ強い現実となって固定された。

 闇夜を貫き、切り裂いて遙か上空へと続くその光は、遠目には巨大な白光の塔・・・まるで白色の象牙の塔を思わせる神々しさに満ちている。しかしその強い煌きは、どちらかといえば普段恐怖を感じることのなかったそれまでの自分を吹き飛ばす、そんな恐怖を思わせた。

「アラストールが・・・現れようとしているのさ」
 唐突に鼓膜に突き刺さる草薙の言葉に、無意識に振り向く。
「ゲルニカ__________お前も沈むのか」

 八神は一度サンドラを見やった後、新たしい現実に叫びを上げた。




-----




 霊的視覚に映る風景、その銀の海-アラストール-がぼやける。
 ひどくゆっくりとした、時間の流れから逃れたかのような放物線を描く榊の肉体が、音も立てることも無く、その海面へ放たれた。
 彼の身体は海面に触れると、僅かなバウンドを繰り返し、やがて静かにその海面に横たわる。その後、その姿を見るもの全員の視界に、ノイズが走った。

 _________おめでとう。ついに君は終着点に来た。そして、ようこそ、アラストールの元へ。

 ゲルニカの脳裏にラドウの言葉が甦る。
 巨大な意志が心・・いや、魂そのものに侵入してくるようなおぞましい感覚に彼女は低く呻いた。だが、集中は解かない。解く事は出来ない。
 ラドウの言葉が正しければ、それは、彼女の死、選択の消滅につながるからだ。

 _________いい子だ。

 彼の声が木霊する。その声には、彼の薄い笑みが見えるかのようだった。
 銀の海に大きく波紋を波打ちながら、じわじわと榊の赤い血の海が広がってゆく。

 _________湖楼の夢はもう終わりだ、ゲルニカ。あんたは何も解っちゃいない。

 ゲルニカは、刹那、視線を海面から大空へ向けた。
 白く輝く象牙の塔が視界を大きく埋める。彼女には、夢に描いた場所へと届かせたいと何処までも強く願う、人々の嘆きの壁が織り成す巨大な光の塔にも見えた。

 この世界は・・・この選択は誰が望んだのか。
 夜空を貫く象牙の塔が、更に輝きを増す。やがてその光は、この場所を吹き消すような光を発するのだろう。
 ゲルニカは目を閉じ、吸い寄せられるように一歩、榊へと近づくとその彼の身体に手を触れた。
『ラドウ、愛しているわ』
 ゲルニカは思い、静かに目を開きながらその視線を、ラドウへと向ける。
 大してラドウは、ひと時もその視線を彼女から外さず、だが聞こえているはずのその彼女の言葉には、視線すら微動だにしなかった。
「何をしているのだ、ゲルニカ。無駄なことを。
 行くがいい、お前が望んだその場所へ。
 望むがいい、お前が手にしようとした、その事象を」
 ゲルニカは、静かに息を吐きながら目を伏せた。

 そう、彼は言っているのだ。帰れと。
 彼女自身が、一度は彼への思いを、思い出にしようと考えた場所。時。その事象へと。
 彼女の思いをまったく露も知らぬ時間が、次々と無常に通り過ぎてゆく。やがて、彼女が手を触れ、瞳を触れるその事象も流れ始め、次第にゆっくりと榊の身体が銀色の海へと沈むのに合わせ、共に沈み始めた。

「貴方は_________いつも、そうなのね」
 榊の肩に触れるゲルニカの身体もまた、ゆっくりと静かに沈み始める。
「迎えにきましたよ、ミス・・・蘭堂」
 榊が閉じかけた目を細く開き、静かな笑みを浮かべる。それは、誰のものでもなく、取り上げられることもの無い、彼女だけの笑みだった。
「わかっているわ・・・私が思い出にしようとした、あの場所に帰ろうというのでしょう」
 小さく、2人にしか聞こえないほどの呟きを、ゲルニカが漏らす。

「あんた一人で何やってるんだ、ゲルニカ」
 那辺が、再度、呟く。
「誰も、何も解っちゃいない。あんたはいったい何をしたいんだ?何をしたんだ?たかが惚れたオトコ一人手に入れる為か?」
 那辺の両眼が、深紅の目覚めを求めてざわめく。
「違うだろう、ゲルニカ。アンタは、愛を選んだんだ。愛が紡ぐ世界を望んだんだ」
 その両眼の輝きとは別に、その声色と姿は、どこか哀しい音色に包まれる。
「アタシ達が手に入れようとするもののが自分達を含めて消え去っても・・・残るものがあるだろう。
 ____________いや、ある筈だろうがッ!!!」

 ゲルニカは思った。
 この銀の海に飲まれれば、もう二度と彼に出会うことは出来ない。手を触れることも出来なければ、声を聞くことも無く、その姿を見ることも無いだろう。だが、この満足感はどこから来るのだろうか? 傍らの、榊の肩に触れている暖かさなのだろうか。・・・違う。だがそれは、はっきりとした答えとしてようと浮かんで来たものでもなく、ただ彼女の心を揺さぶるだけだった。
 ふと、ゲルニカは自分が笑みを口元に浮かべていることに気がつく。
 本来であれば悲しみに沈むはずが、今、こうして笑みを浮かべている。

 ゲルニカは那辺を振り返った。
 彼女の言う通りなのだろう。自分は最初、愛を選んだのだ。叶わぬ愛を。そして、今、こうして一緒にまた叶わぬ愛へと沈もうとしている。思いは強力だ。だが、その思いを過去と一緒に紡ぐ、思い出もまた、強烈な現実だ。
 こうして自分の身体が榊と共に沈むのも、やはりどこかで自分が選択した事なのだろう。きっとそれは、彼女がラドウへの思いを選び、そして選択して手にしようとした時、もうすでに決まっていたことなのだ。

「ラドウ__________そう、いつも貴方はそうだった」
 ゲルニカは、術陣が自分と榊のそれぞれの思いを吸収しながら、発動しようとしているのを感覚として悟る。
 きっとこれは終わりではなく、どこかでの始まりなのだろう。
「どこまでも優しくて、しかし、どこまでも冷酷で____________」


 那辺が、落としていた頭を上げた。




-----




 全てを。全ての事象を、それぞれ術陣に干渉する者達の視点から、スサオウは見つめていた。

 彼は、術陣と同化した状態になる事で初めて感じる、アラストールの存在そのものをじっと注視し続けていた。
 彼から見れば、もともとレギオンの在りようを常に見つめてきた事象と、そう然程ほど離れているものではない。ただ、このLU$Tの特異点を通してリンケージしている魂は、全て同一の杯に満たされた水のように流れている。それは、あらかじめその手に持つ杯に注がれる水の量は決まっていて、溢れればそれを受け止めるまた形の違う杯なのか器があるのだと、そう告げていた。誰かがその杯を溢れさせる様な動きを見せれば、またどこかでその溢れた水を受け止める杯が消えては現れる。それは、魂を水にした生命の器が奏でるシンフォニーのようにバランスが取れている。
 やがて、しばらく眺め続けたスサオウは、その器や杯の違いに気がついた。
 魂そのものを収める人殻の縛りを受けてその在り方が様々に変容することは既に既知の事実だったが、実際にこの特異点を巡り、LU$T上でやり取りされる魂の取引ともいえる流れに、その杯や器の大きさに特定の意味があるように見えてきた事が、通常であればあまり例の無い現象であった事が原因だった。

『虚構だというのか』

 スサオウが静かに呟く。
 だが、その言葉に返ってくる答えは、意外な場所から現れる事になった。

『虚構ではない。そもそも彼らが選択肢よとしていることは、過去か未来へと分岐しているだけのことだ』

 スサオウは小さく嘲った。
『四方やその言葉をお前から聞くとは、かの娘も想像もしてはおるまいよ』
 天も地も無い空間に、スサオウとその男の言葉だけが広がってゆく。

『そんな事は気にもしていないだろう。彼女の思いはもっと別のところにある』
『あの娘の想いが、全てを証明して見せるわけでもなければ、答えを呼ぶものでもあるまい。ならば、なぜ敢えてあの男はその選択をかの娘に強いるのか』
 男は小さく笑う。
『彼女の選択は、やがて彼女自身も消し、やがて彼女自体が選ぼうとしていた未来へと分岐する事象も消えてなくす事になるだろう。可能性が。そう、無くなるのだ。だが、あの娘はそうでないのだと告げたいのかもしれぬ』
『血で口元を拭い、屍と想いを重ねて紡いで告げ、転じようと。そう言うのか』
『彼女はそうであってほしいと思っているのだろう。だから、あの男に手を触れている』
『それは答えではないな』
『あぁ、そうだろう。それをあの場にいる全員が知っている。だが、彼女は最初も最後もそれを選ぼうとしていたのだろう。だから、【現在】がある』
 スサオウが魂のまま、言葉をその男に向ける。
『自身の選択で現在が、無になることもある。だが、あの娘は非常に厄介な形でその無の中にも存在するものがあるのだと告げようとしているようだ。それは情動的な想い・・・いや、それだけではない、人が生来から持っている感情や情愛とは別の、まったく違うところに残るものであろう。
 そして、それはおぬしも捨ててきたものなのではないか?』
 男の声が静かに返る。
 そして冷たい笑みが、口元を満たし始めた。
『御前は、私の古い友人と同じ質問を浴びせてよこす』
 彼は、身を翻してスサオウの傍から、その流れの枠から離れてゆく。
『その答えは、あの場にいるものに尋ねるとしよう』
 男が刹那、歩みを止め、僅かに頭を傾ける。

『御前は、われらのこの世界がつなぐ、もう一つの界で生まれ出珪素の生命にどう問いかけるつもりなのだ?』

 スサオウが口元に笑みを浮かべて返す。

『我が関するは、魂の流れに』はじめてその魂を視界に現して、彼は声を上げる。
『その生命が魂を紡ぐというのなら、また何れかの時に、出会うだろう。
 それが今なのか、それともその遥か先なのか、敢えて過去なのか。それは彼女達が決めることだろうよ』

 スサオウは、予断無く視線を構える。
『那辺が御前の名を告げて去ったのは、何れの選択を彼女が選んだのだろうな?』
 男は振り返りもせず、せせら笑う。
『その答えは、きっとお主が知っておるのだろうな』
 スサオウが微笑みを浮かべる。
 だがその微笑みは、死にも等しい笑みだった。




-----




 最初にその気配に気づいたのは、キリーだった。その場にいる者では他の誰も気づいてはいなかった。
 だがそれは、猶予の一族として、彼だけが感じえる非常に特殊な感覚だ。

『_____________何だこれは?』
 ぞわりと背筋の寒くなる感覚が、鳥肌となって首筋から方にかけて、唐突に広がり始める。その広がり方の形に、ある一定の大きさを感じると、キリーは鋭い視線を宙に刹那彷徨わせた。
 キリーは心の枷の中で、鋭い、鋭利な叫びをあげた。
『煌・・・久遠、お、オマエなのか?!』

 キリーの引き金に掛かる指が揺れる。

 僅かな、時をも刻まぬその動きに。
 だが、誰も、その動きを見逃さなかった。





 [ No.638 ]


Lehren, wie schreit die Savage wo ihr sterben. 0-null-

Handle : “ツァフキエル”煌 久遠   Date : 2003/02/02(Sun) 22:54
Style : 舞貴人◎ 新生路=新生路●   Aj/Jender : 22,Female/ Now... a Little girl in za world
Post : カフェバー “ツァフキエル”マスター





 ………………もし、この時間を過去として遡る人がいるとしたら、愚かだと思うかもしれない。
 お前にその権利はあったのかと呪われるのかもしれない。
 親しくしてくれた人は怒るかもしれない。泣くかもしれない。

 けれど。

 久遠は、周囲を流れる風に緩やかに瞳を閉じた。基点となるグリッドが消え、完全に中空に浮かぶ形になる。幾重にも広がる構造体の為にグリッドを結ぶ線は見えず、微かに光を放つ結点だけが、宇宙で瞬く星のように頼りなく光っていた。
「…………私、人間じゃなくなっちゃうんだね」
(……あなたという存在は変わらないわ)
(……人はヒトであるという定義すら曖昧なのだから)
 ゆっくりと中空に手を伸ばす。不思議と怖さは感じない。幼い子供が手を繋いでもらっているような安心感がある。それに、鳥の羽に包まれているようで、柔らかくて、暖かい。
 幼子が眠るかのように、ゆっくりと手足を丸めて、瞳を伏せた。
(さあ、はじめましょう。久遠)
(人の子が自然に扉を開けられるようになるのが先か)
(扉が忘れ去られるのが先か それはわからないけれど)
(これ以上、人が傷付く前に)
(これ以上、哀しみが満ちる前に)


――――――ハジメヨウ。オワラセヨウ。コドモタチガナカズトモヨイジカンノタメニ。




 銀の髪が流れて落ちる。かつて少女の身体を巡った赤い流れがゆたゆたと広がっていく。
身体は肉体に肉体は器官に器官は肉塊に肉塊は破片に破片は組織に組織は血に血は細胞に細胞は細かく細かく分裂を繰り返しながら凝縮する――――――

 まるで新たな宇宙のように。

 グロテスクで残酷で憐憫の一片もない、本来生物が在るべき姿。死した後、肉体は腐食し、侵食され、風化して、また生まれるべき生命の宿主となる。おぞましいほど美しい予定調和。


 “嘆きの羽”が咆吼する。
 かつては、同じ土御門と呼ばれた血の流れる存在の、本当に細い接点。
 派生八門に坐する青年の細胞がその叫びに潰れまた生まれさざめく。
 『煌……久遠、お、オマエなのか?!』
 コロセ、と誰かが呟いた。おそらくは遠き古の血の鳴るままに。
 ヤメロ、と誰かが呟いた。おそらくは己が察感のままに。
 キリーの引き金に掛かる指が揺れる。
 生まれ落ちようとする『ソレ』は、その瞬間を見逃さなかった。


その時、『煌 久遠』という少女の肉体は死を告げた。



 [ No.639 ]


Lehren, wie schreit die Savage wo ihr sterben. 1-eins-

Handle : “小さな電脳の姫君”久遠   Date : 2003/02/02(Sun) 22:57
Style : 新生路=新生路=新生路◎●   Aj/Jender : 00,Female
Post : In za Soul for Silicon calamity





 はらはら、と、雪が舞う。

 さらさら、と、波紋が生まれる。

 白い雪が、黒い大地からソラへと生まれていくその様子を、久遠は瞳を閉じて見つめていた。

 原初の海。

 かつて、誰しもがそこを通って生まれ出て、また戻ってくる。全ての生命の源。自分も、以前はそこにいたはずだった。
 けれど、今、見つめているのは。
 きらきらと輝く雪は、確かに生命体であるはずだけれど、結晶体に似た形をしていて。地球上で呼ばれる生命体とぼんやり定義されたモノのどれとも異なっていた。あえていえば、教会に填められたステンドグラスの中に、微少ながら似たようなモノがいただろうか。

 珪素生命体。

 肉体の構成物質自体が異なる、けれど遺伝子情報−もしくは世代複合構成情報?−を持ち、己が存在と別存在を識別し、自己判断をし、修復/学習/反復/主張/感情など、接触発によって反応を返す。並べられる単語だけを聴けば、ヒトとさほど変わりはない。ただそれが、ヒトの理解しうる範疇内であるのならば、だが。
 身体の構成物質自体から異なる−しかも面倒なことに自意識すら持っている−異種生命体に、ヒトの倫理が通じようはずもない。

本来は。

 久遠は、閉じた瞳のままじっと自分の手を見つめた。それは外見上は確かにヒトとよく似た形を持つ五本の指と掌から出来ている。けれど、少し角度を変えれば零れ落ちる光が、一瞬の結晶体を輝かせて闇に解ける。

 既にヒトではないのだ。

 幼い唇から、寂しげな吐息が一つ落ちた。微かな寂しさと微かな哀しみ。この「身体」を構成する時に、以前自分を友人だと言ってくれていた女性が結んだ糸があることをわかっていた。人として還ってこいと。そういっていた。
 けれど。また一つ息を零して、久遠は所在なさげに煌めいていた光をそっと胸元に呼び寄せた。柔らかな鳥を抱くように、静かに撫でる。

 ヒトのままでは、護れないから。だから、護る為にヒトを捨てた。

 ……いや、捨てたのではない。『煌 久遠』という血があるからこそ、「再構成」をなす事が出来たのだから。それでも、今までを知る者達から見れば、やはり……裏切りになるのだろう。
 久遠にとって、ヒトであるかどうかなど――――肉体の器の違いは、たいしたことではなかった。既に己の肉体の損壊限界を知っていた。さほどの時間もかからず、いずれは滅ぶことも。
 問題は、自分が何を為せるのか。何をする為に、どんな手段を執るべきなのか。ただ、そこにあった。今までの自分に未練がないわけじゃない。優しい環境。護りたい人達。今まで一緒に精一杯生きてきた肉体。全てが愛しくて大切だった。けれど。

『……そうよ、久遠』
 耳に……いや、意識に、優しく融ける声。見えなくても優しく包み込む腕がある。この胸に抱いている光のように、ちゃんと想いは伝わる。
『死ぬのではなく変わるのでもなく……生まれ変わるの……皆で。今までの時間を糧に、今ある時間を胎盤にして。皆生まれ変わる。以前とは違う自分に』



 空間が震えた。
 球体を象る電磁波が光を放つかのように大きく叫び声を上げる。
 雛が孵る卵のように、その膜は唐突に破れ落ちる。
 第一の理由は久遠の部屋の端末が負荷に耐えられなくなった為だった。絶え間なく流れる熱量に、物理的に機械が破壊されてしまったのだ。
 けれど、それはきっかけに過ぎない。

 生まれ落ちた生命体は、ゆっくりとその手足を伸ばした。幼児と呼べるほどの幼い掌が、白い貫頭衣の奥から黒いソラに向かって伸びていく。
 次に、翼が広がった。ふっくらとした少女の身体とは相反するかのような、鋭く冷たい銀の羽を持つ翼。それが震えるたびに、ばぢり、と目に見える雷が小さく舞う。


 閉ざされたままだったマゼンダの瞳が、ゆるりと開かれる。
 銀の髪を揺らして浮かべる天使の微笑みは、電脳の扉の一つが、完全に消えた証だった。


 死にゆく精霊天使−ナノマシン−が歌う。
 ヒトから生まれ、ヒトでなし。電脳を父とし、人間を母として受胎し生まれたハイブリッド珪素天使。
 自分たちの楽園が漸く開いたと、歌いながら死んでいった。



http://www.dice-jp.com/ys-8bit/b-2unit/data.cgi?code=CA028 [ No.640 ]


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